人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
堺市長選挙
◆堺市長選挙で橋下の応援で元府幹部が市長になった(あの人は前、教育長もやってた?なんか名前は記憶があるもので)。わたしは、そうはいっても現職が勝つと漠然と思っていたが、そうはならなかった。
◆問題提起すること、問いかけることは悪いことでない。判断するのは堺市民だ。だが、どうなんだろうか。なんかズルイ。その後の報道で、新しい路面電車について、必ずしも地元は賛成でないという実態が報道されていた。権力はかならず腐敗するから交代していくことは必要だし、必然だが。
◆しかし政令市になった堺市をこれからどうしていくかというビジョンが争点になるのでなく、多選の相乗り現職と人気知事の影響力という表面的な争点だけが判断材料となったのではないか。手法が気になるし、そもそも、府幹部の市長選立候補というのも気になるし(枚方もそうだ)、選挙の応援といったことの是非が気になる。都道府県知事が市町村の首長選挙に関与していいものだろうか。都道府県知事選挙への国会議員の関与も同様だ。公正でなければいかんだろう。
◆問題提起すること、問いかけることは悪いことでない。判断するのは堺市民だ。だが、どうなんだろうか。なんかズルイ。その後の報道で、新しい路面電車について、必ずしも地元は賛成でないという実態が報道されていた。権力はかならず腐敗するから交代していくことは必要だし、必然だが。
◆しかし政令市になった堺市をこれからどうしていくかというビジョンが争点になるのでなく、多選の相乗り現職と人気知事の影響力という表面的な争点だけが判断材料となったのではないか。手法が気になるし、そもそも、府幹部の市長選立候補というのも気になるし(枚方もそうだ)、選挙の応援といったことの是非が気になる。都道府県知事が市町村の首長選挙に関与していいものだろうか。都道府県知事選挙への国会議員の関与も同様だ。公正でなければいかんだろう。
ピクチャーマネージャー
◆みなさんフォトショップを使うんでしょうね、デジカメ画像の処理をするのに。わたしはマイクロソフトのピクチャーマネージャーでいじっている。これカミさんに教えてもらった。パワポも。韓国に1箇月行った時、申先生に誘われていくつか学会に出たが、みんなパワポだった。で、タイで発表させられた時に、はじめてパワポを使うことになり、だいたいの使い方をカミさんに教えてもらい、その時にセットでピクチャーマネージャーを教えてもらった。この時はトリミングだけだったが。
◆いまは明るさ、コントラスト、カラーの鮮やかさなど、使う写真については調整している。むろん、メールを送ったりするため、容量を落とすときも。これら、フォトショップでやる人が多いんだろうが、慣れたモノからは容易に移れない(ようやく表計算ソフトはロータスをやめてエクセルになった!、くらいの人間だ)。まあでも、あんまり細かい細工は必要でないので、PMで十分だ。撮ってきた画像は多いが、いじるようになったのは、この1年くらいか。とくにコントラスト。カラー写真でも、カラー画像の調整機能を使うことはほとんどなく、明るさとコントラストをいじってやれば、だいたいのことができる。
◆いまは明るさ、コントラスト、カラーの鮮やかさなど、使う写真については調整している。むろん、メールを送ったりするため、容量を落とすときも。これら、フォトショップでやる人が多いんだろうが、慣れたモノからは容易に移れない(ようやく表計算ソフトはロータスをやめてエクセルになった!、くらいの人間だ)。まあでも、あんまり細かい細工は必要でないので、PMで十分だ。撮ってきた画像は多いが、いじるようになったのは、この1年くらいか。とくにコントラスト。カラー写真でも、カラー画像の調整機能を使うことはほとんどなく、明るさとコントラストをいじってやれば、だいたいのことができる。
長崎堂のカステーラ
◆で、今日。そうそう、久しぶりに長崎堂でと思っていってみると、店舗がない・・・。と思ったら、対角に移動していた。きれいな店先になっている。で思わず、イクシーで写真を撮った。
京博で三角縁神獣鏡を見る
◆玉手山1号墳の報告書の関係で、京都国立博物館に三角縁神獣鏡を見に行く。デジカメだけにした(イオスキッスでよい)。まあまあ、よい写真が撮れた。実は、下垣の資料紹介のための写真で、あいつは出版物の転載で済ませようとしているので、勝手に撮りに行った。都合がつけば来たらと言ったところ、別件の資料調査を加えて、立命の学生とやってきた。下垣はまったく写真がヘタクソである(本人も自覚している・・・)。オレは写真がうまいとは思わないがセンス以前に経験だ。
◆カメラを本格的に習ったのは高校。クラブの先輩が写真部員でもあり、絞りとシャッタースピード、被写界深度、フィルム感度、といった基本はその時に覚えた。オリンパスOM1とかOM2とかを持ってはった。修学旅行の時に借りた記憶がある。写真をいろいろ撮ったりする習慣は、この時からのもの(いまでもキャノンのイクシーを常に身につけている)。
◆大学の実習で遺物撮影をちゃんと習った記憶がない。焼き付けの実習は記憶がある(京大でもいまはない。教える側が写真の現像や焼き付けをすることがないのだから)。暗室作業が実習メニューに組み込まれていた最後の世代だ。
◆卒論の時、外の資料を見に行ったことはほとんどなかったが、椿井大塚山の鏡をわりと自由に菱田さんに見せてもらっていた。で、写真を撮っていた。それから資料カードを作るのに、出版物の複写をして、暗室にこもって焼き付けをした。いまならスキャナー、パソコンで画質を調整し、プリント、いや簡単なものだな。
◆むろん発掘調査に参加すると写真を撮っていた。学部時代の愛機はペンタックスMEスーパー(壊れたまま)
。大学以来のネガアルバムがいまもあるが、べた焼きを焼いてアルバムに整理してと、まったくめんどくさい。
◆遺物というか鏡の写真は、その後、権現山と雪野山の関連資料を見たりする段階で、確立していった。1面の鏡にどういうカットを撮るかということもだいたい決まっていった。メモ写真なのでネガカラー。報告書に載せるような正式写真を撮ることはずっとやっていない。
◆遺跡の写真は、考古学研究会で出した岩倉の報告書の時に、窯跡の写真を撮って回ったことが大きな経験になった。そうそう、この時、須恵器はいま大阪市文協の宮本君が撮ったが、おれは瓦の担当だったので、瓦の写真は撮ったわけだ。報告書の写真はこの時が最初。で、遺跡。京大にはリンホフがあって、実働ではマミヤになっていたが、誰も使っていないリンホフを借りて岩倉の遺跡を撮っていた。バイクに乗っての単独行。このリンホフ、高橋猪之介氏の使ったものか・・・。露出計も手動(いまでも市大はこれ)。ボタンを押さえて照度を測り、目盛りを読み取って絞りとシャッタースピードを決める。リンホフのアオリは機能を知らず使っていないが、ともかく中盤のフィルムを装填し、巻き取り、現像に出し、焼き付けを発注し、報告書の図版をレイアウトしていった。
◆博士課程1年目、兵庫県史の考古資料編作成の嘱託になった。委員は、武藤誠先生と西谷真治先生。遺跡解説とは別に資料集成をやることになった。瓦や環頭大刀も撮ったのだが実現しなかった。実現したのは、銅鐸と鏡。委員の先生は全部集めることをハナからあきらめていた。しかし「ぜんぶ集めなきゃ意味ないやろ」と提案し、とにかくやってみなさいと。で、県下の鏡を集めた。どこに何があるかを確認し、撮影行脚。この時の修行が大きかった。銅鐸は提供写真で組んだが、鏡はすべてオリジナル撮影をめざして、ほぼ実現した。県史にカメラはあった。ライトもあったが、いくつか附属道具を買ってもらい、すべて自分で撮影した。宗田先生(高校教諭で、3年間、県史に出向していた、わたしは3年事業の2年目の1年間、この仕事に従事した)と一緒だが、ほぼ県下くまなくまわった。いまから見ると、ライトを当てている側がハイライト過ぎたり、保存処理をしたものなど、トレペで光を柔らかくしておらずテカテカしていたりするが・・・。そういや奈文研の就職が決まり、年度末、なんとか撮った写真のレイアウトをして、3年目の印刷を後任に任せられるよう整えるのがたいへんだった。
◆いまでも、考古資料編の銅鐸、両面と1側面をぜんぶ集めたものとして、そして兵庫県下の鏡を全部集めたものとして、画期的なものだったと思う(櫃本さんには申し訳なかったが)。21世紀、近畿で府県下の鏡集成本がないのは大阪のみで、数年前から写真集を出そうと企画し、ちょっとだけ資料を集めている。これも早くやらんと・・・。枚方・万年山のイイ写真を撮っているのに。
◆奈文研では写真はプロが撮り、担当者は日誌用の35ミリのみ。発掘現場の遺構の正式写真を自分で撮ることはない。でも何もしないわけではない。どういう写真が撮りたいのか、佃さんや牛島さんに依頼する。それがしくみだが、現場担当者も初めて、自分で撮ったこともない者に、どういう写真を撮らないといけないか、注文できるはずもない。だいたい、牛島さん任せだった。でも、報告書の遺物写真の立ち会いなど、隣でモノの出し入れをしながら見ているだけだが、勉強にはなった。
◆楠本真紀子さんの遺物写真も勉強になった。小野市史をやった時、遺物写真は真紀ちゃんに頼んで、4×5で撮った。東博にも来てもらった。いい集合写真を撮りたいという意欲は、真紀ちゃんの美しい写真を見て刺激された。机に置いた遺物のナナメ写真など、料理の写真もそうであるように逆光で撮る、ということも牛島さんに教えてもらった。影が手前にできるように撮る。立体感がある。
◆だがしかし、やっぱり大学に出て、自分が担当で古墳を掘って、その遺構写真を撮るのは、やっぱりそれまでにない経験だった。そもそもカメラの使い方に最初はなれず、7号墳の1年目の写真は、空送りが多いし、露光のおかしいものが多い。まあ、でも、埋め戻したあと、写真が上がってきて撮れていなかったという
悲劇は幸いなかった。まあ、そのあとの発掘のフィルムを見れば、だんだんミスがなくなっていくのがはっきりわかる。
◆遺物、これは難しい。玉手山7号墳の埴輪はフィルムで撮って焼き付けて入稿したが、あまり褒められたモノではない。今度の1号墳では、是非、いい写真を撮ってやろう。
◆元にもどって、大学で教えられたことはなく我流だが、いまは遺物もだいたいのことはできるという自信みたいなものはある。今回も俯瞰とナナメ写真を撮ったが、ともにうまく撮れている。また、パソコンで画像処理ができ補正もできる。京博の鏡も、原案は俯瞰写真1枚だけだったが、ナナメ写真も組み合わせることにし、帰ってきてから、イラストレーターで合体させ、かつ付けバックではないが、白を透過させ手前の影を薄くする細工もした(違法だが写真を載せる)。世の中、便利になったものだ。というわけで、下垣さんも修行を積むことだ。
◆カメラを本格的に習ったのは高校。クラブの先輩が写真部員でもあり、絞りとシャッタースピード、被写界深度、フィルム感度、といった基本はその時に覚えた。オリンパスOM1とかOM2とかを持ってはった。修学旅行の時に借りた記憶がある。写真をいろいろ撮ったりする習慣は、この時からのもの(いまでもキャノンのイクシーを常に身につけている)。
◆大学の実習で遺物撮影をちゃんと習った記憶がない。焼き付けの実習は記憶がある(京大でもいまはない。教える側が写真の現像や焼き付けをすることがないのだから)。暗室作業が実習メニューに組み込まれていた最後の世代だ。
◆卒論の時、外の資料を見に行ったことはほとんどなかったが、椿井大塚山の鏡をわりと自由に菱田さんに見せてもらっていた。で、写真を撮っていた。それから資料カードを作るのに、出版物の複写をして、暗室にこもって焼き付けをした。いまならスキャナー、パソコンで画質を調整し、プリント、いや簡単なものだな。
◆むろん発掘調査に参加すると写真を撮っていた。学部時代の愛機はペンタックスMEスーパー(壊れたまま)
。大学以来のネガアルバムがいまもあるが、べた焼きを焼いてアルバムに整理してと、まったくめんどくさい。
◆遺物というか鏡の写真は、その後、権現山と雪野山の関連資料を見たりする段階で、確立していった。1面の鏡にどういうカットを撮るかということもだいたい決まっていった。メモ写真なのでネガカラー。報告書に載せるような正式写真を撮ることはずっとやっていない。
◆遺跡の写真は、考古学研究会で出した岩倉の報告書の時に、窯跡の写真を撮って回ったことが大きな経験になった。そうそう、この時、須恵器はいま大阪市文協の宮本君が撮ったが、おれは瓦の担当だったので、瓦の写真は撮ったわけだ。報告書の写真はこの時が最初。で、遺跡。京大にはリンホフがあって、実働ではマミヤになっていたが、誰も使っていないリンホフを借りて岩倉の遺跡を撮っていた。バイクに乗っての単独行。このリンホフ、高橋猪之介氏の使ったものか・・・。露出計も手動(いまでも市大はこれ)。ボタンを押さえて照度を測り、目盛りを読み取って絞りとシャッタースピードを決める。リンホフのアオリは機能を知らず使っていないが、ともかく中盤のフィルムを装填し、巻き取り、現像に出し、焼き付けを発注し、報告書の図版をレイアウトしていった。
◆博士課程1年目、兵庫県史の考古資料編作成の嘱託になった。委員は、武藤誠先生と西谷真治先生。遺跡解説とは別に資料集成をやることになった。瓦や環頭大刀も撮ったのだが実現しなかった。実現したのは、銅鐸と鏡。委員の先生は全部集めることをハナからあきらめていた。しかし「ぜんぶ集めなきゃ意味ないやろ」と提案し、とにかくやってみなさいと。で、県下の鏡を集めた。どこに何があるかを確認し、撮影行脚。この時の修行が大きかった。銅鐸は提供写真で組んだが、鏡はすべてオリジナル撮影をめざして、ほぼ実現した。県史にカメラはあった。ライトもあったが、いくつか附属道具を買ってもらい、すべて自分で撮影した。宗田先生(高校教諭で、3年間、県史に出向していた、わたしは3年事業の2年目の1年間、この仕事に従事した)と一緒だが、ほぼ県下くまなくまわった。いまから見ると、ライトを当てている側がハイライト過ぎたり、保存処理をしたものなど、トレペで光を柔らかくしておらずテカテカしていたりするが・・・。そういや奈文研の就職が決まり、年度末、なんとか撮った写真のレイアウトをして、3年目の印刷を後任に任せられるよう整えるのがたいへんだった。
◆いまでも、考古資料編の銅鐸、両面と1側面をぜんぶ集めたものとして、そして兵庫県下の鏡を全部集めたものとして、画期的なものだったと思う(櫃本さんには申し訳なかったが)。21世紀、近畿で府県下の鏡集成本がないのは大阪のみで、数年前から写真集を出そうと企画し、ちょっとだけ資料を集めている。これも早くやらんと・・・。枚方・万年山のイイ写真を撮っているのに。
◆奈文研では写真はプロが撮り、担当者は日誌用の35ミリのみ。発掘現場の遺構の正式写真を自分で撮ることはない。でも何もしないわけではない。どういう写真が撮りたいのか、佃さんや牛島さんに依頼する。それがしくみだが、現場担当者も初めて、自分で撮ったこともない者に、どういう写真を撮らないといけないか、注文できるはずもない。だいたい、牛島さん任せだった。でも、報告書の遺物写真の立ち会いなど、隣でモノの出し入れをしながら見ているだけだが、勉強にはなった。
◆楠本真紀子さんの遺物写真も勉強になった。小野市史をやった時、遺物写真は真紀ちゃんに頼んで、4×5で撮った。東博にも来てもらった。いい集合写真を撮りたいという意欲は、真紀ちゃんの美しい写真を見て刺激された。机に置いた遺物のナナメ写真など、料理の写真もそうであるように逆光で撮る、ということも牛島さんに教えてもらった。影が手前にできるように撮る。立体感がある。
◆だがしかし、やっぱり大学に出て、自分が担当で古墳を掘って、その遺構写真を撮るのは、やっぱりそれまでにない経験だった。そもそもカメラの使い方に最初はなれず、7号墳の1年目の写真は、空送りが多いし、露光のおかしいものが多い。まあ、でも、埋め戻したあと、写真が上がってきて撮れていなかったという
◆遺物、これは難しい。玉手山7号墳の埴輪はフィルムで撮って焼き付けて入稿したが、あまり褒められたモノではない。今度の1号墳では、是非、いい写真を撮ってやろう。
◆元にもどって、大学で教えられたことはなく我流だが、いまは遺物もだいたいのことはできるという自信みたいなものはある。今回も俯瞰とナナメ写真を撮ったが、ともにうまく撮れている。また、パソコンで画像処理ができ補正もできる。京博の鏡も、原案は俯瞰写真1枚だけだったが、ナナメ写真も組み合わせることにし、帰ってきてから、イラストレーターで合体させ、かつ付けバックではないが、白を透過させ手前の影を薄くする細工もした(違法だが写真を載せる)。世の中、便利になったものだ。というわけで、下垣さんも修行を積むことだ。
やっぱり壇れい
◆金麦のコマーシャルがあいかわらず絶好調である。小雪のウィスキーとともに、おっさんには刺激的である。そういえば、落ち続けてきたウィスキーの売り上げが上向きに転じたと、先日、報道されていた。長沢まさみや、蒼井優や、宮崎あおいには、まったくそそられないが・・・。同じビール(いや発泡酒か)で言えば、内田恭子はまったく作り笑いのぶりっこで、壇れいの足元にもおよばない。缶ビールとグラス2個を後ろに隠しているのを見せる、あれが今年度、最高のコマーシャルと、おっさんは断言する。
空港
◆日航の再建のため、地方路線が廃止され、空港はあるが、廃港になるところもでるという。ダムもしかりだが、空港も無駄の極地。狭い日本に100に近い空港があるらしい。静岡も出来たし、こんど茨城にもできるという。そんなもん、いるか?。鉄道という、日本には張り巡らされた優れた公共交通機関がある。これをもっと大切にすべきです。飛行機で行った方がいいところはあって、そこは採算が取れている。
◆廃墟にするのだな。跡地利用でさらに金を投じることもない。都道府県のエゴで作った空港は、税金を投じ続けることに対して、しっかり県民の声を聞くべきだろう。
◆関西は、伊丹・関空・神戸とアホみたいに空港がある。以前に橋下が伊丹の廃止を訴えた。必要性・利便性が高いのはわかっているが、わたしもその意見に賛成した。伊丹を廃止するはずだったんじゃないのですか。関空を作る前提が変わってしまっている。
◆廃墟にするのだな。跡地利用でさらに金を投じることもない。都道府県のエゴで作った空港は、税金を投じ続けることに対して、しっかり県民の声を聞くべきだろう。
◆関西は、伊丹・関空・神戸とアホみたいに空港がある。以前に橋下が伊丹の廃止を訴えた。必要性・利便性が高いのはわかっているが、わたしもその意見に賛成した。伊丹を廃止するはずだったんじゃないのですか。関空を作る前提が変わってしまっている。
ヤンバダムと川辺川ダム
◆前原誠司はヤンバダムをどうするのかね。見モノだ。ヤンバダムは思い出深い。文化庁にいる時、おそらく情勢的には、ようやっと地元合意に達し、着工しようという時期だったんだろう。
◆関東ブロックの埋文の会議が、上野の東京文化会館で定期的に開催されていて、文化庁初年兵は出席させられる。これがけっこうキツイ。むこうは、都県のベテランたち、彼らが、当時の文化庁通知を受けてのいろんな課題について議論しており、出席しているわたしにも質問が飛ぶし、非難されることもある。こういう埋文の会議、近畿で定期的に行われることはまずない。関東は真摯に組織的に動こうとする雰囲気はあった。
◆で、ヤンバダム、群馬県だ。で対象面積も広く、埋文調査も膨大だったのだろう。群馬は高速道路もかかえ、とてもヤンバダムで人を増やせない。このダムは、埼玉や東京の利水も担い、工事費用の応分の負担をしており、埋文調査も、群馬の事業団単独でなく、合同でやれないか、埼玉や東京から人を出せないか、そういう働きかけを文化庁やってくれ、そういった話だったように思う。
◆同じ時期、例の埋文統計の担当もしており、試掘確認調査を区分するというったことも導入し、けっこう、あのときは非難されたものだ(調査項目をいきなり細かく増やしたので)。で、熊本県の試掘・確認調査の費用がベラボウで、数字の間違いかと思い、個票で確認すると、それが例の五木の子守歌の川辺川ダム工事にともなうものだった。
◆さてヤンバ、住民も反対から生活保障を条件としてようやく合意に達したあの時期、1990年代後半に撤回していたなら、土建業者はともかく歓迎されたであろうに。あれから10年。
◆この問題はどう解決するのかな。いまはコンクリートで固めた護岸も、自然に戻すために取り壊す時代ではあるが・・・。最終的には金と自然・郷土(変形しているが)のどっちをとるか、ということか。進むにしろ止めるにしろ金はかかる。それも当面はできるだけ支出を抑えるべき。だが止めて再保障するにしても金がかかる。しかし、不必要なダムを作らず、長期的には元の景観にもどしていく、どっちの価値が高いと考えるか、かな。
◆関東ブロックの埋文の会議が、上野の東京文化会館で定期的に開催されていて、文化庁初年兵は出席させられる。これがけっこうキツイ。むこうは、都県のベテランたち、彼らが、当時の文化庁通知を受けてのいろんな課題について議論しており、出席しているわたしにも質問が飛ぶし、非難されることもある。こういう埋文の会議、近畿で定期的に行われることはまずない。関東は真摯に組織的に動こうとする雰囲気はあった。
◆で、ヤンバダム、群馬県だ。で対象面積も広く、埋文調査も膨大だったのだろう。群馬は高速道路もかかえ、とてもヤンバダムで人を増やせない。このダムは、埼玉や東京の利水も担い、工事費用の応分の負担をしており、埋文調査も、群馬の事業団単独でなく、合同でやれないか、埼玉や東京から人を出せないか、そういう働きかけを文化庁やってくれ、そういった話だったように思う。
◆同じ時期、例の埋文統計の担当もしており、試掘確認調査を区分するというったことも導入し、けっこう、あのときは非難されたものだ(調査項目をいきなり細かく増やしたので)。で、熊本県の試掘・確認調査の費用がベラボウで、数字の間違いかと思い、個票で確認すると、それが例の五木の子守歌の川辺川ダム工事にともなうものだった。
◆さてヤンバ、住民も反対から生活保障を条件としてようやく合意に達したあの時期、1990年代後半に撤回していたなら、土建業者はともかく歓迎されたであろうに。あれから10年。
◆この問題はどう解決するのかな。いまはコンクリートで固めた護岸も、自然に戻すために取り壊す時代ではあるが・・・。最終的には金と自然・郷土(変形しているが)のどっちをとるか、ということか。進むにしろ止めるにしろ金はかかる。それも当面はできるだけ支出を抑えるべき。だが止めて再保障するにしても金がかかる。しかし、不必要なダムを作らず、長期的には元の景観にもどしていく、どっちの価値が高いと考えるか、かな。
イエモン濃い目が薄い
◆どうでもいいことですが、イエモン濃い目をしょっちゅう飲んできた。あの渋さがよく、車を長時間運転するときは、とくにいつも2本ほど買い込んでいた。
◆だが、ここ最近、2本ほど飲んだが、なんだが濃い目でもなんでもなくなったように感じる。
◆だが、ここ最近、2本ほど飲んだが、なんだが濃い目でもなんでもなくなったように感じる。
文部科学省の幹部
◆この9月の連休中、文部科学省では補正予算の執行状況のヒアリングが休日を返上して行われたとの報道があった。結局、留保できる予算は10%という数字を官僚は出してきているという。
◆で、そのテレビ報道の映像を見ていると、大臣に説明している、机で対面している数名の中央に、かつて記念物課長だった山中さんが写っていた。わたしの文化庁勤務は4年間、課長は、山中、合田、惣脇の3人だった。課長補佐は、なんとかさん、なんとかさん(高松塚の会議で再会)、なんとかさん(レガシーに乗っていた)、里見さん(結婚してなんとかさんになった)、の4人だった。
◆山中さんは、平成8年通知、それから出土品の取扱いの時の課長で、大柄で、親分肌で、悪く言えばエラそうで、やっぱり出世している・・・。局長くらいになっているのだろうか。
◆で、そのテレビ報道の映像を見ていると、大臣に説明している、机で対面している数名の中央に、かつて記念物課長だった山中さんが写っていた。わたしの文化庁勤務は4年間、課長は、山中、合田、惣脇の3人だった。課長補佐は、なんとかさん、なんとかさん(高松塚の会議で再会)、なんとかさん(レガシーに乗っていた)、里見さん(結婚してなんとかさんになった)、の4人だった。
◆山中さんは、平成8年通知、それから出土品の取扱いの時の課長で、大柄で、親分肌で、悪く言えばエラそうで、やっぱり出世している・・・。局長くらいになっているのだろうか。
津堂城山古墳の現地説明会10/03
◆藤井寺市の上田さんから連絡をもらい、津堂城山を掘っているから見に来てと連絡が入り、9/17朝、見に行った。下段の葺石が天場まで残り、上面テラスに埴輪列、そして中段の基底石も出ている。
◆この調査は、陵墓参考地のフェンスが北側で倒壊しそうになっており、来年度、藤井寺市が崖面の手当をした上で、宮内庁がフェンスを直すらしいが、その前の事前調査として藤井寺市が発掘調査をしているもの。
◆津堂の発掘なんて、これまで見たことがないので、たいへん感激した。
◆この調査は、陵墓参考地のフェンスが北側で倒壊しそうになっており、来年度、藤井寺市が崖面の手当をした上で、宮内庁がフェンスを直すらしいが、その前の事前調査として藤井寺市が発掘調査をしているもの。
◆津堂の発掘なんて、これまで見たことがないので、たいへん感激した。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。