人を幸せにする人になろう

2017年11月26日、四校交流卒論発表会

◆京都府大、奈良女、三重大でやってきたものに加えていただき、3年目でしょうか、はじめてホス ト校になり、学情6階のセミナールームで開催しました。学生・院生らが準備してくれ、無事、終了した。あとの懇親会も楽しく、今日の発表をめぐって、また参加学生・院生らのやっていることを聞いて話をしたり、とても楽しくやれました。いいもんですね。
◆20時過ぎには解散したが、そのあとM大Oさんと2次会へ。けっこう呑みました。これまた楽し。また海があって渡る、棺あって槨なし(〈魏志倭人伝〉です)というのをどう考えるのか、丸山古墳の前棺と奥棺の位置関係をどう説明するのか、くやしいので考えないといけませんが・・・。

播磨見学会(8)宮山と姫路市マイブンセンター

◆夕暮れが近づく中、宮山古墳を訪れました。隣のマイブンセンターに明かりが。土日やっている のか?。時間は1645。入館1630までとあるが、入れていただきました。姫路市内の古代寺院の展示、面白かったです。蓮華文帯シビの勉強もさせてもらいました。これだけの企画展を構成していくのも大変だと思いますが、引き続き頑張ってください。
◆ここ、常設展はないと思っていたが、収蔵庫の壁面にあるのですね。丁瓢塚の埴輪も置いてくれておりました。
◆17時が来て、ここも施設は指定管理なんでしょう、もう閉めるといわれ、古墳現地に。
◆そのあと判断ミスで姫路バイパスに乗ったら、高砂にたどり着くまで30分以上もかかる大渋滞。反対に出て、播但道で北上すべきでした。自分の実家最寄のランプで降り、志方まで北上し、山陽道に乗り直し、天王寺で解散したのは20時直前でした。

播磨見学会(7)壇場山と山之越

◆壇場山古墳。さらに大きくなりました。典型的な中期前半の古墳です。南側の造り出しもちゃんと残 る。新しい測量図を添えた看板を立ててくれています。仲津山の半分とも書いてありました。(山之越とあわせて)長持形石棺が2つ見れることもすばらしい。ただし壇場山の石棺は中心位置ではなく前方部寄りです。奥にもうひとつあると思っています。レーダーをかければ確実に捉えられるだろう。
◆現地では、渡土手について考えていました。

播磨見学会(6)丁瓢塚

◆竹管文の土器を見つけてくれ、といったら、小片ながら見つかりました。
◆104mはでかい。新しい看板が前方部のところにありました。昔は竹やぶで、測量するとき、エスロンテープを通しなおすのに苦労しました。

播磨見学会(5)輿塚

◆権現山51をめざしたのですが、山を間違い行きつけず(いちばん安パイと 思っていたのですが、 大チョンボ)、輿塚に。兵庫県の史跡。新しい測量図もあるし、看板を更新してほしいですね。道案内はある。
◆そのあと綾部山に行くが、ちゃんとした分布図を持って行ってなかったので、行っただけ。大型の円墳が2基あったはずだ。古い分布調査報告書をもっていたはずだが、どこへ行ったのやら。

播磨見学会(4)龍子三ツ塚

◆大昔に(高校生の頃?浪人中?)、南側から直登して行きついたことがあった。大手前が 掘っている時は、どこから登っていたのでしょうか。どこからアクセスするのがよいのか、調べてもわからないまま、現地へ。養久山との切通を北に抜けきらないあたりから登り、無事、たどりつくことができた(石山古墳よりましだった)。
◆岩盤風化の赤い礫的地山の墳丘がほぼむき出しで、ブルーシートも朽ち果て、傷みを感じざるを得ない状況でした。養久山1よりちょっと大きくなったのかな。前方部のあたりで、土器片を見つけました。

播磨見学会(3)養久山1号墳

◆養久山1号墳は、ネットで行き方が拾え、その画像を取り込んでいたので、あまり迷うこと なくたどりつきました。とはいえ、山に取りつくところに看板はあるのですが、目の前が業者の資材置き場か作業場になっていて、どこから上がっていくのか、わかりにくくなっていました。山との関係で竹やぶに入っていくんだろうと判断され、当たっていましたが、矢印看板がひとつほしい。土地所有の問題があるんでしょうね。
◆尾根に取りついたら、すぐ1号墳が見えてきました。発掘後、列石などはそのままにしてあったのでしょうか。調査時の検出した列石だろうなというのが見え隠れしていましたが、傷んでいるところもあるように思えました。貼芝はしてあるのか(あまり定着していないが)、土壌むき出しではなく表層は保護されている観がありましたが。検出遺構を示すならそのための保護策が必要だろうし、元の通りを維持するならそれにも養生の手当てが必要で、調査で立ち木もなくなった丘陵の古墳の保全は難しいですね。

播磨見学会(2)新宮宮内遺跡とたつの市埋文

◆一度、展示を見に連れて行ってもらったことがある。遺跡の方は行っていなかったが、史跡整備され た宮内遺跡を初めて見る。弥生の集落で国史跡となって整備されている、というのは貴重だし、展示施設も充実していますね。
◆環濠も多く見つかっているが、取り囲んでいる全体像はわかっていないようで、構造がこんなんだ、と示しにくいよう。判明している集落域と墳墓が整備されている。長方形の墳墓2基、その間の円丘墓などが表示されている。石鏃多数を射込まれた戦死者の墓も。
◆中期までの集落が一旦途切れる、と解説されていたところが気になる。後期の土器もあるので、中期的集落が途絶え、後期に改めて居住があったということのようだが、気になる。こないだヤマト国の話をした時に、播磨は入ってないんかと問われ、うっとなった。中期集落の途絶は畿内と同調的 で、播磨にもおよんでいると捉えた方がいいのかもしれない。
◆一帯が公的な文化施設ゾーンとなっている。スポーツセンター、図書館、その北側の建物の一画が埋文センターで展示施設がある。人は配置していないが、土日も開館してくれている。考古資料のまとまった展示として、お勧めですね。いいものもいっぱいある。また、新しい施設なので展示手法も充実している。途中、吉島古墳こっち、という看板があり、忘れてたと。予定外であったので、スルーしました。

播磨見学会(1)玉丘古墳群

◆1か月前、台風接近で延期していたもの。天気も良かった。論文組は参加できなくなったが。
◆まずは玉丘古墳群。玉丘古墳群を取り込んだ公園といった方がいいのかな。駐車場のある入り口に全体マップはあり公園内の古墳はわかるが、公園外にも古墳群は広がり、その全体像はどんなんか示すようなものがほしい。分布図、編年表、など。史跡整備は基本的に現状維持。それはそれでいいのだが、古墳の場所にある看板の情報が少ない。例えば、図面がありトレンチの位置は明示してあっても墳丘復元線が入っていない。
◆玉丘古墳の石棺は調査され、上部の破片は調査事務所で展示している。が、土日は見れないようだ。公園は広大な敷地である。埋文の事務所も公園内に設け、出土品なども見てもらえるようになれば、もっといいのですが。あと、玉丘古墳群についてひととおり知ることのできる便利な冊子もほしいです(あるのかもしれませんが)。
◆玉丘古墳はいつもは前方部から上がって、墳頂まで行って引き返すだけだが、北側の造り出しを見に行きました。
◆なお公園は指定管理のようです。

これはひどい 記事№4000

◆これ何重にもわたる悪ではないか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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