人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2018ゼミ旅行若狭丹後(18)十善の森→上船・下船
◆十善の森に行く。丸山塚跡地を遠望。快晴だった天気も午後はどんよ
りしてきて、さらに夕闇が 迫る。そしてラストの上船・下船に到着した頃は暗闇が迫る。車のライトで看板を見る。で、上船塚に感動した。この古墳は美しい。車の中からながめた前方部、そして側面観。典型的な6世紀前半の墳丘である。しかもでかい。ちなみに下船塚の方が規模が大きい。
◆昔、国道からここが上船塚ですよ、と教えられた記憶はあるが、その時には降り立って墳丘に上がったことはないわけです。今回、改めてこの6世紀代の前方後円墳がこれだけあることをどう考えるか、この地域の意味を考える上で、きわめて重要であると感じた。一般的には4世紀までが丹後で、そのあと若狭が重視されていくようになる、と言われているかと思うが、そう簡単な割り切りで説明がつくものでもなかろう。
◆昔、国道からここが上船塚ですよ、と教えられた記憶はあるが、その時には降り立って墳丘に上がったことはないわけです。今回、改めてこの6世紀代の前方後円墳がこれだけあることをどう考えるか、この地域の意味を考える上で、きわめて重要であると感じた。一般的には4世紀までが丹後で、そのあと若狭が重視されていくようになる、と言われているかと思うが、そう簡単な割り切りで説明がつくものでもなかろう。
2018ゼミ旅行若狭丹後(17)向山1号墳
◆向山1号墳の調査は1987年と1988年でした。1988年調査の後半に参加
しました(鬼神谷窯の調査 終了後)。なので30年前。記憶がほとんどないのです。まずは場所。なんとなく程度。そこは調べてきてくれているので、この丘陵の先端ピークなんだろう、とはわかるが、囲われていています。しかも覗いてみると急傾斜。
◆調査の時には、いったいどこから上がっていたのやら・・・、そういうことがまったく「記憶にございません」。とにかくも、西側の谷が入っているいるところがもっともアプローチしやすいので、そこから取りつく。が、途中からは思いっきり急傾斜。が、上がっていくと、こんな急傾斜地のピークだが、尾根上にさらにこんもりとした前方後円墳のマウンドがある。
◆これに違いない・・・。とはいえ、墳丘に上がっても、そうそう、こうだったというデジャブ観がまったくない。記憶といえない記憶より墳頂部は狭く、ここに石室と武器埋納坑があったというのがピンとこないわけです。まったく情けない限り・・・。
◆調査の時には、いったいどこから上がっていたのやら・・・、そういうことがまったく「記憶にございません」。とにかくも、西側の谷が入っているいるところがもっともアプローチしやすいので、そこから取りつく。が、途中からは思いっきり急傾斜。が、上がっていくと、こんな急傾斜地のピークだが、尾根上にさらにこんもりとした前方後円墳のマウンドがある。
◆これに違いない・・・。とはいえ、墳丘に上がっても、そうそう、こうだったというデジャブ観がまったくない。記憶といえない記憶より墳頂部は狭く、ここに石室と武器埋納坑があったというのがピンとこないわけです。まったく情けない限り・・・。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。