人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2016年5月29日古市古墳群見学会
◆参加:自分+3(M・A・I)
◆市野山古墳―唐櫃山古墳―志紀県主神社(惣社)―国府遺跡―衣縫廃寺―道明寺天満宮―土師寺跡―盾塚古墳―三ツ塚古墳―仲津山古墳―古室山古墳(ペルーから電話)―誉田八幡宮―大鳥塚古墳―誉田御廟山古墳―誉田丸山古墳―外濠外堤―向墓山古墳―浄願寺山古墳―墓山古墳―青山古墳―古市大溝―翠鳥園遺跡―野中古墳―(ラーメン)―野中宮山古墳―はさみ山古墳―野中寺―安閑陵―白鳥2丁目―峰ヶ塚古墳―小口山古墳―展示室―岡ミサンザイ古墳―アイセルシュラホール―鉢塚古墳―藤井寺市立図書館―津堂城山古墳―高鷲丸山古墳 解散
◆いずれもこの3月に真新しい説明看板になっていて、写真等もきれいでした。特殊な塗装なんでしょうか、ざらざらしてました。そこに詳しい情報をえるためのQRコードが貼られる枠があるのですが、いまのところ貼ってあるのは少数でした。ちなみに、古市古墳群の看板は更新されたわけですが、イズミヤのところの古市大溝の看板はアワレでした。なんとかしてください。
◆市野山古墳―唐櫃山古墳―志紀県主神社(惣社)―国府遺跡―衣縫廃寺―道明寺天満宮―土師寺跡―盾塚古墳―三ツ塚古墳―仲津山古墳―古室山古墳(ペルーから電話)―誉田八幡宮―大鳥塚古墳―誉田御廟山古墳―誉田丸山古墳―外濠外堤―向墓山古墳―浄願寺山古墳―墓山古墳―青山古墳―古市大溝―翠鳥園遺跡―野中古墳―(ラーメン)―野中宮山古墳―はさみ山古墳―野中寺―安閑陵―白鳥2丁目―峰ヶ塚古墳―小口山古墳―展示室―岡ミサンザイ古墳―アイセルシュラホール―鉢塚古墳―藤井寺市立図書館―津堂城山古墳―高鷲丸山古墳 解散
◆いずれもこの3月に真新しい説明看板になっていて、写真等もきれいでした。特殊な塗装なんでしょうか、ざらざらしてました。そこに詳しい情報をえるためのQRコードが貼られる枠があるのですが、いまのところ貼ってあるのは少数でした。ちなみに、古市古墳群の看板は更新されたわけですが、イズミヤのところの古市大溝の看板はアワレでした。なんとかしてください。
2016年5月23日KR14埴輪整理
◆140~159箱に着手。8割方、注記、分類、ピックアップ終了。形象PU67~77。
歴史館いずみさの
◆泉南市で展示を見て、もう帰る予定だったが、歴史館いずみさので企画展《下田遺跡》をやって
いるというので、近くだし行く。駐車場から遠い・・・。ネーミングライツというんですか、へんてこりんな名前が冠でのっかっている。また、この4月から指定管理に。日根野荘を中心テーマに据えた常設、奥の下田遺跡の展示。日根野が重要文化的景観になったりして、新しい情報も入り口付近にあるも、日根野自体、もうすこし展示の工夫はできるのでは?と思った。経費削減で空調なし、展示室はやや暑い。
◆さあ帰ろうと出て行くと、向こうから学芸員のHさん。こんにちわ、と。いまどこにいるんですかと聞くと、あっち。市役所という意味でしょうかね。で、3月までの勤務地である歴史館に資料調査に行くのだとか。なんでしょうか、これは。
◆さあ帰ろうと出て行くと、向こうから学芸員のHさん。こんにちわ、と。いまどこにいるんですかと聞くと、あっち。市役所という意味でしょうかね。で、3月までの勤務地である歴史館に資料調査に行くのだとか。なんでしょうか、これは。
大学院の授業で
◆発表が一巡し、今年度は履修生も少ないので、外に行くことをはさんでいくことにする。中世のH 君が日根野のことをやっているので、泉南とし、淡輪から北上すること
に。授業の替わりなので、午前くらいで。
◆西陵→公民館で埴輪→淡輪ミサンザイ→陪冢→海会寺→泉南市埋文センター→歴史館いずみさの。
◆西陵はけっこうきれいでした。所有者の縄張りというより順路としてかと思うが、ロープが張り巡らされている。前方部東南のコーナーから入り、墳頂を前方部から後円部へ。テラス面もきれいである。海会寺は東側の屋敷地にも行くが、ここ重なって建物が出てきていないようで、一時的なのでしょうか。窯跡もあ
り、海会寺の遺物はやはりなかなかのものですね。フロントのところで、地域展をやっていて古い写真などが展示してあった。和泉砂川の砂川にはむかし遊園地があったそうで、そのマップなどがならべてあった。
【展示を紹介する新聞記事から】砂川遊園は、昭和5年に阪和電鉄が、当時の阪和天王寺-阪和東和歌山駅間が開通したことを機に、沿線の娯楽施設として開発した。場所は、泉南市の景勝地として知られる「砂川奇勝」がある砂川地区。大阪は当時、産業と文化が華やかな「大(だい)大阪時代」で、大々的にオープンした。当時の新聞広告によると、昭和10年に児童対象の「砂川児童遊園」が開園。翌11年に「砂川遊園」として全面開業した。園内にはステージやグラウンド、大食堂、モンキーハウス、ボートハウス、貸しボート、展望台、飛行船塔などを備えていた。ゲートや囲いもなく、入場無料 だったとされる。周辺にはウメやサクラ、チューリップ、ボタンなどの花園もあった。開業後は、大阪や和歌山などから大勢の来場者でにぎわい、最寄り駅の切 符売り場には行列ができる人気をみせた。しかし、昔の新聞の記録などによると、戦争を機に資材提供などを要請された影響などで運営が困難になり、最終的に閉園を余儀なくされた。
◆だそうです。
◆西陵→公民館で埴輪→淡輪ミサンザイ→陪冢→海会寺→泉南市埋文センター→歴史館いずみさの。
◆西陵はけっこうきれいでした。所有者の縄張りというより順路としてかと思うが、ロープが張り巡らされている。前方部東南のコーナーから入り、墳頂を前方部から後円部へ。テラス面もきれいである。海会寺は東側の屋敷地にも行くが、ここ重なって建物が出てきていないようで、一時的なのでしょうか。窯跡もあ
【展示を紹介する新聞記事から】砂川遊園は、昭和5年に阪和電鉄が、当時の阪和天王寺-阪和東和歌山駅間が開通したことを機に、沿線の娯楽施設として開発した。場所は、泉南市の景勝地として知られる「砂川奇勝」がある砂川地区。大阪は当時、産業と文化が華やかな「大(だい)大阪時代」で、大々的にオープンした。当時の新聞広告によると、昭和10年に児童対象の「砂川児童遊園」が開園。翌11年に「砂川遊園」として全面開業した。園内にはステージやグラウンド、大食堂、モンキーハウス、ボートハウス、貸しボート、展望台、飛行船塔などを備えていた。ゲートや囲いもなく、入場無料 だったとされる。周辺にはウメやサクラ、チューリップ、ボタンなどの花園もあった。開業後は、大阪や和歌山などから大勢の来場者でにぎわい、最寄り駅の切 符売り場には行列ができる人気をみせた。しかし、昔の新聞の記録などによると、戦争を機に資材提供などを要請された影響などで運営が困難になり、最終的に閉園を余儀なくされた。
◆だそうです。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。