人を幸せにする人になろう

2024年3月27日 慶州8

◆慶州観光としては仏国寺と石窟庵もあるが、そこは時間次第と思っていた。無理に行くことはなく、市街地で十分見て回るところがあるので。仏国寺や石窟庵から戻る最終バスとかも調べてくれていたが、行かないことにする。で、皇龍寺だけは行こうと提案。おそるべき9重塔がここには立っていた。新羅の威信をかけた巨大寺院である(真興王14年(553)に造立が始まり、善徳王13年(644)に完成した。高麗朝にも隆盛を維持したが、1238年に蒙古軍の兵火によって焼失)。
◆遺跡地の一画に、ごっつい皇龍寺歴史文化館ができあがっていました。このシアター映像はなかなかのもんですよ。なんていうのですか、ステレオ動画で、眼鏡を借りて見る。モンゴル軍が侵攻して焼け落ちたのが1200年代のこと。遺跡は再整備公開の準備をしているのか、入れないようになっているよう。この文化館の2階から基壇を眺めた。
◆今日はここまで。朝からけっこう歩きました。バスに乗って市場に行き、屋台で楽しく各自欲しいものを頼んで食べる。コインロッカーに戻り荷物を出し、バスに乗ってホテルへ。

2024年3月27日 慶州7

◆国立慶州博物館。これまた様変わり。本館、別館(仏教関係)、収蔵庫展示、月池館(アナプチ関係遺物)と、展示館が拡充している。収蔵庫展示もなかなか立派で、保存処理やいろんな素材の製作技術などの映像が散りばめられている。
◆皇南大塚の資料は、中央博での展示物としているものもあるようだが(前は基本的に中央博で見た記憶がある)、基本的には慶州に置いているよう。ある展示室の一画に、土器や鉄や、まあびっくりするくらいの物量の副葬品が迫力があった。允恭と同時代を生きたトツギ王墓はなかなかすごいわ。

2024年3月27日 慶州5

◆天文台前での写真。大観光地化にむけての事業をどんどんやっている雰囲気。韓屋の飲食店やお土産物屋などの一画を新たに作り上げていたりする。
◆そのあとは月城。前面の堀が復元され、建物跡の遺構表示がなされ、20年前とはさまがわりです。月城を抜けて、次はアナプチ。

2024年3月27日 慶州4

◆大陵苑を出て、発掘館のようなドームが新たにできあがっていて、そっちに向かう。が、少し前から閉じているようだ。食事を取ることにする。交差点をわたったところにお菓子屋さんがあり、回転焼の小さい感じのものを6つ購入する。で、その横の店で昼飯。けっこうしっかりと食事をする。

2024年3月27日 慶州3

◆皇南大塚とか天馬塚展示館などがある大陵苑の地区。天気よく、人だかり。古墳群でこれほど観光客があふれるものは、ほかにあるだろうか。同じ世界遺産の古市・百舌鳥を考えていた。
◆天馬塚の展示館。これ皇南大塚の前哨戦として掘ってるんですね。1970年代前半。積石木槨は石積みが厚く、盗掘は困難。結果、すべて未盗掘。天馬塚の副槨のぎゅうぎゅう詰めに副葬品を入れ込んだ復元を見ると、なかなかすごいわ。それと木の皮のアオリ、竹を編んだアオリ。ただし、積み石木槨の説明は、ちょっと古いところもあるのだろう。

2024年3月27日 慶州2

◆金冠塚のドームに入る。これは再発掘成果にもとづき、確認した組み上げられた柱の様子を再現し、積石の実物、それを覆う盛土などを、ドームで覆って、最先端の展示が行われている。構築プロセスを映像でふんだんに再現しつつ実物遺構を示した、積石木槨の最先端の展示である。
◆けっこう長くこの中にいました。それだけ学ぶことが多い。積石木槨墓なるものは、こんな風に作り上げるのだ。
◆その横に古墳情報館というのができている。イメージ映像中心だが、おばさんが「荷物を預けて行け」と、コインロッカーの場所を教えてくれた。そこに荷物を詰め込み、大陵苑に入っていく。

2024年3月27日 慶州1

◆釜山駅発KTX8:05発。16号車の3Aと3B席。改札がないのにも驚く。慶州までは30分程度と近いが、まあトンネルが多い。天気よく、慶州の盆地を含めて霧。ところで、タワマンばっかりです。20年前も建設ラッシュでしたが、その後、建て続けているんでしょう。わたしの感覚では、20年まえくらいのはガラス窓が青く、いまは透明になっているのではないかと思う。新慶州駅は、片田舎だったが、少し行ったところにニョキニョキのタワマンが林立するインダストリアができあがっていたりする。洛東江から釜山市側を見ると、タワマンが右から左まで林立している。これだけ集合住宅化が進むと、きっと昔ながらの戸建ての家屋はさぞ空き家が多いのだろうと予想する。
◆慶州駅(かつての旧駅でなく郊外の新駅)。駅を出て、バス乗り場に行く。移築した横穴式石室?あり。50番のバスに乗り、古墳群近くのバス停で降りる。路西里古墳群の北端から入っていく。有名どころの古墳がならぶ。

2024年3月26日 福泉洞古墳群

◆福泉洞の博物館は特徴的な建物で、記憶が明瞭。最初に来たときは、若くして亡くなられた館長さんとお会いし、一緒に写真を撮っていただいた記憶がある。ここは観覧は18時まで。
◆そのあと遺跡を縦断して下りていく。昼ご飯は食べていないので、駅に近いあたりに飲食店がたくさんあったので、帰りに店に入ることにする。
◆洛東江を越えて釜山からはスマホでの撮影となったが、その日の夜、画像を移す時にヘマをやり、画像を失った。挙げているのは、サムネイル画像なのかな。なんとか生き残ったものを挙げておきます。
◆上は福泉洞博。したは飲食店。いまは画像で取り込み翻訳することでメニューが確かめられるのですね。奥の座敷に入り、最初はビール、次は焼酎を飲みながら、楽しく食事をしました。
◆釜山駅に行きホテルに入る。

洛東江

◆金海博のあと、釜山の福泉洞古墳群に向かう。軽鉄道の大渚駅で釜山地下鉄3号線に乗り換える。洛東江を渡る。渡ると亀浦駅。この駅には20年前に降り立った記憶がある。なんか遺跡を見に行った記憶があるが、忘却の彼方である。3号線から美南で4号線に乗り換え、トンネのひとつ先の寿安で降り、福泉洞古墳群に歩いていく。まあ、坂道です。
◆カメラのバッテリーが、フル充電で1日持たないのはどういうことなんだろう。福泉洞はスマホで。

国立金海博物館

◆大成洞古墳群の博物館のあと、川沿いに北上すると国立博物館。リニューアルオープンしたばかりのようです。手前には子供博物館ができあがっている。国立博物館を充実させるだけでなく、子供博物館を併設している。また基本は入館無料。今回、博物館なるもので入館料が必要だったのは、ほとんどなかった。遺跡展示館などでは3000ウォン程度が標準。
◆展示は、資料の充実をもとに、展示手法など含めて一新され、盛り沢山。福泉洞に17時前に入る必要があり、1530までという限られた時間で見るにはボリュームがありすぎ。少なくとも半日は見るべし。少しもったいないが、いたしかたなし。直前に福泉洞に行くには時間がない、金海で見るところを加えることはできないかと相談があったが、いや福泉洞は見るべし、そういうプランにしてくれと注文した。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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