人を幸せにする人になろう

2018ゼミ旅行若狭丹後(26)赤坂今井

◆に行く。青松が通っていく。赤坂今井も国史跡になったんだったか。発掘から月日が経つ。看板 も古くなり、おそらく時間をおかずに整備へと考えられていたのだろうが、頂部の墓坑表示など、一定の整備を早く進めてほしいですね。

2018ゼミ旅行若狭丹後(25)昼飯を取って網野へ 記事№4200

◆てんきてんき、へ行き、昼飯。竹野遺跡の遠賀川土器のモニュメント がある。一画には山陰海 岸ジオパークの案内所もある。そこから網野へ。日本海をながめながら、琴引浜、離湖、網野へ。こないだオープンした野村克也記念館には行かないで、銚子山古墳へ。そして小銚子も見る。

2018ゼミ旅行若狭丹後(24)神明山古墳と丹後古代の里資料館

◆なつかしい神明山古墳。墳頂から見た日本海。
◆そのあと資料館。なかなかいいものがそろっている資料館です。竹野遺跡の遠賀川。弥生墳丘墓の副葬品類。網野銚子山や神明山古墳の埴輪や土器など。後期古墳の遺物も。網野に古代寺院があるんですね。

2018ゼミ旅行若狭丹後(23)大成古墳群と立岩

◆大成古墳群。これも初めて。いや~絶景です。快晴で海の青さがバツグン。院生・学生らもは しゃいでいる。ここは山陰海岸ジオパークに認定された一画にあり、立派な看板が立っている。近くのおじさん・おばさんが何か取っている。見に行くとヨモギでした。
◆そこから立岩の方に降りていける。昔、測量をやってた時に、一度、昼飯を浜辺で食べたような記憶がある。そしてその時に、立岩に上がった記も。西側から取りついたように記憶し、行って見てチャレンジするも、これは無理とあきらめた。

2018ゼミ旅行若狭丹後(22)産土山古墳

◆昔、確認調査の時に2回ほど来て、追加指定と一部解除をやった。その時はまだ児童のいた横の小 学校はすっかり廃校になっている。墳丘の傷みは大きい。ちょっとやりようがないかもしれないが、未盗掘石棺が掘り出され、整備してやれば、大成古墳群と同様に、海を見下ろす絶景ポジションの大型円墳として、訪れてくれる場所になるように思う。

2018ゼミ旅行若狭丹後(21)奈具岡そして黒部銚子山

◆綾部ICから高速に乗り京丹後一宮まで。そこから竹野川沿いに北上したのか・・・。まあ、適当に行 く。そうすると奈具岡にたどりつく。一応、道すがらに案内があり、上がっていくが、まあハウスやら農地が広がっていて、看板があるだけですが。快晴だが風があり、看板がゆらゆら、そのうち説明板が飛びそうでした。看板を新しくしてもらわないといけません。
◆そこから旧丹後町に向かう。いつも神明山に行く時に道路脇によく見える黒部銚子山を眺めてましたが、はじめて立ち止まって古墳に行く。実にきれいな古墳です。イ メージは腋上カンス塚。年代はいつ頃なんでしょう。

2018ゼミ旅行若狭丹後(20)私市丸山

◆翌日、8時発。福知山ICに乗り損ね、綾部方面に行くが、おかげで目の前 にそびえる私市丸山古墳 が姿を現し、予定外だが、そりゃ行くでしょ、と山登り。これは造り出し付き円墳なんでしょうか。

2018ゼミ旅行若狭丹後(19)福知山泊

◆小浜インターから福知山へ。20時前に着く。隣の店が安くて旨いとのこ とだが人でいっぱい、途 中、車の中で調べた店に行き、日本酒を飲む。なにをしゃべっていたかはまったく覚えていないが、今回の旅ではやったこと、「じゃ」、と中世史院生I氏の話、それから調べものをする時のタイセイ。
◆23時過ぎに寝て4時に目が覚め、それから眠れず・・・。

2018ゼミ旅行若狭丹後(18)十善の森→上船・下船

◆十善の森に行く。丸山塚跡地を遠望。快晴だった天気も午後はどんよりしてきて、さらに夕闇が 迫る。そしてラストの上船・下船に到着した頃は暗闇が迫る。車のライトで看板を見る。で、上船塚に感動した。この古墳は美しい。車の中からながめた前方部、そして側面観。典型的な6世紀前半の墳丘である。しかもでかい。ちなみに下船塚の方が規模が大きい。
◆昔、国道からここが上船塚ですよ、と教えられた記憶はあるが、その時には降り立って墳丘に上がったことはないわけです。今回、改めてこの6世紀代の前方後円墳がこれだけあることをどう考えるか、この地域の意味を考える上で、きわめて重要であると感じた。一般的には4世紀までが丹後で、そのあと若狭が重視されていくようになる、と言われているかと思うが、そう簡単な割り切りで説明がつくものでもなかろう。

2018ゼミ旅行若狭丹後(17)向山1号墳

◆向山1号墳の調査は1987年と1988年でした。1988年調査の後半に参加しました(鬼神谷窯の調査 終了後)。なので30年前。記憶がほとんどないのです。まずは場所。なんとなく程度。そこは調べてきてくれているので、この丘陵の先端ピークなんだろう、とはわかるが、囲われていています。しかも覗いてみると急傾斜。
◆調査の時には、いったいどこから上がっていたのやら・・・、そういうことがまったく「記憶にございません」。とにかくも、西側の谷が入っているいるところがもっともアプローチしやすいので、そこから取りつく。が、途中からは思いっきり急傾斜。が、上がっていくと、こんな急傾斜地のピークだが、尾根上にさらにこんもりとした前方後円墳のマウンドがある。
◆これに違いない・・・。とはいえ、墳丘に上がっても、そうそう、こうだったというデジャブ観がまったくない。記憶といえない記憶より墳頂部は狭く、ここに石室と武器埋納坑があったというのがピンとこないわけです。まったく情けない限り・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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