人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2020年となる
◆みなさん、お元気ですか。2020年はどんな年になるでしょうか。
◆わたしは、12月29日(日)は職場で索引項目の抽出。30日も出勤しようとするも、カミサンがおせちを作るというので、行くのをやまる。買い物に行き、そのあと手伝うも、里芋をむいたくらいです。そのあと、子供らを乗せて忘れ物を取りに職場へ行き、そのあと藤井寺のシマムラに行く。元はユニクロに行こうとしたものだが、ウェルシアになっていました。
◆そして紀美野へ行く。30日、31日と、紀美野で過ごし、1日に加古川に向かう。2日は恒例の正月泊。作州武蔵というところに泊まりました。3日に国分へ戻る。和歌山の義母のこともあり、自分の親のことを考えないといけません。かなり切実です。3日は、父親の免許返納の話となる。これまでより、頻繁に親元に帰り、少しずつ何かあった時にどうするかを決めておかないといけません。
◆4日(土)と5日(日)は、職場で結局は索引づくりで終わる。年末からの作業がいちおう終わる。5日に子供らも帰っていきました。
◆そして6日(月)、出勤。そろそろと仕事をしています。あまりあくせくせず。
◆わたしは、12月29日(日)は職場で索引項目の抽出。30日も出勤しようとするも、カミサンがおせちを作るというので、行くのをやまる。買い物に行き、そのあと手伝うも、里芋をむいたくらいです。そのあと、子供らを乗せて忘れ物を取りに職場へ行き、そのあと藤井寺のシマムラに行く。元はユニクロに行こうとしたものだが、ウェルシアになっていました。
◆そして紀美野へ行く。30日、31日と、紀美野で過ごし、1日に加古川に向かう。2日は恒例の正月泊。作州武蔵というところに泊まりました。3日に国分へ戻る。和歌山の義母のこともあり、自分の親のことを考えないといけません。かなり切実です。3日は、父親の免許返納の話となる。これまでより、頻繁に親元に帰り、少しずつ何かあった時にどうするかを決めておかないといけません。
◆4日(土)と5日(日)は、職場で結局は索引づくりで終わる。年末からの作業がいちおう終わる。5日に子供らも帰っていきました。
◆そして6日(月)、出勤。そろそろと仕事をしています。あまりあくせくせず。
2019年12月26日(木)、泉屋
◆25日は機材を積んで紀美野町へ。カミサンを乗せて国分に戻る。翌日、久しぶりに職場。まずは機材を降ろし、それから何をしてたのでしょうか。そう、念校を点検していた。そしてカミサンを拾い、京都へ。16時から泉屋博古館で鏡1面の撮影。終了後、鳥取に向かう。
22日の陵墓シンポ
◆22日はお通夜、昼間は大阪歴博へ発表に行かせてもらう。前日、関係者に伝え、迷惑をかけない ようにしたいが、どうなるかわからんと伝える。20日に陵墓シンポのデータをSDに移していたが、なぜだが年代観の最終画像を含め、作りかけていたパワポも消えていた。21日の晩に、23時関空着の娘を迎えに行き、みな夕食を食べていないので食事をして、紀美野の家についたのは1時頃。そこから再びパワポを作り始めるも、寝る。
◆22日朝、橋本まで実家の軽自動車ででかけ、南海高野線の特急に乗る。
そのなかでパワポをなんとか作る。10:30の開会直後には着き、13時から20分の自分の発表をして戻る。消えたデータは、右の画像をもう少しブラッシュアップしたもの。大仙はみな5世紀中頃とみてますよ、ということを示す1枚です。
◆22日朝、橋本まで実家の軽自動車ででかけ、南海高野線の特急に乗る。
この1週間
◆鳥取のホテル、27日午前3時。
◆16日から20日の週。カミサンが出張などで母親の入院する病院にあまり行けないので、18日の水曜日に1人で行く。そして19(木)、調子を崩し、病院から出張中のカミサンのところに電話が入り、話をしたいというので、20(金)、教授会を途中で抜けさせてもらい2人で話を聞く。水曜日には、夕食をすべて食べ、たどたどしくも会話もできていたが、金曜日の様子はかなり悪い。
◆21(土)の直木先生の会については、もとより最初だけ顔を出し、あとは抜けて病院にと思っていたが、前日の様子から朝から那賀病院に詰めることにする。直木先生を偲ぶ会は欠席。この日、義理の母は亡くなる。前日の状況から、カミサンは東京の弟に強く来た方がよいと連絡をし、和歌山に向かってくれていたが、間に合わなかった。
◆22(日)お通夜、23(月)お葬式。本人の希望もあり、こじんまりとした家族葬となる。うちの子は21日に、即やってきてくれました。
◆16日から20日の週。カミサンが出張などで母親の入院する病院にあまり行けないので、18日の水曜日に1人で行く。そして19(木)、調子を崩し、病院から出張中のカミサンのところに電話が入り、話をしたいというので、20(金)、教授会を途中で抜けさせてもらい2人で話を聞く。水曜日には、夕食をすべて食べ、たどたどしくも会話もできていたが、金曜日の様子はかなり悪い。
◆21(土)の直木先生の会については、もとより最初だけ顔を出し、あとは抜けて病院にと思っていたが、前日の様子から朝から那賀病院に詰めることにする。直木先生を偲ぶ会は欠席。この日、義理の母は亡くなる。前日の状況から、カミサンは東京の弟に強く来た方がよいと連絡をし、和歌山に向かってくれていたが、間に合わなかった。
◆22(日)お通夜、23(月)お葬式。本人の希望もあり、こじんまりとした家族葬となる。うちの子は21日に、即やってきてくれました。
1/5里から1/4里へ
◆ひとおおり黒崎さんの本を読む。里というのは、いつ登場するんでしょうね。大宝1里は300歩533m、和同に639mとなる。黒崎さんは都市の里と農村の里、といった言葉にしているが、いちいちどっちの里かを言わなければならん。大宝令以前の里が、いくら歩を1里としていたかも不明ですよね。7世紀に1000歩といった大きな開発が始まり、なんとか里という言い方が必要になることはよく理解できる。律令の知識として「里」を知っていても、倭の国土開発がそう規模が大きくならなければ必要ないわけだ。大仙の墳丘が360歩というのも気になる数字ですね。もしかすると1里なのかもしれないが(1歩1.5mですが)。
◆結論は、推古朝にはない、7世紀第2四半期頃に(根拠は百済大寺、飛鳥京Ⅱ期など)高麗尺50歩を単位とする地割が始まり、第3四半期に(根拠は後岡本宮など)高麗尺62.5歩を単位とする地割に転換するのだという。飛鳥寺が起点で、その北・西に方格がのび、川原寺あたりに展開するのは第3四半期頃、だったかな。難波京は125歩、孝徳朝にさかのぼるとすると、62.5歩の市街地方格が始まっていた、ということになる。
◆なんとなくイメージとしては、条里地割の規模でもある50歩方眼が、飛鳥や斑鳩で始まり、孝徳期に本格的な京を構想するなかで、同時に圃場の区画整理計画も立案され、50歩は田地の区画とし、市街地は62.5歩とする区別が考えられた、のではないか。時期差ではあるが、役割分担でもあるか。
◆結論は、推古朝にはない、7世紀第2四半期頃に(根拠は百済大寺、飛鳥京Ⅱ期など)高麗尺50歩を単位とする地割が始まり、第3四半期に(根拠は後岡本宮など)高麗尺62.5歩を単位とする地割に転換するのだという。飛鳥寺が起点で、その北・西に方格がのび、川原寺あたりに展開するのは第3四半期頃、だったかな。難波京は125歩、孝徳朝にさかのぼるとすると、62.5歩の市街地方格が始まっていた、ということになる。
◆なんとなくイメージとしては、条里地割の規模でもある50歩方眼が、飛鳥や斑鳩で始まり、孝徳期に本格的な京を構想するなかで、同時に圃場の区画整理計画も立案され、50歩は田地の区画とし、市街地は62.5歩とする区別が考えられた、のではないか。時期差ではあるが、役割分担でもあるか。
日韓の輪
◆こういう記事を見るとうれしくなる。国籍より大事なものが、1個人であ
るということだ。国籍が違うということで、とてつもなく違いがある、なんてことはこれっぽっちもないのである。同じ人間同士。
◆安倍晋三家。母親も大きな資産をもち、つかえる召使もいるんだろう。病気になっても、老いで弱ってきても、手厚くケアされる。アキエちゃんが介護するとも思えないし、シュートメも嫌う。が、われわれ50代、80代の父・母の介護をかかえております。いまの少子高齢化という現実を、普通の人は知っている。しかし首相には切実感はないのである。老々介護で親を殺すという追い詰められた気持ちは、ぜったいに理解できない。
◆収入が60兆円やのに、支出102億円。「節約」という言葉を知らない人ばかり。この点は、橋本君の方が、真剣にやってたんとちゃう。
◆安倍晋三家。母親も大きな資産をもち、つかえる召使もいるんだろう。病気になっても、老いで弱ってきても、手厚くケアされる。アキエちゃんが介護するとも思えないし、シュートメも嫌う。が、われわれ50代、80代の父・母の介護をかかえております。いまの少子高齢化という現実を、普通の人は知っている。しかし首相には切実感はないのである。老々介護で親を殺すという追い詰められた気持ちは、ぜったいに理解できない。
◆収入が60兆円やのに、支出102億円。「節約」という言葉を知らない人ばかり。この点は、橋本君の方が、真剣にやってたんとちゃう。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。