人を幸せにする人になろう

7月16日、陵墓懇談会

◆昨年は行けなかった。11:30明治大学。日本考古学協会のNさんの仕切りで、全体会合 はおおむね予定通りか。少し早く終わり、今年は書陵部でなく、桔梗門から入った本部?の会議室だったが、歩いて行く。途中、雨が降ってきて、傘をもっておらず、和田倉レストランというところに逃げ込み、昼飯を食べる。おねえさんが、皇居前広場を見渡せる窓際の席に案内してくれ、飲み物だけと思っていたのに、思わずパスタを注文する。
◆15時前に門の前に集合し、中へ入る。宮内庁側では書陵部長と、陵墓課の陵墓調査官が交替し、今年度の工事計画の説明から入る。今年度の事前調査は渋谷向山古墳である。工事としてはニサンザイの前方部護岸、津堂城山の柵の改修などもある。工事がらみの質疑があり、そのあとでその他なんでも16学会側からフリーに発言という段取りと思っており、3つほど質問を考えていたが、その仕切りが明確でなく、終わってしまった。聞こうとおもっていたのは、ノボノの工事計画の話と、淡輪造り出しの断ち割りの話と、立入りの話だった。まあ、工事がらみのところで十分いろいろと聞けたし、まあそれはそれでよい。

7月13日、大阪の歴史演習終わる

◆新設科目で、いちおう担当。この日、3限の13時から、3人分の発表をやり、17時近くになる。そ のあと、打ち上げをやりましょうということに先週なり、いわし亭に。前期の短い間ではあるが、7人の方とご一緒し、一緒に勉強してきた。呑み会では、いろいろ意見を聞けてよかった。むろん、授業時間内に、こっちも最初のことだし、いろいろと感想を聞けば、話をしてくれると思いますが、呑み会の席で、ざっくばらんに話ができて、これはよかったと思う。
◆いろいろメモをしていて、それはそれでまとめておかないといけないのだが、ガイドを既にやっている人で、実に詳しく勉強している人が、「やはりつまみ食いで、体系的に勉強したい」という要望を切実に話をされるのを聞くと、大阪歴史文化アカデミー構想ではないが、その受け皿みたいなものが週1であってもいいかなと思ったりもする。次年度以降、さてどうしたもんだべか。

2日大阪を留守にしました

◆木曜日に陵墓懇談会が入ったので、大学院の授業と研究会を調整していた。ところが先週来、特 別委員会で安保法案を採決するという情勢となり、前日から東京に行くことにした。朝早くからでかけ、12時前には着き、国会議事堂正面にむかう。12:20だったか、強行採決の報が伝わる。この日、かんかん照りながら、既に大勢が集まり、おじいさん・おばあさんが(だけではもちろんない)よく目に付いた。
◆昼の部は強行採決があり、2時過ぎまでだったか、延長して一区切り、16:30から再開するとのアナウンスで、憲政記念館というところを見て、腹ごしらえをしに麹町まで行き、再び戻り、夜の22:30まで詰めていました。右サイドの本部的な場所にステージがあり、その背後にいた。野党3党首もやってきたし、上野千鶴子や香山リカや、山口二郎もマイクをもった。夕方からは学生等にバトンタッチされ、夜になっても続々と人の波は途切れず、この日は6万人になったらしい。16日は13時から本会議を開くとの情報が入り、集会も13時からやるとのアナウンス。息子の下宿に泊めてもらうことにし、晩飯でもと約束し、21時頃くらいかと言っていたが、その頃が最高潮でもあり抜けるわけにもいかず、22:30時頃までいて今日はここまでと現場を離れる。
◆翌16日の陵墓懇談会だが、明治大学での関係学会の全体会だけにして、懇談会はパスし国会前に詰めたい気持ちはあったが、そうも いかない。15時からの懇談会は16:30頃に終了し、参加者の中でもう一人、国会に向かうMさんと桜田門方向にむかう。進行方向から音は聞こえていたが、17時頃に到着したところ、続けていた集会は一旦休憩に入り、18時だか18時半だかに再開するというアナウンス。台風の影響による雨、また午後、衆議院で可決されてしまったこともあり、前日よりもやや人は少ない。今日は長居はできないので、しばらくいて東京駅に向かう。

大林高塔

◆第5回内国勧業博覧会で、大林高塔というのができる。昨日の大阪の歴史演習で、新世界の発表を 聞いていて、通天閣は高塔とほとんど同じ場所で建てられたという新聞記事を見せられ、そりゃちゃうやろと。前に博物館概論で調べたときに、パビリオンの平面図を見つけていて、場所を確認していた。で重ねてみました。
◆美術館というのが仮設でない建物としてできあがり、それがのち博物館となる。北側にあった住友屋敷が神戸移転にともない大阪市に寄贈され、のち美術館ができる。いまの天王寺公園および新世界からなる博覧会会場に、当時の面影をほとんど見ることはできない。位置関係をご覧あれ。

梅雨あけですな

◆朝8時前、すっかり日は高く、空は青く、太陽が照りつける。

天皇機関説

◆土曜日に、文全協の難波宮の講演会に行くことになっていたんですが、この日、ピースをめぐる 講演会があり、そっちに行く。講演はあんまり面白くなかったが、華北分離というのを勉 強せなあかんなと。返ってきてから、家にある昭和の歴史を見ていて、美濃部達吉の天皇機関説問題にぶちあたる。
◆1935年2月18日貴族院本会議で、美濃部の見解に対して不満をもつ議員が質問に立ち、政府に美濃部説の否認を迫る。全国で排撃運動が展開され、8月に政府は誤りであるとする声明を発表する。が、美濃部そのものは不起訴。議員をやめるも、攻撃側は「絶滅」を叫び運動を継続、極刑を求める。10月、政府は再び声明を発表し、これを排除する声明を出す。文部省は全国調査をして、この説の教科書等を排除する。
◆かつて美濃部の憲法解釈を誤りとして攻撃をゆるめなかった陸軍、いまそれに相当するのが内閣であり政府与党で、政治屋そのものが立憲主義に立たないわけだ。憲法の理解について、学者の見解などけしからんという構図はまったく同じ。われわれは正確にいつか来た道をたどっている。

改訂を続けてと

◆いくつかあって、前から作り始めている図を充実させる。

網野銚子山の整備が始まる

◆基本構想はできあがっており、用地買収も進み、今年度から整備事業が始まります。まずは未確認部の調査から。8月9月と聞きました。

男狭穂塚は作りかけでは

◆男狭穂をじっくりと観察する。これ途中でストップしたんやろ うと思う。だとすると、平坦部で基本盛土の中期大型前方後円墳の築造行程を知る一級資料じゃないかと。後円部について多重に割り付け、前方部側を除いて周濠を掘削して後円部を完成させる。堀の端がスロープ状になっていることも示唆的。一方で片側の前方部も、いくぶんの成形がなされる。次は前方部。しかし前方部の周濠を割り付け、周濠を掘削した痕跡はない。その直前でストップしたのかなと。これがメサホを上まわる巨大前方後円墳を築造したのだとすると、何が考えられるんだろうといろいろと当てはめてみたが、執政王墓系はうまく乗りません。結局、仲津山かなと重ねたのが図です。170歩235mの前方後円墳を造ろうとしていたのではないか。
◆しかしそこでストップがかかる。なぜでしょうね。でかすぎ。承認されていたものが取り消されたのか、勝手にやってたのか、それは知らん。結局は130歩180mのものに造り直した、と。途中まで造り上げていたものを、整えることは許されず、放置された、と。でもオサホからも埴輪が出てるんですよね。それで時期差はないと。だとしたら、最終的には利用したわけだが、どない埴輪を並べてるんですかね。
◆それと次がないこと。まあどこでも規制されるわけだが、しかしもう1代分くらい前方後円墳があってもいいし、そうでなくとも大型円墳が続いてもよさそうだが、ほぼばったりと。備中的ですね。「激烈な弾圧」?。
◆これもレーダーで帆立貝との結論が出ているようです。が、崩されたにしても、前方部前面側の周濠が掘削されていないのは、やはり問題。

高橋源一郎の本を読んでいます

◆この論壇、2011年4月にスタートしたのですね。そんな手広くいろんなものを読むことのないフ ツーのわれわれにとって、実にさまざまな言論があることを紹介してくれ るのは、ありがたいことですね。
◆ここ数日の新聞記事にも、大西巨人と西園寺公望の記事を面白く読んだ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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