人を幸せにする人になろう

2023年3月23日、ふるさと館ちくしの

◆北上していく。まずは筑紫野。なかなかいい展示でした。弥生の重文の 銅戈や、貝製腕輪がずら り。隈西小田遺跡は筑紫野市なんだ。原口古墳の三角縁の1面があった。阿志岐古墳もある。銅鏃がならぶ。近世文書や近現代の市域の変貌まで、ひとおおりの展示がなされています。
◆南と北と、両方から入れるのだが、北が正面なんだろう。間違って裏の南側から入る。古代山城の全体像のパネルもあったように思います。

2023年3月23日、九歴

◆ホテルを8時に出て小郡に行っても、まだ九歴は開いていない。で、那珂八幡に行く。が、さすが に市街地はそうスイスイとは行けず、予想以上に時間を要する。
◆そこから高速で小郡に。新しい九歴に初めて行く。展示室は1室だけなんですね。企画展示室の地域展、2階フロアを使った船原のパネル展をやっていました。雨模様。
◆九歴に向かう交差点のところに小郡市の埋蔵文化財センターがあり、九歴のあと、その展示室。津古生掛の鏡や鉄鏃、布留の土器、鶏形壺などを見る。西岩田の子葉のある単弁軒丸瓦や鬼瓦を見る。

2023年4月28日、GWへ

◆10:30からのプロジェクト研究会をなんとかクリア。その前の朝、『大阪公大日本史』の残る大物  4本の最終校正が出たので、著者へ。昨日から、朝、校正が出るので、ただちに対応してもらうよう依頼していたので、校正が返ってくる。それを印刷所に返す。15時から『和泉市史』の打ち合わせ会議。終了後、原稿にとりかかるというより、まず地図作り。『和泉郡の条里』の時のデータを出してきて、統合し、1枚物にしようと思う。市史冒頭の概観の原稿が担当なので、今回の府中編に即した中心範囲の全体像を示すための地図。もとの1961年の1/3000を、再度、正確に貼り合わせるところから。そのあと、1946年米軍写真のメタシェイプにかかる。が時間切れで帰る。
◆最近はほぼ20:30までで帰る。それでも1日の労働時間は11時間半である。
◆まあ、午前のプロジェクト研究をクリアして、これでGWである。前半は原稿を書くか・・・、と。後半は八戸から函館に行く予定。

2023年4月22日、備中

◆岡山の考古学研究会に出かける。天王寺8時集合だったが10分遅刻する。山陽道で岡山に向かい、鬼の城、作山、江崎、国分寺、こうもり塚、造山、千足、ここで時間切れとなる。岡山大学に向かい、研究集会に参加しました。
◆翌日が母親の四十九日なので、学生らをホテルまで送って帰途につく。
◆造山古墳の調査が進行中だが、墳丘の傷んだところの手当てなどの整備が進んでいる。また、東側駐車場の一画にガイダンス施設もできていました。前方部頂が、樹脂含侵さ せた土壌で舗装されていた。もとの地表を改変したわけではないんだろうが、このように覆う必要があるのかな。イベント用?。
◆造山前方部から、南の整備された千足古墳がよく見える。千足の墳頂に行くと、横穴式石室2基が表示されている。前方後方墳みたいです。

2023年3月22日のラスト

◆そのあと九博。まあ、あんな展示でしたね。行ったら、なんとなく思い出しま した。そのあと、学生らは太宰府天満宮へ。こっちは九博駐車場から、天満宮門前の駐車場へ移動し、参道で待ち合せました。梅が枝餅を食べ・・・。
◆最後は、大宰府政庁跡、それとミズキを眺めて、宿に入りました。

2023年3月22日、大野城こころのふるさと館

◆そこから九州道を使って大宰府まで南下し、大野城市の資料館に行く。Tさんと、その日に行きますと伝えてあった。大野城市って、へんな市域の範囲ですね。福岡平野を横切って、東西の丘陵地を含めた市域でなのである。東北側は大野城の一画が含まれ、平野部の市域は狭く南辺が水城、そして南西の丘陵部(牛頸の窯跡群)におよぶ。大野城の頂部は太宰府市でもなく、宇美町なんだ。
◆2018年に新しくできた施設。企画展の説明を職員の方に丁寧にしていただき、そのあとざっと展示を見る。

2023年3月22日、宮地嶽古墳

◆福津市とは、旧福間町と津屋崎町が合併したからなのでそうです。 
◆宮地嶽神社に行く。立派な神社です。山の中腹にあって、真西に賛同があり、夕日が拝める。で、本殿背後の山中に奥之宮八社というのがあり、そのなかの1社「第3番・不動神社」というのが宮地嶽古墳です。

2023年3月22日、新原・奴山古墳群

◆南の宗像市街地に戻り、福津市の新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群に行く。宗像市辺津宮からは、山を隔てた 西側に位置する。被葬者は宗像氏とされ、世界遺産の構成資産となっている。それでいいんですかね。
◆整備事業の途中という様子でした。おばさんらがいると思ったが、動かず・・・。

2023年3月22日、沖ノ島神宝館

◆そこから高速で宗像へ。途中からは3号線。
宗像にあるのは辺津宮というのですね。そこに沖ノ島の国宝がならぶ神宝館がある。2回目です。
◆いまは世界遺産になり、すぐ北に「海の道むなかた館」というのができ、世界遺産のガイダンス施設になっており、また宗像市の出土品をならべた展示施設でもある。なかなかいい施設ですよ。 

2022年3月22日、吉武高木遺跡

◆天気よし。早良平野のでも南に奥まったところの西寄り。まだ農耕地が残っている一画にある。この発掘調査は(学部時代)、耕地整理なんでしょうね。農道3本にはさまれた2区画を史跡指定し、公園化されているが、あの3号木簡墓だったか、それと大型掘立柱建物のある場所は、区画整理後に新たに計画された直線農道の路線変更まではできなかったようだ。木簡墓は東西方向の農道を隔てた南の区画のヘリにあるらしい。耕作地になっているわけではないが、公園整備された区画と一体化できていない。それと大型掘立は農道のT字路部分の下になるようだ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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