人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
プルームテック
◆3月に西都原に行ったときに、プルームテックを勧められ、電子タバコになっています。おおむねカートリッジ1日1箱で、前のように2箱より減る。もう少しでやめられそうな気もするが・・・。
免停始まる
◆4月7日、加古川から帰るとき、なぜかピカッ。そんなに飛ばしてません。そうかキャンペーン中だ!。柏原警察署に5月7日に呼び出され、「はい、わたしです」。このところ年2万キロは走ってます。
◆6月11日に東三国の交通処分関係の簡易裁判所に呼び出され、7万円を払い。
◆ついで停止処分に、本日、門真に行く。呼び出しは少し先の日付で通知が来たが、行けるのは今日しかないので、急遽、行く。
◆処分を見ると、去年の4月12日にも速度違反。これ、和歌山に行くのに阪和道で捕まったもの。キャンペーン中!ばっかり。これが3点で、今回が6点。で60日間の免停。もし去年の3点がなければ、30日の処分で、今日、1日講習を受けて、それで終わりだった!。残念。
◆さて、どこで2日の講習を受けようか。日がほぼない・・・。
◆6月11日に東三国の交通処分関係の簡易裁判所に呼び出され、7万円を払い。
◆ついで停止処分に、本日、門真に行く。呼び出しは少し先の日付で通知が来たが、行けるのは今日しかないので、急遽、行く。
◆処分を見ると、去年の4月12日にも速度違反。これ、和歌山に行くのに阪和道で捕まったもの。キャンペーン中!ばっかり。これが3点で、今回が6点。で60日間の免停。もし去年の3点がなければ、30日の処分で、今日、1日講習を受けて、それで終わりだった!。残念。
◆さて、どこで2日の講習を受けようか。日がほぼない・・・。
2019年6月2日、函館(5)
◆そのあと函館駅に戻り、昼はハコダテビール。
◆そのあと立待岬に行く。天候すこぶるよく、下北 半島も津軽半島もよく見えた。石川啄木の碑、与謝野夫妻の歌碑なども見て、戻ってくる。
◆駅前で別れ、空港に向かう。16:45発。函館空港で縄文土器の展示を見るが、ほかに見に来る人なし。函館は、お役所に勤めていた時、1996年に勝山館に行くのに降り立った。ちょうど空港拡張のため中野B遺跡などが調査されている時で、それも見せてもらった。
◆ちなみに、土曜の朝、ホテルにPCを忘れ・・・。電話し、着払いで送ってもらうことにする(月曜日に届く)。また帰り、羽田から伊丹への乗り継ぎで帰ってきたわけだが(高くつく)、羽田でスマホを忘れる。伊丹から電話を入れてもらい、伊丹空港に送ってもらう(火曜日に取りに行った)。4月には和歌山で通帳を落とし、5月にはイコカを落とし再発行。老人で、もうダメですわ。
◆そのあと立待岬に行く。天候すこぶるよく、下北 半島も津軽半島もよく見えた。石川啄木の碑、与謝野夫妻の歌碑なども見て、戻ってくる。
◆駅前で別れ、空港に向かう。16:45発。函館空港で縄文土器の展示を見るが、ほかに見に来る人なし。函館は、お役所に勤めていた時、1996年に勝山館に行くのに降り立った。ちょうど空港拡張のため中野B遺跡などが調査されている時で、それも見せてもらった。
◆ちなみに、土曜の朝、ホテルにPCを忘れ・・・。電話し、着払いで送ってもらうことにする(月曜日に届く)。また帰り、羽田から伊丹への乗り継ぎで帰ってきたわけだが(高くつく)、羽田でスマホを忘れる。伊丹から電話を入れてもらい、伊丹空港に送ってもらう(火曜日に取りに行った)。4月には和歌山で通帳を落とし、5月にはイコカを落とし再発行。老人で、もうダメですわ。
2019年6月2日、函館(4)
◆2日の日曜日。娘と五稜郭の函館奉行所9:00と約束。無事、合流。なんで
も20億円かけて建てたの だとか。幕末から明治はじめのあたりの通史的展示としては、このなかでやっているのが、もっともまとまったものか。7年だけあったもの・・・。復元は文化財の保存技術の伝承という役割もあるという。目玉ではあるに違いないし、成功していると思うが、1点豪華主義のようにも感じる。
◆近くの北洋資料館。これが面白い。副館長さん
が出てきて、いろいろ質問をし、楽しく説明を聞 いた。マルハ、ニチロ、もひとつなんだっけ、缶詰等の水産加工の大手としてはこの3つとのことで、函館にニチロの本拠があった。オホーツク海の北洋漁業の基地が函館にあり、これも函館の重要な歴史だ。いや~活気があったでしょうね。青函連絡船はあるし。
◆ちなみに、洞爺丸事故の話も聞く。台風で見合わせていたが、落ち着いたので通過したものと出港し、港を出たと
ころで退避していたが、座礁、転覆したのだとか。また、洞爺丸だけでなく、何隻もやられた。そして、そのあと台風がオホーツクに進み、操業中の漁船もかなりやられた、という話を聞く。
◆近くの北洋資料館。これが面白い。副館長さん
◆ちなみに、洞爺丸事故の話も聞く。台風で見合わせていたが、落ち着いたので通過したものと出港し、港を出たと
2019年6月1日、函館(3)
◆そこからロープウェイ乗り場まで歩き、函館山に登る。
遠望した後、ビールを飲みに入る。まだ夜景には早い時間だったので、眼下を見下ろせる窓際を確保、このあとどんどん人が入ってきた。
◆夜景になる前に降りる。下りのロープウェイに乗る人は少ないが、上がってくる人は150人の定員いっぱいかと思うくらい満杯。みなさん夜景をめざして来るのですね。わたしは、日中に、「あそこが何」と視認できる方が楽しいけど。このロープウェイは10分間隔です。
◆南部藩陣屋跡→(坂本龍馬の銅像、蝦夷地に来たかった、らしい。でも来ていないのに銅像を作るか?)→日本最古のコンクリート製の電柱→娘が予約してくれていたスペインバル。この頃には雨が降ってきて、雷も(函館山展望台の人たちはたいへんだ)。
◆五稜郭近くのホテルに入り、再び呑みに行く。娘をタクシーで送る(自転車で出てきていて、函館駅前に止めていた)。第1日目は終了。
◆夜景になる前に降りる。下りのロープウェイに乗る人は少ないが、上がってくる人は150人の定員いっぱいかと思うくらい満杯。みなさん夜景をめざして来るのですね。わたしは、日中に、「あそこが何」と視認できる方が楽しいけど。このロープウェイは10分間隔です。
◆南部藩陣屋跡→(坂本龍馬の銅像、蝦夷地に来たかった、らしい。でも来ていないのに銅像を作るか?)→日本最古のコンクリート製の電柱→娘が予約してくれていたスペインバル。この頃には雨が降ってきて、雷も(函館山展望台の人たちはたいへんだ)。
◆五稜郭近くのホテルに入り、再び呑みに行く。娘をタクシーで送る(自転車で出てきていて、函館駅前に止めていた)。第1日目は終了。
2019年6月1日、函館(2)
◆いちいち書いていると終わりそうもないので、なるべく簡潔に。その前に。津軽海峡の荒波が、函館山に遮られ、その内側が天然の良港になったことがよく理解できる。
◆函館空港から函館駅前へ。そこで市電の2日間乗り放題チケットを買い、末広町へ。東浜桟橋記念碑→函館運上所跡(いま自衛隊?)→北方民族資料館(アイヌ関係)→相馬株式会社の建物→諸術調所跡→坂をあがって宇須岸河野館跡→ペリー銅像→旧イギリス領事館(展示も結構充実)
◆伝建地区に入る→街並み資料館、100円だけど誰も入らない(外国人だらけ)、そこで伝建マップを100円で買う(いいマップなんだけど、ほかではあまり売っていなかった)→南下する、映画のロケ地かなんかで、写真を撮る海外の観光客(台湾からが多いらしい)。教会が3つあり、本願寺もある。
◆昼に函館駅で娘と待ち合わせ。朝市(これはエリア名です)で、海産物を中心に食べる。レンタカーでないので、昼間から呑める。
◆そこから歩きだし→青函連絡船記念館(入ってません)→赤レン
ガ倉庫群→旧金森洋物店(展示 施設)→重文になっている?旧相馬邸(相続者がいなくなった時に、だれも引き取り手がなく、有志者が買い取ったのだとか。800円するけど入ってみてください)→高田屋嘉兵衛の子孫がやっている北方□史資料館(閉館)→市電で青柳町まで行き、函館公園内の市博物館に行く。
◆歴史的なものが各所にあるので、展示施設が民間含めていっぱいあって、充実しているといえる。が、一方で、ここに行けば函館の歴史がひと通りわかるという博物館であってほしいが、そうではなかった。〈アイヌを描く〉、〈函館戦争終結150年〉の企画展ばかりで(もしかすると常設をはずしたのかもしれないが)、ロケーションも含めて、なんとかならないだろうか。
◆函館公園自体が、国内で何番目かという歴史のある公園である。そのなかにある旧博物館2棟も明治の早い時期のもので(いま博物館になっているのはまた別)、この当初から博物館が置かれた公園内にあることは、まあ必然なんでしょう。けれど、なかなか人は来てませんよ。
◆観光客の多く集まる赤レンガ倉庫群、あるいは伝健に近いあたりに、函館のあちこちのサテライトとは別の、センター博物館があると、きわめて効果的だろう。
◆函館空港から函館駅前へ。そこで市電の2日間乗り放題チケットを買い、末広町へ。東浜桟橋記念碑→函館運上所跡(いま自衛隊?)→北方民族資料館(アイヌ関係)→相馬株式会社の建物→諸術調所跡→坂をあがって宇須岸河野館跡→ペリー銅像→旧イギリス領事館(展示も結構充実)
◆伝建地区に入る→街並み資料館、100円だけど誰も入らない(外国人だらけ)、そこで伝建マップを100円で買う(いいマップなんだけど、ほかではあまり売っていなかった)→南下する、映画のロケ地かなんかで、写真を撮る海外の観光客(台湾からが多いらしい)。教会が3つあり、本願寺もある。
◆昼に函館駅で娘と待ち合わせ。朝市(これはエリア名です)で、海産物を中心に食べる。レンタカーでないので、昼間から呑める。
◆そこから歩きだし→青函連絡船記念館(入ってません)→赤レン
◆歴史的なものが各所にあるので、展示施設が民間含めていっぱいあって、充実しているといえる。が、一方で、ここに行けば函館の歴史がひと通りわかるという博物館であってほしいが、そうではなかった。〈アイヌを描く〉、〈函館戦争終結150年〉の企画展ばかりで(もしかすると常設をはずしたのかもしれないが)、ロケーションも含めて、なんとかならないだろうか。
◆函館公園自体が、国内で何番目かという歴史のある公園である。そのなかにある旧博物館2棟も明治の早い時期のもので(いま博物館になっているのはまた別)、この当初から博物館が置かれた公園内にあることは、まあ必然なんでしょう。けれど、なかなか人は来てませんよ。
◆観光客の多く集まる赤レンガ倉庫群、あるいは伝健に近いあたりに、函館のあちこちのサテライトとは別の、センター博物館があると、きわめて効果的だろう。
2019年6月1日、函館(1)
◆春先に決めていたもの。娘が、北大水産の大学院に進み、函館にいる。理学部ではやりたいこと をやれる研究室がなく、マウスの骨格の計測をやっていた。それを投稿論文にしているが、査読が返ってきて直している。大学院ではタコの擬態の研究をしている(イカをやっているアメリカ人の先生の研究室だそうです)。
◆金曜日の15時に出て、品川に向かう。
◆大阪から函館の便は昼便で、滞在時間が限られる。また、カミさんが金曜日に東京での仕事が入っていた。そこで、土曜の羽田発7:15発便とした。で、金曜日にわたしは新幹線で品川に。せっかくなので、息子を呼び出し、品川で食事をする。大鳥居のホテルに泊まり、翌朝、函館に飛ぶ。
◆金曜日の15時に出て、品川に向かう。
◆大阪から函館の便は昼便で、滞在時間が限られる。また、カミさんが金曜日に東京での仕事が入っていた。そこで、土曜の羽田発7:15発便とした。で、金曜日にわたしは新幹線で品川に。せっかくなので、息子を呼び出し、品川で食事をする。大鳥居のホテルに泊まり、翌朝、函館に飛ぶ。
淀、八幡、東高野街道(3)
◆枚方に入り、旧道をたどっていく。
◆八幡市内は、東高野街道の表示が、少なくとも石清水に近いところ は、かなり充実していた。南に行くと、それも希薄になり、枚方市域でも、ちょこっと板に字を書いたようなものを立ててくれているところもありましたが、よくわからなかった。そりゃそうですよね。マチを通過しているところでは舗装するとかしても、枚方は段丘のへりを通しており、基本、村を通過するところをのぞけば田園地帯ですからね。
◆八幡市内は、駅前の観光案内書でマップをもらってきていたが、枚方市域はよくわからず。川に突き当たって、スマホで調べたものの、ため池のところで間違い、引き返すことはせず、京阪の駅をめざす。牧野駅にたどり着き、大阪に戻る。
◆写真は、大阪のどこかの駅の構
内にあった、京都の美術館の企画展のポスター。大阪から来てくれと、4館がこうしたポスター掲示を共同でやっているのは、なかなかよいと感じる。
◆八幡市内は、東高野街道の表示が、少なくとも石清水に近いところ は、かなり充実していた。南に行くと、それも希薄になり、枚方市域でも、ちょこっと板に字を書いたようなものを立ててくれているところもありましたが、よくわからなかった。そりゃそうですよね。マチを通過しているところでは舗装するとかしても、枚方は段丘のへりを通しており、基本、村を通過するところをのぞけば田園地帯ですからね。
◆八幡市内は、駅前の観光案内書でマップをもらってきていたが、枚方市域はよくわからず。川に突き当たって、スマホで調べたものの、ため池のところで間違い、引き返すことはせず、京阪の駅をめざす。牧野駅にたどり着き、大阪に戻る。
◆写真は、大阪のどこかの駅の構
淀、八幡、東高野街道(2)
◆八幡に移動し、東高野街道を南下し、
洞
ヶ峠をめざす。八幡もなかなか街並みがいい。
◆そ うだ、西車塚古墳の近くを通るはずなので、何十年ぶりかに行こうと、どこかなと。後円部に八角堂が建っている。それらしいものが近づくと、なにやら人がぞろぞろと集まってきている。
登り口のところには、八幡市教委の人がたくさんいる。みな古墳を見に来た?、と思ったら、ふだん未公開の八角堂を内部公開するというの で、人が集まっているのでした。
◆これ石清水の離れた境内だったものを、交換した、とか説明があったのかな。忘れましたが・・・。
◆洞ヶ峠にたどりつく。国道1号線が通過。少し前に、大阪の歴史演習で、島本町のことを調べている学生に、梶原台場の資料を示そうと『ヒストリア』をあさっていたら、関係個所を示した、わたしの作った地図が出てきて、見ていたところでした。
◆そ うだ、西車塚古墳の近くを通るはずなので、何十年ぶりかに行こうと、どこかなと。後円部に八角堂が建っている。それらしいものが近づくと、なにやら人がぞろぞろと集まってきている。
◆これ石清水の離れた境内だったものを、交換した、とか説明があったのかな。忘れましたが・・・。
◆洞ヶ峠にたどりつく。国道1号線が通過。少し前に、大阪の歴史演習で、島本町のことを調べている学生に、梶原台場の資料を示そうと『ヒストリア』をあさっていたら、関係個所を示した、わたしの作った地図が出てきて、見ていたところでした。
淀、八幡、東高野街道(1)
◆淀城へ行く。初めてでした。今残っている
のは本丸と二ノ丸なんで しょう。
◆地元のみなさんが 知ってもらおう、見に来てもらおうと努力していた様子が垣間見られたが、いまはそうでもないよう。行政も史跡として一定のことをやってくれればいいのでしょうが、あんまり手をかけている様子はない。
◆京都はいっぱいあってたいへんでしょうが、しかし京都だから
こそ、ほかの自治体と同じでなく、もっと歴史遺産を充実させるべきですね。お寺さんはお寺さんとして、あちらこちらにある歴史遺産を、地元とともに、少しずつ条件整備を進め、看板を設置し、地元の管理団体を育成してと、進めてくれればいいのですけど。
◆淀藩があり、その近世城郭が残り、ふつうなら目玉なはず。が、淀は競馬場なのです。
◆地元のみなさんが 知ってもらおう、見に来てもらおうと努力していた様子が垣間見られたが、いまはそうでもないよう。行政も史跡として一定のことをやってくれればいいのでしょうが、あんまり手をかけている様子はない。
◆京都はいっぱいあってたいへんでしょうが、しかし京都だから
◆淀藩があり、その近世城郭が残り、ふつうなら目玉なはず。が、淀は競馬場なのです。
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。