人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
今年度中にはホームページを
◆いちおう、文学部のサーバ管理者にHP用の枠を取ってもらうように連絡済。業者を決めて、初期の立ち上げを
依頼した。2月中にはトップページだけは決定し、3月中にはなんとかなるかな?
◆ブログみたいに、簡単に新しい情報をアップできるようにすることを希望する場合は、なんとかという30万円のソフトを導入することを勧めているんだとか。それは高い!。3万円くらいであれば、それでブログ風に簡単にやれるならと思うが、30万円は高いぜよ。とはいえ、そうしない場合に、ホームページビルダーを操れるか、といわれると難しいんだろう。
◆どうなることやら、といったところだが、ともかくも今年度予算で、ひとまず最初の立ち上げはやることになる。お楽しみに。
◆ブログみたいに、簡単に新しい情報をアップできるようにすることを希望する場合は、なんとかという30万円のソフトを導入することを勧めているんだとか。それは高い!。3万円くらいであれば、それでブログ風に簡単にやれるならと思うが、30万円は高いぜよ。とはいえ、そうしない場合に、ホームページビルダーを操れるか、といわれると難しいんだろう。
◆どうなることやら、といったところだが、ともかくも今年度予算で、ひとまず最初の立ち上げはやることになる。お楽しみに。
自転車で京都へ
◆結局、答案の採点は間にあっていない。ブログなんぞやってないで採点をすべきなのだが・・・。
◆下宿を始めるとき、たぶん家から持っていったのは、机と椅子、布団、食器類くらい。炊飯器やら整理ダンスなどは、生協で買った。で自転車。
◆実は、京都まで自転車で行ったのである。若いというのはすばらしいね。そんなこと普通はやりませんよね。なんでそんなことしようと思ったんだろうか。ほとんど覚えていないが、主たる理由ではないけれど、下宿するには金がかかる、できるだけ節約せなあかん、みたいな気持ちがどこかにあったと思う。そんなもの、いまから考えればたいしたことはない訳だが、子供心に、そんなことも考えて、自転車でいきたいんだ、と親に表明したように思う。
◆ささいなことではあるが、ちょっとした冒険ですよ。高校の頃から国土地理院の2万5000分の1地形図を集めてたが、この時も京都までの地図を買い、折りたたみ、ルートを記入し、1時間ごとの通過ポイントを書き込んだ記憶がある。
◆でどう行ったと思いますか。加古川をさかのぼり、篠山に出て、丹波から京都に入ったのです。園部にぬけたんだっけか、亀岡を通り、老ノ坂を越えました。たぶん千代原口を通ったんでしょうね。市街地はどう抜けたかはまったく覚えていない。ともかくも早朝に出て、夕方には着いたと思う。たぶん約100㎞、ようやるわ。
◆中学校から乗っている愛車は、こうして京都で活躍することになるのだが、半年あまりで、キャンパスの中で鍵をかけないで止めていて盗られました。
◆下宿を始めるとき、たぶん家から持っていったのは、机と椅子、布団、食器類くらい。炊飯器やら整理ダンスなどは、生協で買った。で自転車。
◆実は、京都まで自転車で行ったのである。若いというのはすばらしいね。そんなこと普通はやりませんよね。なんでそんなことしようと思ったんだろうか。ほとんど覚えていないが、主たる理由ではないけれど、下宿するには金がかかる、できるだけ節約せなあかん、みたいな気持ちがどこかにあったと思う。そんなもの、いまから考えればたいしたことはない訳だが、子供心に、そんなことも考えて、自転車でいきたいんだ、と親に表明したように思う。
◆ささいなことではあるが、ちょっとした冒険ですよ。高校の頃から国土地理院の2万5000分の1地形図を集めてたが、この時も京都までの地図を買い、折りたたみ、ルートを記入し、1時間ごとの通過ポイントを書き込んだ記憶がある。
◆でどう行ったと思いますか。加古川をさかのぼり、篠山に出て、丹波から京都に入ったのです。園部にぬけたんだっけか、亀岡を通り、老ノ坂を越えました。たぶん千代原口を通ったんでしょうね。市街地はどう抜けたかはまったく覚えていない。ともかくも早朝に出て、夕方には着いたと思う。たぶん約100㎞、ようやるわ。
◆中学校から乗っている愛車は、こうして京都で活躍することになるのだが、半年あまりで、キャンパスの中で鍵をかけないで止めていて盗られました。
『いつか来た道』
◆これ、別に色のついた言葉ではないが、例えば、軍国主義的な政策が進められるとき、戦前と同じ道をた
どっているんではないか、といった意味で用いられることがありますよね。
◆さてと、これ実は、1983年3月から1991年に奈文研に入った当初くらいまで、オレが書きつづった手記のタイトルなのである。大学ノートで約20冊ある。ほぼ8年間の京都時代の記録である。このタイトルは、たぶん三田寛子主演のNHKのドラマから取ったものだと思う。モデルとなった実在の女性の名前は失念した。夫婦とも京都の文化人で、旦那が太平洋戦争に反対し、なんか白い目で見られながらも、思想を貫いた、みたいな話であったのではないかと記憶する。戦後は奥さんの方が著明になったはず。
◆このノート、家族に見せられるものでないので、研究室に保管してある。だが、けっこう面白い青春の記録だとは思う。日本語の作文技術の話をしたが、これを書くことが自分の文章修行になったのではないかとも思う。日記ではないが、けっこう書いており、このブログはその延長とも言いうる。
◆入力して私家版の冊子にしたら、とも思ったりもするが、そんなことやってられない。が、試しに1冊、娘にアルバイトで入力してもらうことになった。金になる!というので、娘はメチャ乗り気である。この人、ブラインドタッチでものすごく入力が早い。
◆だがしかし、そこは、娘には見せられない記述も当然でてくるはずだ。で、1冊目について、ざっと点検したところ、とくに隠すべき事項はないので発注した。1冊目は、大学受験を終えて合格発表を待っているときから書きはじめている。合格して下宿生活を始めるわけだが、バタバタしている時期の記録はあまりない。で、4月になり、大学生活が始まったあたりでは、授業に出ての感想などが書かれている。上横手先生の話など。
◆カミさんは前から読ませろと言っていて、拒んできたわけだが、今回、初めて見せた。読んで笑っていました。人間かわらんね~、と。内容は一口では言えないが、まあ、すこぶるマジメ人間である。で、ものごとの本質をとらえなければならない、とか、だが自分は表面的な理解しかないだの、さぼっているとか、本を読まなあかんとか・・・。そうそう、初めて酒を飲んだときの記述もあった。じっくり読み返してはいない。読んじゃいられないような気恥ずかしさがある。数冊のあいだはいいのだろうが、3回生の後半から4回生にかけて、大学院浪人をやっていた時期は暗かったね・・・。低空飛行を続けていた。たぶん読めないようなことが書いてある・・・。
◆さてと、これ実は、1983年3月から1991年に奈文研に入った当初くらいまで、オレが書きつづった手記のタイトルなのである。大学ノートで約20冊ある。ほぼ8年間の京都時代の記録である。このタイトルは、たぶん三田寛子主演のNHKのドラマから取ったものだと思う。モデルとなった実在の女性の名前は失念した。夫婦とも京都の文化人で、旦那が太平洋戦争に反対し、なんか白い目で見られながらも、思想を貫いた、みたいな話であったのではないかと記憶する。戦後は奥さんの方が著明になったはず。
◆このノート、家族に見せられるものでないので、研究室に保管してある。だが、けっこう面白い青春の記録だとは思う。日本語の作文技術の話をしたが、これを書くことが自分の文章修行になったのではないかとも思う。日記ではないが、けっこう書いており、このブログはその延長とも言いうる。
◆入力して私家版の冊子にしたら、とも思ったりもするが、そんなことやってられない。が、試しに1冊、娘にアルバイトで入力してもらうことになった。金になる!というので、娘はメチャ乗り気である。この人、ブラインドタッチでものすごく入力が早い。
◆だがしかし、そこは、娘には見せられない記述も当然でてくるはずだ。で、1冊目について、ざっと点検したところ、とくに隠すべき事項はないので発注した。1冊目は、大学受験を終えて合格発表を待っているときから書きはじめている。合格して下宿生活を始めるわけだが、バタバタしている時期の記録はあまりない。で、4月になり、大学生活が始まったあたりでは、授業に出ての感想などが書かれている。上横手先生の話など。
◆カミさんは前から読ませろと言っていて、拒んできたわけだが、今回、初めて見せた。読んで笑っていました。人間かわらんね~、と。内容は一口では言えないが、まあ、すこぶるマジメ人間である。で、ものごとの本質をとらえなければならない、とか、だが自分は表面的な理解しかないだの、さぼっているとか、本を読まなあかんとか・・・。そうそう、初めて酒を飲んだときの記述もあった。じっくり読み返してはいない。読んじゃいられないような気恥ずかしさがある。数冊のあいだはいいのだろうが、3回生の後半から4回生にかけて、大学院浪人をやっていた時期は暗かったね・・・。低空飛行を続けていた。たぶん読めないようなことが書いてある・・・。
蔵王そして仙台
◆別に樹氷のことを書くわけではない。実は前にも書いたのではないかという気がするのだが、チェックするのもメンドウ。年寄りみたいに、同じ話を繰り返しているのかも。
◆蔵王というと1回だけ通過したことがある。1986年3月のことだ。前年に岡山大学の楯築の調査に行き、いちばん下っ端だったのが、法政大学4年の澤田秀実さん、京都大学3回生のオレ、山形大学3回生の石見君、島根大学3回生の大谷君だった。オレも石見君も浪人しているので、澤田さんを含めた3人が同じ年齢だった。で、大谷君は1学年下で、ほんとうに最年少だった。
◆で、1986年3月、車の免許を取ろうと金を貯めていて、春休みに合宿免許に行くことにしたのだが、生協でいくつかの候補地があった中で、仲良くなった石見君がいるので、山形中央自動車学校を選択したわけだ。自動二輪と普通免許。校長の山形弁の授業はなかなか理解できなかった。自動二輪の卒検の日、雪が降り、停止線で止まれず数日延長となる。宿舎は山寺、仙山線沿線である。同宿者のなかには、空いた時間に蔵王にスキーに行く者もいた。
◆実は、石見君が菅沢2号墳の後始末をやらされていて、何日か手伝いで図面を書きに行った。山形市教委の方に教習所まで迎えに来てもらい現場に行ったこともあった(やっぱり前に書いたことがあったかな?)。
◆終了後、仙山線に乗って初めて仙台に出る。この時に蔵王を通過したわけだ。
◆この時、仙台は乗り継ぎだけだった。延長していたし、仙台に1泊する余裕はなかったんだろう。仙台には、その後、文化庁にいる時に2回ほど足を踏み入れているが、ゆっくりまわったことはない。1回目は文化庁での最初の出張で、多賀城の委員会だった。現地は仙台市でないわけで、夜の宴会がたぶん仙台だったはず。翌日、宮城県教育委員会の方に、遠見塚や雷神山、飯野坂古墳群などを案内いただいた。2回目は、岩手の徳丹城の委員会の時だが、これも通過のみ。
◆なので、仙台をぜんぜん知らない。2011年度、東北学院大学の辻さんのところで集中講義を頼まれて後期に行くので、青葉城とか、少しまわってみよう。
◆蔵王というと1回だけ通過したことがある。1986年3月のことだ。前年に岡山大学の楯築の調査に行き、いちばん下っ端だったのが、法政大学4年の澤田秀実さん、京都大学3回生のオレ、山形大学3回生の石見君、島根大学3回生の大谷君だった。オレも石見君も浪人しているので、澤田さんを含めた3人が同じ年齢だった。で、大谷君は1学年下で、ほんとうに最年少だった。
◆で、1986年3月、車の免許を取ろうと金を貯めていて、春休みに合宿免許に行くことにしたのだが、生協でいくつかの候補地があった中で、仲良くなった石見君がいるので、山形中央自動車学校を選択したわけだ。自動二輪と普通免許。校長の山形弁の授業はなかなか理解できなかった。自動二輪の卒検の日、雪が降り、停止線で止まれず数日延長となる。宿舎は山寺、仙山線沿線である。同宿者のなかには、空いた時間に蔵王にスキーに行く者もいた。
◆実は、石見君が菅沢2号墳の後始末をやらされていて、何日か手伝いで図面を書きに行った。山形市教委の方に教習所まで迎えに来てもらい現場に行ったこともあった(やっぱり前に書いたことがあったかな?)。
◆終了後、仙山線に乗って初めて仙台に出る。この時に蔵王を通過したわけだ。
◆この時、仙台は乗り継ぎだけだった。延長していたし、仙台に1泊する余裕はなかったんだろう。仙台には、その後、文化庁にいる時に2回ほど足を踏み入れているが、ゆっくりまわったことはない。1回目は文化庁での最初の出張で、多賀城の委員会だった。現地は仙台市でないわけで、夜の宴会がたぶん仙台だったはず。翌日、宮城県教育委員会の方に、遠見塚や雷神山、飯野坂古墳群などを案内いただいた。2回目は、岩手の徳丹城の委員会の時だが、これも通過のみ。
◆なので、仙台をぜんぜん知らない。2011年度、東北学院大学の辻さんのところで集中講義を頼まれて後期に行くので、青葉城とか、少しまわってみよう。
蔵王の樹氷
◆テレビで蔵王の樹氷が紹介されていた。世界でも日本の東北地方の限られた場所でしか見られないという。というのもエゾマツしかだめなんだと。へえ~。同じような樹氷の話、1週間くらい前のテレビでもやっていたような。過冷却の水分がエゾマツの葉に氷結し、風上方向に成長をとげるのだとか。
◆雪の結晶って六角形のきれいな形をしているので有名ですよね。みなさん見たことありますか。オレは1回だけだ。小学校の頃、家の近くの加古川市民病院のエントランスの車寄せがあり、円弧状に台上の縁取りがあり、コンクリートか石材か、もうわからんが上面幅50㎝くらいのものだった。ふと見ると、そこに雪の結晶がぴたぴたと貼り付いていたのである。あとにも先にも、あれしか見たことはない。
◆ちなみに、加古川市民病院は遊び場のひとつだった。中庭の樹には、夏になると蝉がうじゃうじゃいる。夏休み、ほぼ毎日チェックしているので、どの樹にどれだけいるか、だいたいわかっており、たくさん蝉をつかまえた。蝉取りの名人だと自負していたが、いま蝉を手で取ろうとしても逃げられてしまう・・・。夕方にも行き、幼虫が上がってくるのをそろっと捕まえて、家の網戸に捕まらせ、羽化するのを見ていたものだ。
◆もうひとつ、近所の水路に食用蛙がいてウルサイ。食用蛙のことを、われわれショッカンとよんでいた。でかいボスみたいなヤツがいる場所がある。その水路に流れ込む細い溝が切ってある特定の場所にいつもいるわけだ。なので、網で背後から近づき、ばっと前をふさぐと、ものの見事に網に飛び込んだが、次の瞬間、逃げられたものである。
◆書き始めは、こういうことを書こうと思っていたわけではない。長くなるので改める。
◆雪の結晶って六角形のきれいな形をしているので有名ですよね。みなさん見たことありますか。オレは1回だけだ。小学校の頃、家の近くの加古川市民病院のエントランスの車寄せがあり、円弧状に台上の縁取りがあり、コンクリートか石材か、もうわからんが上面幅50㎝くらいのものだった。ふと見ると、そこに雪の結晶がぴたぴたと貼り付いていたのである。あとにも先にも、あれしか見たことはない。
◆ちなみに、加古川市民病院は遊び場のひとつだった。中庭の樹には、夏になると蝉がうじゃうじゃいる。夏休み、ほぼ毎日チェックしているので、どの樹にどれだけいるか、だいたいわかっており、たくさん蝉をつかまえた。蝉取りの名人だと自負していたが、いま蝉を手で取ろうとしても逃げられてしまう・・・。夕方にも行き、幼虫が上がってくるのをそろっと捕まえて、家の網戸に捕まらせ、羽化するのを見ていたものだ。
◆もうひとつ、近所の水路に食用蛙がいてウルサイ。食用蛙のことを、われわれショッカンとよんでいた。でかいボスみたいなヤツがいる場所がある。その水路に流れ込む細い溝が切ってある特定の場所にいつもいるわけだ。なので、網で背後から近づき、ばっと前をふさぐと、ものの見事に網に飛び込んだが、次の瞬間、逃げられたものである。
◆書き始めは、こういうことを書こうと思っていたわけではない。長くなるので改める。
南北市テキ―長崎県埋蔵文化財センター情報誌
◆2月発行の創刊号が送られてきた。たぶん個人宛だったと思う。文化庁にいるとき、原の辻の史跡指定にかか
わったからだろうか。岡村道雄主任からあんたやれと言われ、原の辻に何度か行き、文化財保護審議会の書類を作った。むろん、いちばんたいへんだったのは長崎県の担当の方だ。広大な面積、関係する土地所有者は膨大、登記簿上、名義変更されていなければ、子孫の全員に権利があるものだから、全員から同意をとってもらう。申請書も分厚く、ひとつひとつ一緒に点検した。
◆ほ場整備で丘陵裾部で環濠が検出されたことをきっかけに、範囲確認調査をして指定範囲を定める調査が続けられた。オレがかかわったのはほんの終盤だろう。板付空港からプロペラ機で壱岐に飛ぶ。2回だったか、3回だったか。船付き場の調査を見ることができた。その後、調査は壱岐の古墳に転じていて、6世紀の大型古墳が次々に発掘され、そうした調査も見せていただいた。
◆この創刊号に、安楽さんがコラムを書いている。原の辻にナベヅルが飛来するのだそうだ。それに添えてあ
る写真を見て、復元された建物がならぶ遺跡の現在を知る。パッと見では、吉野ヶ里と区別がつかないような気もするが・・・。ともかくも、博物館もオープンしたというし、再訪してみたいものである。
◆ほ場整備で丘陵裾部で環濠が検出されたことをきっかけに、範囲確認調査をして指定範囲を定める調査が続けられた。オレがかかわったのはほんの終盤だろう。板付空港からプロペラ機で壱岐に飛ぶ。2回だったか、3回だったか。船付き場の調査を見ることができた。その後、調査は壱岐の古墳に転じていて、6世紀の大型古墳が次々に発掘され、そうした調査も見せていただいた。
◆この創刊号に、安楽さんがコラムを書いている。原の辻にナベヅルが飛来するのだそうだ。それに添えてあ
誉田御廟山に入ります
◆02月24日、誉田御廟山古墳に入ります。堤の上だけですが。大阪歴史学会から、これまでずっとオレが入って
おり、少し申し訳ないところで、いずれほかの人に入ってもらう必要がある。が、日取りが正式に決まるのが遅いので、なかなか頼みにくい面もある。こっちも大学行事とバッティングしたらアウト(当然、休暇をとっている)。
◆まあどうなんでしょうか。堤の幅広さを体感することと、本体を堤から眺めることくらいだろうか。それと断層が走っていて、段差になっているところがあるという。それは見たい。内濠の状況も。本体を眺めるのは、確かにふだん見ることができない世界なので、楽しみではある。どれくらい墳丘斜面が見通せるのか、デカくて距離があることもあり、なかなか雰囲気は予想できない。双眼鏡がいるかもね。そうか、濠底の深さにびっくりするかもしれないな。仲津山でもけっこうなものだが、さらに深いのだろう。それだけ掘削したのか、という感動が味わえるかもしれない。
◆まあどうなんでしょうか。堤の幅広さを体感することと、本体を堤から眺めることくらいだろうか。それと断層が走っていて、段差になっているところがあるという。それは見たい。内濠の状況も。本体を眺めるのは、確かにふだん見ることができない世界なので、楽しみではある。どれくらい墳丘斜面が見通せるのか、デカくて距離があることもあり、なかなか雰囲気は予想できない。双眼鏡がいるかもね。そうか、濠底の深さにびっくりするかもしれないな。仲津山でもけっこうなものだが、さらに深いのだろう。それだけ掘削したのか、という感動が味わえるかもしれない。
眼鏡は不便です・・・
◆なくした老眼鏡をもう一度作り、今度は紐をつけている(別になくしたのは紐がなかったからではない)。これ、眼鏡屋の推薦もあって、近・近というヤツ。老眼鏡なのだが、レンズの下が度がきつく本を読むため、半ばから上がパソコン用となっている。
◆前に作った時もうそうして、秋になくす前まで使ってみて、オレのような怠惰な人間にとっては、着けたりはずしたりするのがメンドクサイので、再び作るときに、上はダテ眼鏡にした方がいいのではないかと相談したのだけれど、目に悪いとかなんとかいわれて、そのままとした。
◆本を読むときに、ウルトラセブンのように老眼鏡をかけると集中しているような気持ちにはなる。一方で、なにか視野が狭くなっているような気がする。ほんとの視野のみならず、思考の幅という意味だ。で、着けたりはずしたりするのがめんどう。またメンドウなので、着けたまま廊下をうろうろしていると、遠くから歩いてくる人の顔がわからないのだ。日常生活は、裸眼で1.5はあり、まったく眼鏡なしで支障はなく、むしろ遠くなどは人よりもよく見える。だが、研究室でなんかやっていて眼鏡をつけて、そのまま外に行くと、そんなことにもなる。
◆なにか、大きな問題を考えたりするには眼鏡がない方がよいように思うのだが、でなにかメモを作ろうとパソコンに向かうとなると、とたんに眼鏡がいる。そうすると特定のことについて、いま目の前のことについては集中できるような気になるのだが、いろんな課題がおろそかになるような・・・。眼鏡は不便である。
◆前に作った時もうそうして、秋になくす前まで使ってみて、オレのような怠惰な人間にとっては、着けたりはずしたりするのがメンドクサイので、再び作るときに、上はダテ眼鏡にした方がいいのではないかと相談したのだけれど、目に悪いとかなんとかいわれて、そのままとした。
◆本を読むときに、ウルトラセブンのように老眼鏡をかけると集中しているような気持ちにはなる。一方で、なにか視野が狭くなっているような気がする。ほんとの視野のみならず、思考の幅という意味だ。で、着けたりはずしたりするのがめんどう。またメンドウなので、着けたまま廊下をうろうろしていると、遠くから歩いてくる人の顔がわからないのだ。日常生活は、裸眼で1.5はあり、まったく眼鏡なしで支障はなく、むしろ遠くなどは人よりもよく見える。だが、研究室でなんかやっていて眼鏡をつけて、そのまま外に行くと、そんなことにもなる。
◆なにか、大きな問題を考えたりするには眼鏡がない方がよいように思うのだが、でなにかメモを作ろうとパソコンに向かうとなると、とたんに眼鏡がいる。そうすると特定のことについて、いま目の前のことについては集中できるような気になるのだが、いろんな課題がおろそかになるような・・・。眼鏡は不便である。
イクシーが新しくなる
◆前のイクシーを息子に取られたので、新しく買うことにする。そんな高機能でなくていいので、カタログを見ていると、4種類出ていたが、いちばん機能的には低いものにした。ごっついズームや、フルハイビジョン動画なんて必要ない。それでも前のより画素数なんかはいいんだろう(たぶん)。1万2000円。安くなりましたね。SDカードやUSBメモリなども。
◆で、堺市の履中陵陪塚、寺山南山の調査指導の現場で、初デビューを果たした。だが、シャッターを切ろうとすると、カードが異常ですという表示が出る。あきらめかけたが、SDカードを抜いて再セットしたら、なんとか撮影できた。マシンも薄くなり、また軽い。
◆さてと、補講をしたもんだから、先週水曜日に授業の定期試験が2つあり、答案の束が2つある。が、卒論・修論を読むのが優先。試問が終わったので、答案の採点にかからなければいけないが、成績の〆切は今週である。通常よりも試験が1週間ずれているのでこうなる。
◆ともかくも、今週は、火・水が試問、両日、朝から晩まで。で、木・金が大学院入試。自分の授業の答案の採点もして、明日・金曜日に成績票をすべて提出し、院試も終われば、ホット一息である。
◆で、堺市の履中陵陪塚、寺山南山の調査指導の現場で、初デビューを果たした。だが、シャッターを切ろうとすると、カードが異常ですという表示が出る。あきらめかけたが、SDカードを抜いて再セットしたら、なんとか撮影できた。マシンも薄くなり、また軽い。
◆さてと、補講をしたもんだから、先週水曜日に授業の定期試験が2つあり、答案の束が2つある。が、卒論・修論を読むのが優先。試問が終わったので、答案の採点にかからなければいけないが、成績の〆切は今週である。通常よりも試験が1週間ずれているのでこうなる。
◆ともかくも、今週は、火・水が試問、両日、朝から晩まで。で、木・金が大学院入試。自分の授業の答案の採点もして、明日・金曜日に成績票をすべて提出し、院試も終われば、ホット一息である。
試問が終わって歴史の教員で呑む
◆2011年02月16日。毎年、恒例。実質、みなが集まって呑むのは、この1回。杉本町のいわし亭。西洋史にドイツ史の先生が2年前に着任し、昨年は東洋史にインド史の先生が着任し、この日の飲み会では、英語の話やら、イギリス人、フランス人、アメリカ人、インド人、中国人の話やら。
◆日本人の研究は概して緻密であるが、外国ではホラをいかに吹くかみたいな研究だ、といったこととか。西洋史の先生が、最初は日本語で考えそれを英語にする努力をするが、その段階から進んで、英語で考えるようになると、そこは母語でない悲しさか、思考の制約をうけてしまうというのだ。似たような話は前にもどっかでよんだような。インド史の先生はさらに上をいくようだ。
◆で、ここからが塚田先生の話。歴史は眠らないというNHKの番組で(前は市民大学とか言ったはず)、東大の村井章介氏と同時通訳で有名な鳥飼玖美子さんが2月の講師だそうで、鳥飼さんは4回しゃべるのだがテーマが「英語・愛憎の二百年」ということで、江戸時代以来の日本人の英語習得の歴史を語っているそうだ。そのなかで、現在のコミュニケーション重視の英語習得がいかにダメか、ということを言っているらしい。塚田先生はむろんそれに賛成しているわけである。どんなことが書いてあるか、それは読んでみないとわからないが、英語の達人がそういうことを言うことを、もっと汲むべきなんだろう。
◆市大では4月から入学者全員にTOEICをやらせるだの、という話が進んでいる。この日の晩、また別のところでは、理系の大学院入試の話なのだったか、使う語句を出して、なにか文章をまとめさせる問題が出たが、書けないのだそうだ。
◆本多勝一は日本の作文教育がぜんぜんなっていないということを早くから指摘していた。振り返れば、自分が高校生の時はひどかったが、『日本語の作文技術』などに学びながら、自分で文章を書くことでだんだん身につけてきた。この間、添削みたいな指導はまったくなかった。多くの人も、みな我流で、必要性から文章を書き、それぞれ書けるようになっていったのだろう。いまは意識的に文章を書かせないと、大学4年を過ごしても、ほっといたら、ろくに文章もかけないままなんだろう。卒論とかを読んでいて、そこは文学部だから、まあまあだが、やはりなかには、まとまった文章を書いたことがないんだろうな~、というものがある。
◆本多の言うように、論理的でわかりやすい文章というのは、ひとつの技術であり、それは小学校からきちんとやるべきだろう。英語よりも日本語でちゃんと文章が書けることことの方が重要だ。
◆日本人の研究は概して緻密であるが、外国ではホラをいかに吹くかみたいな研究だ、といったこととか。西洋史の先生が、最初は日本語で考えそれを英語にする努力をするが、その段階から進んで、英語で考えるようになると、そこは母語でない悲しさか、思考の制約をうけてしまうというのだ。似たような話は前にもどっかでよんだような。インド史の先生はさらに上をいくようだ。
◆で、ここからが塚田先生の話。歴史は眠らないというNHKの番組で(前は市民大学とか言ったはず)、東大の村井章介氏と同時通訳で有名な鳥飼玖美子さんが2月の講師だそうで、鳥飼さんは4回しゃべるのだがテーマが「英語・愛憎の二百年」ということで、江戸時代以来の日本人の英語習得の歴史を語っているそうだ。そのなかで、現在のコミュニケーション重視の英語習得がいかにダメか、ということを言っているらしい。塚田先生はむろんそれに賛成しているわけである。どんなことが書いてあるか、それは読んでみないとわからないが、英語の達人がそういうことを言うことを、もっと汲むべきなんだろう。
◆市大では4月から入学者全員にTOEICをやらせるだの、という話が進んでいる。この日の晩、また別のところでは、理系の大学院入試の話なのだったか、使う語句を出して、なにか文章をまとめさせる問題が出たが、書けないのだそうだ。
◆本多勝一は日本の作文教育がぜんぜんなっていないということを早くから指摘していた。振り返れば、自分が高校生の時はひどかったが、『日本語の作文技術』などに学びながら、自分で文章を書くことでだんだん身につけてきた。この間、添削みたいな指導はまったくなかった。多くの人も、みな我流で、必要性から文章を書き、それぞれ書けるようになっていったのだろう。いまは意識的に文章を書かせないと、大学4年を過ごしても、ほっといたら、ろくに文章もかけないままなんだろう。卒論とかを読んでいて、そこは文学部だから、まあまあだが、やはりなかには、まとまった文章を書いたことがないんだろうな~、というものがある。
◆本多の言うように、論理的でわかりやすい文章というのは、ひとつの技術であり、それは小学校からきちんとやるべきだろう。英語よりも日本語でちゃんと文章が書けることことの方が重要だ。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。