人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
五代友厚年譜(途中)
◆まだまだですが
1835(天保6) 12月 (26日)薩摩藩士・五代秀堯の次男として誕生
1839(天保10)3歳 9月 兄の友健(徳夫)が「新訂万国全図」を複写
1846(弘化3)10歳 藩校・造士館に通う
1851(嘉衛4)15歳 2月 お由羅騒動を経て島津斉彬が薩摩藩主となる(~1858)
1854(安政元)18歳 藩に出仕し郡方書役となる
3月 日米和親条約 下田開港
1857(安政4)21歳 2月 幕府海軍の長崎海軍伝習所(1855~1859)の伝習生となる
(勝海舟らと出会う)
1858(安政5)22歳 4月 井伊直弼が大老就任 6月 日米修好通商条約調印
10月 藩主島津斉彬の死去(7月)により帰藩
12月 紀州藩主の徳川慶福が将軍となる(家茂)
1859(安政6)23歳 5月 再び長崎へ遊学
6月 横浜・長崎・函館開港 8月英・グラバー長崎赴任(1961グラバー商会)
1860(安政7)24歳 3月 桜田門外の変
1861(文久元)25歳 10月 藩主島津忠義の父・久光が国父として実権を掌握し人事一新
1862(文久2)26歳 1月 長崎で御船奉行副役となる
3月 島津久光が率兵上京/5月勅使と江戸へ/7月文久の改革/8月生麦事件
4月 幕府船千歳丸に水夫として乗船し上海に2ヶ月滞在
(高杉晋作と出会う) ジャウジキリー号購入
1863(文久3年)27歳 3月 将軍家茂上洛(3ヶ月のち海路江戸へ戻る)
5月 長州藩が下関海峡を封鎖し外国船砲撃
6月 長崎から森孝之と薩摩に戻る
7月 薩英戦争で薩摩藩の蒸気船3隻が拿捕され、松木弘安(寺島宗則)
と捕虜になり横浜へ(その後釈放)
8月 八月十八日の政変(攘夷派の長州藩兵と公卿を京都から追放)
武州熊谷下奈良村の吉田六左衛門家に潜む
1864(元治元)28歳 1月 長崎の酒井三蔵家に潜む
5月 「五代才助上申書」を提出 帰参許される
7月 挙兵・上京した長州藩が禁門の変で敗北 第一次長州征討(12月解兵)
8月 四国艦隊が下関砲撃
1865(元治2)29歳 3月 薩摩藩使節(留学生15名など19名)の副使としてイギリスに向け
(慶応元) 出航(香港乗換、5月着) 紡績機械(67年に日本初の鹿児島紡績所
開設)・蒸気船・小銃・短銃などを購入
5月 長州処分のため将軍家茂が再上洛/9月四カ国艦隊摂海侵入事件
8月 フランスに渡る(大使新納久脩、通訳・堀壮十郎(孝之))
仏・シャルル=ド=モンブランと貿易商社設立 1867年パリ万
国博覧会出展打合
11月 ロンドンに戻り「18ヶ条の建言書」を藩主に郵送
12月 マルセイユ出航(新納・堀)
1866(慶応2)30歳 1月 薩長同盟 第二次長州征討発令
2月 帰国 御納戸奉行格で御用人席外国掛となる
4月 長崎在勤 万国博参加の準備 薩摩藩の輸送船開聞丸で藩間貿
易に携わる(長州への武器供給)
6月 第二次長州征討が開戦/7月将軍家茂死去/9月休戦合意
11月 パリ万博に参加する薩摩藩使節団出発
12月 徳川慶喜が将軍となる 孝明天皇急死
1867(慶応3)31歳 1月 グラバー・小松清廉(帯刀)が計画した薩摩藩の長崎・小菅修
船場の建設着手(68年完成、のち三菱造船会社長崎造船所)
5月 伊呂波丸事件(前年)の長崎での示談交渉に加わり調停
8月 大阪運上所(1872大阪税関と名称変更)設置
8月 モンブランと帰国するパリ万博派遣の使節団を上海に迎える
10月 大政奉還
12月 (7日)神戸開港・大阪開市
(9日)王政復古の大号令
(28日)モンブランを連れ開聞丸で兵庫着
1868(慶応4)32歳 1月 (3日)鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争開始) 開聞丸に潜伏
(明治元) (11日)神戸事件 交渉にあたる(2月9日切腹)
(23日)新政府の徴士として参与職・外国事務掛となる
2月 (3日)大阪に外国事務局(外務省本省)が置かれる(~6月)
(15日)堺事件 対処に奔走(23日切腹)
(20日)参与職・外国事務局判事に昇任
仏公使ロッシュを大阪から京都まで護衛
(30日)英国公使パークス襲撃事件(京都)に対処
3月 東区備後町2丁目に居を定める
4月 江戸開城(10月会津藩降伏)
5月 (1日)川口運上所の開設(陸奥宗光と)
(4日)官制改革により外国官(外務省)権判事となる
(24日)大阪府権判事を兼務)
6月 (5日)大阪府権判事が本務となる(外国官権判事兼務)
6月(8月) 造幣寮の造幣機械の購入にかかわる
7月 大阪開港 川口居留地競売開始
港を浚渫し船舶碇泊場を整備する
高麗橋鉄橋化建言
8月 造幣寮の大阪設置が決定(1871年操業開始)
9月 (19日)大阪府判事(副知事)となる(同日従五位下)
会計基礎確立の試案作成
11月 モンブランの電信架設願い却下
12月 松島遊廓の設置
(24日)川口運上所を大阪外国事務局と改称
碇泊場に大阪運上所(大阪税関)を設置
1869(明治2)33歳 軍艦御買上御用掛兼任
2月 アメリカ領事の京都―神戸間鉄道敷設願い却下
2月 政府が東京に移る
5月 (15日)会計官(大蔵省)権判事となる (24日)横浜転勤命令
6月 版籍奉還
7月 (4日)退官 東区梶木町5丁目に移る
8月 政府主導で設立に協力した大阪通商会社(海外貿易商社)と
大阪為替会社(金融機関)が発足
10月 久里正三郎の別邸(西成郡今宮村)に金銀分析所を設立
12月 薩摩へ帰郷
1870(明治3)34歳 1月 帰阪し萱野豊子と再婚 2月 東区備後町2丁目に移る
『和訳英辞書』(『薩摩辞書』1869年1月)の残部500部を小松帯刀
にかわり売りさばくことに協力
大隈重信来阪し再官を説得するが応じず
3月以降 小松帯刀の稀書『二十一史』の印刷のため長崎の本木
昌造に依頼し長崎新塾大阪活版所を開設(追手筋折屋町)
4月 薩摩藩の堺紡績所が操業開始し営業担当(1872官営化)
7月 大阪で小松清廉(帯刀)死去
11月 東区平野町1丁目に移る
1871(明治4)35歳 1月 『和訳英辞書』(『薩摩辞書』)の改訂版『大正増補 和訳英
辞林』を大阪活版所で印刷することを計画(10月上海で印刷)
5月 新貨条例により円となる(1872年から新紙幣発行)
7月 廃藩置県 日清修好条規
10月28日 大阪活版所が『大阪府日報』(内題『日刊波華要報』)を発行(木版)
10月 天和銅山(大和国吉野郡)を手に入れる
12月 西区靭北通1丁目に自宅を新築 長女武子出生
1872(明治5)36歳 3月 五代系「大阪新聞」(大阪府の援助で出した半官半民の新聞)発 刊(~1875)
6月 鹿児島県の国産会社大阪出張掛となる(藩屋敷跡地)
設立を斡旋した三井・小野組合銀行の出願(第一国立銀行)
8月 学制(1879年教育令)
10月 赤倉銅山試掘(大和国吉野郡) 11月 蓬谷銀鉛鉱山買収
(近江国愛知郡) 金平金抗着手(加賀能美郡)
1873(明治6)37歳 1月 (旧暦12月3日)太陽暦に切り替え 徴兵令施行
鉱山事業の近代的経営組織「弘成館」を設立(北区堂島)
7月 地租改正法成立
10月 明治六年の政変(西郷・板垣・江藤・後藤・副島ら辞職)
薩摩辞書
大久保 浜寺
1874(明治7)38歳 1月 板垣らが「民撰議院設立建白書」提出
3月 弘成館東京出張所(東弘成館)設置(築地入舟町)
4月 木戸孝允が台湾出兵に反対し辞職 5月台湾出兵
5月 大阪で大久保利通と会見 大蔵卿就任説が流布する
2番目の官設鉄道大阪―神戸開業(1877年2月京都まで延伸)
7月 江之子島の大阪府新庁舎竣工
鏡山銅山開坑(美作国) 茨茶屋鉛鉱山試掘(近江国愛知村)
和気銅・銀山開発(備前国和気郡) 神崎銅鉱山試掘(豊後国
木浦村・尾平村) 半田銀山(岩代国伊達郡半田村)払下げ
水沢水銀鉱山開発(伊勢国三重郡水沢村) 亀谷銅山買収(越中国
新川郡) 羽島金山取得(薩摩国串木野)
1875(明治8)39歳 2月 北浜の料亭「加賀伊」(花外楼)での大阪会議を支える
(木戸・板垣の政府復帰、4月の立憲政体樹立の詔書に結実)
9月 江華島事件(1876日朝修好条規)
栃尾銅山経営(大和国吉野郡)
1876(明治9)40歳 大久保利通巡検
6月 半田銀山行幸
9月 朝陽館(染料藍の製造工場)を設立(1877行幸)
10月 次女藍子出生
11月 なんとかにより堂島米商会所を設立
1877(明治10)41歳 2月 西郷挙兵、西南戦争始まる(~9月) 5月 木戸孝允没
中津川銅山(大和国吉野郡中津川村)
明治10年、大阪活版所は酒井正三の手で株式会社となり
1878(明治11)42歳 春 大阪活版製造所(東区北久太郎町2丁目)
5月 大久保利通暗殺
8月 大阪株式取引所(北浜2丁目、現・大阪取引所)を設立
9月 大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立 会頭
神子畑鉱山(播磨国朝来郡)1878以前らしい
1879(明治12)43歳 〓月 「大阪新報」(1877「大阪日報」から分離創刊)の経営
〓月 洋銀取引所設立を策す 横浜正銀銀行設立に尽力
駒帰辰砂鉱山(大和国宇野郡駒帰村)
9月 偽札容疑での藤田伝三郎逮捕 弁護(12月釈放)
12月 米価高騰に対し広瀬宰平らとともに沈静化
1880(明治13)44歳 3月 第1回国会期成同盟大会(大阪・太融寺)
8月 岩倉具視に租税米納を建白
11月 大阪商業講習所が開学
12月 大立銀山開発(播磨国宍粟郡)
支援した東京馬車鉄道株式会社が認可(1882開業)
1881(明治14)45歳 1月 熱海会議に前田正名をともない参加
3月 大阪青銅会社(現・住友金属工業)の設立(大阪北区玉江町)
6月 関西貿易社を設立(1890年12月解散) 総監
7月 (26日)「東京横浜毎日新聞」社説で関西貿易商会批判
北海道官有物払下事件の始まり(8月許可)
10月 明治十四年の政変(国会開設の勅諭・官有物払下取消・大隈重 信罷免)
天皇名代北白川宮巡視
面谷銀・銅鉱山(越前国大野郡面谷村)
11月 三女芳子出生
1882(明治15)46歳 4月 五代の機関誌「大東日報」(政府側、官憲派の帝政党の機関紙)発
刊(~1885『内外新報』改題~1887)
5月 大阪紡績
6月 日本銀行条例公布(10日本銀行開業、12月大阪支店開設)
(4日)四女久子出生
7月 共同運輸株式会社の発足(五代は)開業83年1月/84年11月
(23日)壬午軍乱(朝鮮国の大院君によるクーデタ、清国軍の介入で失敗)
12月 鹿籠金山採掘開始(薩摩国川辺郡東鹿籠村)
神戸桟橋会社を設立許可を得る(1884年11月設立)
1883(明治16)47歳 3月 長男秀夫誕生
串木野金山開発(薩摩国串木野) 山ヶ野鉱山(薩摩国姶良郡永野)
1884(明治17)48歳 1月 穴ヶ原銀山買収(薩摩国阿多郡和田村) 伊作助代銀山開発(薩
摩国日置郡) 豊石銅山開発(石見国豊稼村)
5月 広瀬宰平が大阪商船株式会社開業
6月 阪堺鉄道株式会社創立(12月難波―大和川開業)
12月 (4日)甲申政変(朝鮮国の開化派によるクーデター、1885年4月天津条約)
中之島1丁目に自宅を新築(現・日本銀行大阪支店)
1885(明治18)49歳 1月 弘成館新築落成(自宅隣)
4月 次男友太郎誕生
8月 上京し築地の別邸で療養
9月 合併を斡旋した日本郵船株式会社(東京)の設立
(20日)鹿児島より籍を大阪に移す
(22日)勲四等に叙せられ旭日小綬章を賜う
(25日)東京築地別邸で死去(満49歳) 10月2日 大阪市で葬儀
1835(天保6) 12月 (26日)薩摩藩士・五代秀堯の次男として誕生
1839(天保10)3歳 9月 兄の友健(徳夫)が「新訂万国全図」を複写
1846(弘化3)10歳 藩校・造士館に通う
1851(嘉衛4)15歳 2月 お由羅騒動を経て島津斉彬が薩摩藩主となる(~1858)
1854(安政元)18歳 藩に出仕し郡方書役となる
3月 日米和親条約 下田開港
1857(安政4)21歳 2月 幕府海軍の長崎海軍伝習所(1855~1859)の伝習生となる
(勝海舟らと出会う)
1858(安政5)22歳 4月 井伊直弼が大老就任 6月 日米修好通商条約調印
10月 藩主島津斉彬の死去(7月)により帰藩
12月 紀州藩主の徳川慶福が将軍となる(家茂)
1859(安政6)23歳 5月 再び長崎へ遊学
6月 横浜・長崎・函館開港 8月英・グラバー長崎赴任(1961グラバー商会)
1860(安政7)24歳 3月 桜田門外の変
1861(文久元)25歳 10月 藩主島津忠義の父・久光が国父として実権を掌握し人事一新
1862(文久2)26歳 1月 長崎で御船奉行副役となる
3月 島津久光が率兵上京/5月勅使と江戸へ/7月文久の改革/8月生麦事件
4月 幕府船千歳丸に水夫として乗船し上海に2ヶ月滞在
(高杉晋作と出会う) ジャウジキリー号購入
1863(文久3年)27歳 3月 将軍家茂上洛(3ヶ月のち海路江戸へ戻る)
5月 長州藩が下関海峡を封鎖し外国船砲撃
6月 長崎から森孝之と薩摩に戻る
7月 薩英戦争で薩摩藩の蒸気船3隻が拿捕され、松木弘安(寺島宗則)
と捕虜になり横浜へ(その後釈放)
8月 八月十八日の政変(攘夷派の長州藩兵と公卿を京都から追放)
武州熊谷下奈良村の吉田六左衛門家に潜む
1864(元治元)28歳 1月 長崎の酒井三蔵家に潜む
5月 「五代才助上申書」を提出 帰参許される
7月 挙兵・上京した長州藩が禁門の変で敗北 第一次長州征討(12月解兵)
8月 四国艦隊が下関砲撃
1865(元治2)29歳 3月 薩摩藩使節(留学生15名など19名)の副使としてイギリスに向け
(慶応元) 出航(香港乗換、5月着) 紡績機械(67年に日本初の鹿児島紡績所
開設)・蒸気船・小銃・短銃などを購入
5月 長州処分のため将軍家茂が再上洛/9月四カ国艦隊摂海侵入事件
8月 フランスに渡る(大使新納久脩、通訳・堀壮十郎(孝之))
仏・シャルル=ド=モンブランと貿易商社設立 1867年パリ万
国博覧会出展打合
11月 ロンドンに戻り「18ヶ条の建言書」を藩主に郵送
12月 マルセイユ出航(新納・堀)
1866(慶応2)30歳 1月 薩長同盟 第二次長州征討発令
2月 帰国 御納戸奉行格で御用人席外国掛となる
4月 長崎在勤 万国博参加の準備 薩摩藩の輸送船開聞丸で藩間貿
易に携わる(長州への武器供給)
6月 第二次長州征討が開戦/7月将軍家茂死去/9月休戦合意
11月 パリ万博に参加する薩摩藩使節団出発
12月 徳川慶喜が将軍となる 孝明天皇急死
1867(慶応3)31歳 1月 グラバー・小松清廉(帯刀)が計画した薩摩藩の長崎・小菅修
船場の建設着手(68年完成、のち三菱造船会社長崎造船所)
5月 伊呂波丸事件(前年)の長崎での示談交渉に加わり調停
8月 大阪運上所(1872大阪税関と名称変更)設置
8月 モンブランと帰国するパリ万博派遣の使節団を上海に迎える
10月 大政奉還
12月 (7日)神戸開港・大阪開市
(9日)王政復古の大号令
(28日)モンブランを連れ開聞丸で兵庫着
1868(慶応4)32歳 1月 (3日)鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争開始) 開聞丸に潜伏
(明治元) (11日)神戸事件 交渉にあたる(2月9日切腹)
(23日)新政府の徴士として参与職・外国事務掛となる
2月 (3日)大阪に外国事務局(外務省本省)が置かれる(~6月)
(15日)堺事件 対処に奔走(23日切腹)
(20日)参与職・外国事務局判事に昇任
仏公使ロッシュを大阪から京都まで護衛
(30日)英国公使パークス襲撃事件(京都)に対処
3月 東区備後町2丁目に居を定める
4月 江戸開城(10月会津藩降伏)
5月 (1日)川口運上所の開設(陸奥宗光と)
(4日)官制改革により外国官(外務省)権判事となる
(24日)大阪府権判事を兼務)
6月 (5日)大阪府権判事が本務となる(外国官権判事兼務)
6月(8月) 造幣寮の造幣機械の購入にかかわる
7月 大阪開港 川口居留地競売開始
港を浚渫し船舶碇泊場を整備する
高麗橋鉄橋化建言
8月 造幣寮の大阪設置が決定(1871年操業開始)
9月 (19日)大阪府判事(副知事)となる(同日従五位下)
会計基礎確立の試案作成
11月 モンブランの電信架設願い却下
12月 松島遊廓の設置
(24日)川口運上所を大阪外国事務局と改称
碇泊場に大阪運上所(大阪税関)を設置
1869(明治2)33歳 軍艦御買上御用掛兼任
2月 アメリカ領事の京都―神戸間鉄道敷設願い却下
2月 政府が東京に移る
5月 (15日)会計官(大蔵省)権判事となる (24日)横浜転勤命令
6月 版籍奉還
7月 (4日)退官 東区梶木町5丁目に移る
8月 政府主導で設立に協力した大阪通商会社(海外貿易商社)と
大阪為替会社(金融機関)が発足
10月 久里正三郎の別邸(西成郡今宮村)に金銀分析所を設立
12月 薩摩へ帰郷
1870(明治3)34歳 1月 帰阪し萱野豊子と再婚 2月 東区備後町2丁目に移る
『和訳英辞書』(『薩摩辞書』1869年1月)の残部500部を小松帯刀
にかわり売りさばくことに協力
大隈重信来阪し再官を説得するが応じず
3月以降 小松帯刀の稀書『二十一史』の印刷のため長崎の本木
昌造に依頼し長崎新塾大阪活版所を開設(追手筋折屋町)
4月 薩摩藩の堺紡績所が操業開始し営業担当(1872官営化)
7月 大阪で小松清廉(帯刀)死去
11月 東区平野町1丁目に移る
1871(明治4)35歳 1月 『和訳英辞書』(『薩摩辞書』)の改訂版『大正増補 和訳英
辞林』を大阪活版所で印刷することを計画(10月上海で印刷)
5月 新貨条例により円となる(1872年から新紙幣発行)
7月 廃藩置県 日清修好条規
10月28日 大阪活版所が『大阪府日報』(内題『日刊波華要報』)を発行(木版)
10月 天和銅山(大和国吉野郡)を手に入れる
12月 西区靭北通1丁目に自宅を新築 長女武子出生
1872(明治5)36歳 3月 五代系「大阪新聞」(大阪府の援助で出した半官半民の新聞)発 刊(~1875)
6月 鹿児島県の国産会社大阪出張掛となる(藩屋敷跡地)
設立を斡旋した三井・小野組合銀行の出願(第一国立銀行)
8月 学制(1879年教育令)
10月 赤倉銅山試掘(大和国吉野郡) 11月 蓬谷銀鉛鉱山買収
(近江国愛知郡) 金平金抗着手(加賀能美郡)
1873(明治6)37歳 1月 (旧暦12月3日)太陽暦に切り替え 徴兵令施行
鉱山事業の近代的経営組織「弘成館」を設立(北区堂島)
7月 地租改正法成立
10月 明治六年の政変(西郷・板垣・江藤・後藤・副島ら辞職)
薩摩辞書
大久保 浜寺
1874(明治7)38歳 1月 板垣らが「民撰議院設立建白書」提出
3月 弘成館東京出張所(東弘成館)設置(築地入舟町)
4月 木戸孝允が台湾出兵に反対し辞職 5月台湾出兵
5月 大阪で大久保利通と会見 大蔵卿就任説が流布する
2番目の官設鉄道大阪―神戸開業(1877年2月京都まで延伸)
7月 江之子島の大阪府新庁舎竣工
鏡山銅山開坑(美作国) 茨茶屋鉛鉱山試掘(近江国愛知村)
和気銅・銀山開発(備前国和気郡) 神崎銅鉱山試掘(豊後国
木浦村・尾平村) 半田銀山(岩代国伊達郡半田村)払下げ
水沢水銀鉱山開発(伊勢国三重郡水沢村) 亀谷銅山買収(越中国
新川郡) 羽島金山取得(薩摩国串木野)
1875(明治8)39歳 2月 北浜の料亭「加賀伊」(花外楼)での大阪会議を支える
(木戸・板垣の政府復帰、4月の立憲政体樹立の詔書に結実)
9月 江華島事件(1876日朝修好条規)
栃尾銅山経営(大和国吉野郡)
1876(明治9)40歳 大久保利通巡検
6月 半田銀山行幸
9月 朝陽館(染料藍の製造工場)を設立(1877行幸)
10月 次女藍子出生
11月 なんとかにより堂島米商会所を設立
1877(明治10)41歳 2月 西郷挙兵、西南戦争始まる(~9月) 5月 木戸孝允没
中津川銅山(大和国吉野郡中津川村)
明治10年、大阪活版所は酒井正三の手で株式会社となり
1878(明治11)42歳 春 大阪活版製造所(東区北久太郎町2丁目)
5月 大久保利通暗殺
8月 大阪株式取引所(北浜2丁目、現・大阪取引所)を設立
9月 大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立 会頭
神子畑鉱山(播磨国朝来郡)1878以前らしい
1879(明治12)43歳 〓月 「大阪新報」(1877「大阪日報」から分離創刊)の経営
〓月 洋銀取引所設立を策す 横浜正銀銀行設立に尽力
駒帰辰砂鉱山(大和国宇野郡駒帰村)
9月 偽札容疑での藤田伝三郎逮捕 弁護(12月釈放)
12月 米価高騰に対し広瀬宰平らとともに沈静化
1880(明治13)44歳 3月 第1回国会期成同盟大会(大阪・太融寺)
8月 岩倉具視に租税米納を建白
11月 大阪商業講習所が開学
12月 大立銀山開発(播磨国宍粟郡)
支援した東京馬車鉄道株式会社が認可(1882開業)
1881(明治14)45歳 1月 熱海会議に前田正名をともない参加
3月 大阪青銅会社(現・住友金属工業)の設立(大阪北区玉江町)
6月 関西貿易社を設立(1890年12月解散) 総監
7月 (26日)「東京横浜毎日新聞」社説で関西貿易商会批判
北海道官有物払下事件の始まり(8月許可)
10月 明治十四年の政変(国会開設の勅諭・官有物払下取消・大隈重 信罷免)
天皇名代北白川宮巡視
面谷銀・銅鉱山(越前国大野郡面谷村)
11月 三女芳子出生
1882(明治15)46歳 4月 五代の機関誌「大東日報」(政府側、官憲派の帝政党の機関紙)発
刊(~1885『内外新報』改題~1887)
5月 大阪紡績
6月 日本銀行条例公布(10日本銀行開業、12月大阪支店開設)
(4日)四女久子出生
7月 共同運輸株式会社の発足(五代は)開業83年1月/84年11月
(23日)壬午軍乱(朝鮮国の大院君によるクーデタ、清国軍の介入で失敗)
12月 鹿籠金山採掘開始(薩摩国川辺郡東鹿籠村)
神戸桟橋会社を設立許可を得る(1884年11月設立)
1883(明治16)47歳 3月 長男秀夫誕生
串木野金山開発(薩摩国串木野) 山ヶ野鉱山(薩摩国姶良郡永野)
1884(明治17)48歳 1月 穴ヶ原銀山買収(薩摩国阿多郡和田村) 伊作助代銀山開発(薩
摩国日置郡) 豊石銅山開発(石見国豊稼村)
5月 広瀬宰平が大阪商船株式会社開業
6月 阪堺鉄道株式会社創立(12月難波―大和川開業)
12月 (4日)甲申政変(朝鮮国の開化派によるクーデター、1885年4月天津条約)
中之島1丁目に自宅を新築(現・日本銀行大阪支店)
1885(明治18)49歳 1月 弘成館新築落成(自宅隣)
4月 次男友太郎誕生
8月 上京し築地の別邸で療養
9月 合併を斡旋した日本郵船株式会社(東京)の設立
(20日)鹿児島より籍を大阪に移す
(22日)勲四等に叙せられ旭日小綬章を賜う
(25日)東京築地別邸で死去(満49歳) 10月2日 大阪市で葬儀
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。