人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2024年8月6日
◆能登の状況がよくない。車中泊を続ける人の話、避難所の話、仮設住宅に入れないとか、食事のことなど。これほどまで災害対応を繰り返してなお、十分なことができないとは。
◆学童保育の記事もあぜん。民間に出す。低賃金の労働。職員がやめていく。
◆広島の被ばくしながら今もある樹木の世話をしている人の話。爆心地側が成長せず、木が爆心地方向を向いているのだとか。
◆株価が下がり、円高も。まったく関係ないが、そういう運用資産がある層はどうでもいい。学童保育、この前の訪問介護をはじめとする介護、そういう人を預かり世話をする人、あるいはもっと広く低賃金で不安定な雇用されている人に、ちゃんと手当てをすること。労働に正当な対価を支払うことこそ、地域経済を成り立たせるものではないのか。GDPがどういう計算式かは知らないが、輸入とか輸出でなく、各地で人が人らしく暮らせる社会を実現することが、国内トータルの経済力に強化にもなるはずでは。
◆学童保育の記事もあぜん。民間に出す。低賃金の労働。職員がやめていく。
◆広島の被ばくしながら今もある樹木の世話をしている人の話。爆心地側が成長せず、木が爆心地方向を向いているのだとか。
◆株価が下がり、円高も。まったく関係ないが、そういう運用資産がある層はどうでもいい。学童保育、この前の訪問介護をはじめとする介護、そういう人を預かり世話をする人、あるいはもっと広く低賃金で不安定な雇用されている人に、ちゃんと手当てをすること。労働に正当な対価を支払うことこそ、地域経済を成り立たせるものではないのか。GDPがどういう計算式かは知らないが、輸入とか輸出でなく、各地で人が人らしく暮らせる社会を実現することが、国内トータルの経済力に強化にもなるはずでは。
2024年8月3日(土)佐賀
◆8月3日朝、レンタカーを借り、嬉野町・鹿島町に向かう。途中、玉島古墳というやつの横を通過したので訪問。そのあと、塩田津のデンケン。重文建物の裏から入り、表通りへ。まだ朝が早く、店などは開いていない。ガイダンス施設に行き、概要を学ぶ。長崎街道の宿場町だったが、栄えるのは幕末期以降とのこと。干満差を利用した川港が整備され、雲仙から陶石を運び、ここで水力を利用して砕き、肥前の窯業地に売るというので繫栄したようだ。ガイドさんに説明いただく。ミルク出しコーヒー。
◆鹿島へ向かう。浜宿というところ、川をはさんでデンケンが2つある。肥前屋さんというのが入口にあり、酒類を手広く販売している。街並み交流館に行き、おばさんと話をする。部屋では座学をやってそうだった。まちあるき。修復された武家屋敷も勧められた。かす漬けを買い、暑いのでカフェに逃げ込み、ジュースを飲む。
◆三重津海軍所跡をめざし、途中の道の駅で食事。なんとか揚げを買い、玉ねぎコロッケを買い、挙げていたおっちゃんと話をする。佐賀はとにかく平坦。
◆東よか干潟。アンケートに答え、展望台に上り、その下のガイダンス施設で映像を見る。
◆いよいよ三重津。途中、佐野常民の生家跡の石碑を通過。博物館へ(公民館の駐車場に入れる。そこに反射炉の模型)。2時間弱、たっぷりと楽しめました。15:35・15:50・16:15の映像もすべて見る。ガイドのおじさんと楽しく話をしながら。17時過ぎ、川べりの現地。ドックはとくに表示されていない。全部は調査してないからかな。なにか表面表示できないものか。
◆そのあと古墳。金立銚子塚は車ではなかなか侵入しがたく断念。船塚古墳を見て、市内に戻る。大仙型でしょうか。たぶん36年前に来たはずだが、記憶が定かならず。
◆鹿島へ向かう。浜宿というところ、川をはさんでデンケンが2つある。肥前屋さんというのが入口にあり、酒類を手広く販売している。街並み交流館に行き、おばさんと話をする。部屋では座学をやってそうだった。まちあるき。修復された武家屋敷も勧められた。かす漬けを買い、暑いのでカフェに逃げ込み、ジュースを飲む。
◆三重津海軍所跡をめざし、途中の道の駅で食事。なんとか揚げを買い、玉ねぎコロッケを買い、挙げていたおっちゃんと話をする。佐賀はとにかく平坦。
◆東よか干潟。アンケートに答え、展望台に上り、その下のガイダンス施設で映像を見る。
◆いよいよ三重津。途中、佐野常民の生家跡の石碑を通過。博物館へ(公民館の駐車場に入れる。そこに反射炉の模型)。2時間弱、たっぷりと楽しめました。15:35・15:50・16:15の映像もすべて見る。ガイドのおじさんと楽しく話をしながら。17時過ぎ、川べりの現地。ドックはとくに表示されていない。全部は調査してないからかな。なにか表面表示できないものか。
◆そのあと古墳。金立銚子塚は車ではなかなか侵入しがたく断念。船塚古墳を見て、市内に戻る。大仙型でしょうか。たぶん36年前に来たはずだが、記憶が定かならず。
喜谷さんが亡くなられた
◆昨日、告別式が行われている時間帯に、神戸市の先輩からのメールを見て知るも、参列できなかった。たしか兵庫県加西の方であったと思う。最初にお会いしたのがいつどこか、もはやわかりません。大学院生の頃なのだろう。同じ播磨出身で、気安く声をかけていただいたのだろう。
◆神戸海浜部の消失古墳の埴輪が、五色塚のものそっくりなんだと、熱く語られ、書いたものをいただいた。あれはなんという名前の古墳だったろう。五色塚級の大型前方後円墳だ、という主張だったが、確かその後、そこまではいかないと判明したのだったか。そうか、その前にカンス塚の話もお聞きした。それと、高石にお住いということをかなりあとで知るが、引退後、泉大津高校の菩提池の埴輪を整理してるんだ!、と話をされていた。奥様は、うちの日本史学会の大会に足を運んでいただくこともあり、話することもあった。
◆神戸市の最初の文化財職員として苦労も多かったに違いない。そうした話をしたことはないが、いまの神戸市文化財課、そして市立埋蔵文化財センターの起点となるお仕事をされた、喜谷さんのご冥福をお祈りしたい。
◆神戸海浜部の消失古墳の埴輪が、五色塚のものそっくりなんだと、熱く語られ、書いたものをいただいた。あれはなんという名前の古墳だったろう。五色塚級の大型前方後円墳だ、という主張だったが、確かその後、そこまではいかないと判明したのだったか。そうか、その前にカンス塚の話もお聞きした。それと、高石にお住いということをかなりあとで知るが、引退後、泉大津高校の菩提池の埴輪を整理してるんだ!、と話をされていた。奥様は、うちの日本史学会の大会に足を運んでいただくこともあり、話することもあった。
◆神戸市の最初の文化財職員として苦労も多かったに違いない。そうした話をしたことはないが、いまの神戸市文化財課、そして市立埋蔵文化財センターの起点となるお仕事をされた、喜谷さんのご冥福をお祈りしたい。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。