人を幸せにする人になろう

フォトスキャン(2)

◆幅1.5m、長さ16mあまりのトレンチ。マーカーを9点打つ。
◆撮影。イオスキス。画像M。広角いっぱい18ミリ。調査区全体が入るような写真はいまは撮っていない。両側からトレンチ直交方向に距離を置いて撮影。端部は斜め写真も加える。葺石部は立面を考慮し、調査区内に入り、右・左から 高さを変えていくつか。それと上に戻り、埴輪まわりをひととおり穴ができないよう撮影。
◆1枚6.5メガくらいで、70枚で376メガ。

フォトスキャン(1)

◆あるトレンチを題材に、自分の覚えとして、またみなさんの参考になればと。
◆8月22日の16:00から撮影し、20分もかからず70枚を撮影。そこからノートPCでアライン。見事に70枚すべてがアラインした(中)。これは2分程度。次、高密度クラウド(高)、これ30分くらいか。帰り、これで次の工程にかかるも終わらず(中)。翌日23日、7時間くらいかかる。ここまで18時くらいにはできた。テクスチャーの貼り込みまでする。が、画像を見ると、ポイントがずれている(テクスチャー上のことなのかもしれないが、座標を入れることを考えると?)。それが気にかかり、写真にマーカーを打ち、最初からやり直してみる。

8月19日の週

◆19日の月曜日は14:30に雨が来て、現場を閉じることに。なので、家に早々に帰り着く。16:40の国分の 映像、薄暗く、雨が猛烈に降っている。
◆そして本日23日(金)。また雨模様。現場はなくなる。
◆このあいだ、21日の水曜日に、1年ぶりにドローンを動かす。いちおう準備はやって臨んだが、いまいちでした。RAWデータを補正して見れんこともないが、画像が粗い。ドローンを頻繁に使っているわけではないので、まず基本から復習が必要。年なので、覚えられないし、「猿マニュアルを」作る。
◆同じく中判の撮影も、昨年はとにかく久しぶりにさわって、肝心のところで1日撮影できず、という失態。翌日は、なんとか撮影。現像してみると、きれいに写っていたという。今年もまた、最初、体が覚えていなくて、フィルム1本を無駄にした。が、なんとか記憶を取り戻し、撮影。ヤグラの上で、「どうやって撮るんだったかいな~」というのは冗談ではなく本心なのです。まあ、残る3本のトレンチの撮影は大丈夫だろう。撮影操作はシンプルなのでマニュアルを作るほどではないが、メモを作っておこう。そういえば、昔ながらの露出計も、体が覚えておらず、まあ光を絞るスリットを入れたままで測るか、抜いて測るかで、まあ、同じ明るさなので、黒だったか赤だったか、原理的に考えればわかるのですが、途中、少し混乱。
◆カメラは、原理的にはシンプルなので、確実にやることですね。レンズを変えて、絞り、シャッタースピードを合わせていなかったり、ヘマをやりました。昔は、確信をもってやれたことが、更年期に入り、どうやったかいな~、と、すべてが不確実・・・。残り3本のトレンチ、ちゃんとやります。

難波宮、宮城南門大路

◆もうウロ覚え。南門のすぐ南で、側溝らしいものが出て、推定幅員34mだとか。高麗尺16歩でしょうか。水未来センターの難波大道が9歩19.2m。京域は34m、そこから幅員が減じるのでしょうか。覚えです。

2019年8月17日(土)若桜

◆若桜は終了。晩御飯をどうするか。そうだ、寺家町マルマン(うどん・そば)へ行こうということになり、たどりつく。店の南の複合駐車場のなかに1台分だけマルマン客用の枠があり、そこに停めて入る。母親は60年前くらいに、まだ電電公社に勤めていたころ、ここのうどんの出前をよく取っていたらしい。閉店間際か、客はいなかったが、ネットで見ると、まだまだやれそうですね。明治30年からやっているそうです。
◆20時、宝殿を出て、河内国分にむかう。

2019年8月17日(土)若桜

◆で、お茶でもと探すも、店があまりない。しゃーない、と道の駅に行くも、食堂は15時までで閉 まっていた。途中、喫茶ののれんを見た記憶をたどり、かりや通の播磨側の端に近いところに行くと、やっていました。
◆7月7日にオープンしたばっかりのようで、3人が曜日でまわしている店でした。今日は喫茶中心。店では、独特のデザインをする作家の展示をやっていました。店の人は服飾系の人で、その染を、この作家さんにやってもらっているようです。作品もならべてあり、購入できます。コーヒーを飲む。16時も過ぎており、宝殿に戻る。

2019年8月17日(土)若桜

◆そのあと木工技術を伝える「たくみの館」、三百田家住宅、歴史民俗資料館が3つならんでいると ころに行く。
◆若桜の古くからの交通の要衝としての歴史、それゆえの戦国期の争いの場であったこと、ここをおさえる鬼ケ城や城下町としの発達、城主の交代、江戸期の宿場町としての発展など、こうした歴史を伝える展示施設がほしいところ。残念ながら歴史民俗資料館はそういうところにはなっていない。人口もあまり減っていないのかな、旧市街の町家のなかの空き家があれば、それを案内所にしてやれば、もっと若桜の意義を伝えることができるだろう。

2019年8月17日(土)若桜

◆町あるきもしたいところだが、暑いさなかに足の悪い両親を歩かせるわけにもいかず、駅に行き SLを見たり、駅前のスーパーに買い物に入ったり。ほんとは車道となっているかりや通の1本内側に入った蔵通り、というのが町歩きにふさわしい、昔ながらの町屋のたたずまいを残しています。
◆暑い盛りで、観光客がうろうろという風景ではなかったが、季節のいい時期にはそこそこ訪ねる人もいるだろう。飲食店はまだ少ない。旧市街の脇に新道(国道)が通り、道の駅に行きがちだが、旧市街の味わいあるまち並みに、資料館や飲食 店ができ、少しずつ賑わえばいいのではないか。
◆写真下は国史跡、鬼ヶ城のある山。

2019年8月17日(土)若桜

◆新(あらた)という店は、お客でいっぱいでた。少し待ち、テーブル席に案内される。吉川と   いうところの豚肉が著名らしく、トンカツを頼む。家族総出でやっていました。小さい子供たちも働いていました。

2019年8月17日(土)若桜

◆若桜着は13:30くらい。まずは昼ご飯。ダイニングキッチン新(あらた)というところに入る。飲 食店はいくつかあるようだが、ここがよさそう。この通りは「かりや通り」といい、明治になって火事が続き、道幅を広げ、家を後退させ、お寺を動かすなどが行われたらしい。かりや(仮屋)というのは家屋本体の前に付すヒサシみたいなもののよう。 
◆その前に、若桜は、但馬・播磨・美作に通じる交通の要衝とのことです。国道29号線が播磨・因 幡道。播磨山崎から揖保川源流をさかのぼっていくと、戸倉峠に至る。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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