人を幸せにする人になろう

富山

◆土日、富山に行きました。朝、8:40のサンダーバード、金沢11:18?着、新幹線で富山、12時 前。レンタカーで高岡・氷見方面に向かう。伏木。万葉M、昼、北前船資料館、国府跡、桜谷古墳、武田家住宅、柳田布尾山古墳、氷見市立博物館、氷見の町をぐるっとまわり、戻る。途中また伏木に寄り、国分寺、一宮。この日、伏木は全国でもっとも暑く37度だったんだそうです。
◆富山市内のホテルにチェックインし、18:00待ち合わせ場所に行き、T大学Tさんと楽しく呑み、カラオケ。
◆翌日、大雨のなか出発し、八尾。おわら風の盆のまち。資料館、町あるき、コーヒー。そこから北陸道で小矢部で下り、倶利伽羅峠。桜町遺跡。石動の町を通過し考古展示館。関野とか谷内の資料、桜町の出土品を見る。そこから高岡の町へ。伝建となっているなんとか町の方に行き、土蔵造り資料館、町歩き、富山駅に戻る。16:20頃の新幹線で大阪に戻る。

うまく書けるか

◆恒藤の一高時代の日記『向陵記』翻刻本末尾の、広川先生の解説を読む。とても勉強になった。なぜ恒藤は文学から法律に転じたのか。
◆広川先生が「理想主義的自由主義者」というのはいいネーミングだと思う。学びと思索、人との議論を通し、人はみな自分の考え方をもつ、うちの日本史の言い方では「自分になる」。学びや思索に際限はなく、自己変革を続け、正義感、主義、理想を抱く。むろん浅く、非合理な偏ったものではない。それが自分自身であり、揺るぎないもので、もっとも確かなもの。そしてそれは新しいもの変革を生む力でもある。一方、現実社会は理想には遠く、また保守的で、新しいものを阻害する。自分の理想、現実世界、そのなかでどうするかは人それぞれ。直接行動を好む人はいるし、また必要でもあろう(いまはより多様な関与がありうる)。が、ふつうの人は、日常のなかで、やれることをやる。
◆恒藤は、そうして現実世界に対峙していく生き方を確信する。19世紀20世紀に獲得してきた西欧思想に学びつつ、思索を深め、自分のコアを磨き、それでもって、政治家や官僚になるわけでなく、現実世界に対峙しようと。大事なのは、希望ということか。世の中は頑固であり、対峙しても99は負け、1前進するくらい。が、しかし人々がそれを繰り返し、人類が進歩してきたことに確信をもっている。現実はなかなか変えられない、意見を表明したり提案してもつぶされる。無力感を感じるだろうが、しかし歩みがのろくても進むという希望である。これこそ人間の歴史といえるかもしれない。そういう意識を、声高に主張するわけでなく(選挙前に絶叫し、当選したら忘れる人々なんかでなく)、内面において確固としてもち、生きていくことを見いだした。
◆そして自分の歩む道を、作文「韓非子を読む」にうかがえるようだが、普通の人々の暮らしを支える法律家となり、現実世界に対峙することを選ぶ。
◆戦後、日本国憲法の定着のため、あるいは世界平和を願い、多くの講演をし、モノを書いている。(ネットの世界では「理想主義者の空論」と切り捨てられる。ネットの世界のみならず、幸福実現党は、いまの参院選で「自主憲法を制定し核武装せなあかん」としゃーしゃーと。自民党でも、自主憲法とか憲法改正を選挙演説で論点化を避け、ましてアベ君は思ってはいても「核武装」なんて言わないのに。) こうした恒藤の言動は、安保法制を通し、選挙結果次第では憲法改正を進めようとする現体制下において、伝えたいと思う。美化するのではなく。

もひとつ

◆昨日の新聞だったか、専業主婦が多いのが近畿、少ないのが富山だったかな。そしてこのグラ フ。裏腹の関係だから、当然そうなるとして。別に近畿地方の所得が高いわけではないだろう。すなわち、おそらく世帯収入でいくと近畿は低いんだろう。パート等はあるにせよ、正職が少ないのか、正職で働こうとする女性が少ないか、両方か・・・。富山やら福井やら、夫婦がともに働く大都市圏でない地域の方が、健全だし、暮らしやすいのではないだろうか。

別の話

◆これも今日の朝刊。顔は残酷なまでにその人の内面を表す、のだそうです。おお~こわ~。いい顔してる、というのはとてもいいことですね。おだやかな顔をしていたいものです。

やってもやっても

◆まあ前期は火と水がヤマなので、木・金とようやく時間がある。で雑用を次々こなすが、おわら ない。恒藤の展示に行かないし、伏見城はさらに遠い。バランスを取り、手を抜くとことは手を抜いて、勝負するところは時期を逸せずやる、動物的に動きましょうかね。
◆そんなんで、飽きてきたので、ブログを。小熊の論壇時評は面白い。自民党元都議の話。任期中の実績は次の選挙の当落にまったく関係なし、大事なのは地元行事や冠婚葬祭への出席だ、と。これまた日本的風景ですね。そして、右の新聞記事。これを若者は、組織依存を保守、不特定多数に改革を呼号するのが、自分たちの方を向いていると受け取るという解釈を示す。なるほど。
◆で何が大事か、人間は人間に動かされる、ということだ、と。例えば演説。なんか決まりきった「日本を前へ」でしたか、このまま前進とか、決めたキーワードを繰り返す、あんまり中身の切実性はない、あるいは大きい声で「清き一票を」とか「送り出してください」とか20世紀的選挙戦でのやり方を繰り返すだけでは、人は引き付けられないだろう。どれだけ真剣に現状を憂えているか、心配しているか、そういう本人の内から出る言葉でボクトツと話す、そういうものに共感する日本人であってほしいもの。
◆組織票みたいなものが保守というのは確かな感覚かもしれませんね。本人が実際どう思うかは別で、創価学会から電話がかかってきたから、とか、自民党が動員したなんとか業界ぐるみで職場を通してよろしく、とか、そんなんで投票行動をやっていること自体が、時代遅れのムラ社会的ありようですね。無党派層の増加は健全なことなんだろう。

2016年6月27日KR14埴輪整理

◆袋ナンバー70、93、96、96、102、108、109、111~116について、注記、分類、袋内接合。

2016年6月29日

◆そんなんで、7世紀の寺院や宮殿やらにどっぷり浸りたいところだが、恒藤記念室の展示もヤマ場となり、大歴事務局の引き継ぎの算段をしないといけないし、ともかく疲弊していて精神的にもしんどく、昨日の授業などもヘロヘロだったが、やや回復してきたか。

2016年6月26日は大歴大会

◆朝9時、関学集合と言われ、へろへろやし、お酒は飲めなくなるが車で行く。大阪市大の新庶務委員と なった院生も、来年のために今年の大会の仕事を割り振られており、こっちも見ておく必要がある。とはいえ15分程度遅刻。ほぼ300名の参加者だったそうです。
◆総会。大阪市大への事務局移動が正式に決まる。
◆午後からの考古部会は3人による鏡の発表で、やはりマニアック。まあしかし、研究は進みますね。可能な限り説得的で、かつわかりやすい結論図が、自分の認識の上でも、人を説得する上でも、そして使ってもらえるものになるうえでも、大切かと思う。これまでの鏡研究や倭国史にどういう理解の変化をもたらすかは、みな意識しているが、熟成するにも時間を要するし、展望してもらえばいいのでは。
◆懇親会。最後のところで、新事務局長として挨拶させられた。まあしかし、この1ヶ月ほど、あれこれ大歴の庶務の仕事を知るにつけ、2年間は大変やな、といまさらながらに認識し、ポカをしないように、「つつがなく」やりおおせることに腐心しないといけません。

しつこいですが

◆大宝令。「およそ地計らむことは5尺を歩とせよ。300歩を里とせよ。」。1歩は1.78m、1里は532.5m。まず、(1)この1尺は、その前にある規定で大尺(高麗尺)である。この規定の本質は、(2)土地の計量には歩数を用いるということ。
◆(3)1里とか2里というのも、7世紀には見えず(岸)、8世紀以降らしい(町も)。(4)大宝令からしばらくした713年に大尺は廃止され小尺に統一され、本来の6尺1歩に戻す。701年雑令を713年格で言い直せば、「6尺を1歩、360歩を1里とせよ」となる(1里の長さは変わる)。
◆7世紀は、地を計るには歩数が用いられ、それは高麗尺の6尺1歩2.13mなのである。横大路上で下ツ道と中ツ道の間隔は1000歩として定められた、通り(「里」はまだない)。飛鳥寺も、百済大寺も、難波宮京も、藤原宮京も。
◆問題はどこまでが歩数で、どこからが尺数か、である。近世八尾街道と長尾街道(古代丹比道)の間は1700歩3.6㎞。条里は50m106.5m+α。藤原京条坊は250歩532.5m、難波京条坊は125歩266.3m(これ250歩かもしれませんよ)。その先、実際に道路の幅員を定めるため両側溝を掘る場合、歩数なのか、尺数なのか。藤原条坊道路では大尺45・25・20尺と尺数とされているようです(ちなみに丈も大宝令段階からなんでしょう。10尺を丈とするというのは中国的10進法なんでしょうか)。どこまでが歩数でどこからが尺数なのか・・・。
◆建物は尺数です、古墳時代の昔から。難波宮の場合は唐尺。たぶん百済大寺や山田寺も。飛鳥寺の建物は高麗尺とされるから、どこかで寺院建築は高麗尺から唐尺になっているはず。
◆難波宮京に話を戻すと、なので朝堂院の幅はなんとか歩、だが建物は唐尺。つまり、広域の範囲を設定するような土木的作業は歩数でやって大枠を決め、実際にそこに大極殿やら回廊やらを設計する建築(作事)からは尺数による。したがって端数調整はありうる。柱間を等間で割り付けていったとすると、最初の例えば回廊内の南北長の割り付けが、最終的には短くなったり長くなったりすることもあるんだろうな、と。大枠の割り付けと実際の建築設計とが、そうした関係で実施されている、ということを言いたい、論じたいわけです。
◆いずれにしても、難波宮の条坊が小尺の900尺というのは、2重に間違っている。大尺でないといけないし、尺数でなく歩数でしょ、と。125歩やと。がしかし、これが受け入れられないわけです。まあ、論文を書くしかないですね。
◆また寺院などの建築の図をあさっているが、建築屋は大尺の寸法を記入してくれるんだけど、歩数にはまったく関心をもたない、土木屋じゃないから。建物の柱位置とか基壇とか、最終的に仕上がったものを大尺でこうだという結論は、むろんそれでいいんでしょうが、わたしの関心は、その手前のところの大枠の割り付けは歩数で設定されてるんとちゃうか、というもの。具体にやってみると、たとえば寺院であれば、回廊の内側で割り付けてるんかな、という印象がある。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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