人を幸せにする人になろう

で2020年3月15日、岩戸山

◆久留米駅前に泊まり(客はまばら)、今年度の研究費で行こうとして、ぎりぎり3月になってやっとこさ赴く。14日、宝  殿の実家に行くが、晩御飯を母と食べたあと、姫路から新幹線で久留米に向かう。
◆翌日、レンタカーで南下。念願の岩戸山古墳。30年ぶりくらいでしょうか。前の記憶はほぼない。ふ~ん、こんなんなんや。新しくなった資料館に行く。それから八女古墳群めぐり。

3月8日、楠葉台場

◆この日はKR研。午後からだが早くにカミサンを大学まで送っていき、そのあと楠葉台場に寄って みました。

そして3月14日

◆宝殿に行き、母を連れて土山の病院に行く。その前に加古川駅前の「空箱」というところで昼ご 飯。これ、昭和30年代くらいの旅館?(そのあとの改修もあるのかな)で、それをカフェにして、昼はランチを出すというところ。こっちもネットで探しているが、まあ評判がいいところに行こうとする。まあ、ほかの人も同じように探しているわけで、既に予約客でいっぱい。なんとか飛び込みで入れたが。こういう飲食店のはやりというのは、おいしいものを適度な価格で提供することを基本にしつつも、こういうレトロさというのもウリになるし、口コミも大き いし、いろいろ考えさせられますね。なんでこんなに人が来てくれるのか、と。
◆で、この日は面会も1人にしてくれと。ええ!。今度、うちの子らが見舞いに帰ってくるが、2回に分けていかないといけないかも。
◆帰り、雨が降り、加古川を渡って宝殿に戻る時、北側に虹が出ていました。

最終講義も延期となり

◆どこともそうでしょうが、行事が次々になくなるか延期されている。うちの日本史教員の最終講 義が21日に組まれていたが、3月5日に延期と決め、案内を送ったところにその旨のハガキを出す。
◆うちのD院生が4月から韓国に留学するはずだったが、延期せざるをえない。
◆入試は予定通り行われる。採点も終わった。
◆『市大日本史』の編集はそれとは関係なく始まる(17日には第1弾を入稿する)。
◆3月12日にはカミサンに誘われ、梅田に映画を見に行く。日本語タイトルは「彼らは生きていた」。第1次世界大戦のイギリス軍のフィルムです。
◆この日、大学図書館10階から撮った写真。むこうに見えるのはハルカスです。
◆次が翌13日の図書館前のモクレンです。

2020年3月7日、宝殿

◆毎週帰った時に、少しずつ実家の片づけをしている。まあ、モノを捨てない人たちで、いろんな ものが取ってある。そういうのをごみ袋に入れていく。毎回、ごみ袋1杯分になったりする。
◆母を連れて土山の病院に行く。このところ面会制限がかかり10分。これはつらい。前の病院の時は2時間くらいいて、話しかけ、うんうんという意思確認をして、体をさすったり、できるだけ長い時間一緒にいようとし、それが可能だった。が転 院して、同じように話しかけ、言葉はないが意思疎通を図っていたいのに、新型コロナのため10分という制限が。徐々に弱っていくのを見ると、一緒にいてやることができないのがやりきれない。新型コロナを恨む。
◆なので、病院はわずかばかりの時間。この日は病院のあと南に下り、加古川南部の埋め立て工場地帯をめぐる。ワカメを採りに鎌を取り付けた竿をもっている人が目立つ。何をやっているのかわからなかったが。工場が林立する沿岸のワカメを食べるんですかね。地図の右から、明石海浜公園のある二見町の島、次に新島。で次が神戸製鋼。その間に海洋文化センターというのがあるので寄ってみる。まあミニ図書館です。

2020年3月1日、室津でカキ

◆2月27日(木)に、父、転院。12:30に順心病院に行き、荷物を片付け、13:00に介護タクシーが来て、東加古川から土山の病院へ行く。ほぼ予定通り13:30に着き、医者の説明、入院等の説明を聞く。
◆3月1日。母を室津へ連れ出し、カキを食べに行く。いくつも店があるが津田宇というところに行 く。まあ、今風のおしゃれな店で、次から次へと客が来ます。そのあと、父の車を廃車に出すことになっており、自分が運転し(うちの車はカミサンが運転)、東加古川に行き、廃車に出してくれる義兄に届け、土山の病院に行く。

2020年2月24日、月ヶ瀬

◆前日に宝殿に行き、この日は天気よく出かけることにする。適当に第2阪奈から奈良に出て。まず山城 郷土資料館→恭仁宮。「くにのみや学習館」というのができていたので立ち寄る(写真)。木津川市が作ったもののよう。
◆笠置を抜け南山城村に。童仙房というところに行く。道すがら看板があったので、山へ入って行くと村がある。明治期の開拓。最近の10年くらいなのだろうか、集落を売り出そうと、いろいろ施設ができたり、飲食できる店も作られたようで、その頃に国道に看板を出したのだろうが、だいたいなくなっていました。そして、南山城村の道の駅で、抹茶ソフトクリームを食べる(ラジオで聞いたもの)。
◆で、月ヶ瀬。人だかりなので梅林には入らず、道すがらの梅を眺める。
◆前に笠置に行ったとき、帰りに柳生の里によるも、家老屋敷に立ち寄れなかったので行く。が、あんまり面白くなかった。

2020年2月19日(水)

◆父の療養病院の説明を聞きに、姉と2人で出向く。選択肢がいくつかはあったが、なかなか比較し てよいところをという判断も難しい。急性病院の地域連携担当者にもらった該当病院のなかから、いっぱいで入れないところをのぞき、ネットで調べて第1希望としたもの。なかなか療養病院というのもつらいものである。リハビリで少しでもよくなるのを家族側は望むしかなく、しかし病状は芳しくない。療養病院というのは、先の時間の長短はあれ、しんどい患者を受け入れてくれるところで、寝たきりの人も多い。仕方がないわけだが、そうしたところに入れざるをえない。
◆その日、申し込み、27日に転院と決まる。
◆写真はいま入っている東加古川順心病院から南に行った別府にある多木化学の本宅?。倉庫があります。加古川市望塚から出た銅鐸が多木化学にあるはずだが、この蔵にあるのだろうか。

1月10日、長谷・泉福寺の梵鐘

◆カミサンの実家、いまは紀美野町、合併前は美里町。江戸時代までは高野山領の長谷宮。ここに 泉福寺というお寺がある。まあ檀家なわけである。和歌山の家の墓も、長谷村の山裾にあったものを、このお寺の墓地に新たに移してある。この日、そのお墓の掃除に行く。
◆で、ここの梵鐘が河内鋳物師の作品。昔からIさんから聞かされていた。で、この日、鐘楼の梵鐘を見に行く。思ってたよりは小さい。銘文があって、重源と関係ありそうである。ちゃんと説明を読め。

そのあと津山まなびの鉄道館 記事№5000

◆明石を出て美作に向かう。食事までにそれぞれ入ればいい。で、宿に近いインターチェンジを通り過ぎ、津山まで行く。前に行った時、あれはてていた操車場が展示館になってオープンというのをどこかで見たので、それを見に行った。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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