人を幸せにする人になろう

富雄丸山

◆で、12月22日、佐紀陵山へ行く前に、日本一の大円墳、富雄丸山に初めて行きました。フェンス で囲われ、門扉には鍵がかかり、立ち入れないようになっていました。昔の報告では造り出し付円墳の可能性が示唆されていたように思います。
◆で、城陽に向かう間に院生1人と話をしていて、帆立貝形古墳と造り出し付き円墳の出現時期とか差について話をしていました。その区別論はもういい。帆立貝形は、既に別の墳形として考えるべしとの結論が出ていると思うが、規制された前方後円墳で、第2の前方後円墳みたいなもんなわけです。で、イメージは大仙以降とちゃうか。それ以前は、陪塚をはじめとする方墳。そして造り出し付き円墳か、と。例えば、播磨、中期中葉以降、前方後円墳がなくなって、多くの「円」が出てくるが、それは帆立貝なのか、造り出し付き円墳なのか。2者があったとして、その被葬者はどうちゃうのか。とても面白いテーマですね。ひとまずそれを区分し、時間軸でならべていったらどうなるのか、あれはこうでこれはこう、なんて答えは簡単でないにせよ、差を明確にする意味はあるだろうと思う。大仙ちゃうか、というのは、允恭段階で大幅に前方後円墳を規制するが、そこは新たに帆立貝形古墳を創出して、新たな格付けを生み出したのではないか、といったことが推測される。これ、卒論のいいテーマでは?。なんとかさんにピッタリでは。と。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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