人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
陸橋
◆陸橋の上の葺石を見ると、2列の列石があり(北側は2個だけのと
ころとする→南隣かもしれません)、おおむね等間隔。陸橋端部からひとつめの列石心 が1.4m約1歩、ふたつの列石心間も1.4m約1歩、拡張区北端まで1.1mだった。次の単位は約30㎝先の壁の下という推測ができる。それが陸橋端部であれば計3歩4.2m。もうワンスパンあれば計4歩5.5mということになる。あと30㎝のような気がする。埋め戻し前に壁を垂直に立てれば30㎝はいくかも。しかしギリギリだと、落ちるかどうかがわからない。しかし今の断面層位を見ると、陸橋にあわせて濠内堆積の灰色土も下っているので、ある程度えぐれば、落ちていく気配はわかるような気もする。
◆ここを葬列が通ったか。葺石上を棺桶かついで登ったのか。中央区はきっちり葺石を面をそろえて葺いていて、まあ通れるのではと思うが。そうか、列石があるから、両側は葺石があり、真ん中は土、ということも、あるいは考えられるかもしれない。テラスに取り付き、くびれ部まで移動し、鞍部へと登るのか。
◆池田古墳前方部のデータを見ておく必要がある。
◆陸橋部の基底石の下半部までは濠内堆積土が上がってきている。重機で斜めにそいだ形なので、層が順番に露呈しているわけだが、濠内堆積土の下が黄白マダラで、基底石はそこに据えられている。基底石の外側20~30㎝は本来の陸橋上面が残っている。礫はない。埴輪もない。褐色の堅い層は、地山が白色粘土なので、土を選んで叩いたのかもしれない。陸橋の高さを測っていないな~。60㎝くらいかな。
◆ここを葬列が通ったか。葺石上を棺桶かついで登ったのか。中央区はきっちり葺石を面をそろえて葺いていて、まあ通れるのではと思うが。そうか、列石があるから、両側は葺石があり、真ん中は土、ということも、あるいは考えられるかもしれない。テラスに取り付き、くびれ部まで移動し、鞍部へと登るのか。
◆池田古墳前方部のデータを見ておく必要がある。
◆陸橋部の基底石の下半部までは濠内堆積土が上がってきている。重機で斜めにそいだ形なので、層が順番に露呈しているわけだが、濠内堆積土の下が黄白マダラで、基底石はそこに据えられている。基底石の外側20~30㎝は本来の陸橋上面が残っている。礫はない。埴輪もない。褐色の堅い層は、地山が白色粘土なので、土を選んで叩いたのかもしれない。陸橋の高さを測っていないな~。60㎝くらいかな。
久津川車塚2017年8月16日(水)最高気温31度
◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、自分、長友、大澤(市大M1)、吉村(立命M1)、
川北(京大M1)、 合田・松井(市大3)、山口・山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、上野(奈良大2)
◆朝、昨日以来の雨で、17-1(後円部西裾)トレンチの周濠底にそこそこは滞水。ポンプ小では、昼までに抜けなかった。
◆17-2(西くびれ部上段)トレンチ。8月14日に着手したが2時間程度で、本日から本格稼働。上段裾部とテラス面そして中段斜面の肩部にかけての調査区。竹の根との戦いにも勝利し、表土突破、黄色流土となり、埴輪片もそこそこ上がってくる。本日1日で、上段裾部では石が出てきて、昨年の葺石面の続きまではいかないが、その上の転落石がごろごろ出始める。なので、葺石面がくびれ、前方部側面に移行しているかどうかはまだ判然としない。この部位、上段裾部に境界溝?なのか幅のけっこうある溝が通り、基底部そのものは失われている。この溝には掘り上げた葺石材が放り込まれているが、その続きの石たちも頭を出し始めた。テラス面の部位では、礫敷まではあ
と10㎝以内くらいのところまできた。埴輪列の続きもあと一息。明日中には、上段葺石裾部および埴輪列が、この拡張範囲のなかで屈曲するかどうかはっきりするだろう。埴輪列の外側のテラス面は昨年度の検出面の高さ近くまで下がってきている。そして調査区西端の中段斜面では、盛土(だろう)の残存面の続きがおよそ検出され、前方部へと折れ曲がっているように見える。
◆とにかく朝は湿度が高く、汗が吹き出し、上も下もべたべたになる。15時ごろ、通り雨(ごく短く)、その前は暗雲のなかで心地よい風が通り抜ける。それが過ぎると西の空は晴れ、西日が照り付ける。
◆17-2トレンチ脇の基準点
(T1)に初めてマシンを据えてみた。いまある基準点について、ライカに局地座標の数値も入力した。
◆それと、月曜日の摂南大生のフォトスキャン用写真であるが、経験値がなく、写真のできがよくなかったとのこと。昼前に石のある部分のみシートをめくり、ポンプ大に切り替えて水が抜けたのち、再撮影を済ませた(95枚)。経験なく架空のシミレーションをするのが無理。本番での経験を重ねるべし。
◆朝、昨日以来の雨で、17-1(後円部西裾)トレンチの周濠底にそこそこは滞水。ポンプ小では、昼までに抜けなかった。
◆17-2(西くびれ部上段)トレンチ。8月14日に着手したが2時間程度で、本日から本格稼働。上段裾部とテラス面そして中段斜面の肩部にかけての調査区。竹の根との戦いにも勝利し、表土突破、黄色流土となり、埴輪片もそこそこ上がってくる。本日1日で、上段裾部では石が出てきて、昨年の葺石面の続きまではいかないが、その上の転落石がごろごろ出始める。なので、葺石面がくびれ、前方部側面に移行しているかどうかはまだ判然としない。この部位、上段裾部に境界溝?なのか幅のけっこうある溝が通り、基底部そのものは失われている。この溝には掘り上げた葺石材が放り込まれているが、その続きの石たちも頭を出し始めた。テラス面の部位では、礫敷まではあ
◆とにかく朝は湿度が高く、汗が吹き出し、上も下もべたべたになる。15時ごろ、通り雨(ごく短く)、その前は暗雲のなかで心地よい風が通り抜ける。それが過ぎると西の空は晴れ、西日が照り付ける。
◆17-2トレンチ脇の基準点
◆それと、月曜日の摂南大生のフォトスキャン用写真であるが、経験値がなく、写真のできがよくなかったとのこと。昼前に石のある部分のみシートをめくり、ポンプ大に切り替えて水が抜けたのち、再撮影を済ませた(95枚)。経験なく架空のシミレーションをするのが無理。本番での経験を重ねるべし。
久津川座標
◆造り出しは、別途、造り出しの角度にあわせて局地座標を切った。しかし、
今後は墳丘各部を調 査継続していく上で、車塚古墳の主軸にあわせた車塚座標を設定する必要がある。玉手山古墳群もすべてそれでやってきた。今日では、座標換算も、画像上の座標の切り直しも簡単にはなっているが、やはり基本的には古墳座標を設定する方がいいと思っている。このへんは試行錯誤です。
◆数日前の画像をバージョンアップしたものを示します。これ車塚座標を切ったもの。車塚の場合、以下のように設定する。推定中心点の座標を求める。現状での墳丘の主軸を見定める。その振れは国土座標に対して11.1度。そして先の推定中心を、すべてプラス数字にするため(X300/Y200)になるようにする。測量時には、国土座標のXー250,000およびYー20,000は省略し、メートルは100ケタでやってきた。なので、
◆局地座標x=国土座標X*0.9813(cos11.1)+国土座標Y*0.1926(sin11.1)+1199.958
◆局地座標y=国土座標Y*0.9813(cos11.1)-国土座標X*0.1926(sin11.1)+223.427
◆ちなみに掲げた図では陸橋を推定してみた。とはいえ、この遺構、陸橋?
、造り出し?、出島状 遺構?、などさまざまな見解がある。確定は次年度の課題になりそう。わたしは陸橋と思っている。仲津山・女狭穂塚も、ほぼ同じ位置に陸橋がある。水鳥がいます。
〔追記〕久津川座標は用いるが、そっちが表でなく、国土座標を基本にする、ということにしたい(170821)。
◆数日前の画像をバージョンアップしたものを示します。これ車塚座標を切ったもの。車塚の場合、以下のように設定する。推定中心点の座標を求める。現状での墳丘の主軸を見定める。その振れは国土座標に対して11.1度。そして先の推定中心を、すべてプラス数字にするため(X300/Y200)になるようにする。測量時には、国土座標のXー250,000およびYー20,000は省略し、メートルは100ケタでやってきた。なので、
◆局地座標x=国土座標X*0.9813(cos11.1)+国土座標Y*0.1926(sin11.1)+1199.958
◆局地座標y=国土座標Y*0.9813(cos11.1)-国土座標X*0.1926(sin11.1)+223.427
◆ちなみに掲げた図では陸橋を推定してみた。とはいえ、この遺構、陸橋?
〔追記〕久津川座標は用いるが、そっちが表でなく、国土座標を基本にする、ということにしたい(170821)。
久津川車塚2017年8月14日(月)最高気温30度 第3週
◆参加者 城陽市担当者、工藤さん+1、自分、長友、大澤(市大M1)
、園原・吉村(立命M1)、川北(京大 M1)、合田・松井(市大3)、前田・山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、摂南生3人。
◆シートを全開し、濠底の水を抜く間、壁面や犬走などの清掃にかかる。水が抜けた段階で、石の仕上げと清掃にかかる。谷間裾部や礫石裾部の始末を判断し、葺石材をいくらか除去して、これで掘り上がりとする。礫の重なり部は、いますこし面をそろえる調整をしてもいいのだが、時間なし。振り返らないことにし、掘り上がりとして見えている石の目地出しを進める。この間、工藤さんはテラス面の清掃。葺石部分が終わってくると、陸橋上面の清掃、さらには墳丘斜面の清掃にかかる。時間なし。12時は過ぎるも、そのまま清掃を続ける。12:30、摂南生が3人到着し、斜面清掃に参加
。13時、共和さんも到着。最終的には13:30までやって撮影に入る。その間、ヤグラのセッティングは工藤さんら。
◆写真が始まった段階で、みな弁当を食べる。ヤグラは最初は西側、次は南側、最後が北側で、終了は15:30となる。協和さんには15時にはスタートできるようにしますと言っていたが、30分はずれ込む。
◆レーザースキャンは15:30~17:00。
◆レーザー計測にかかった段階で上のトレンチに着手。鍬やスコをもって竹の根との格闘を開始する(遠景の写真)。このトレンチは昨年手をつけたものだが、後円部上段の裾部はヤラレが入り、テラス面の埴輪列は屈曲せず、開けたのは後円部斜面およびテラス面の
範囲と判明し、今年度持ち越したもの。なので、計画では前方部側に大きく開ける図を描き、予定のピンポールも立っているが、かなり広いので、ひとまず新規部の幅を半分程度とした。昨年度分の北壁から2.8mの幅とする。この範囲で、葺石と埴輪列が屈曲してくれるといいのだが。
◆レーザースキャン後、摂南大機械工学科学生らがフォトスキャン用の写真撮影。これがおよそ17:50くらいまで。
◆なので、それが終わらないと全面シート掛けができないので、上段くびれ部トレンチは17:45までやる。そのあと下のトレンチを全面シート掛けをして密封した。
◆今晩から天気が悪くなる予想だったので、本日、写真と計測までやることが使命だったが、無事、完了させることができ、メデタシメデタシでした。墳端トレンチは実働9日間で終了した。
【この日デビュー】奈良の春鹿と海南の黒牛
◆シートを全開し、濠底の水を抜く間、壁面や犬走などの清掃にかかる。水が抜けた段階で、石の仕上げと清掃にかかる。谷間裾部や礫石裾部の始末を判断し、葺石材をいくらか除去して、これで掘り上がりとする。礫の重なり部は、いますこし面をそろえる調整をしてもいいのだが、時間なし。振り返らないことにし、掘り上がりとして見えている石の目地出しを進める。この間、工藤さんはテラス面の清掃。葺石部分が終わってくると、陸橋上面の清掃、さらには墳丘斜面の清掃にかかる。時間なし。12時は過ぎるも、そのまま清掃を続ける。12:30、摂南生が3人到着し、斜面清掃に参加
◆写真が始まった段階で、みな弁当を食べる。ヤグラは最初は西側、次は南側、最後が北側で、終了は15:30となる。協和さんには15時にはスタートできるようにしますと言っていたが、30分はずれ込む。
◆レーザースキャンは15:30~17:00。
◆レーザー計測にかかった段階で上のトレンチに着手。鍬やスコをもって竹の根との格闘を開始する(遠景の写真)。このトレンチは昨年手をつけたものだが、後円部上段の裾部はヤラレが入り、テラス面の埴輪列は屈曲せず、開けたのは後円部斜面およびテラス面の
◆レーザースキャン後、摂南大機械工学科学生らがフォトスキャン用の写真撮影。これがおよそ17:50くらいまで。
◆なので、それが終わらないと全面シート掛けができないので、上段くびれ部トレンチは17:45までやる。そのあと下のトレンチを全面シート掛けをして密封した。
◆今晩から天気が悪くなる予想だったので、本日、写真と計測までやることが使命だったが、無事、完了させることができ、メデタシメデタシでした。墳端トレンチは実働9日間で終了した。
【この日デビュー】奈良の春鹿と海南の黒牛
2017年8月12日黒江
◆11日(金)、車塚を18:30に出て、紀美野
町へ
。約2時間。粉河に出る紀 伊山地越えの道(父鬼街 道)に新たにトンネルができ、阪和道から近くなったのだが、ちゃんと地図を見ていなかったので、下りてからうろうろして少しロスした。
◆翌日は、親類の家廻り(3軒)。海南市野尻2件、それから黒江に行き、紀州漆器伝統産業会館を見学し、そのあと黒牛を買いに行く。黒江、むかしの景観はだいぶ失われたかも知れないが、まだまだ風情を残している。散策マップも作られている。デンケンにならんもんかね~。
◆和歌山市のもう1軒を訪ね、そのあとお昼を食べに雑賀先に。しかし行くとこ行くとこ、昼はやっ
ていない。食事ができない!。前に和歌山市博で日本遺産の地図を見て、雑賀崎の町並みもいいらしいと情報入手。漁港のところで車を下りて歩くんでしょうね。今回は老齢の両親がいるので無理だが、再度、雑賀崎の町あるきをしたい。が、そんな看板は見なかった。これからなんでしょうが、番所の鼻に行く人はいるが、ゆっくりと町を歩き、雑賀衆に思いをはせ、新鮮な魚料理を堪能できる食事どころや、いといきつく茶店もほしい。むかしの観光名所のさびれようは、なかなかさびしいものである。
◆まあそんなんで、土日の2日ともつぶれるとしんどいので、土曜日のうちに帰り、日曜日は大学で仕事をする。
◆翌日は、親類の家廻り(3軒)。海南市野尻2件、それから黒江に行き、紀州漆器伝統産業会館を見学し、そのあと黒牛を買いに行く。黒江、むかしの景観はだいぶ失われたかも知れないが、まだまだ風情を残している。散策マップも作られている。デンケンにならんもんかね~。
◆和歌山市のもう1軒を訪ね、そのあとお昼を食べに雑賀先に。しかし行くとこ行くとこ、昼はやっ
◆まあそんなんで、土日の2日ともつぶれるとしんどいので、土曜日のうちに帰り、日曜日は大学で仕事をする。
久津川車塚2017年8月11日(祝)最高気温36度
【参加者】城陽市担当者、工藤さん、自分、大澤(市大M1)、園原・吉
村(立命M1)、川北(京大M1)、 土井(奈良県庁)、安藤・木下(立命4)、泉・田口(奈良大4)、相馬(近大4)、前田・山口・山崎(立命3)、池口(同志社3)、上野(奈良大2)。
◆(1)周濠底の石出し→石外し、(2)後円部部裾の仕上げ、(3)陸橋裾部の仕上げ、(4)谷部の仕上げ、(5)葺石清掃、(6)礫出し、(7)全体清掃、が今日の仕事。
◆(1)周濠底の石出しについては、およそ状況は判明。石のないところは濠底まで出し、濠内の石は基本的に地山に乗らず堆積土中で除去可能と判断し、第2Qから周濠側か
らはずしていく。濠底は黄色砂質土だが、色は部分によって違うところもある。堆積土最下層のネチョネチョ粘土の下、サクサク気味の砂質の地山が出てくる。なお、調査区隅に近い土嚢の下からひとかたまりの埴輪片があり、写真を撮って取り上げる。
◆(2)後円部裾については、基底石およびその外にある取れない石をのぞき、だいたい昼までにすっきりした。谷部寄りの多重の基底石、そこから南への連続(途中抜けあり)、およそ理解できるものになっていると思う。
◆(3)陸橋側裾部については、礫が下、上に葺石が乗ること、葺石材は濠内堆積土中なので、取り除いていく。周濠中心部よりの西側に、礫にまじるように葺石石材(そう大きくはない)がいくつかあり、下を探りながら、基本的に取れると判断して除去する(いくつかはまだ残している
が)。埴輪片が下から出てくるところもあり、間違ってはいない。西壁際から水鳥首部片が出土、写真を撮って取り上げた(昨日来の谷筋沿いの埴輪片は竹櫛をさしてそのまま置いてある)。
◆(4)谷部はいちばん難しいが、全体としては、谷筋に列石を一直線にならべておらず、後円部斜面に対しての基底石風に、順次、下から重ねていっている状況で、谷筋ラインとしては、谷筋を端部とするもの、陸橋にかかるように置いたものが、ジグザグ気味に上がっていく様相。石半個分のジグザグはあれ、全体としてはおおむね後円部斜面の葺石の三角が作り出され、そこから陸橋側面の礫を重ねている状況である。以上のような見立てからして、谷部にへんな格好で乗っている葺石材は転落石の可能性があるとみて、下をさぐりながらはずしている段階で、完全な仕上がりまでいかなかった。下から後円部斜面の葺石の重なりが出てきており、掘り切れば、より谷間の葺き分けが明瞭になるはず、である。
◆(5)葺石の清掃はほぼ基底石まで下りてきた。(6)礫の清掃
は、やってもやってもキリがない。実際 上、埴輪の出土位置も参考に、浮いた高いものを取り、面として整えていくという作業と並行。とくに裾部は溜まりになっているので、ある程度重なりの一番上のものから取っていって整える必要があるが、理屈上は面として整うところで止めるということになるが、どこまでやるのが妥当かは、はっきりわかるわけではないだろう。面として整える作業をやって、ここまでと切りをつけるほかはないだろう。(7)写真撮影にむけての全体清掃には、以上のような作業の進捗で、到達しなかった。週明けに延期である。
◆土日の天気はよさそう。月曜日も大丈夫そうだが、火曜日はやや怪しい。なんとか、月曜日の午前中で、谷間および礫面のケリをつける作業を継続しながら、それ以外のメンバーで調査区全体の清掃を進め、午後、写真撮影とレーザー計測にもっていきたい。
〔来客〕増田さん(ビールありがとうございました)、久住さん、原田さん(アイスありがとうございました)
◆(1)周濠底の石出し→石外し、(2)後円部部裾の仕上げ、(3)陸橋裾部の仕上げ、(4)谷部の仕上げ、(5)葺石清掃、(6)礫出し、(7)全体清掃、が今日の仕事。
◆(1)周濠底の石出しについては、およそ状況は判明。石のないところは濠底まで出し、濠内の石は基本的に地山に乗らず堆積土中で除去可能と判断し、第2Qから周濠側か
◆(2)後円部裾については、基底石およびその外にある取れない石をのぞき、だいたい昼までにすっきりした。谷部寄りの多重の基底石、そこから南への連続(途中抜けあり)、およそ理解できるものになっていると思う。
◆(3)陸橋側裾部については、礫が下、上に葺石が乗ること、葺石材は濠内堆積土中なので、取り除いていく。周濠中心部よりの西側に、礫にまじるように葺石石材(そう大きくはない)がいくつかあり、下を探りながら、基本的に取れると判断して除去する(いくつかはまだ残している
◆(4)谷部はいちばん難しいが、全体としては、谷筋に列石を一直線にならべておらず、後円部斜面に対しての基底石風に、順次、下から重ねていっている状況で、谷筋ラインとしては、谷筋を端部とするもの、陸橋にかかるように置いたものが、ジグザグ気味に上がっていく様相。石半個分のジグザグはあれ、全体としてはおおむね後円部斜面の葺石の三角が作り出され、そこから陸橋側面の礫を重ねている状況である。以上のような見立てからして、谷部にへんな格好で乗っている葺石材は転落石の可能性があるとみて、下をさぐりながらはずしている段階で、完全な仕上がりまでいかなかった。下から後円部斜面の葺石の重なりが出てきており、掘り切れば、より谷間の葺き分けが明瞭になるはず、である。
◆(5)葺石の清掃はほぼ基底石まで下りてきた。(6)礫の清掃
◆土日の天気はよさそう。月曜日も大丈夫そうだが、火曜日はやや怪しい。なんとか、月曜日の午前中で、谷間および礫面のケリをつける作業を継続しながら、それ以外のメンバーで調査区全体の清掃を進め、午後、写真撮影とレーザー計測にもっていきたい。
〔来客〕増田さん(ビールありがとうございました)、久住さん、原田さん(アイスありがとうございました)
久津川車塚2017年8月10日(木)最高気温32度
【参加者】城陽市担当者、工藤さん、自分、園原(立命M1)、川北(京
大M1)、前田・山口・山崎(立命3)、上野(奈良大2)、
◆(1)後円部の基底まで到達しているので、その先、周濠底の石の検出。石を出し、石のないところは濠底面まで出す。(2)陸橋側面について、斜面上半分は礫を積んでいるベース面出しをやっていないので(礫の頭出し面)、石のない上半部について数㎝下げてベース面を出していく。(3)(2)をおよそ終了後、陸橋の現状裾部の外はまだ濠内堆積土を下げていないので、そこを下げ、礫面の続きを検出する。
◆(1)後円部の裾。列石部の基底石と考えている盤状大型石の
下にも列石状にあと2石ならんで きた。もしかすると、いま基底石と考えているラインより2石分外と考え、大型石を2段ないし3段にしていると考える方が妥当かもしれない。列石から南へ離れた位置でも、比較的大きい石が3つほどならぶ。ということで、全体がより大きくなるわけでなく、ずって石が途切れている箇所もあって、誰が見てもはっきりした並びが良好に残るというわけではない。本日、最終段階の周濠底の残石の写真を示しておく。石敷き帯があるとも積極的にはいえない状態である。大方は動いており堆積土中にあって取れるとふんでいるが、あるブロックがずっているという状況ならどうするのか、なかなか難し い問題である。
◆(2)陸橋斜面上半。全面、灰色ベース黄斑土が出てくる。これ地山
だな、と思う。上面はき れいな白色粘土で、斜面部はそうではないのだが、これは埋没状態による差だと思われる。したがって、この陸橋、下から盛土としたが、本体はやはり地山削り出しと訂正しておきます。スロープ状とみたが、それも調査区に対して斜めになっているからで、側面の反映とみた方がいいように思う。
◆(3)陸橋裾部。礫が累々と続きます。末端は傾斜はなくほぼ平坦か。いまのところ途切れないが、どこかで密度が変わるはずである。
◆明日、ほぼ掘り上がり、となろう。礫面がなければ今日終わっていたであろうが、大石より礫はチマチマした手間がかかる。礫を出し切って、周濠側から遊離して浮いている礫を取り除き、
見事、裾部を仕上げねばならない。これは墳端外石敷きの判断にもかかわってくるだろう。
【今日のひとこと】賑わいはないが落ち着きがある
◆(1)後円部の基底まで到達しているので、その先、周濠底の石の検出。石を出し、石のないところは濠底面まで出す。(2)陸橋側面について、斜面上半分は礫を積んでいるベース面出しをやっていないので(礫の頭出し面)、石のない上半部について数㎝下げてベース面を出していく。(3)(2)をおよそ終了後、陸橋の現状裾部の外はまだ濠内堆積土を下げていないので、そこを下げ、礫面の続きを検出する。
◆(1)後円部の裾。列石部の基底石と考えている盤状大型石の
◆(2)陸橋斜面上半。全面、灰色ベース黄斑土が出てくる。これ地山
◆(3)陸橋裾部。礫が累々と続きます。末端は傾斜はなくほぼ平坦か。いまのところ途切れないが、どこかで密度が変わるはずである。
◆明日、ほぼ掘り上がり、となろう。礫面がなければ今日終わっていたであろうが、大石より礫はチマチマした手間がかかる。礫を出し切って、周濠側から遊離して浮いている礫を取り除き、
【今日のひとこと】賑わいはないが落ち着きがある
久津川車塚2017年8月9日(水)最高気温36度
【参加者】城陽市担当者、工藤さん、自分、長友、道上(市
大
D3)、園原・吉村(立命M1)、川北(京大 M1)、合田・松井(市大3)、林田・前田・山口・山崎(立命3)、上野(奈良大2)
◆依然として台風の雨で地下水位が上がっており、水は抜けることなくジワジワ湧いてくる。その水を絞りつつ、葺石の目地出しを全面展開。+陸橋側面の検出作業に従事した。+葺石より上の後円部斜面の仕上げをだいたいやった(自分)。
◆葺石は、拡張区を含めた陸橋の上のところは、だいたい仕上がったので、全力で南半分の葺石にかかる。どろどろになりながら、前線部隊は泥土をほじり石を出していき、その上にも人を配置して、石の目地土ほじりを進める。天候もよく、次第に上から石も乾いていき、葺石らしい姿が下に広がっていく。本日最終ラインはほぼ基底石に到達し、昨日まで顔を出していたものも、より大きく姿を現している。途中、抜けているところがあり
、その下部は全体に下にズッ ている様相。基底石の上に同じくらい大きな石が重なるように乗っているところもある。
◆問題は基底石外の石敷きである。基底石の下にかませたようなものはありそうだが、そうした組み方で、幅のある石敷きとなっているようには思えない。濠底にもそこそこの密度で石があるが、ほとんどは基底部から遊離し、堆積土内に点在しているものと思う。基底石寄りのところで、一定の石敷きがあると判断されるかどうか、にかかっている。
◆陸橋側面の斜面部は、暗灰+サビ層を除くと灰色粘土となり、それで一旦止めてもらったが、そのなかに石が含まれる。陸橋上面の白色粘土の純粋さではないので、
なお削る必要があるか。ひとまず暗灰+サビ層を落としていくと、陸橋の堤側でも、斜面下半から礫が顔を出し、良好な 遺存状況となる。谷部については、後円部側の通常の葺石が谷線に沿ってラインがきれいに通るように並べられてはいないが、陸橋側面の礫との境界がおおむね通るように葺き分けられている。
◆礫が落下して陸橋側面下場のところにたまっているであろう。そういう状態のなかで、どの礫がはずせるのか、礫の基部にそれなりの基底石をならべることはしていないようなので、どのような仕上がりになっていたのか、どう創るのか・・・、難しいところである。全体を出し、浮いた石ははずし、並びがちゃんとしている礫たちがどのような姿を示すのか、慎重に見きわめていく
必要がある。
◆依然として台風の雨で地下水位が上がっており、水は抜けることなくジワジワ湧いてくる。その水を絞りつつ、葺石の目地出しを全面展開。+陸橋側面の検出作業に従事した。+葺石より上の後円部斜面の仕上げをだいたいやった(自分)。
◆葺石は、拡張区を含めた陸橋の上のところは、だいたい仕上がったので、全力で南半分の葺石にかかる。どろどろになりながら、前線部隊は泥土をほじり石を出していき、その上にも人を配置して、石の目地土ほじりを進める。天候もよく、次第に上から石も乾いていき、葺石らしい姿が下に広がっていく。本日最終ラインはほぼ基底石に到達し、昨日まで顔を出していたものも、より大きく姿を現している。途中、抜けているところがあり
◆問題は基底石外の石敷きである。基底石の下にかませたようなものはありそうだが、そうした組み方で、幅のある石敷きとなっているようには思えない。濠底にもそこそこの密度で石があるが、ほとんどは基底部から遊離し、堆積土内に点在しているものと思う。基底石寄りのところで、一定の石敷きがあると判断されるかどうか、にかかっている。
◆陸橋側面の斜面部は、暗灰+サビ層を除くと灰色粘土となり、それで一旦止めてもらったが、そのなかに石が含まれる。陸橋上面の白色粘土の純粋さではないので、
◆礫が落下して陸橋側面下場のところにたまっているであろう。そういう状態のなかで、どの礫がはずせるのか、礫の基部にそれなりの基底石をならべることはしていないようなので、どのような仕上がりになっていたのか、どう創るのか・・・、難しいところである。全体を出し、浮いた石ははずし、並びがちゃんとしている礫たちがどのような姿を示すのか、慎重に見きわめていく
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。