人を幸せにする人になろう

久津川車塚2018年8月8日(水)33度 大阪の日の入り18:54

◆参加者。城陽市担当者、自分、長友、阿部(D1)、大澤・吉村(M2)、安藤(M1)、林田・前田・森田(4)、上野・尾崎・小澤・黒田・佐藤・中野・吉田・山本(3)、三原(2)、院生・学生16名。一日、ほぼ曇り気味で、当初はテントも不要だった。
◆朝、遅刻。みなで陸橋北斜面に取り付いている(写真1)。灰色堆積土を落とし、黄色マンダラ土を出して  いく。午前の途中で陸橋西部は東の上面に入る(写真2)。
◆午前中には陸橋側面で地山およびその上の置土のイキ面を捉える。礫の落ちた上の土部分について、斜面イキ面を出していく。途中で、上面にも着手する。後円部取り付き部から西に、上面を慎重に削りながら精査が始まる。また、院生に、肩部の検出に入ってもらう(写真3)。上面をまで下げるか、面の土をにらみな がら、上 面と斜面の接合する肩してもらう。写真4は昼休み時。東西帯状の礫は残存上端であって、裾部はもっと下のようである。
 ◆まず後円部側陸橋取り付き北隅(写真5。本日終了時)。前に出していた谷線列石のいちばん下の大きな平たい石、その下にも大きい石ががっちり入っており(これは昨日)、さらに礫斜面下半部(続きがどんどん出る)にあたる下部を掘り進めると、列が屈曲して大きい石がならび、底に移行したかと思われるさらに下でも、同じ延長方向で出てくる。こ れらの上には、後円部葺石ががっちり咬んで積みあがっている。昨年も谷部はやや屈曲を見せていたような記憶がある。そしていま見えている塊石の並びがほぼ基底石なんだろう。谷が一直線に下り、その下端ポイントで、西は礫、東は後円部基底石が始まるといった様相ではない。まあしかし、もう少し石を掘り出し、転落石も除去してすっきりさせる必要がある。いずれにせよ、再拡張は不要のようである。
◆なお、谷部最上端は、礫が肩近くまで残存する。そこも肩の検出をしてもらいにかかるが、斜面部に下ったすぐのところで、有機質のものが出てきた。
◆陸橋上面であるが、昨年度は予想もしておらず機械掘削時にやや削り込み、断面観察で地山の上に2層ほど土を置いていることが判明している。濃い茶色のブロックを含む選択されたような土がある。その断面を参考に上面を精査しているが、なかなか思い切って下げるのは怖いし、数㎝ずつくらい削る。土は明るい黄色でオレンジが入る。周濠底のヒタヒタ状態での草木痕かもしれないな~。仕上がり時の上面の土も、水位の高い状態で草木も生え、上から変質がおよぶだろう。土質的にはあまり変わらないし、漸移的な変化か。昨年の陸橋取り付き部基底席のキワの土も同じである。
つまりは、元の高さはあれ、発掘では、しっかりした(変質のおよばない)面まで普通は出す。が、そのへんは、ある程度、匙加減的なところがあろう。まあしかし、午後の後半には、それを削っていって残存礫面が出てき始めている。出てくる礫面をもとに、礫を浮かすようにまわりを下げ、面を整える。むろん土としてもしっかりした面として捉えられるならよし。しかし基底石のあたりは、あまり下げると、石が浮いてしまうことになる。
◆陸橋斜面であるが、帯状部が裾あたり、という見込みははずれ(まあ、そりゃそうですね)、あくまで上端であって、下半分はガッツリ残っているようだ。斜面部は礫を手掛かりに、礫のない上をさぐって斜面を出し、あとはひたすら礫を出していく。ただし、肩部は(上面を含め)より慎重に、掘れる者が仕上げる必要がある。溝も(案外浅いのか?。これは難しい)。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
54
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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