人を幸せにする人になろう

セミが鳴き始めた

◆1週間くらい前のことだったでしょうか。今年の6月はいつになく涼しく、それが急に暑くなった日がありましたよね。そしたらテキメンにセミが鳴き始めました。そのあと雨がちになり、また涼しくなりましたが、本日、2019年7月6日の土曜日、9時前に研究室に入りましたが、朝、クマゼミが鳴いていました。
◆わたしの季節感では、夏はセミで始まります。

来目皇子墓

◆6月28日のLICのあと、調査担当者に来目皇子墓を案内してもらいました。調査当時、なにが話題になってい たか理解できました。
◆その前に、来目皇子墓、前に見学会で行こうとしたが、車を置くところなく、通り過ぎました。宗教施設に3辺を囲まれています。その施設を作る時に、羽曳野市が発掘調査をやったわけです。
◆羽曳野丘陵が北にのび、その高台にあって、少し行くとがくんと落ちる。その丘陵の、あるピーク に墳丘を築造するが、風水思想により背面に山をかかえる姿に近づけるために、低くなる北側に2m以上の盛り土をして、人工的に高い側を造り出した、と考えられるとのこと。
◆来目皇子墓がなんでここにあるんでしょうね。このあたりの渡来系の人々との関係とか、上宮王家とのつながりなど、いろいろと教えてもらいました。兄は斑鳩、弟はこの渡来人も多いこの一帯を押さえようと配置されたのでしょうか。

躁鬱

◆まあ、読んでください。躁がめんどくさい、らしいです。

誰か調べてください

◆カミさんのセンサー。この首相のSNS、内閣広報室の公務員がすることは法的に問題ないのか。 そもそも官邸主導となったご時世で、内閣広報室は政治プロパガンダに満ちているのだろう。とはいえ、衆議院議員としての政治信条と、行政府の長としての役割は異なるものであり、区別するべきものでしょう。芸能人と写真を撮って、それをアップするのは、内閣とは関係なく、政治家としての宣伝活動でしょ。たいへんな歳費をもらっており、その中で人を雇用し、自分の私的なHPでそれをアップするのは自由、なのかもしれない(とはいえ、そんなことで人気取りをしようというのがサモシイ)。
◆うれしそうに一緒に写真を撮るやつら。馬鹿じゃない。タレント同士が写真を撮りあっているようなバカずら。佐藤浩市の爪のアカを飲め。
◆で本題に戻る。10人分もの首相官邸の公費で、首相の政治的宣伝をまき散らかす、これは違法ではないかのか。3権分立をやっている法学者よ、なんか言わんのか。

この映画、見たいです

◆こないだ、浜村さんがパピヨンを紹介するもので、マックィーンのパピヨンを見ました。 そのあと、ドクトルジバゴ、アラビアのロレンス。
◆で、この新聞記事にある映画「主戦場」、見たいですね。声が大きい者の勝ちではない、声にするその人の人柄、文芸春秋やら、ウィルやら、ハナダやら、ああいう雑誌に文章を売って金を稼ぐためにやっているのか、そうでなく、弱い立場の人の側に立ち、声を聞き、名声のためでなく、実際にどうだったかということをきちんと明らかにして世に問おうとする側。そういう姿勢に人が動かされる世の中でありたい。

この自由さを誰もがめざせる

◆40歳にして旅立つわけだ。医者という職能をもつ、ということも大きいだろうが。でも、みな、 自由であってよい。やることはやって、あとの時間をどう使うかは、一切自由、どう使うかは自分次第。とはいえ、上野千鶴子の東大入学式での祝辞、「あなたがたは勉強して東大に入っためぐまれた人、でもこの世にはそうでない人もあまたいる、そういう人のために能力を使え」と(ほんま、ええこと言いますね)。なので、みながそうできるかといえば、そうではないことは理解しつつ。
◆まあ、世間の人は、「あんたは自由にやっとるやないか」というのでしょうか。だとすれば、もっと自由に生きたいもんです。伊能忠敬ではないが、これからの人生で、別にでっかいことでなくてよい(人と比べることがいちばんダメ)、自分の気持ちの底になにかやりたいことがあるなら、やればいい。さて、あるかな~。学術研究に終わりはなく、なんぼでもやりたいことがある以上、別に旅立つ必要はないし。

平野塚穴山古墳

◆香芝市の平野塚穴山古墳の調査が大きく報道されました。ネットで現地説明会資料をダウンロードする。石槨部は唐尺10×5、墳丘は18ヒロくらいでしょうか。墳丘全体がどこまでいくのでしょう ね。18歩で復元してみました。7世紀第2四半期。

『考古学研究』で総会記事を

◆最新の『考古学研究』が来る。梅田墓の記事がありましたね。また医学部の人骨が100体くらい増える・・・。
◆総会資料を見る。会員減111名で、2700人代になっている。減少が頭打ちになりませんね。毎年100人余りの減少。大歴も10減だっかかな。まあ購読団体を含めて1200弱の規模ですが。まあ、現状維持ではある。

『書陵部紀要』70号

◆2019年3月刊行の『書陵部紀要』をざっと見る。2017年度の事業報告。大仙の予備調査とウワナベの墳丘表面調査の報告がある。2018年夏、毎日、久津川へ通う道すがら、ウワナベ古墳の下段がきれいになっていると思っていたが、前年度の調査のために伐採などをやったのでしょう。
◆一方の2017年の大仙の予備調査、昨年2018年の陵墓懇談会の時に話は出たのかな。2018年秋の3本のトレンチ調査の積算のための調査であると。

芦屋の阿保親王塚

◆6月30日は大歴大会で関大に行く。Hさんから、『書陵部紀要』で阿保親王塚の報告があると聞く。埴輪列が出 ているとも。で、調べてみました。ふつうに考えれば方墳でしょう(造り出しとか陸橋はあるかもしれないが)。で、三角縁が4面、いずれも波文帯(陳孝然作は所在不明なんですね)。
◆この鏡、『兵庫県史』の時に撮影に行ったはずだが、なにも覚えていません(1990年、いまから29年前のこと)。埴輪も前期じゃないかも、とのこと。鏡が3末、で、古墳の年代はというところだ。佐紀段階くらいなら、なんとかなるか。新山や佐味田のようにストックしてきた鏡を、その地域で初めて古墳を造る時に、どばっと蔵出しして入れてしまう。まあ、埴輪の様相次第ですかね。ヒル塚あたりなら、と。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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