人を幸せにする人になろう

絶望の林業

◆これを読んだのは1か月くらい前か?。もう忘れたが。 何をやっとるんでしょうかね。
◆ストレス発散に書いてます。あれもこれもと圧迫感に負けず・・・、落ち着いて、ひとつひとつ、この年だからこそ。

2019年11月9日、卒論中間発表会

◆毎年毎年、卒論生にあわせて対処が変わる。そのスタンス、距離感はなんとなく安定してきてはい。どこまで自分が関与するか。むろん、主体性があり、問題意識もあり、その都度、サゼスチョンなどをして、本人があれこれやって「聞いてください」ともってくるのが理想。が、そうはいかない。しかし、本人がやらないことには意味がない。だからといって、言うことは言ってあとは放置、というわけにもいかんわけです。
◆今年は3人いて、今回はその1人でした。次は4校交流会での中間発表。これは別の1人。なんとかかんとかレジュメは進んできた。図面もその時々に作ってはいる。それらを発表資料としてどうまとめていくか、少しテコ入れが必要か。

クリエイティビティ

◆わいわい議論することがクリエイティビティを生む。そうです。大学の演習の授業とか、研究会 とか、結局はそういうこと。個人の閉じた世界の思考、天才とよばれる巨人ならそれでもいいかもしれない。5人いたら5つの脳みそ、10人いたら10個の脳みそ、そこにひとつの題材を前に、どう考えられるか、どうしたらいいのか、こういう分析をしては、あるいはこう整理できる、といった理解の深まりや発想が生まれるのですね。これが楽しい。
◆今週も、院生の発表で、親族モデルⅠとⅡの理解がぐっと前進した。

英語民間テスト

◆松岡さんの言う通りですね。何か新しいネーミンで切り替えることが改革で はない。中身に即 した、より有効なものを考える。根拠となるデータがあって、で、どうするという改善策。そういうのでなく、ポっと出の発案が内閣府から出て、文科省が結局は追随して進めることになった。
◆新井先生がなんぼ提言しても、そういうことは反映されないのか。英語の4技能の前に、国語の4技能が大事ということが、なんでわからへんのか。人の話が理解できない、短文でも間違うし、まして長文は読む気力がない、これが現実ということを。

藤ノ木・平林・牧野

◆昨夜から、この3つの古墳の須恵器を眺め、書き込みをしていた。で、藤ノ木は平林より古いだろ う。いちいち指摘しないが、メモを書き込んでおきました。で、これは理念的産物としての(TK10とTK43の間に来る)MT85でよいだろうと。
◆そこで、MT85、TK10、MT15も上にくっつける。そうなんだ、窯の編年を重視したことによる弊害。一括性にこだわりすぎ、器種はそろわんし、同時期の偏差さえわからん。石部先生の話を聞いている身としては、一括性そのものが怪しい。それより横山浩一に立ち返り、良好な古墳資料で配列していった方がよほど実用的なのだ。
◆と、前からず~と考えていたが、結局のところ、誰もやってくれないわけで、自分でいじらないとダメということです。さて藤ノ木古墳の年代は?。ひとまず6世紀第3四半期とすべきであろう。後葉には下りません。穴穂部・宅部なんて、ありえません。石室からも。前に7世紀を配列したことがあったので(どこにある?)、ぜんぶつなぎたいですね。

ガリ版資料館

◆前に日野に行った時、帰り道にガリ版資料館というのを通過し、行き過ぎたのを戻り、立ち寄 る。とても面白かった。近代になり、お役所仕事が膨大に生まれる。簡易な印刷機が必要。そこでガリ版を開発した人の資料館です。
◆ガリ版の経験がある人とない人を区切ったらどうなるんでしょうね。わたしはあります。高校時代だから1980年頃、クラブの簡単な冊子『温故知新』も会誌『ナイル』もぜんぶガリ版やったんとちゃうやろか。ガリ切り、鉄筆で蝋原紙に字を書いていきます。それをセットして、ローラーにインクをつけてムラのないようにして、1枚1枚印刷していきます。
◆入館記名をしたら、チラシが送られてきました。

太田天神山

◆太田天神山古墳の空中レーザー測量?、をやる話は歴博共同研究の時に聞いていた。その後、報告書も刊行されて いるらしい。協会の資料に陰影図が掲載されていた。ちょっとやってみると、津堂よりも前方部の開きがあり、上石津ミサンザイとみられるようです。
◆既に検討済みなのかもしれません。みなさん、それぞれやってみてください。
◆浅間山もやりかけたが、

ウワナリ

◆いろいろと失敗しています。またデカイし。途中ですが。

次は天理

◆京奈和で北上し西名阪、昼を取り、石上大塚へ。  
◆フォトスキャンやってみました。いちおう50の1。正確なのは平面図くらいです。あとはオルソではなくスクリーン画像を適当に配置しています(高さはだいたいあっているはずです)。試みとしては、ひとつ失敗している(Hz0の設定の仕方)。本日のデータでやれないことはないが(換算すればいいのだが)・・・。
尾輿〔活躍期534~662〕が片袖でいいのだろうか。天理は難しいですね。西乗鞍がアラカイとして。東乗鞍は?。それと塚穴山もある。場所が違うのは、物部系でも系統の違い?。まあ、わかりません。テルちゃんが何か言っているんでしょう。

次は水泥

◆南へ下り、水泥北と南を見に行く。西尾さんにお願いすると、南古墳の鍵を開けてくれ、お宅の 裏の北古墳を案内いただける。おまけに門の横には展示ケースがあり、土管を見ることができる
(いま御所市の企画展で主要なものはそっちに行っていたが)。
◆南古墳もいいのだが、北古墳に感動する。でかい、石舞台式だ。でも羨道からすると、まだ石舞台のようにはなっていない。でもこれは必ずしも時期差ではないかもしれませんね。巨勢臣猿は欽明31年(570)7月に登場。そのあと、崇峻4年 (591)11月に大将軍となって坏氏に出陣、推古3年(595)7月に戻るんだそうです。別に推古朝に大摩呂というのがいたらしいが、これは何にでてくるんでしょう。北古墳は猿より大摩呂にふさわしいように思います。
◆なんと年間500人くらいが見学に訪れ、対応されているそうです。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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