人を幸せにする人になろう

2021年8月15日、大和高田

◆盆。14日は父の一周忌+初盆。雨で加古川は増水している。ご住職が帰ったあと、兄弟3人と配偶者計6人で、仕出しの食事をする。母親の施設の面会はコロナでかなり厳しいが、ガラス越しに顔を合わせられる、というので、連絡をし、会いに行く。かなり厚いガラスなのか、声をかけても届かないが、顔を見ることができた。
◆翌15日、紀美野町長谷宮に行き、墓参りをし、帰ってくる際に大和高田に出向いた。
◆JRの駅近くの駐車場に車を停め、歩く。大和高田は、かつては高田川が真ん中を通り、北西と南東に町が分かれていたが、いまは付け替えられ(1932年)車道となっている。南に近鉄南大阪線の駅、北寄り東にJRの駅、北に近鉄大阪線の駅がある。町あるきは、まず東・南側に下り、高田城跡地などを見て、南大阪線の駅まで行って北上した。喫茶店でコーヒーを飲み、戻る。以下、ウィキ。

中世には興福寺一乗院平田荘の荘官であった高田(當麻)氏が武士化して高田城(現在の片塩小学校周辺)を築き万歳(平)城を築いた万歳氏とともに一帯を領有したが、筒井順慶により滅ぼされ城も破却された。江戸時代には諸藩領や天領が錯綜しており、中期以降綿作が盛んになると高田本郷を中心に市場町として発展、近代には紡績工場が設置されたことで繊維産業の中心地となった。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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