人を幸せにする人になろう

2024年4月29日、多田銀山から池田

◆池田の商店街。1月に大学院生と来た時は、この道は近世絵図にもある古い南北街道と説明、車を駐車場に入れてマチあるきはしなかったが、うろうろはした。実際に歩いてみると、古い町屋もところどころに残っており、なかなか味わいがあります。鯛焼きを買って食べる。
◆呉春の酒蔵も、立派なものでした。そこから東に池田城に登城する。このあたりから雨がパラパラ降ってきたが、また止む。

2024年4月29日、多田銀山から池田

◆川西能勢口に戻り、昼飯。電車で池田に移動。先に呉服(くれは)神社。そうか、ここが呉ハトリを祭り、イケダ神社は綾ハトリを祭っているのか。イケダ神社に三角縁の写真を撮りに行ったのは10年以上前だな。で、『日本書紀』の呉ハトリ・綾ハトリが、ここ池田に定着したというのは、どこまで根拠があるんだろうと思う。が、これも知識がないのでわかりません。
◆そんなもの、史料的根拠などないが、実際に呉ハトリ・綾ハトリを祭る神社がこの地にあることそのものが根拠なんでしょうね。で、後付けで引っ張ってきたとも思われないし。漠然と考えるのはそこまで、だ。

2024年4月29日、多田銀山から池田

◆藤です。若いもんはわかるのかな。

2024年4月29日、多田銀山から池田

◆歴史学新歓ハイキング。なんと50人が参加という。教員は8人だったか。能勢電で(はじめて乗りました)「日生中央駅」まで行き、路線バスで移動、そこから銀銅山へ。2回目。国史跡である。
◆多いので4グループに最終的には分かれたのか。資料館を見学し、そのあとマブなど現地。たっぷり2時間くらいか。再学習は必要ですね。勉強になる。鉛を入れて銀を分離し、銅と銀にする技術のあたりの説明はなかった。こっちがやってもいいのだが、あいまいな知識しかない。とにかく砕いて、擦って、まずは水で選別、そこから焼いてと・・・、ちょっと確かな知識にしないといけませんね。
◆金山彦神社。勝手に柏原の金山彦神社がもっとも古いと思っていたが、全国にある金山彦神社を統括しているのは、岐阜の南宮大社なんですね、知りませんでした。

番所庭園

◆番所庭園は2回目かな。前は和歌山の両親と一緒に行った。雑賀崎のなんとかの鼻という、最も突出したところを民間が所有しており、風光明媚な場所をいかし庭園整備をしたもの。ここは実は紀州藩のお台場跡で、大歴で特集を組んだ時に勉強した。遺跡なんだが、庭園になり、埋蔵文化財あるいは史跡としてはどうなん?という物件だが、ひとまず土塁等の遺構が保存されているならそれでいいとも思うが、やはり庭園としての整備のよる遺跡への影響があるのではないか、な。
◆今回行ってみて驚いたのは、駐車場満杯、人がわんさかいること。GW前半で、しかも天気はすこぶるよく、出かける人が多い日であることは間違いないが。でも、その時にでかける先にここが選ばれているわけである。訪れる多くの人は、お台場を見にきたわけでなく、景色やら庭園を楽しむ、またバーベキューをやるために行っている。1日8000円で、場所を貸してバーベキューができるようになっている。まあとにかく、新たな観光名所としてすっかり定着したことに驚いた。

2024年4月27日と28日

◆この土日は、カミサンの和歌山の実家の件で、義弟が東京からやってくるので、2日とも付き合う。27日の土曜日は、午後、海南駅で「くろしお」に乗ってくる義弟と待ち合せ。そこから海南市の親戚の家に行き話をする。この日はそれくらいで、国分に戻り、家に泊まってもらう。
◆翌日は11時にやはり海南市で待ち合わせの用があり、そこへ赴く。用事が終わってから黒江に昼飯を食べに行き、そのまま町あるき。漆器を見て、日本酒「黒牛」を購入。そのあと帰りの特急の時間にはまだ時間があるので、雑賀崎の番所庭園に行く。1530過ぎに義弟は帰って行った。われわれは帰ってきて、晩御飯を作るのもめんどうなので、スーパーで刺身などを買い、「黒牛」を飲む。
◆あれ、番所庭園の写真、撮ったはずだが、ない(そうか一眼レフか、家だ・・・)。

ちと戻るが還暦の冊子から

◆還暦パーティーをやってもらってから1月以上が経過してしまいました。集まっていただいたみなさんにお礼をしないといけないが、そのままです。
◆この時、奄美方面の工房で作成された冊子が1冊おいてあり、びっくりした。表紙が大学2年生の時の鳥取での写真!。これ限定1冊。
◆そのなかに、自分の撮影でない久津川の打ち上げ写真があって、とってもいいのがあるので、出しておきます。これ渡り土手の時かな~。

2024年4月21日、津山洋学資料館

◆この土日、岡山で考古学研究会が開催されていたが、行かないことになった。21日は大歴の現地見学検討会が重なって設定されていたので、岡山に行かないならこっち、と考えていた。
◆が、ある原稿を仕上げないといけないので、それをやっており、20日、丸1日やっても終わらず。仕方なく、21日もそれにあてることになり、検討会にも行けず。池淵さん、ごめんなさい。
◆で21日、中国道でカミサンを三田に送っていると、そのまま津山に行き、午後に戻って仕事をしようということになる。10時くらいには津山に下り立つ。目的は洋学資料館を再度訪れようというもの。
◆宇田川玄随―玄真―榕菴―興斎、そして箕作阮甫―秋坪という、津山の洋学者を再度学ぶ。ようやっと、頭に定着したか。
◆午後、原稿を続けるも終わらず、月曜日も・・・。最終的にできあがった日時は言わないでおこう。

大阪公大日本史

◆毎年の報告です。今年はとくに危ない状態でした。青の校了を見てもらうと、いかにこの2週間、これに忙殺されていたか、わかっていただけると思います。本日、17時過ぎに校了しました。おかげで、自分の論文は書いていません。

神戸海軍操練所の遺構

◆新聞記事で知りました。記事からは壊すという話ではなさそうなんですが、現場は見れるのでしょうかね。とっくに終わっている?

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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