人を幸せにする人になろう

銚子山古墳の調査状況

◆前方部上段裾の基底石の下りもちゃんと検出され、格好がついていた。
◆9月8日(日)、現説だそうです。いま、ドローンを網野に預けているが、城陽市で使うときの戻す話をしておいた(使わないかな)。とはいえ、まだいじっていないようですね。練習しておいた方がいいと思うよ。

2019年7月31日、網野

◆網野銚子山の委員会(臨時教授会が直前に入ったが、欠席する)。朝出て、11時前には着いたのかな。八丁浜界隈を車で。どうも祭りで、 家々に万国旗がはりめぐらされている。浜辺を進むと、駐車場入り口は見えるが、浜辺の様子そのものは見えない。海水浴客がいっぱいなんでしょう。八丁浜にもホテルや民宿、琴引浜の海水浴場もある。網野の漁村はけっこう大きいですね。八丁浜の名の通り800mにわたって家が伸び、奥行きもそこそこあって、浜に平行する街路も何本もある。
◆店が少ないので、いつものアミティの喫茶店に入り、昼食、河内鋳物師のノートを会議の13:30まで作成していた。途中、京丹後市、京都府教委の人たちも入ってきた。
◆網野銚子山の立ち木の間伐も一定進み、後円部はかなり下から見通せるようになりました(写真)。前方部側が左に続く。

中尾論集の原稿を出す

◆6月末に挫折したもの。再びリキを入れ、こないだの土日をまるまるつぶし、書き上げた。まあし かし、前は京南辺から八尾古道が2100歩で、八尾古道から長尾古道が1700歩にはならないとしていたが、八尾古道までは京街区の延長による設定、八尾古道から長尾古道は、以前からの見立て通り1700歩、というところに落ち着いた。

『因伯考古学研究』捨てる

◆1988年7月11日発行、研究室旅行パンフレットを捨てた。自分のやった、「因伯古鏡集英」だけス キャンしておいた。

阪神高速大和川線は地下だ・・・

◆工事が進んでいるのは、横をいつも通っているので知っていたが、これ地下なんですね。 大和川にさらに高架の阪神高速ができると、まあ完全に分断される形にはなるわな。工法の理由はなんでしょう。

昨日2019年7月29日(月)はぼけていて

◆朝、博物館準備委員会のニュースレターを仕上げ、10:50からの打ち合わせに行く。今日の議論を整理し ておかないといけません。
◆13:30から、城陽市の久津川車塚古墳の調査に協力するため、機材等を倉庫から出してきて、搬出準備をする。それからテントを洗い(みな楽しそう)。写真はそのあとのプリン!
◆夕方、大歴の委員会なので、17:30まで資料を作っていた。で印刷し、電車に乗ると電話がかかってきて、「今日、委員会なんですけど・・・」。時計を見ると、18:30すぎ。なぜだか1時間間違えました。体力も気力も脳みそも劣化が著しい。みなさん、わたしの場合は昨年の54歳くらいから、自覚あり、でしたよ。

御墓山古墳は佐紀石塚山型か

◆ちょっくら作業をしてみました。このくらいのささやかなことはさせてください。前方部上段の 発達、開き具合からすると、陵山はダメで、石塚山かなと。石塚山は東が高く、西が低いので、設計はおなじでも仕上がりが左右非対称になる。まあ、いい線かなと。
◆たぶん南側に、後円部に取り付く造り出しがあるのでしょう。それと後円部背後の陸橋が明瞭です。それと後円部背後の長方形墳2基も、なんだか石塚山に近いですね。同寸でなく、ひとまわり御墓山が小さいです。寸法までやってませんが、150歩に対して140歩くらいなんでしょうか。
◆津堂でもやらなあきませんね。

御墓山の図がだいたい上がってきました

◆まだ、完全な納品状態ではありませんが、ほぼ上がってきました。
◆こういうのを見ると、研究費を獲得して測ってもらおうと思いますね。厳密に言えば、植生等の条件がよく、かつ草刈り等の管理もされていて、ベストシーズンを選べば、ということです。
◆早稲田J君は、Nさんと同様、ちゃんとターゲットを立てて、確実な点を無数に取っていくやり方で、実習的な面がある(ただし、かなりの単調な作業だろうが)。技術的には、レーザーだと、統合して立木をはじめ不要データを除去していくという調整が必要(自動的にかなりやってくれるソフトなど技術的進歩もあろうし、慣れによる習熟もあろうが。)。一方はデータはXYZでシンプルにそのまま使える。条件がよい状態での地上レーザーは、おそらく遜色ないだろう。
◆まあ、一方で、学生が測量を実際にやるという醍醐味も捨てがたいものがある。今年度も、自分らで測量する対象と、レーザーでやってもらう対象の、それぞれの候補を考えている。

西宮山古墳

◆これまで竜野への里帰り展示はなかったでしたっけ。兵庫県の考古博物館には一部あったよう な。京博には新しくなってから、まったく行っていない。一度くらいは行くかな。でも、西宮山の資料が常設でならんではいないのでは。これを機に貸与すればいいのに。
◆西宮山35mという。計算すると、25歩37.5mなのかな。

清水芳裕さん

◆職場メールは・・・、見ていないのは理由にならないが、清水さんが7月3日に亡くなられたのを、遅 れて知る。6日、葬儀に行くべきでした。
◆大学に入った時、泉さんがセンターにまだおられ、たぶん2回生の時に、山中先生が奈良大から着任されて、泉さんが奈良大へ移ったのだと記憶する。で、それ以降は、清水さんは、埋文センターの一番上となり、現場というより、中で仕事をずっとされていたように思う。一時期、埋文センターでバイトをしたことがあった。し~さん(とよばれていましたっけ)の科研で、胎土分析をする土師皿の、図面を書けと。一段ナデとか、大きいの、小さいの、実測した記憶があります。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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