人を幸せにする人になろう

権現堂

◆なんと東大阪から京奈和経由、巨勢谷の権現堂へ。奥壁なく、あちら側に羨道がのびるが埋って  いる。立派な縄掛突起のある石棺が鎮座するが、さらに石棺があったらしい。
◆片袖部のみFSをやってみました。大きいブロックの下にもう1石あります。

2019年11月3日、見学会

◆和歌山方面の見学会と10月初めには決めたのだったか。が、卒論生の1人が横穴式石室をやってお り、その関係の石室めぐりをすることに。
◆まずは、片袖の例として東大阪市夫婦塚に行くことにし、集合は近鉄石切駅9:00。6人、自分をあわせて7人。夫婦塚はすぐ近く。夫婦塚として片袖の西石室の図ばっかりみていたが、片袖が2つ並ぶ。看板では双円墳の可能性を示唆する。墳丘は削り込まれて判断のしようもないが、南面して2つの片袖石室が開口する姿は、確かに夫婦塚というにふさわしい。
◆結論的には、西石室が6世紀前半で、東石室が石舞台式だったか。石室からすると年代差がある。しかし片袖である点は、高安古墳群ととともに、6世紀前半に片袖石室が導入され、それを墨守し、両袖の最新モードが入っていないのだろう。看板では東石室への埋葬が最初とあるが、石室からすると逆である。石室型式による前後の判断の方が妥当だろう。

少しは前向き?

◆再帰的。認識が先で、そのように事実が立ち現れる。宣伝、洗脳も、これ。現人神たる天皇、神国日本、戦争に負けるわけがない、そのような教育や言説により、戦前日本の人々は「そんなもの」と考えるようになる。
◆自分が更年期だ、脳が劣化している、年寄りだ、引退だ、といっていると老け込むということでしょう。まだまだ精神的には若い、若い頃のように体は動かないが、まだまだできる、そう考えることで、そのように行動できる、ということです。流行を作っていくように、自分を形作っていくことができるわけです。少しは前向きになったのでしょうか。

首里城正殿ほかの焼失

◆ショックです。29日の授業で正殿の写真を出して、沖縄の話をしたところでした。こんどの11月5日には、その焼失の話をしないといけませんね。建物は戦争で焼け落ちたものを再建したものですが、かつて家族旅行で行ったとき、まわっていくあちこちに展示もあった。そういうものも復元品が中心なのか、実物もあるのか、と心配していました。今日の報道?では1500点が失われた可能性が高く、特別収蔵庫?が開けられない、といった記事があったようです。
◆われわれがものごころが付き、いつ沖縄を認識したのか。小学校の頃だったでしょうか。それは守礼門でした。正殿等が失われたなかで、シンボルだったんでしょう。田中琢さんの書いたものに、首里城の発掘の写真が出ていて、大きな爆弾で穴が開いている様子が写っていました。それで正殿が復元されたのが1992年なんでしたか。
◆時間はかかるだろうが、再建してほしい。イージスアショアをやめたらいい。

白石先生の論集

◆白石太一郎先生の記念論集が山川から送られてきました。今日、宅配の地域センターに行き、受け取ってきました(昼間誰 もいないから、受け取れません!)。で、2冊買い取り、2.8万円の請求です。書く者も金銭的負担をしないと、もはやこうした刊行物は出版できないご時世です。書かせてもらう参加料ということですね。
◆こうした記念論集、話があって書くと返事しても間に合ったことがなかったが、このところはちゃんと〆切を守っている。塚口先生の論集、今回の白石先生の論集、そして中尾先生の論集も(〆切は守れませんでしたが)原稿を出しています。人間は成長できるものですね。

N先生の『蜻蛉遊記』

◆先週の岡山での会には、残念ながら直前になって欠席してしまい、申し訳ありません。楯築の会というよりN先生の会という性格だったようで、かなり大勢の人たちが参加したようです。N先生がおみやげを用意されていて、Sさんに送ってもらいました。前方後円墳設計復元3部作の抜き刷りも含まれていました。いずれ反論を書かなければなりません。
◆そして『蜻蛉遊記』という退職にあわせてまとめられた私家版の冊子が同封されていた。ご自身が、いろんな媒体に書いてこられた小文をまとめ、年譜や調査歴、著作等をまとめるだけでなく、「研究自評」というのを書いておられました。元同僚のS先生は、振り返りはしないという発言をしておられたことがあり、これは研究者としてまだ一線でやっていくという決意であると感じたことがあります。とはいえ、S先生も、どれくらいなんだろう10年間なのか、著作目録のようなものを自費で製本しておられました。昔を振り返ることにふけるほどの年齢ではないという精神的な若さと、しかし研究については一定の回顧と次の目標を確認するといった、両面が必要なんでしょう。ともかくN先生がこれまでの自分の研究について自分で論評するという姿勢に感銘を受けました。
◆自分は?、というところです。市大日本史20周年の時に、ひとつの機会があったように思います。当日の発表も『市大日本史』に掲載するときも、時間や枚数制限があって、そう長い文章でまとめてはいませんが。で、いま新大学の書類で、著書・論文・その他に、それぞれ概要を記せという、誰も読まない整えるためだけの書類をこないだから作成しています。自分が書いてきたもの、いちおうエクセルに入れてはいるが、完全ではなく、なんか出たらその都度記入するような習慣もありません。
◆もとい、いま、そういう新大学の書類書きで、書いてきたものを振り返らさせられている、そういう機会になっているという話です。
◆N先生には1983年から大きな影響を受けており、いただいたものを眺めながら、こうした姿勢を味わっています。

脳の劣化

◆ドクターXだけはネットで見ている。「いたしません」、どっかで使いたいもの。今回はドミノ肝移植というやつでした。で、翌日、手術に失敗した医者の役の俳優は誰だったかなと、うんうん頭を集中させるも出てこない。2人のうちの1人は顔が思い浮ぶ(名前は出ず)が、もう1人はまったく思い出せない・・・、顔が出ない(顔が出れば思い出せてるわけだ)。昨日見たばかりだというだけでなく、このシリーズ、前々から見てきたわかで、長いことみてきたはずなのに、それがまったく・・・。脳みその劣化に愕然としたという話でした。
◆答えはユースケサンタマリアでした。ショックですわ。

水田景観

◆青森の平野の話です。平野部が水田に変えられ、ならされ、さらには圃場整備などもなされ・・・。そうなると、丘陵部の植生はやや異なるにせよ、全体の景観は共通したものとなる。農道があって、刈り入れられた水田が平野には広がり、まわりに山がある。むこうに海が見える。
◆盛岡11:55。仙台12:35。次は大宮。

もうすぐ新青森

◆で、日曜日、帰りの新幹線で、ネットがつながるので、ブログを書いている。青函トンネルを抜け、左に青森湾を見ながら南下。昨日は天気が悪かったが(一時はどしゃぶり)、今日は回復してきて、まわりの景色が見える。
◆日曜日は、朝、ひとつ用をして、あとは帰るのみ。飛行機は4.5万円。値段の問題じゃなく、すべて満席!。なので帰りも新幹線。函館駅8:48発。切符は、昨夜、駅に買いに行った(まあ、指定はそこそこ空いていました)。函館北斗9:35、東京14:04、東京14:20、新大阪16:50着予定。そこから紀美野に行くことになっている。昨日は、大阪「府」「市」合(あわせ)大学という新大学設置申請書用の様式4の書類を、大阪から北海道までの新幹線のなかでず~と作っていましたが、帰りはヤル気なし。

奥津軽いまべつに着く(27日10:20)

◆函館北斗から、函館ライナーで函館駅に。これが15時。レンタカー。
◆函館の課題は解決する。どうなるかわからなかったが、よかった。
◆ホテルに入り、呑みに出る。カミサンが3年前に入ったという「あかちょうーちん」。大将が目の前で、ホッケ、つぶ貝、ほっき貝、ホタテ貝、アスパラなどを焼いてくれる。櫂のようなものに乗せて、カウンターのわれわれに差し出される。日本酒をほどほどに。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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