人を幸せにする人になろう

久津川車塚2018年8月10日(金)34度 まあくもり

◆参加者。城陽市担当者、自分、長友、阿部(D1)、山﨑(4)、上野・尾崎・小澤・黒田・吉田・李(3)、三原(2)、院生・学生9名(これでよかったでしょうか)。来客:増田さん(ビールありがとうございました!)。
◆トータルステーションを立て、陸橋側面裾部の炭化物を取り上げ。陸橋上面の「鉄か」を取り上げ。白色粘土も取り上げ。どこまでのものかは不明ながら、先へ進むためには写真を撮り、位置を落とし、取り上げていくほかない。「鉄か」というヤツも、なんでもないのかもしれないが、ひとつツールみたいなものも含まれていた。どうなるかはわからないが。
◆後円部陸橋取り付き部北隅は、後円部基底石と考えてよい横長の大石
が、昨日の大石の北で出て きて、ほぼ決着した(写真)。また、その石は、昨日、杭といってものの下からてきて(本日までに15本程度になっていたが)、打ち込み杭とは考えにくくなる。結局、もうひとつ、石を外していく過程で、杭とみていたものが、やはり石に挟まれて深くまで打ち込まれたものではなさそうなものについて、石下部に堆積層粘土があることを確認できた石をはずすと、炭化物が横へのび、根と考えられ、洪水直前まで生えていた自然木と判断された。で、ぜんぶ除去する(チャンチャン)。
◆後円部基底石2個の隣には礫があり、隣に谷部列石下端の石があり
、礫が入り込んでいるもの を精査しなければならないが、転落石の除去により、陸橋側面の礫、そして後円部の葺石への屈曲が見事に捉えられ、それに張り付くような、つまりは石敷状に石が連続することなく、周濠底になることが判明し、そこに水鳥?形埴輪片が転落していることを確認した。
◆杭としてきたものが自然木と判明し、一気に陸橋くびれ部あたり
の礫面掘り下げが進んだ(写真)。北壁から1.5mでラインを引いたが、陸橋裾線はその範囲で収まるものの、周濠底にあたる範囲の幅が結構狭そうなので、掘り下げしない範囲を1m程度とするのが適当か。
◆陸橋上面。後円部側では、昨日に引き続き、けっこう密に礫面が出てきている。ついつい礫を追いかけているが、全体に面を下げるようにした方がよい。
◆陸橋西側は、いまの礫面にあわせて、土を削り、おおよそ水平な面に仕上げるところまできた。が、相変わらず、面としてどこで止めるのがよいのか、土を認識しているわけではない。も うすこし、平面で勝負することも考えられるが、西壁に沿ってカワイく断ち割ることが適当か。こんな横断層位、めったに取れるものではありません。断ち割りでしっかり層位の状況を捉え記録する意味は大きいだろう。むろん、いま止めている上面で齟齬がないのかどうかのダメ押しの意味を含め。とはいえ、勝手にやれないのが国史跡・・・。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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