人を幸せにする人になろう

2025年10月15日(水)福井に向かっている

◆金研の研究会が福井であるので参加。今日は福井県立大学恐竜学部、明日は恐竜博物館が会場である。サンダーバード。
◆敦賀-福井はハピライン。福井駅西口からの路線バスに揺られ県大へ。14時開始の1時間前には到着し、会場に入る。今日は5本の発表を聞き、1730から懇親会。そのあとバスで福井駅に送ってもらう。

大阪市電1903~1969

◆新聞記事から。市電を通すため、江戸時代以来の通り・筋を拡幅する工事が、明治・大正・昭和と進められたのでしょう。公営の路面電車として日本でもっとも古いのだそうです。知りませんでした。一時代を画した路面電車、市電、66年にわたって続いたんですね。
◆京都はどうだったんだろう。大学に入った時はもう市バスで、市電はなかったはず。市営地下鉄が北大路まで通ってすぐ、くらいだった。

それから

◆米子駅から伯備線で戻る。写真は根雨駅。車内アナウンスで、上石見駅というのが伯備線でもっとも高い駅だそうです(11:24頃)。そのあとトンネルに入り、出ると分水嶺を越えたので高梁川流域になる。
◆新大阪に着く。仕事に行くことはやめ、このあいだの深江まちあるきのような第2弾はないのか、というので、司馬遼太郎記念館や大阪商業大学商業史博物館を考える。また、前から名前は知っていたズンゾZUNZOという宮本順三の資料館もまた近いことがわかる。結局、八戸ノ里駅前のズンゾに行く。ビルの3階。解説が熱心で、長く・・・、結局、夕方近くまで・・・。

山陰歴史館

◆ここ来るべきですね。埋文センターには行ったが、たぶんここには来ていない。旧の市役所で、昭和5年の竣工。考古資料から始まり、米子藩のこととか、民俗資料とか、古写真とか、よく集めたられた博物館です。企画展を重ね、手作りでプリントパック的な印刷での冊子かなと思われる図録を300円とか500円で販売しているところも共感を覚えます。ちょうどやっていた企画展「昭和の米子」もなかなかよかった。昭和25年に米子博覧会というのをやっているのですね。
◆昭和33年の空中写真がよい。メインの通り沿いに両側に店舗がならぶ様子がよくわかる。これは城の方を見ているが、左側に縦に通るのが旧山陰道で、旧の国道9号線なんだろう。いまの9号線はその右隣の通りを拡幅したのだろうか。そして、写真の横方向(南北)だが、メインの通りは上から1/3あたりに通っているものなんだろう。前項でふれた表通り。この通りが南北方向のメイン通りだったのだろう。

土蔵の町

◆城下町には、(たぶん)外堀でもある水路沿いに蔵の残る一画があるという。カミサンは以前に学会で城も町あるきも一度やっているので、案内してもらう。城から歩いていくと、その水路の手前までが武家地で、渡ったところからが町人地なのかなと思った。
◆写真はいちばん蔵がよく残る一画。この東に南北通りがあり、そっちが表。水路は商品の荷揚げなどをする裏側ということだ。表通りに昔ながらの町屋がまとまって残っていればデンケンというところだが、そこまでではないよう。後述の昭和33年の空中写真によると、町屋がずらっとならんでいたようだが、その後、現代的なものに多くは建て変わったようだ。あまり時間をかけて歩いていないので、全体の様子は把握していないが。

2025年10月11日(土)米子城

◆この日は予定を決めておらず、特急券は取っていなかった。1030頃に米子を出ることにする。朝、米子城をめざす。
◆チェックアウトし荷物を預け、加茂川に沿って城山にむかう。名札を下げた比較的若い人や年配の人が同じように城をめざしているように見える。米子でちょうど心不全学会というのが開催されていて、それに参加している人なんだろうと推測する。裏(川側)から城山を上る。天守台に到達。大手側に下りていく。テニスコートが二の丸、その下が三の丸。そこにあった野球場をなくし、いま城跡公園にする工事真っ最中である。国史跡となって環境整備が進められている。

15時30には米子に引き返す

◆今日は、カミサンが1630からのオンライン議、こっちは18:30から21:00まで編集会議がある。雲南吉田ICの道の駅の蕎麦屋で「ムラゲ膳」というのを食べ、帰りは高速道路で米子に引き返す。大山がきれいである。
◆レンタカーはガソリンを入れ1620頃に返却。ホテルで編集委員会の資料をダウンロードし、米子駅内のセブンでプリントする。21時過ぎに終了し、名物のサバしゃぶというのを食べに出る。

吉田の田部(たなべ)家

◆田部、「たなべ」と読む。近世以来製鉄の経営をやってきた鉄師といわれる大きな家のひとつで、いまも存続する。たたら場を5,6箇所もち、必要な炭を作るため広大な山林を所有する(日本三大山林地主のひとつらしい)。
◆吉田の町は、斜面の高い側にある博物館から川の流れる盆地の中央部へ本通りとよばれる一本道があり、これに沿って町がある。下って行って、いちばん下に広大な屋敷地をいまも所持し、最盛期には蔵が24棟あり、いまも15棟が残るのだとか。田部家でも砂鉄1トンによる復元操業を年2回やっているとのこと。その時期に行くのがいいのではないか。蔵のいくつかは宿泊施設にしたところという。
◆この田部家は、1923年後も製鉄にかかわってきた多くの職人を養っていくために、苦労しながら多角経営をやって吉田の町を支えてきたようだ。再現した、たたらによる鉄を利用した物販(とても高い・・・)、および田部家の歴史を紹介する店舗がある。そこでも、おばさんが熱心に語ってくれました。田部家は、元は田辺家で、紀伊田辺の出なんだそうです。本宅には、木の幹を刳り抜いた茶室があるとのこと。調べて見ると写真が出てきます。これは入ってみたいですね。
◆川の方に少し下ってから引き返す。和菓子屋にも寄る。

鉄の歴史博物館

◆たたら場から吉田の町に戻り、鉄の歴史博物館に行く。山側の、町としては裏側から入って行ったようだ。この博物館は病院だった建物。
◆まずビデオ。1923年廃業後、1969年に復活させようとする動きが始まり、これが1970年に実現する。その記録映像を岩波が作成したもの。当時は、廃業した大正期に製鉄にかかわった人たちが80歳代でぎりぎり存命であった。1923年頃には30代だったのだろう。この明治生まれの職人がまだ残っていた1970年という、ギリギリの時期にたたら製鉄を再現したわけだ。この時に従事した人たちの紹介もあり、4年後には亡くなったとのパネルもあった。なかなかいい展示です。

菅谷たたら山内

◆奥出雲町から雲南市吉田に向かう。雲南市は平成大合併でけっこうな数の町がひとつになったもの。
◆ここにも展示施設があるが、まずは菅谷たたら山内に行く。昭和42年に重要有形民俗文化財の指定されたのだとか。駐車場に止め、高殿に向かう。長屋の右が事務所になっていて受付をする(350円)。その女性の方に、そのあと丁寧に解説してもらう(あとで大阪から来た人だということを知る)。
◆まずは高殿から。全国でこれ1棟だけが残っているという。そしてケラを割る場所とか、選別場とか、事務棟など、大正まで操業していた建物がひととおり残っている。とにかくここはいいですよ。機会があれば足を運んでください。出雲の砂鉄によるたたら製鉄は、明治以降の洋式の製鉄技術の前に徐々に少なくなり、1923年に一斉に廃業したそうである。製鉄はしなくなったが、炭焼きはしばらく継続しており、この高殿は、製品である炭を置いておくところとして使っていたため残ったようである。
◆文化財指定が1967年、1923年の製鉄廃業から44年、よく壊されませんでした。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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