人を幸せにする人になろう

笠置峠古墳

◆宇和町の役場に行き、担当の方の案内で笠置峠古墳に上る。ころっとした盆地で、ちょうど田植 えをやっていました。
◆軽トラなら上まで上がれる。宇和町 というのが沿岸の内側の南北の盆地で、とか車の中でいろいろ聞いていたが、グーグルアースは偉大ですね。やっぱり鳥瞰するのがいちばん。盆地の西ヘリの山の頂部かと思っていたが、そうではなく西北で、八幡浜からの谷沿いの街道が通っている、その峠なわけだ。
◆四国88か所めぐりで、九州の人は八幡浜に上陸し、この峠を越えて宇和町に入ってくるのだとか。鳥瞰画像に古墳ポイントを落としておきました。これが50mくらいだったか。40歩といったような記憶もある。史跡整備され、葺石が葺かれています。竪穴式石槨は覆い屋がかけられ、内部をのぞけるようになっている。けっこう石室とはいえ土の部分が多く、割石をがっちり組み上げているようなものではない。遺物は?、なんだったか。鏡片?、鉄器少々、そして墳丘から出土した土器から、説明看板では古墳初頭くらいの時期にしていたと思う。どうなんでしょうね。 

愛媛県立歴史博物館

◆西予の宇和町にある県立博物館。立派です。学芸員の方にたいへんお世話になりました。相の谷 の資料の再整理をやった館報?紀要?をいただきました。ちゃんとお礼状を出さないといけません。展示は撮影禁止だったか、考古資料をざっと見て、主要な資料が見れるが、なかなかこの年になると写真でも撮っておかないと頭には残りません。
◆中世も面白かったし、お城ですね、大洲城があり、宇和島城があり、そして松山城、いいお城がそろっています。それらの模型がならんでいました。こっそりかもしれませんが、何カットかの写真を撮っていました。そのなかのひとつ。

どっかの古墳

◆県の総合運動場のなかの古墳を見に行き、横穴式石室墳をいくつか見る。そのあと松山市内へ向か い、途中、昼飯を取り、ひとり降り、そこから西予に向かう。

人物博物館の木器展示

◆葉佐池から松山平野南部がよく眺められたが、ちょうど向かいの西側丘陵部にグラウンドがあり、その    あたりにある人物博物館に寄る。こういうのありがちであるが、まああってよいだろう。地域地域の人物を取り上げるもの。誰を選んでくるか、というところが見識だろう。とはいえ、こういうの、松山の中心部にあった方が、とも思う。そこは広域行政の県としては地域バランスなどがあるらしい。
◆で、ここで木器の企画展をやっていて、そこに連れて行ってもらいました。いや~なかなか見ごたえがありましたよ。そこで見たカゴメ。

6月8・9日の愛媛

◆前日、車で松山に向かうも、高速道路の夜間工事のための通行停止が20時で、ちょうど鳴門に入 り、締め切るというところで、バリケードが構築されていて、ぎりぎり入ればよかったのだがよう入らず、下に降り、時間をロスしたが、無事に松山入りする。
◆翌日は、ます来住廃寺に行き(だいぶ久しぶり)、すぐに葉佐池古墳。ため池の先端にある小山の上の古墳で、不思議な構築課程をたどる(もう忘れかけている)。松山市の方に対応いただく。下にガイダンス施設ができ(できて数年後?)、まだ真新しい。木棺が残存し、3体の埋葬が推測され、ハエの卵からモガリ場での遺骸への産卵が復元できるという。生前造墓の根拠を考えたが、もう忘れてしまった。もちろん横穴石室だし、追葬だし、直接、生前造墓の話につながるわけではないが、通常の死没から埋葬までの期間がそう長くないことの根拠になる、と思ったのだったか・・・。半年や1年越えは王など特別の場合なのである。
◆またこれだけの調査をやった以上、封をしてしまうのでなくできるだけ市民に見せる、という考え方も学んだ。そして未盗掘、木棺残存の古墳の調査ということで、某古墳のことを考えていた。
覆っている東京ドームと同じ幕とか、なんとか草という墳丘整備に使った植種の話などもする。

井辺1号墳

◆関大が掘っているんだ。石室もわかっている。いまどんな状態かもネットで確認できた。

苦労して探した西小山

◆西小山です。1981年に大阪府が発掘・・・。こんなにもきれいに墳丘や埴輪列を出しながら、岬町の    文化財として、ほとんど大事にされていない。なんのために掘ったんでしょうか。

大谷古墳

◆恥ずかしながら初めてです。しゃかのこしのあと、釜山に登り、茶臼山はわからず、大谷に向か う。楠見遺跡はちょうど真下くらいなんですね。
◆立派な史跡公園になっていて、看板なども真新しくなっていました。5世紀末か。岩橋直前はここ、ということやね。北岸も単純ではないですね。いくつもの勢力がいて、木本に大きな前方後円墳があって、鳴滝遺跡があり、初期須恵器があり、そのなかで5世紀末に大谷が登場してくると。そのへんの脈絡も、どう考えられているのでしょうか。それと、当時の地理復元からすると、紀ノ川が紀伊山地に迫り、大谷古墳から遠くない位置に流れ、奈良盆地へとつながる紀ノ川の河川流通を押さえる位置にある。

しゃかのこし

◆に、初めて行きました。削平されてへべちゃくなった墳丘ということは、だいたい知っていたよ うに思うが、立派な公園に整備されている。
◆それから南側の造り出しの、くびれ部側でなく、前方部側縁の取りつき側が検出されている。で写真は風土記の丘の図録ですが、ここのカコイ。板の縦線がちゃんとあります!。それだけでなく、柵の板をつなぎあわせる横方向のものが2帯あり、横トゲ状のものも付いてますね。

和歌山市博

◆立派な博物館だということがわかる(いつも駆け足ですが)。が・・・。日本遺産に和歌浦が選定されたらしいですね。ロビー のところに写真の図が掲示してあった。部分、部分しか知らなかったので、こうした地図にまとめてくれていて、とても勉強になりました。今度、ゆっくり歩きます。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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