人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2月15日(金)母親の退院
◆14日、電話がかかってきて、金曜日に一時退院をすると。
◆16日、急遽、加古川に行く。なんとか壁をつたわりながら、自分でトイレには行ける様子。まずは部屋の模様替え。居間にベッドを置き、こたつを配置替えし、ソファを置き。応接間だったところに、2階から父親のベッドを設置する。カミサンと買い物に行き、昼も夜も作ってもらった。わたしはコーヒーをいれたくらい。弱気になっているので励ます。
◆新聞で見た歌のDVDを注文した。来たらもっていき、声を出して歌ってもらおうと。
◆入院中、インフルエンザをもらってしまい、個室に隔離され、姉曰く「痴呆が進んだ」と。それにリハビリもできず、1週間のインフルエンザ隔離の影響は大きい、と。とにかく、仕事は、話をすること。話をして、会話のやりとりをすることが大事だと思う。
◆16日、急遽、加古川に行く。なんとか壁をつたわりながら、自分でトイレには行ける様子。まずは部屋の模様替え。居間にベッドを置き、こたつを配置替えし、ソファを置き。応接間だったところに、2階から父親のベッドを設置する。カミサンと買い物に行き、昼も夜も作ってもらった。わたしはコーヒーをいれたくらい。弱気になっているので励ます。
◆新聞で見た歌のDVDを注文した。来たらもっていき、声を出して歌ってもらおうと。
◆入院中、インフルエンザをもらってしまい、個室に隔離され、姉曰く「痴呆が進んだ」と。それにリハビリもできず、1週間のインフルエンザ隔離の影響は大きい、と。とにかく、仕事は、話をすること。話をして、会話のやりとりをすることが大事だと思う。
この時期は卒論試問に院試にドタバタ
◆12日、試問が終わって歴史学の先生方と、いつものいわし亭で打ち上げ。教室旅行の話などで盛り上がる。徹先生と話をしていると楽しい。
◆翌日13日は院入試1日目の筆記試験。この日ヒストリア2月号校了。成績入力も。
◆翌日14日は口述試験。博士2名、修士7人、そこから合否判定。終了後、これまた恒例の日本史の呑み会。
◆翌日13日は院入試1日目の筆記試験。この日ヒストリア2月号校了。成績入力も。
◆翌日14日は口述試験。博士2名、修士7人、そこから合否判定。終了後、これまた恒例の日本史の呑み会。
211集会
◆上本町の喫茶店2軒で卒論を読み続ける。13時前に高津ガーデンに
行き、集会の開場後 の誘導担当の仕事をする。こういうの、来ない人は来ないですね。
◆講演はとても勉強になった。恒藤恭の思想にふれていた。そうなんだ、日本人じゃない、人間なんですよね。韓国人は、とか、アメリカ人は、といったナントカ人でなく、その手前で同じ人間なんだということ。個人がそれぞれ違うように、韓国のAさんとBさんも違う、アメリカ人のCさんとDさんも違う。考え方は、AさんとDさんと近かったりする。それをナントカ人とくくってしまうことの間違い。国籍が大事なのではない。恒藤の「世界民」とはそういうこと。望んでないのに、生れ落ちたら日本人だったという。それと、象徴とはいかなるものかということも学ぶ。この講演は京都府立大学の小林啓治氏。もう一度、レジュメを見ながら反芻するとよいのですが。
◆講演はとても勉強になった。恒藤恭の思想にふれていた。そうなんだ、日本人じゃない、人間なんですよね。韓国人は、とか、アメリカ人は、といったナントカ人でなく、その手前で同じ人間なんだということ。個人がそれぞれ違うように、韓国のAさんとBさんも違う、アメリカ人のCさんとDさんも違う。考え方は、AさんとDさんと近かったりする。それをナントカ人とくくってしまうことの間違い。国籍が大事なのではない。恒藤の「世界民」とはそういうこと。望んでないのに、生れ落ちたら日本人だったという。それと、象徴とはいかなるものかということも学ぶ。この講演は京都府立大学の小林啓治氏。もう一度、レジュメを見ながら反芻するとよいのですが。
2月9日は和歌山に
◆9日(土)はひたすら大歴の仕事をしていた。終わらないもんで。北花田でカミさんと待ち合わせ和歌山に。笑福亭でラーメンを食べて・・・。
◆翌日、岳父を訪ね、買い物をし、かじか荘で昼飯を食べて、カミサンを寝屋川の職場に送る。寝屋川のサイゼリヤで卒論を読み続ける。
◆翌日、岳父を訪ね、買い物をし、かじか荘で昼飯を食べて、カミサンを寝屋川の職場に送る。寝屋川のサイゼリヤで卒論を読み続ける。
今年度の修論・卒論試問
◆大学院入試の合格発表までのスケジュールの関係でしょうか、院試が2月13・14日(水・木)なので(14・15でないという意味)、試問が8日(金)と12(火)と3連休をまたぐ。わたしの場合、8日がメインなので、それまでになんとか読まなければならない。それが終われば3連休があり、自分が主査でない卒論3本を読めばよい。
◆8日(金)は、終わってから大歴の編集委員会もありました。
◆8日(金)は、終わってから大歴の編集委員会もありました。
テジョヨン
◆このところ、秋から韓流ドラマのテジョヨンをGYAOで見続けている。130話もあるもんで。テジョヨンとは渤海の建国者です。はじまりのあたりは見てません、途中からです。唐の太宗李成民の高句麗遠征、それを退けたヤンマンチュン。しかしついに7世紀後半、唐は新羅と結び、百済を滅ぼし、ついには高句麗も滅亡する。
◆2月2日は加古川。夕方出て泊。
◆3日、朝ごはんを父親と食べ、大阪に向かい、研究室10:40.ひたすら先手打ちの仕事。研究費の残額処理も1月中にほとんどできず、この日にやったのだったか。修論・卒論読みの計画とか、も。
◆4日は研究室に行かず、ひたすら国分周辺で修論2本を読んでいた。
◆2月2日は加古川。夕方出て泊。
◆3日、朝ごはんを父親と食べ、大阪に向かい、研究室10:40.ひたすら先手打ちの仕事。研究費の残額処理も1月中にほとんどできず、この日にやったのだったか。修論・卒論読みの計画とか、も。
◆4日は研究室に行かず、ひたすら国分周辺で修論2本を読んでいた。
白石先生の論文集
◆1月31日〆切。なんとか前日の30日に送信する。あまり量は書けないので、ちゃんとした反論になっていないが、墳丘・石室の記載を重視した。
◆次は中尾さんの論文集。この間、1月31日に大学で泊まり、途中3時間ほど寝たのだったか、仕事を続け、そこで少しこの論集に書く予定の作業をした。が、これは苦戦しそうです。3月末〆切。
◆難波宮本も、ほぼ残り作業をすませ、あとは、もう1人の原稿待ち、にこぎつける。
◆そうこうするうちに、市大日本史の原稿も届き始めている・・・。こんな仕事ばっかりですな。
◆次は中尾さんの論文集。この間、1月31日に大学で泊まり、途中3時間ほど寝たのだったか、仕事を続け、そこで少しこの論集に書く予定の作業をした。が、これは苦戦しそうです。3月末〆切。
◆難波宮本も、ほぼ残り作業をすませ、あとは、もう1人の原稿待ち、にこぎつける。
◆そうこうするうちに、市大日本史の原稿も届き始めている・・・。こんな仕事ばっかりですな。
1月26日は和歌山
◆土日のどっちかは、和歌山か加古川に行く。この日は和歌山。岳父は、
サービス付きなんたらの 施設に入っている。お母さんは家で闘病生活。車に乗せて施設に様子を見に行き、買い物をして帰ってくる。日帰りが多かったが、このところ2月は、前日夜に入り、泊まって、翌日午前くらいで大阪に戻るようにしている。
◆この日は、カミサンの職場からだったので、近畿道から阪和道に入り、和泉岸和田で降りて父鬼経由でかつらぎ町に入る。道の駅ができていて、そこで食事をし、地元産品をいろいろ買う。あんまり高いものでなく、ちょこっとしたもの。かみきし屋の焼き餅、干し柿、などなど。この日、黒江まで行き、黒牛を購入。
◆翌日27日の文化財専門職説明会は、大学博物館の仕事などで、諸々こなせておらず、連絡もせず欠席することとなる。すいませんでした。
◆この日は、カミサンの職場からだったので、近畿道から阪和道に入り、和泉岸和田で降りて父鬼経由でかつらぎ町に入る。道の駅ができていて、そこで食事をし、地元産品をいろいろ買う。あんまり高いものでなく、ちょこっとしたもの。かみきし屋の焼き餅、干し柿、などなど。この日、黒江まで行き、黒牛を購入。
◆翌日27日の文化財専門職説明会は、大学博物館の仕事などで、諸々こなせておらず、連絡もせず欠席することとなる。すいませんでした。
富雄丸山古墳の見学
◆1月24日に富雄丸山古墳の発掘現場を見学させていただきました。もう忘れかけてますが、帰ってきてから復元図を書いた覚えがある。
◆翌25日は考古の修論1本・卒論2本の打ち上げ!。3人ともよく頑張ってくれました。
◆翌25日は考古の修論1本・卒論2本の打ち上げ!。3人ともよく頑張ってくれました。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。