人を幸せにする人になろう

2024年9月21日(土)社会復帰にむけて

◆発掘調査期間は、なるべく他のことはしなくていいように、済ませることは済ませておきたいもの。調査を9月にしたとはいえ、昨今は、9月もなかなかに暑く、終了後に何かしようという気にならない。風呂に入り、作業着を洗濯して干し、横たわっている。カミサンが帰ってきて食事に行き、まあそのまま寝る。
◆メールチェックをする気にもならず。とはいえ、そうもいかないので、土日とか、時々はメールを見て、対処しないといけないことをやってはいるものの、大半は未処理。
◆17日(火9)~昨日の20日(金)が、発掘調査の最終週。今回はあわせて6か所だが、2か所は機械掘削の8月19日(月)からの週で終えているので、4か所。学生らが参加は8月26日からの週だが、4か所のうち2か所は、機械掘削でおおかたの決着がついているので、そこからの4週で終われるだろうという状況ではあった。
◆16日(月・祝)は現地説明会。そこから現場に復帰。そして火曜日からの4日間で、写真とか図面とか、なんとかまわして、昨日20日(金)、区切りをつけた(学会の編集委員会で16時には抜けたが)。
◆この4日間(だけではないが)、歳をとった上に、残暑厳しく、気力も体力もなかなかもたない。編集委員会を21時過ぎまでやって、家に帰るとヘロヘロ。ぐっすりと寝る。さあ、ぼちぼち仕事をして、いろいろ片付けて、社会復帰にもっていこう。

9月13日(金)帰途に就く

◆ローマのホテルの朝食は6:30から。7:35の空港行きレオナルド特急に乗る(ひとつ失敗あり)。空港に着き、ターミナル1に移動。換金した現金はすべて使い果たす。娘の現金が残っているので、ビールなど。
◆ヘルシンキ便のゲートA66へ移動。途中、ほんものの彫刻がならべてある。こういうのいいですね。日本の駅などでも特産品などを並べたりすることが少しずつ増えているが、こういうのはまだないようにも思う。
◆10:40発予定だったが、ほぼ1時間遅れで11:40に離陸。 で、そのあとどうだったんだろう。記憶が定かでない。16時頃にヘルシンキか。
◆野帳のメモをひたすらワープロしていたような。でヘルシンキ発が18時ごろで、羽田着が14日(土)の13:50。関空便だともう1日先になるのでそうしたのだとか。そこで娘と別れ、今回の旅は終わりました。

9月12日(木)サンピエトロ寺院

◆バチカン博を出て、サンピエトロ寺院に向かう。18時くらいに到達。雨が少し降り続いている。ペトロ君が殉教し埋葬された場所に教会が建てられ、ローマ教皇庁となったもの。ず~とそうだったわけではない。以下ウィキ。

 かつて教皇は世俗の領主のように自らの領地(教皇領)を持っており、事実上国家と同様に独立した行政権を領地内で行使していたが、19世紀末のイタリア統一運動の中で失っている。ラテラノ条約によって成立したバチカンは、聖座が支配する国際法上の主権国家であるが、かつての教皇領のような世俗的支配を行う領地ではなく、国民は教会関係者のみである。

◆ガイドブックでは、教皇庁はローマのなかでも他のところにあったようなことを書いてあったと思うが、出てきませんね(14世紀のアビニヨンのことは出てくるが)。伊東マンショ君らは、ここまで来たんやね。

9月12日(木)バチカン博物館群

◆まあ人だらけです。バチカン市国の国家予算は公表されているのだろうか。毎日、世界からの人たちがじゃかすか金を落としてくれるわけだ。ラオコーン像のほんものはここにある。フィレンツェで見たのは複製だ。
◆考古資料の展示もかなり充実している。が、入ったくらいのところは人がいるも、進んでいくとがらがらとなり、普通の人は素通りして先へ行くことがよくわかる。考古資料で足を止めてもらうにはどうすればいいのだろうか。

9月12日(木)バチカン博物館群

◆地下鉄から地上に上がると、ダフ屋みたいな人がいっぱい寄ってくる。予約時に示された集合場所に行き、それらしき事務所に入るとOKだった。切符をプリントしてくれる。入れそうだ。
◆それをもってミュージアム入口にならぶ(写真上)。13:30組。グループ1の列にならぶも長く、結局は14時前くらいになったと思う。エジプトの展示など入口近くの展示室を見て回ったあと、14:40軽く飲み物を飲む。そのあとピナコテーカ、クレメンタイン美術館、これで16:20。そのあとラファエロの廊下というやつ、そしてシステイーナ礼拝堂に行く。システィーナ礼拝堂は、ミケランジェロの天井画および最後の審判があるところだが、ここは撮影禁止。
◆略奪文化財というものを考えさせられる。

9月12日(木)フィレンツェを出てローマに

◆8:00にホテルを出る。まずフィレンツェ駅で、予約していた切符の時間を早める(行き帰りのみ予約済み)。8:59発の10:35着となる。雨がすこし降っている。雨で30分くらい遅延し、ローマ・テルミニ駅着は11:10くらいだったか。
◆駅近くの宿泊予定のホテルに行き、荷物を預ける。バチカン博には少し時間があるので、駅前のマサッチオ宮の国立博物館に行く。優れた彫刻ががあり、スケッチしている学生風の人が多い。いい博物館なのだが、バチカン博の時間があるので、ぜんぶまわれず切り上げる。
◆12時過ぎに出て地下鉄A線でサンピエトロ寺院の最寄り駅へ。5駅くらい。

9月12日(木)ローマへ移動

◆帰りの飛行機は13日(金)の午前便で、12日はローマ泊。なので、フィレンツェはこの朝が最後となる。写真はフィレンツェのホテル。
◆昨日11日(水)、バチカン博の切符を公式ネットでなんとか予約しようとした。ほとんどの時間帯が埋まっていて、空き時間があるのは限られていたが、それを取りに行ったのだが、なぜか入力エラー表示が続く。何度もやり直し、ついに支払い画面まで行くが、常用のクレジットカードがやはりダメなのか、OKとならず。カードを別のものにしようとすると、12日(木)はすべてソールドアウトとなっていた。バチカンはダメか・・・。
◆最終日の朝、こうしてバチカン博はあきらめの雰囲気となっていた。が、カミサンが、公式ネットでなく、ガイド付きツアーなどのネット案内を見ると、割高なのだが空きがあると。航空券と同様、業者が枠を取っているようである。倍くらいの値段だが、ガイドツアー付きでない切符を、当日の朝に購入できた。13:30組。信用できるのか、ほんとに入れるかどうか不安だが、それもやむなし。

9月11日(水)コロッセオ

◆コロッセオへの入場は、パスポートを提示したり、厳重である。15:30組。滞在は1時間ほどだったか。まあ、やはり迫力ありますね。スマホによるパノラマ写真の撮り方を教えてもらう。
◆16:40には出て駅まで歩く。帰りの新幹線、行きのようにクレジットカードが使えなかったのは、限度オーバーなのだろうか、よくわからん。ローマ発17:35。帰りは旧国鉄のトレニタリアの特急。フィレンツェ19:11着。
◆メジチ家礼拝所近くのレストランで晩飯。ビーフステーキを食べる。

9月11日(水)フォロ・ロマーノ

◆13:39、フォロ・ロマーノの切符売り場(1人18ユーロ)。なんとかの丘に入り、フォロ・ロマーノをざっとめぐる。古代ローマの中心地の遺跡博物館である。元老院は修理中で入れず、東に向かい、なんとかの凱旋門、その横の考古博物館に行き、15:30にフォロ・ロマーノを出る。
◆コロッセオに向かう。

プラグイン

カレンダー

03 2025/04 05
S M T W T F S
1 3 4
6 7 8 9 10 11 12
14 15 16 17 18
21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新記事

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索