人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
山陰歴史館
◆ここ来るべきですね。埋文センターには行ったが、たぶんこ
こには来ていない。旧の市役所で、昭和5年の竣工。考古資料から始まり、米子藩のこととか、民俗資料とか、古写真とか、よく集めたられた博物館です。企画展を重ね、手作りでプリントパック的な印刷での冊子かなと思われる図録を300円とか500円で販売しているところも共感を覚えます。ちょうどやっていた企画展「昭和の米子」もなかなかよかった。昭和25年に米子博覧会というのをやっているのですね。
◆昭和33年の空中写真がよい。メインの通り沿いに両側に店舗がならぶ様子がよくわかる。これは城の方を見ているが、左側に縦に通るのが旧山陰道で、旧の国道9号線なんだろう。いまの9号線はその右隣の通りを拡幅したのだろうか。そして、写真の横方向(南北)だが、メインの通りは上から1/3あたりに通っているものなんだろう。前項でふれた表通り。この通りが南北方向のメイン通りだったのだろう。
◆昭和33年の空中写真がよい。メインの通り沿いに両側に店舗がならぶ様子がよくわかる。これは城の方を見ているが、左側に縦に通るのが旧山陰道で、旧の国道9号線なんだろう。いまの9号線はその右隣の通りを拡幅したのだろうか。そして、写真の横方向(南北)だが、メインの通りは上から1/3あたりに通っているものなんだろう。前項でふれた表通り。この通りが南北方向のメイン通りだったのだろう。
土蔵の町
◆城下町には、(たぶん)外堀でもある水路沿いに蔵の残る一画がある
という。カミサンは以前に学会で城も町あるきも一度やっているので、案内してもらう。城から歩いていくと、その水路の手前までが武家地で、渡ったところからが町人地なのかなと思った。
◆写真はいちばん蔵がよく残る一画。この東に南北通りがあり、そっちが表。水路は商品の荷揚げなどをする裏側ということだ。表通りに昔ながらの町屋がまとまって残っていればデンケンというところだが、そこまでではないよう。後述の昭和33年の空中写真によると、町屋がずらっとならんでいたようだが、その後、現代的なものに多くは建て変わったようだ。あまり時間をかけて歩いていないので、全体の様子は把握していないが。
◆写真はいちばん蔵がよく残る一画。この東に南北通りがあり、そっちが表。水路は商品の荷揚げなどをする裏側ということだ。表通りに昔ながらの町屋がまとまって残っていればデンケンというところだが、そこまでではないよう。後述の昭和33年の空中写真によると、町屋がずらっとならんでいたようだが、その後、現代的なものに多くは建て変わったようだ。あまり時間をかけて歩いていないので、全体の様子は把握していないが。
吉田の田部(たなべ)家
◆田部、「たなべ」と読む。近世以来製鉄の経営を
やってきた鉄師といわれる大きな家のひとつで、いまも存続する。たたら場を5,6箇所もち、必要な炭を作るため広大な山林を所有する(日本三大山林地主のひとつらしい)。
◆吉田の町は、斜面の高い側にある博物館から川の流れる盆地の中央部へ本通りとよばれる一本道があり、これに沿って町がある。下って行って、いちばん下に広大な屋敷地をいまも所持し、最盛期には蔵が24棟あり、いまも15棟が残るのだとか。田部家でも砂鉄1トンによる復元操業を年2回やっているとのこと。
その時期に行くのがいいのではないか。蔵のいくつかは宿泊施設にしたところという。
◆この田部家は、1923年後も製鉄にかかわってきた多くの職人を養っていくために、苦労しながら多角経営をやって吉田の町を支えてきたようだ。再現した、たたらによる鉄を利用した物販(とても高い・・・)、および田部家の歴史を紹介する店舗がある。そこでも、おばさんが熱心に語ってくれました。田部家は、元は田辺家で、紀伊田辺の出なんだそうです。本宅には、木の幹を刳り抜いた茶室があるとのこと。調べて見ると写真が出てきます。これは入ってみたいですね。
◆川の方に少し下ってから引き返す。和菓子屋にも寄る。
◆吉田の町は、斜面の高い側にある博物館から川の流れる盆地の中央部へ本通りとよばれる一本道があり、これに沿って町がある。下って行って、いちばん下に広大な屋敷地をいまも所持し、最盛期には蔵が24棟あり、いまも15棟が残るのだとか。田部家でも砂鉄1トンによる復元操業を年2回やっているとのこと。
◆この田部家は、1923年後も製鉄にかかわってきた多くの職人を養っていくために、苦労しながら多角経営をやって吉田の町を支えてきたようだ。再現した、たたらによる鉄を利用した物販(とても高い・・・)、および田部家の歴史を紹介する店舗がある。そこでも、おばさんが熱心に語ってくれました。田部家は、元は田辺家で、紀伊田辺の出なんだそうです。本宅には、木の幹を刳り抜いた茶室があるとのこと。調べて見ると写真が出てきます。これは入ってみたいですね。
◆川の方に少し下ってから引き返す。和菓子屋にも寄る。
菅谷たたら山内
◆奥出雲町から雲南市吉田に向かう。雲南市は平成大合併でけっ
こうな数の町がひとつになったもの。
◆ここにも展示施設があるが、まずは菅谷たたら山内に行く。昭和42年に重要有形民俗文化財の指定されたのだとか。駐車場に止め、高殿に向かう。長屋の右が事務所になっていて受付をする(350円)。その女性の方に、そのあと丁寧に解説してもらう(あとで大阪から来た人だということを知る)。
◆まずは高殿から。全国でこれ1棟だけが残っているという。そしてケラ
を割る場所とか、選別場とか、事務棟など、大正まで操業していた建物がひととおり残っている。とにかくここはいいですよ。機会があれば足を運んでください。出雲の砂鉄によるたたら製鉄は、明治以降の洋式の製鉄技術の前に徐々に少なくなり、1923年に一斉に廃業したそうである。製鉄はしなくなったが、炭焼きはしばらく継続しており、この高殿は、製品である炭を置いておくところとして使っていたため残ったようである。
◆文化財指定が1967年、1923年の製鉄廃業から44年、よく壊されませんでした。
◆ここにも展示施設があるが、まずは菅谷たたら山内に行く。昭和42年に重要有形民俗文化財の指定されたのだとか。駐車場に止め、高殿に向かう。長屋の右が事務所になっていて受付をする(350円)。その女性の方に、そのあと丁寧に解説してもらう(あとで大阪から来た人だということを知る)。
◆まずは高殿から。全国でこれ1棟だけが残っているという。そしてケラ
◆文化財指定が1967年、1923年の製鉄廃業から44年、よく壊されませんでした。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。