人を幸せにする人になろう

大室・前二子古墳

◆大室古墳群に昨日に続いて訪れ、今度は古墳石室を見る。まずは前二子。まあそれにしても、群馬にはごろごろと古墳がある。こういうのが3基あるのは保渡田なんかと同じなのだろうか。いや時期が違うか。ごっつい周堤をまわした前方後円墳がいくつもある。堤というのは、このようにめぐらすもの、ということがよくわかる。
◆前期や中期までの開発地は河川沿いに限られ、5世紀後葉以降、より河川から離れた内陸部の開発が各所で進められるイメージ。利根川からかなり入り込んだところであるが、比較的平坦な土地が続いていて、未開だが開発可能な場所がいくつもあったのだろう。そういう未開の地に入植してきたヤツラなんだろうなと。それにしても立派な古墳群を形成している。
◆写真はうちの吉永小百合ですが、う~んと画像を落としておく。質問が寄せられたので(ブログのチェックが早い!)、なぜ吉永小百合かの答えを出しておきます。

再度、別所茶臼山古墳

◆ひとつ前のガイドブックに、ちっちゃな図があったので拡大し、津堂と比較してみました。なんとか125歩くらいで説明はつくかなと。いかが。

初日の藤岡市・伊勢塚古墳

◆ガイドブックがあったので、学生らに渡しておいたもの。いま見ると、表紙が伊勢塚なんですね。で、入手日が1992年2月8日とある。就職して1年目ですね。どうやって手に入れたんでしょうか。群馬県立博物館に行ったのでしょうか。県博に最初に行ったのは4回生の時で、前橋天神山の三角縁を見に行った記憶はあるが。

太田市・別所茶臼山古墳

◆これは歴博共同研究の時に訪れた記憶がある。が、覚えているのは足利一門の墓があり、それが指定されているという記憶。足利と新田は隣同士で、新田が群馬側、足利が栃木側、ですね、確か。接近すると、新田荘関係で、いろんな構成資産をあわせて国史跡になっているようだ。そうした看板が目に付く。
◆で茶臼山古墳だが、お寺になって痛みも大きく、これはどうなるんでしょうか。前期末・中期初頭とされているのかな。

女体山

◆太田天神山に初めて行ったのはいつだったか。大学院生の時?、忘却です。歴博共同研究の時に、U氏と行った時の記憶はある。が、天神山古墳に上がっても、女体山古墳に足を踏み入れたことがなかった。
◆今回がはじめて。横にコンビニがあって車を止めて入る。ぺっちゃんこですね。これ、ずいぶん下がっているのではないだろうか。さすがに東日本一の前方後円墳があって、メサホとオサホのセットのように女体山がある。こっちだけは墳丘を高くすることができなかった、というわけではないだろう。

太田天神山

◆いま5月19日にブログを書いています。O市のY氏からショートメールが来た。岡山の研究会に来ているなら、夜、一緒に飲みましょうと。そう、3月だかにそう言われていた。が、結局行っていないので、ごめんな、と。学生らが行かないというので、1人で行くかと考えてはいたが、直前までどうするか決めかねていた。そりゃ、しないといけない仕事はある。まあこれは誰でもそうですね。今回は、今やっつけとくべきことがあったので、やめた。
◆今日は、そういう仕事を朝からやっていた。で、一段落したので群馬のブログを書いているわけです。Y氏ら仲のよい4人で岡山に向かっており、この4人と飲むのは楽しいのだが残念です。
◆で群馬ブログに戻り、太田天神山古墳。これは別途、少し前に出しました。ちなみにレーザー測量をした成果が出ているという県教委の本を買ったのですが、赤色図があるだけで、等高線図がないやないか。だまされた。

太田市・朝子塚古墳

◆これ、箸墓のように寸断されているのですね。でも時期は佐紀。利根川に近い場所に位置するのがミソですね。舟運を押さえているのでは。
◆今回の群馬行きの後、これだけでかいものがゴロゴロあり、それらのモデルとなった倭国王墓を特定したいという気持ちがむずむず。
◆さっそくブログを書きつつ、まあ宝来山ちゃうかとやってみました。3段築成の2段が地上に見えており、下段は埋没しているのでは。170歩の宝来山との比較としては、105歩と考えた時もっとも適合する。周濠のフレ ームも、宝来山と同じですね(この図では宝来山が墳丘のみだが)。また、朝子塚の図も、どこかのブログから取ったものでアバウトですが。
【追記】宝来山の周濠輪郭を加えたものに差し替え。

群馬3日目 塚廻り4

◆翌日は快晴。この日はとにかく古墳をめぐるというので、高速道路も使い、まずは東端に先に行く。塚廻り4号墳です。太田市ですね。これは間違いなくはじめてだ。天気よく、赤城山がきれい。

宝塔山と蛇穴山

◆総社に戻り、2つの方墳の石室を見る。天気悪し。これで何時かな。
◆2日目はこれにて終了し、前橋泊り。日曜日なので、予約なしで店に入ったと思う。が、これもまったく覚えてないな~。
◆このブログで群馬から戻って直後に、行先だけを書いた。それによると、「ホテル近傍の博多から進出した?店」とある。のちに思い出した。雨なので、うろうろ店を探し回りたくないということだったのだろう。

伊勢崎市・赤堀歴史民俗資料館

◆総社から大室古墳群に行く。ここにも展示施設があるようなので行く(現地は翌日)。が、展示室なるものは、移築古民家の倉庫?を利用したもので、埴輪作り体験による作品が主体だが、実物の埴輪もいくつかはならんでいた。
◆大室経由で赤堀レキミンへ。昔、役所勤めの時、補助金で赤堀茶臼山古墳の発掘をやっていて、2度くらい現地に行ったように思う。
◆まずは資料館。この資料館を前に見たかどうかは、記憶がない。むかしは赤堀町だが、いまは伊勢崎市に合併している。伊勢崎市にもこうした資料館があったのかなかったのか知らないが、たぶんなかったんでしょう。この旧赤堀町が作った資料館が、いまは伊勢崎市全体の考古系の展示施設となっているように見受けられた。
◆著名な赤堀茶臼山の埴輪類、東博は全面的に貸し出してくれないものか。
◆そのあと茶臼山古墳現地。なんとかたどりついた。が、接近していても、風景などまったく覚えていない。古墳に登っても同じでした。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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