人を幸せにする人になろう

夏の旅行―鹿児島―

◆予定通り8月9日に鹿児島にむけて出発した。別途、アルバムに整理しているので、ここでは行程表のみを示そう。
◆8月9日(日) 朝4時に起き、50分発、近畿道、中国道、山陽道。4台ほど前で玉突き事故、巻き込まれずホット。11:40壇ノ浦PA、ラーメン、12:10分発、九州道が福岡-太宰府間通行止め、下に降りて筑紫野ICで再び乗る(14:20)。このころから外は晴れ。ストレートにえびの(16:30)。食料品を買い込み(地鶏のタタキが最高)、高原にあがる。バンガローは、くたびれているし、カビ臭い。バンガロー・テント組みあわせて10組くらい。18:00から風呂。めし。焼酎「五大王」なくなる。新たに台風9号が発生(佐用町で水害)。夜、外に出て雲の切れ間から星空。鹿がうろうろしている。
◆8月10日(月) 朝、散歩、韓国岳にむかう人々。簡単に朝食を済ませ、高千穂河原に出発(08:12)。既に降りてきた人もいるが、ほぼわれわれと同じ頃に集まってくる人々が多かった。08:46登り始める。立木のある森を抜けると、火山灰噴出物の流れに沿った登山道で、一気にヘリまで。途中、直子、脱落。丈はすいすい。桜島がちらり。中岳が側面に見える。御鉢に着いたときは火口がよく見えたが、みるみる南からガスが迫ってきて、完全に覆われる。直子は、すぐ近くまで来ていたが、もう無理というので引き返す。さくらさくら温泉(10:50)で汗を流す(昼飯も)。それから上野原縄文の森に。月曜日休館だが、ここに来た目的はシラス台地の解説をするため。みんなに2万5000年前にこの高さまで全面埋もれたことを説明。それから大隅半島を東南に横切る。大崎は遊泳禁止、宮崎県串間に足を伸ばし高松海水浴場で遊ぶ。そこから、南下し、内之浦の温泉、公営でけっこう広い。そこから、どこに泊まるかでゴタゴタしたが、内之浦のトイレのある展望台に決め、夫婦2人はテント、子供らは車の中で寝る。背中に虫が入ってきてモゾモゾ、なんだと思ったらカブトムシだった。
◆8月11日(火) 朝、湯をわかしてインスタントラーメンを食べる。06:50発。内之浦のJAXAで写真を撮ったあと、辺塚海岸をめざすが、痛恨の失敗。一気に辺塚にむかうも、着いたがなんのことはない海岸(08:30)。郵便局で聞くと、内之浦にも辺塚がある(それだ!)。そっちは写真でもすごく美しい浜辺でウミガメが産卵に来るという。しかしもう引き返すことはやめよう。佐多岬をめざす。9:30頃到着。本州最南端の岬を制覇した。それから根占をめざす。途中、薩英戦争の砲台あり、写真撮影。根占海岸で海水浴。海は荒く波乗りが楽しい。風呂に行き、昼を食べて、15:10のフェリーで指宿山川港へ。COCOはしむれ。鹿児島に向かう。直子がこの日については、鹿児島のホテルを予約していた(4人で1.2万円)。天文台通りで食事をし、ふとんで寝た。
◆8月12日(水) 指宿へ南下し、砂蒸し温泉。けっこう楽しい。中国人旅行者多く、あんまり熱くないと文句を言っている。10:25には出て、そこから枕崎へ向かう。池田湖、開聞岳を見ながら、枕崎に入る。とたんに町全体がカツオ臭い。鰹丼を食う。それから吹上浜へ行くが、ちゃんと調べていないので海水浴場は不明、サーファーはいるが海水浴場が見当たらない。ここまでがアバウトながら計画していた範囲。そっから先はどうしようかと相談し、熊本で泊まることに一応した。曇っていたが阿蘇に登る。視界がないほどだったが、牛や馬を見て子供は喜んでいる。へんな外国人がいる。熊本市街のおそらく有名な黒亭というラーメン屋で熊本ラーメンを食べ、泊まるところを考えたが、このまま帰宅することにする。運転を交替しながら、翌朝9時頃に家に帰り着いた。静岡で地震があったのはこの8時前のこと。カーナビのテレビを見ていたら、「いま地震で揺れています」と・・・。出発前日には酒井法子が逮捕され、水害・地震と天変地異が多発した期間でした。

オープンキャンパス

◆数日前、この4日で仕事を片付けたい!という記事を書きましたが、ぜんぜん。本日6日と明日7日はオープン5b579b2d.jpgキャンパス。今年は担当でないので、時間はあると思っていたが、昨日5日も、午前に学情の展示を片付けたあと、午後はずっとオープンキャンパスの仕事をするはめになった。追加のパネル作成、のれん、名札、スライドショーの画像編集で22:00までかかった。
◆本日、午前、日本史のブースは誰もいない。塚田さんに頼まれて、最終的なディスプレイはほとんどやった。で、昼前からは、埴輪の展示。1号墳の朝顔形埴輪は数年前から毎年出品しているが、今回は、報告書に向け、石膏入れをやっつけなければならないので、していなかったこの仕事を、オープンキャンパスで片付けることとし、その実演をネタにすることとした。会場入り口の展示台のところで昼から16:00までずっと石膏入れをやっていた。おかげでかなり進む。明日もやれば、写真が撮れるところまでいきそうだ。若杉君、あとはあんたの原稿だ。
◆貧乏家族旅行は、おれもカミサンも仕事を残したまま、出発することになりそう。やめれば、『ヒストリア』216号の特集の仕事も安泰だが、この機会を大切にしよう。不安は残るが、しゃーない。ネットカフェで泊まって仕事しようか、とも話をしているが、どうなることか。

学情(図書館)での考古資料展示

dd2c93cf.jpg◆学術情報総合センター1階フロアでの、大阪市大学術標本展示における、1コ-ナーをもらっての考古資料展示セットが終了した。縄文土器、弥生の石器、土師器、陶質土器(新羅)、難波宮軒丸瓦をならべた。
◆軒丸瓦は、明治43年出土が確かだとすると、法円坂で見つかったもっとも古い瓦となる。山根はこの瓦に、「第1号」と墨書している。これについては、出所をさらに追究する必要がある。
◆展示準備には、大学史資料室の森さんと田中さんが当てって下さった。文字パネルもできあがったが、貼り付けてみると、減らしたつもりでも文字が多いのと、不揃いがあるので、多少の手直しが必要だ。7a52172d.jpg
◆明日から2日間、オープンキャンパス、彼らに見せる意図もある。大阪市大でも考古学はできるんだよ~。
◆今回の展示準備を通して、これら過去の資料は、ひととおり見ているが、出所も不確かなモノなので、実習に使う以上のことはしてこなかったが、簡単なガリ版刷りの目録のようなモノも見つけたし、すこしずつ調べて、資料化する必要を感じた。

さてと、あと4日

◆カミさんが臨時収入1万円ゲット、子供らは土曜日が終業式だが、三者面談も終わったので、あじときちりに行って散財する。外食というより、うちは飲み屋。うまいものを食うのは人生(最大の?)の幸福である、といってはばからない。まあ、こんなんだ。
◆さて、夏休み、九州にたぶんいくのだろうが、心おきなく出発するためには、水・木・金・土の4日間、片付けることをやらないと。で、8時前に出勤してきた。ほんとうは天王寺駅でデリカフェに入ってコーヒーを呑みたかったのだが満席だった。けっこう、ここには入る。かわいいコがいるから、というオッサンの目的もある。なにをやっているかというと、昨日やり残していたこと、家計簿をつけたり、日記を書いたり、仕事のことも、それと今日することをメモしたりと、そういうことに使っている。大学に着いてからが新しい1日なので。

三者面談

◆1学期の三者面談に行った。うちは「勉強しろ」とほとんど言わない。まったくの放任。おまけに生活面もホリホリ。
◆娘は1年半前に買った液晶テレビでサスペンスドラマをすべて録画し、すべて見ている。中3にして、ドラマで描かれている人間模様のあらゆるものを知っている。刑事物が好きで、警察官になるとか、科学捜査員になるとか、そんなことも言っている。とはいえ、けっこうまじめに勉強しているように見える。やることはコツコツやってる感じ。英語が苦手なようで、「苦手は作るな、英語をとくにやろう」と言っており、本人もやっている。中間考査よりも期末考査で伸びてきたのも成果。三者面談でも、なにも言われなかった。けっこう個性的で、おもしろい。あんまり言うことはない。
◆問題は長男(高2)である。ゲームだ。まあいいのだが、なにもやりたいことがない。理系だ、というくらい。成績は悪くない。むしろ娘よりも高い。けども先生も匙をなげた。お前はつかみどころがない、何を聞いても、やりたいことが出てこない。そうなのだ、いまどきの学生。なにがしたいのかわからない。しかし、それはわかっていたので、最初から、それでもいい、大学に入ればいろいろ刺激はある、そっからでいいとカミさんとは言ってきた。それもあいつの人生だ、とも。しかし、今日の三者面談で、ちょっとイジラなあかんかな、と。
◆それで、「別にとくに何か勉強したいものがないなら、大学にいかんでもいい」と言ってやった。そんなこといきなり言われても困るわな。で、新聞から理系関係の記事があれば、これを読め、といったことを少しずつやろう、そう思いながら帰ってきた。さっそく「燃料電池の可能性」についてA4一枚のレポートを今日中に提出せよ、と宿題を出した(昨夜、けっこうマジメにやっていた、添削せなあかん)。別になにか方向付けようというのではない、考えて選択するのは本人。ただ、いろんな分野があり、いろんな研究があり、いろんな研究者がいるということは知っておいてよい。そこで、新聞記事などをネタに、読ませ、プラス書かせるということをしてみよう。
◆いまの子は本を読むこと、まして文章を書くことの訓練が足りない。世の中、そんな日本語の基本よりも、英会話というばかげた風潮の時代だ。まとまな、わかりやすい、第3者に説明できる文章修行が大事である。どこまでできるかわからんが、すこし、長男のために時間をとって、刺激と緊張をあたえよう。別に大学進学時点で「なにか」が決まってなくてもよいが、まったく何もないのでは困る、肥やしを仕込んでおくことが大事だろう。

近世河内の新田開発と会所

◆ここのところ、『ヒストリア』216号の特集、近世の新田会所の編集作業に追われ、、ならびに0584ab45.jpg冒頭の趣旨説明文を書くため、参考文献を読んでいた。それから、いい図面を作ろうと思っている。以下、参考までに、昨日(8/1)書き上げた原稿の一部を掲出する。
(4)平野屋新田会所の保存問題とこれから
冒頭で述べておくべきだが、平野屋新田会所の保存問題と本特集号の経緯について記録しておく。
平野屋新田会所の概要と保存問題の経緯については、本誌第212号におい0c969b7a.jpgて、佐久間貴士さんにまとめたいただいた。改めて紹介しておくと、地元住民の保存推進会が結成され、一九九九年に保存と公有化の要望を提出し、大東市議会において全会一致でその請願が採択されながら、長らく居住してきた高松家の負債のため、裁判所に差し押さえられていた。佐久間さんらは「平野屋新田会所を考える会」を二〇〇五年に立ち上げ、市民講座を重ね、市に公有化を働きかけてきた。
しかし、二〇〇七年一月に、裁判所の競売にかけられ、五億二〇〇〇万円で落札した不動産会社の手に渡った。すぐに文化庁にも働きかけ、既に国の文化財指定を受けている鴻池新田会所に遜色ないもので、建物は重要文化財指定、敷地全体を史跡に指定する価値があるとの見方が示され、当時の文部科学大臣も保存が望ましいと国会答弁をおこなっている。
大東市教育委員会では、史跡指定されることを前提に、所有者である業者と買収についての交渉を続けるが、両者の金額には乖離がありまとまらなかった。二〇〇七年に続けられた交渉は実を結ばず、業者は年末には解体を通告し、二〇〇八年に入り、最終的には大東市は六億円に「考える会」の集めた市民の寄付五〇〇〇万円の上積みも提示したが、解体工事は一月一七日から実施され、重要文化財となるはずであった建物は取り壊された。
所有者である不動産会社は、土地を転売しようとしていたようであるが、現在の住宅不況のなかで買い手はつかず、現在、身動きのとれない塩付けの状態となっている。この土地がただちに住宅地に転じる様子はなく、業者も大東市に売却する道を選ぶかもしれない。しかしである。こうした転売できずに困っている状態であるとの情報は、記憶は不確かだが、解体から半年後には聞いたように思う。こうした話を聞き及ぶにつけても、業者がいま少し早く転売が難しいという認識をもっていたら、いましばらく解体を先延ばしにして、買収交渉も妥結していたかもしれないと、この半年というタイミングのずれで、貴重な文化財が失われたことを無念に思う。
建物がなくなり更地となって、江戸時代以来形成されてきた樹木を含めた屋敷地の景観は失われた。文化庁も指定に難色を示しているという。大東市が示してきた買収価格は、史跡になり買い上げの補助金がえられる見込みでの金額であったが、指定が困難となると、話は大きく変わってくる。保存にむけて地元から集まった寄付金も多額にのぼるが、こうした盛り上がりも、現状では宙に浮き、保存の筋書きが描けなくなっている。
大東市は大きな市ではない。市域のうち、旧深野池だった面積、すなわち近世の新田開発地の面積は少なくない。大東市の歴史において深野新田の開発は大きな意味をもっており、田地がすっかり住宅地に転じた現在、それを伝えるのは、深野会所も既になく、平野屋新田会所をおいてほかにない。今後、保存に向けての動きがどうなるか予断を許さない状況であるが、新田開発によりこの地に移り住み、この地で暮らしてきた人々はなお生活しており、鎮守である座摩神社の祭礼も続いており、近世以来の地域社会がまだ息づいている。その中核にあった会所の敷地をなんとか取り戻し、現代の会所を再び作り上げ、会所文書を公開し、深野池の干拓による開発の歴史を伝える博物館となることを希望する。

◆この保存問題については、わたしとしては後手にまわった。文化庁も指定するらしいとの情報をえて、これは大丈夫と安心していた。これが2007年前半期であるのだろう。その後、まったく情報を入手できておらず、年末の解体予告記事におおあわてした。
◆なので、具体の経過は詳しく取材していないので無責任な発言はできないが、ここでもまた、保存のチャンスをいくつか逃し、また打つ手が遅かった、などいくつかの要因が複合したのであろう。市が真剣に用地を取得しようとするのが、たぶん遅すぎたのである。1990年代後半に決着できていれば。鴻池、安中を見ていると、残念でならない。それは2008年1月に解体を見守った教育委員会の職員がいちばん痛感したことであろうが、ここでもまた、マスタープランの不在を嘆くしかない。文化財が残っていくのは、幸運や偶然によるのであって、行政としては、重要なものについて、いかに手を打っていくかにかかっている。それ以前に、自分たちのところには、何があるか、そのなかでも残さなければならないのはどれか、そうしたリスト作りをしておかなければならない。これが岸和田古城跡の保存問題から学んだことだった。

上野千鶴子

◆朝日新聞土曜版で、読者からの質問に上野が答える。「一人で生きてゆけ」と。男はいてもいなくても、どちらでもいいと。闘士上野はそれでいいが、それで世の中の女性に支持されるだろうか。
◆既に女性は強くなっていると思う。社会的不公平が是正されていないにしても。精神的に自立し、その上でパートナーもいる、という層は増えていると思う。男の方が女に依存している体質が残っている。
◆生涯独身という女性がいてもいい。でも、多くの女性は、1人でいるという戦い方でなく、パートナーとの暮らしのなかで、いかに対等で公平な関係を作り上げるか、という舞台で頑張っているのではないかな。上野のようなアジテーターがいてもいい、一方で、そうした実際の社会の中で、また結婚生活の中で、「こう生きなさい」と戦い方を示すオピニオンリーダーがいてもいいのに。いるんだろうけど。
◆上野千鶴子という名の売れた学者、東大にいること自体がなにか気になる。
◆まあよい。上野の著作など読んだこともないから、論評はやめておこう。上野だって、パートナーがいたっていいのにと思うが、「男と女が一緒に暮らすことも社会的に作られたものだ」と言うのかもしれない。社会学のエライ先生に理屈を言われると、なかなか反論できないが、「だって人間も生物であって、そのように作られているのだが」と声小さくつぶやくほかはない。生物を越えるのが人間と考えているのかもしれないが、自分はフツーの生物でよい。

長期目標か4年先か

◆今日、車で大学に向かう間、カーナビのテレビでやってたサンデーモーニングの金子勝と田中なんとかの発言が面白かった。マニフェストの評価だ。金子は「どういう社会にするかというゴールの目標が明確でなく、当面の政策だけがならんでいるのが問題」といい、田中は「比べると政党の姿勢がよくわかる」と評価する。
◆なにが面白いか。男と女の差を見たように思ったから。男は理念に走りがち、「こうあらねばならない」と。一方の女は現実的、50年先のことはともかく、いまの問題がマシになる方を選ぶ。両方必要で、片方だけでよいということではないし、むろん当選した4年間で何をするということは、いずれ明記せねばならないのだが、そこに価値観の違いが現れているような気がする。目標があってこその、手前4年間の実施政策だという立場、そうした将来像も大事だが、足下の問題をしっかり解決してこその未来だという立場の違い。
◆おれはやっぱり前者なんだな。でも、カミさんは前から「こうあらねばならないといった絶対的な規範は存在しない」とはっきりいい、差を感じていたものが、金子と田中の発言にダブった。
◆これくらいにしよう。マニフェストは4年間のスケジュール付き目標として、頭に簡単でいいから理念の部分、こういう社会にしたいと考えている、ということは書いておいた方がいいだろう。
◆ところで世論調査によれば、、鳩山が首相にふさわしいというのが麻生の倍という数字らしい。わたしの望みは菅直人だ。
◆共産党、志位よりも穀田の方が活気があっていいと思うよ。社民の福島、ありゃダメだ。毎度、気の利いたフレーズを言おうとするが、そんなヒトコトに何のインパクトもない。それよりも辻本を全面に出すべきだ。

文学部考古資料の展示

4009da89.jpg◆学内の標本資料をもちよっての展示が実施されている。考古資料は後半期で、7月後半に展示替えが予定されていた。先週から、遺物を持ち込み、来週はパネルを貼って仕上げ。昨夜(8/1)、このパネル原稿をなんとか仕上げた。明日、一度打ち出してもらって、配列してみよう。
◆本日(8/2)本文修正と、画像パネル、雲雀山2号墳の遺物、玉手山7号墳の調査成果、難波宮、を仕上げた。今日、準備できるところは終わった。ホッ。
◆夏が来ましたね。e6824964.jpg

日本小麦生産公司

◆明治政府のように重要課題に急速に対応するためには国費をつぎ込んで国営企業を立ち上げ、軌道に乗った時点で民間化する、ということがあってよい。農業だ。小麦の用途は幅広く、うどん・そばもほとんどは外国産。国産小麦は高い。20年間で小麦の国内自給率を急速にアップさせるとする。小麦公司を作る。従業員は国家公務員だ。小麦栽培に向いた地域の使用されていない田を小麦畑に変える。買収でも借地でも良い。出資を募る。林野庁の元本割れのような事態も明記しておくべきだ。需要が必ずある分野だ、経営をうまくやれば失敗することはない。質高く、かつ外国産と勝負できる価格に抑える。軌道に乗ったところで、少しずつ規模を拡大し、効率を上げ、従業員の給料も徐々に売り上げでカバーして行き、独り立ちできるところで、民間企業とする。それくらいのことをやっていい価値ある分野ではないだろうか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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