人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
5月のある日、東高野街道を行く(1)
◆このところ、ず~と、あんまり調子がよくない。ず~とダルイ感じ。病気でしょうか。
◆さて、東高野街道の大和川から南を歩くことにする。船橋あたりをうろうろするも、旧道の雰囲気のあるところが見当たらない。ちなみに船橋、明治の地図で見ると、村としては小さいですね。
◆そんなんで、府道から踏切をわたり道明寺天満宮に向かう。2000年12月、玉7の測量をやった折り、道明寺の宿舎に泊まることになっていたが、初日、作業を終えて宿舎に向かうが場所がわからない。電話で聞いて入り込んだ道、これが東高野街道である。道明寺天満宮と道明寺は、江戸時代の神仏習合当たり前のなかで、どうだったんですかね。住吉大社の神宮寺もそうだが、もはや完全に分離してしまって、江戸時代の様子が想像できません。
◆ちなみに、道明寺天満宮の段丘斜面のところに、埴輪窯の表示があり、立派な看板が世界遺産がらみで立てられていた。コンクリートの窯体表示は前からあったのだろうが、気がつかなかった。立派な看板ができて初めて、「うん?、これは何」と近づいた。
◆さて、東高野街道の大和川から南を歩くことにする。船橋あたりをうろうろするも、旧道の雰囲気のあるところが見当たらない。ちなみに船橋、明治の地図で見ると、村としては小さいですね。
◆そんなんで、府道から踏切をわたり道明寺天満宮に向かう。2000年12月、玉7の測量をやった折り、道明寺の宿舎に泊まることになっていたが、初日、作業を終えて宿舎に向かうが場所がわからない。電話で聞いて入り込んだ道、これが東高野街道である。道明寺天満宮と道明寺は、江戸時代の神仏習合当たり前のなかで、どうだったんですかね。住吉大社の神宮寺もそうだが、もはや完全に分離してしまって、江戸時代の様子が想像できません。
◆ちなみに、道明寺天満宮の段丘斜面のところに、埴輪窯の表示があり、立派な看板が世界遺産がらみで立てられていた。コンクリートの窯体表示は前からあったのだろうが、気がつかなかった。立派な看板ができて初めて、「うん?、これは何」と近づいた。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。