人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
田中琢さん
◆ちょっと前に奈文研の人から、亡くなったことを聞いた。その後、新聞にも出た。
◆田中琢さんと初めて、電話だったが話をする機会があったのは、大学4年の卒業した頃だったか。だから1987年。三角縁の論文が世に出たのは翌年?だったか。
◆で、1989年8月末か9月はじめか、電話がかかってきた。M2。「あのな、滋賀県で三角縁が出てるねん。見に行くか。いついつやけど。」と。「はい、いけます」。「〇時に滋賀県庁に来て」。こんなところか。このあたりは、雪野山の調査20周年?かなにかの後援会記録に書いたような・・・。文化財保護課に行き、滋賀県の公用車に乗る。どこに行くか知らされておらず、車の外をながめていると、龍王インターで降りた(のだろう)。少し前まで、雪野寺の発掘でそのへんにいたところではないか。山を登ったんでしょうね。石室が口を開け、床面の棺床の凹部の埋土のみになったところまで充満していた土が除去され、一部、横断したサブトレが入り、そこに鏡がのぞいていた。
◆わたしは下に降り、鏡片を取り上げると、藤崎と同笵の盤竜鏡だった。内行花文鏡は表を向いていたのだったか。で、もう1面の鏡片を取り上げると、わたしにはわからん世界。三角縁ではない、和製鏡の図像だった。田中さんは、それを見て、ダ龍鏡やな、と。
◆八日市市が展望台整備のための確認調査をやっていたわけだ。で、そのあと、八日市市役所で協議に入る。このあたりのことは、まだ活字にしたことはないと思う。
◆田中琢さんと初めて、電話だったが話をする機会があったのは、大学4年の卒業した頃だったか。だから1987年。三角縁の論文が世に出たのは翌年?だったか。
◆で、1989年8月末か9月はじめか、電話がかかってきた。M2。「あのな、滋賀県で三角縁が出てるねん。見に行くか。いついつやけど。」と。「はい、いけます」。「〇時に滋賀県庁に来て」。こんなところか。このあたりは、雪野山の調査20周年?かなにかの後援会記録に書いたような・・・。文化財保護課に行き、滋賀県の公用車に乗る。どこに行くか知らされておらず、車の外をながめていると、龍王インターで降りた(のだろう)。少し前まで、雪野寺の発掘でそのへんにいたところではないか。山を登ったんでしょうね。石室が口を開け、床面の棺床の凹部の埋土のみになったところまで充満していた土が除去され、一部、横断したサブトレが入り、そこに鏡がのぞいていた。
◆わたしは下に降り、鏡片を取り上げると、藤崎と同笵の盤竜鏡だった。内行花文鏡は表を向いていたのだったか。で、もう1面の鏡片を取り上げると、わたしにはわからん世界。三角縁ではない、和製鏡の図像だった。田中さんは、それを見て、ダ龍鏡やな、と。
◆八日市市が展望台整備のための確認調査をやっていたわけだ。で、そのあと、八日市市役所で協議に入る。このあたりのことは、まだ活字にしたことはないと思う。
文化財保存活用地域計画
◆最新の『月間文化財』を見ていると、文化審議会で新たに20市町の計画が認定されたそうです。近隣で言えば、栗東市・与謝野町・高槻市・八尾市・神戸市・福崎町がある。
2022年9月3日
◆この土日、できていない雑件、追いつかないといけない案件、なんとかそれらを処理しようと思っています。で、午前中はなんとかやってましたが、12時にディスプレイが映らなくなり中断。いろいろやってみてもダメ。ケーブルを買いに行って、HDMIにしてもダメ。ほとほといやになる。院生が来たので、院生室のディスプレイを借り、いろいろ実験をやって、なにがダメなのかを追究する。結局、ディスプレイへの通信の選択の問題、ちゃんちゃん。なぜ急に映らなくなったのかはわかりませんが。復旧したのは1730。まあ、ここから頑張りますか。
久津川車塚古墳2022
◆協力している久津川車塚古墳の今年度の調査は、はじめてJR線より東側における調査になります。8月22日から26日に機会掘削、学生らは29日から入りました。雨も多く、第1週では2日中止となりました。9月はもろもろ行事等が入っていて、ほぼいるというわけにはいかないようです。29日からの第1週では、大学院入試などがあり、行けたのは初日と金曜日の午後くらいでした。
◆9月24日(土曜日)に現説予定となっています。
◆9月24日(土曜日)に現説予定となっています。
2022年9月2日(金)
◆この週はとにかくバタバタ。金曜日の930からの会議で、講演会企画の資料を出さないといけないが、動けていなかったので、直前にあれこれと。そして10:30からPJ研究会。ここでも科研申請の骨子を出さなければならず、数日間苦しむ。なんとか会議に出してもいいか、という資料ができたのが当日の朝だった。それにスケジュール管理が甘く、だだかぶりで、もうひとつ出席しなければならない会議が重なっていた。この会議では、2件ほど担当しているものがある。重なることが判明後、ドタバタと対応し、委員長に欠席をお願いし、会議に出て報告すべきことを伝える。
◆この3件をなんとかこなして、ほっと。
◆12:30の研究会終了後、現場に向かう。現場はやはりいいもんだ。が、判断を誤り、大きなミスをしていることが判明し、己の未熟さを痛感する。
◆帰り、18時前後の大阪はどしゃぶり。今日、カミサンがストックホルムの学会に出発するのですが、飛行機が遅く、19時くらいに家を出ると聞いていました。1830に帰るも、外は大雨で、関空まで車で送っていくことにする。関空のカウンターで、荷物預けで並んでいる中部大学のI先生と顔を合わせ、われわれは晩飯に(ターミナル1が改修工事で店がない・・・)。1人、21時過ぎに関空を出る。
◆この3件をなんとかこなして、ほっと。
◆12:30の研究会終了後、現場に向かう。現場はやはりいいもんだ。が、判断を誤り、大きなミスをしていることが判明し、己の未熟さを痛感する。
◆帰り、18時前後の大阪はどしゃぶり。今日、カミサンがストックホルムの学会に出発するのですが、飛行機が遅く、19時くらいに家を出ると聞いていました。1830に帰るも、外は大雨で、関空まで車で送っていくことにする。関空のカウンターで、荷物預けで並んでいる中部大学のI先生と顔を合わせ、われわれは晩飯に(ターミナル1が改修工事で店がない・・・)。1人、21時過ぎに関空を出る。
2022年8月28日、三田・伊丹
◆あんたは切り替えがヘタ、とはカミサンの弁。メリハリがない。休むときは休む!・・・(セカセカするな、とも)。配偶者は人生の セーフティネットですね。
◆伊丹のミュージアムへ行こうかという話を土曜日にしていた。じゃ尼崎も。が、当日の日曜日になり三田も、ということになる。遠くからと行くこととし、まず三田。途中、石橋で二子塚(稲荷山古墳)に。それから久しぶりに鉢塚。そこから池田を抜け(ところどころに町屋が残ってますね)、猪名川町
、そして三田へ抜ける。どこへ行ったかは内緒です。
◆そこから中国道で宝塚、そして伊丹のミュージアム。前の市立博物館から、伊丹の町なかの文化ゾーンへと移転し、なかなか斬新でした(3月にオープンしたのだったか)。いまやっている企画展人気により、来館者がとても多かった。移築した石橋家住宅。それから旧岡田家住宅・酒蔵を見学。ここで解説の方にながながと説明いただく。楽しかった。少し町を散策(山中鹿之助の子孫が伊丹で清酒をはじめて作り、鴻池になるのだ。広瀬隆の本で、比較的最近知ったことだが、酒蔵での説明で再学習)。
◆ぎりぎり尼崎市歴史博物館に行けるかという時間帯だったが、断念。
◆伊丹のミュージアムへ行こうかという話を土曜日にしていた。じゃ尼崎も。が、当日の日曜日になり三田も、ということになる。遠くからと行くこととし、まず三田。途中、石橋で二子塚(稲荷山古墳)に。それから久しぶりに鉢塚。そこから池田を抜け(ところどころに町屋が残ってますね)、猪名川町
◆そこから中国道で宝塚、そして伊丹のミュージアム。前の市立博物館から、伊丹の町なかの文化ゾーンへと移転し、なかなか斬新でした(3月にオープンしたのだったか)。いまやっている企画展人気により、来館者がとても多かった。移築した石橋家住宅。それから旧岡田家住宅・酒蔵を見学。ここで解説の方にながながと説明いただく。楽しかった。少し町を散策(山中鹿之助の子孫が伊丹で清酒をはじめて作り、鴻池になるのだ。広瀬隆の本で、比較的最近知ったことだが、酒蔵での説明で再学習)。
◆ぎりぎり尼崎市歴史博物館に行けるかという時間帯だったが、断念。
低空飛行を続けておりました
◆しばらくでした。8月前半は、いろいろあって、空白・・・。いま、取り返し、追いつこうとしています。先延ばしになっていた懸案、ある程度片付いたとはいえ、かなり片付けたというにはまだ遠いが。が、一定程度は処理しております。
喜界島通信
◆月間海洋では、喜界島特集がなされているが、そこで島の土地条件や風土・農業・喜界馬のことなどを書いていました。隣の1枚ものは、町の広報に、喜界島の方言を地域ごとに紹介するシリーズものです。こういう絵が描ける、というのは、望まれる力のひとつですね。
◆さてしかし、彼女もまた会計年度任用職員・・・。議会でちゃんと学芸員を置けと議員さんが頑張ってくれたのだが、そうはならなかったとのこと。自分の進路を考え、8月から別のところに移っています。7月の電話はそれを報告してくれたものです。一方で、来年度採用の、また別のところの正職員をめざしています。いままでやれていなかった資料館での活発な活動、あるいはそれを伝えるためのさまざまなチラシやパンフレット作りなど、頑張っている者が報われない社会は、どこか間違っています。これ「やりがいの搾取」というものです。そういう仕事に関われているんだから我慢せよ、というのは最低ですね。
統一教会
◆今日の朝日新聞の記事はよくまとまっている。1面ぜんぶだけれど、大きいので、年表だけにしておく。統一教会は独自候補を立てるのでなく、自民党を支援して保護してもらうことを選んだという。統一教会が、近しい政治家に近づくことそのものはあっていいということになる。選挙運動にボランティアという形でかかわることも、あってよいのかもしれない。だが結局はウィンウィンの関係だからこそ、互いに利用することになる。当選した議員が、お世話になった宗教法人の活動に対し、便宜を図ったらアウトということになる。こうした関係は一般的な贈賄や収賄もそうだが、やはりそうなってしまうだろう。
◆で統一教会は、へんなモノを高い金で買わしたり、金を貢がせたり、大きな社会問題になっていた、と。宗教法人として適切ではないと解散を命じられてもおかしくないわけだ。そこを、個別案件の裁判で負けることはあっても、適当なところでな~な~で済ませる、そういう配慮が、自民党とくに主流安倍派により行われてきたのだろう。
◆信者2世の不幸についても、新聞でずっと特集されている。親が信仰するのは勝手だが、子を巻き込むな、ということだ。が、不幸にも小さい頃から教会に通わされ、信者になってしまい、そこから抜け出せない不幸である。こういう統一教会の宗教活動のあり方を、黙認してきたわけだ。恨みを買ってもいたしかたない、といえるだろう。
◆下村君が文科大臣の時に、悪評をごまかすために法人名の変更が認められたという。そこに前川君も登場し、90年代後半に、なにも活動が大きく変更するわけでもないのに名称変更は認められないと却下したのだそうだ。それが下村君時代に覆った。宗教法人の名称変更は文科大臣が決裁する案件ではないのだろうが、しかし世間をさわがしている特定の法人の案件であり、報告はしたが、大臣から指示があったのではないと、本人も文科省も否定している。が、はたしてそうか。これもモリカケ同様、いずれウソはばれるだろう。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(10/17)
(10/17)
(10/15)
(10/13)
(10/12)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。