人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2022年9月2日(金)
◆この週はとにかくバタバタ。金曜日の930からの会議で、講演会企画の資料を出さないといけないが、動けていなかったので、直前にあれこれと。そして10:30からPJ研究会。ここでも科研申請の骨子を出さなければならず、数日間苦しむ。なんとか会議に出してもいいか、という資料ができたのが当日の朝だった。それにスケジュール管理が甘く、だだかぶりで、もうひとつ出席しなければならない会議が重なっていた。この会議では、2件ほど担当しているものがある。重なることが判明後、ドタバタと対応し、委員長に欠席をお願いし、会議に出て報告すべきことを伝える。
◆この3件をなんとかこなして、ほっと。
◆12:30の研究会終了後、現場に向かう。現場はやはりいいもんだ。が、判断を誤り、大きなミスをしていることが判明し、己の未熟さを痛感する。
◆帰り、18時前後の大阪はどしゃぶり。今日、カミサンがストックホルムの学会に出発するのですが、飛行機が遅く、19時くらいに家を出ると聞いていました。1830に帰るも、外は大雨で、関空まで車で送っていくことにする。関空のカウンターで、荷物預けで並んでいる中部大学のI先生と顔を合わせ、われわれは晩飯に(ターミナル1が改修工事で店がない・・・)。1人、21時過ぎに関空を出る。
◆この3件をなんとかこなして、ほっと。
◆12:30の研究会終了後、現場に向かう。現場はやはりいいもんだ。が、判断を誤り、大きなミスをしていることが判明し、己の未熟さを痛感する。
◆帰り、18時前後の大阪はどしゃぶり。今日、カミサンがストックホルムの学会に出発するのですが、飛行機が遅く、19時くらいに家を出ると聞いていました。1830に帰るも、外は大雨で、関空まで車で送っていくことにする。関空のカウンターで、荷物預けで並んでいる中部大学のI先生と顔を合わせ、われわれは晩飯に(ターミナル1が改修工事で店がない・・・)。1人、21時過ぎに関空を出る。
2022年8月28日、三田・伊丹
◆あんたは切り替えがヘタ、とはカミサンの弁。メリハリがない。休むときは休む!・・・(セカセカするな、とも)。配偶者は人生の セーフティネットですね。
◆伊丹のミュージアムへ行こうかという話を土曜日にしていた。じゃ尼崎も。が、当日の日曜日になり三田も、ということになる。遠くからと行くこととし、まず三田。途中、石橋で二子塚(稲荷山古墳)に。それから久しぶりに鉢塚。そこから池田を抜け(ところどころに町屋が残ってますね)、猪名川町、そして三田へ抜ける。どこへ行ったかは内緒です。
◆そこから中国道で宝塚、そして伊丹のミュージアム。前の市立博物館から、伊丹の町なかの文化ゾーンへと移転し、なかなか斬新でした(3月にオープンしたのだったか)。いまやっている企画展人気により、来館者がとても多かった。移築した石橋家住宅。それから旧岡田家住宅・酒蔵を見学。ここで解説の方にながながと説明いただく。楽しかった。少し町を散策(山中鹿之助の子孫が伊丹で清酒をはじめて作り、鴻池になるのだ。広瀬隆の本で、比較的最近知ったことだが、酒蔵での説明で再学習)。
◆ぎりぎり尼崎市歴史博物館に行けるかという時間帯だったが、断念。
◆伊丹のミュージアムへ行こうかという話を土曜日にしていた。じゃ尼崎も。が、当日の日曜日になり三田も、ということになる。遠くからと行くこととし、まず三田。途中、石橋で二子塚(稲荷山古墳)に。それから久しぶりに鉢塚。そこから池田を抜け(ところどころに町屋が残ってますね)、猪名川町、そして三田へ抜ける。どこへ行ったかは内緒です。
◆そこから中国道で宝塚、そして伊丹のミュージアム。前の市立博物館から、伊丹の町なかの文化ゾーンへと移転し、なかなか斬新でした(3月にオープンしたのだったか)。いまやっている企画展人気により、来館者がとても多かった。移築した石橋家住宅。それから旧岡田家住宅・酒蔵を見学。ここで解説の方にながながと説明いただく。楽しかった。少し町を散策(山中鹿之助の子孫が伊丹で清酒をはじめて作り、鴻池になるのだ。広瀬隆の本で、比較的最近知ったことだが、酒蔵での説明で再学習)。
◆ぎりぎり尼崎市歴史博物館に行けるかという時間帯だったが、断念。
低空飛行を続けておりました
◆しばらくでした。8月前半は、いろいろあって、空白・・・。いま、取り返し、追いつこうとしています。先延ばしになっていた懸案、ある程度片付いたとはいえ、かなり片付けたというにはまだ遠いが。が、一定程度は処理しております。
喜界島通信
◆7月に電話がかかってきて、しばらく話をしました。歴史民俗資料館で、さまざ まなことに取り組 み、展示をやり、パンフレットを作り、頑張っています。
◆月間海洋では、喜界島特集がなされているが、そこで島の土地条件や風土・農業・喜界馬のことなどを書いていました。隣の1枚ものは、町の広報に、喜界島の方言を地域ごとに紹介するシリーズものです。こういう絵が描ける、というのは、望まれる力のひとつですね。
◆さてしかし、彼女もまた会計年度任用職員・・・。議会でちゃんと学芸員を置けと議員さんが頑張ってくれたのだが、そうはならなかったとのこと。自分の進路を考え、8月から別のところに移っています。7月の電話はそれを報告してくれたものです。一方で、来年度採用の、また別のところの正職員をめざしています。いままでやれていなかった資料館での活発な活動、あるいはそれを伝えるためのさまざまなチラシやパンフレット作りなど、頑張っている者が報われない社会は、どこか間違っています。これ「やりがいの搾取」というものです。そういう仕事に関われているんだから我慢せよ、というのは最低ですね。
◆月間海洋では、喜界島特集がなされているが、そこで島の土地条件や風土・農業・喜界馬のことなどを書いていました。隣の1枚ものは、町の広報に、喜界島の方言を地域ごとに紹介するシリーズものです。こういう絵が描ける、というのは、望まれる力のひとつですね。
◆さてしかし、彼女もまた会計年度任用職員・・・。議会でちゃんと学芸員を置けと議員さんが頑張ってくれたのだが、そうはならなかったとのこと。自分の進路を考え、8月から別のところに移っています。7月の電話はそれを報告してくれたものです。一方で、来年度採用の、また別のところの正職員をめざしています。いままでやれていなかった資料館での活発な活動、あるいはそれを伝えるためのさまざまなチラシやパンフレット作りなど、頑張っている者が報われない社会は、どこか間違っています。これ「やりがいの搾取」というものです。そういう仕事に関われているんだから我慢せよ、というのは最低ですね。
統一教会
◆戦後の政教分離。これ、宗教法人が政治活動を行うことを否定しているわけではなく、その反 対。政治や行政が特定の宗教法人に便宜を図ることを禁じている。
◆今日の朝日新聞の記事はよくまとまっている。1面ぜんぶだけれど、大きいので、年表だけにしておく。統一教会は独自候補を立てるのでなく、自民党を支援して保護してもらうことを選んだという。統一教会が、近しい政治家に近づくことそのものはあっていいということになる。選挙運動にボランティアという形でかかわることも、あってよいのかもしれない。だが結局はウィンウィンの関係だからこそ、互いに利用することになる。当選した議員が、お世話になった宗教法人の活動に対し、便宜を図ったらアウトということになる。こうした関係は一般的な贈賄や収賄もそうだが、やはりそうなってしまうだろう。
◆で統一教会は、へんなモノを高い金で買わしたり、金を貢がせたり、大きな社会問題になっていた、と。宗教法人として適切ではないと解散を命じられてもおかしくないわけだ。そこを、個別案件の裁判で負けることはあっても、適当なところでな~な~で済ませる、そういう配慮が、自民党とくに主流安倍派により行われてきたのだろう。
◆信者2世の不幸についても、新聞でずっと特集されている。親が信仰するのは勝手だが、子を巻き込むな、ということだ。が、不幸にも小さい頃から教会に通わされ、信者になってしまい、そこから抜け出せない不幸である。こういう統一教会の宗教活動のあり方を、黙認してきたわけだ。恨みを買ってもいたしかたない、といえるだろう。
◆下村君が文科大臣の時に、悪評をごまかすために法人名の変更が認められたという。そこに前川君も登場し、90年代後半に、なにも活動が大きく変更するわけでもないのに名称変更は認められないと却下したのだそうだ。それが下村君時代に覆った。宗教法人の名称変更は文科大臣が決裁する案件ではないのだろうが、しかし世間をさわがしている特定の法人の案件であり、報告はしたが、大臣から指示があったのではないと、本人も文科省も否定している。が、はたしてそうか。これもモリカケ同様、いずれウソはばれるだろう。
◆今日の朝日新聞の記事はよくまとまっている。1面ぜんぶだけれど、大きいので、年表だけにしておく。統一教会は独自候補を立てるのでなく、自民党を支援して保護してもらうことを選んだという。統一教会が、近しい政治家に近づくことそのものはあっていいということになる。選挙運動にボランティアという形でかかわることも、あってよいのかもしれない。だが結局はウィンウィンの関係だからこそ、互いに利用することになる。当選した議員が、お世話になった宗教法人の活動に対し、便宜を図ったらアウトということになる。こうした関係は一般的な贈賄や収賄もそうだが、やはりそうなってしまうだろう。
◆で統一教会は、へんなモノを高い金で買わしたり、金を貢がせたり、大きな社会問題になっていた、と。宗教法人として適切ではないと解散を命じられてもおかしくないわけだ。そこを、個別案件の裁判で負けることはあっても、適当なところでな~な~で済ませる、そういう配慮が、自民党とくに主流安倍派により行われてきたのだろう。
◆信者2世の不幸についても、新聞でずっと特集されている。親が信仰するのは勝手だが、子を巻き込むな、ということだ。が、不幸にも小さい頃から教会に通わされ、信者になってしまい、そこから抜け出せない不幸である。こういう統一教会の宗教活動のあり方を、黙認してきたわけだ。恨みを買ってもいたしかたない、といえるだろう。
◆下村君が文科大臣の時に、悪評をごまかすために法人名の変更が認められたという。そこに前川君も登場し、90年代後半に、なにも活動が大きく変更するわけでもないのに名称変更は認められないと却下したのだそうだ。それが下村君時代に覆った。宗教法人の名称変更は文科大臣が決裁する案件ではないのだろうが、しかし世間をさわがしている特定の法人の案件であり、報告はしたが、大臣から指示があったのではないと、本人も文科省も否定している。が、はたしてそうか。これもモリカケ同様、いずれウソはばれるだろう。
ちょっとびっくりMさん
◆季刊邪馬台国を見ていると、Mさんの図に目が行く。左列の王墓のならびと、そこに記入されている被葬者。これ、既発表のものからなのだろうが、その 原典を読んでみたいもの。わたしの見解を採用してくれているのかな、と思うが・・・。
◆実は、わたしが王陵の被葬者などを発言するようになるきっかけが、このM氏だった。2003年に1ヵ月、韓国に在外研修に出してもらった時、4月からF大に行くことになったMさんが発表する韓国の学会に顔を出した。そこでMさんから2冊の冊子をいただく。それを見て、5世紀の馬具の研究、その年代の追求、そして、倭国王墓の被葬者にまで言及していた。なんというか、「やっていいんだ」といった感覚。学問は自由である。縦横にさまざまな資料を駆使して5世紀史に肉薄し、そのひとつのアウトプットとして、馬具から考えられる年代観をもとに被葬者に言及する、その姿勢に感銘を受けたわけです。
◆実は、わたしが王陵の被葬者などを発言するようになるきっかけが、このM氏だった。2003年に1ヵ月、韓国に在外研修に出してもらった時、4月からF大に行くことになったMさんが発表する韓国の学会に顔を出した。そこでMさんから2冊の冊子をいただく。それを見て、5世紀の馬具の研究、その年代の追求、そして、倭国王墓の被葬者にまで言及していた。なんというか、「やっていいんだ」といった感覚。学問は自由である。縦横にさまざまな資料を駆使して5世紀史に肉薄し、そのひとつのアウトプットとして、馬具から考えられる年代観をもとに被葬者に言及する、その姿勢に感銘を受けたわけです。
8月345
◆カミサンが幹事をやっている「構造強度に関する講演会」という学会の手伝いに、奈 良にいました。会場がまず東大寺ミュージアムで、1年前にS先生にお願いして会場の空きを確認いただき、予約していただきました。それから、特別講演では、全国をめぐるこの学会、ご当地ならでは方に登壇いただくことになっており、これも頼まれて奈文研所長にお願いに上がり、受けていただきました。
◆2日の火曜日に現地に入り、現場設営をやりました。学会期間中、ホテルでヒストリアの大会報告の原稿をとにかく書き上げようと決意していましたが、3日は体調が悪く、丸1日休みました。4日は気を取り直して原稿を書き始める。午後、所長の講演があるので会場でスタンバイ。話も聞かせていただきました。
◆この間、鶯塚の島状遺構を見に行きたかったのですが、体調悪く行きませんでした。グーグルアースの画像で、右側の前方部前面部に通路があって画像では形がはっきりしませんが見せてもらったドローンによるオルソー画像では長方形の造り出しがつく。梅原先生が、滑石製品を採集したことを記入した資料カードを、昔コピーした記憶がおぼろにあるのだが。また博物館の授業の関係で、奈良博の仏像の展示も見に行きたいと考えていましたが、これもやりませんでした。
◆最終日は職場に行き、仕事をしてから、学界の後片付けの手伝いに16時に会場に行く。終了後、東大の先生とか、宇宙研の先生たちとの打ち上げにつきあいました(わたしだけノンアル)。
◆2日の火曜日に現地に入り、現場設営をやりました。学会期間中、ホテルでヒストリアの大会報告の原稿をとにかく書き上げようと決意していましたが、3日は体調が悪く、丸1日休みました。4日は気を取り直して原稿を書き始める。午後、所長の講演があるので会場でスタンバイ。話も聞かせていただきました。
◆この間、鶯塚の島状遺構を見に行きたかったのですが、体調悪く行きませんでした。グーグルアースの画像で、右側の前方部前面部に通路があって画像では形がはっきりしませんが見せてもらったドローンによるオルソー画像では長方形の造り出しがつく。梅原先生が、滑石製品を採集したことを記入した資料カードを、昔コピーした記憶がおぼろにあるのだが。また博物館の授業の関係で、奈良博の仏像の展示も見に行きたいと考えていましたが、これもやりませんでした。
◆最終日は職場に行き、仕事をしてから、学界の後片付けの手伝いに16時に会場に行く。終了後、東大の先生とか、宇宙研の先生たちとの打ち上げにつきあいました(わたしだけノンアル)。
桜井茶臼山の赤色立体
◆空中レーザー測量をやったという新聞報道があったらし い。K大 Sさんから電 話がか かってきて知 る。でも赤色立体を見ると、データの乏しいところも見受けられます。前に地上レーザーをやっている、そのデータがいいのではとも思うが。奈良県の報告書に四方からの立面図と既に公表されている。が、レーザー測量でも早い時期のものなので、灰色の平面画像はぼんやりしているが、それは画像処理のことで、元データから最新の処理をすれば、どうなんだろうと思った。
◆うちの測量図は、わたしのインクトレース。その後、デジタルトレースはいちおうできている(図)。が、これトレース図のイラレなぞりなので、改めて原図を貼り合わせて仕上げてみたい。原図は、一部緩斜面だけ25㎝の等高線を入れているが、基本50㎝。これを問題ない範囲で、地上レーザーによる等高線図を参考に、25㎝で仕上げられないかと思っています。ちょっと前に少し作業をしたが・・・。
◆うちの測量図は、わたしのインクトレース。その後、デジタルトレースはいちおうできている(図)。が、これトレース図のイラレなぞりなので、改めて原図を貼り合わせて仕上げてみたい。原図は、一部緩斜面だけ25㎝の等高線を入れているが、基本50㎝。これを問題ない範囲で、地上レーザーによる等高線図を参考に、25㎝で仕上げられないかと思っています。ちょっと前に少し作業をしたが・・・。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(01/16)
(01/13)
(01/11)
(01/05)
(12/27)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。