人を幸せにする人になろう

珠洲焼の記事

◆再び窯入れしたという記事がありました。また今日の記事では、能登の地震から2年経ち、輪島の漁獲量や、和倉温泉の観光客が、以前の水準まで戻りつつあるもの、まだまだなもの、そういうグラフが出ていました。
◆できることは限られているが、一度、能登に行き、宿泊し、まわってみたい。春にでも。

2025年12月29日(月)

◆昨日28日も職場に出勤。あまりたいしたことはできず。本日29日は、けっこう頑張ってこなしたが、大事なことはやれていない。本来は、27・28・29・30でやることを決めていたのだが、それはいまのところ0です。あ~あ、早い目に対処しないと、あとあとシンドイことになる。
◆とはいえ、明日30日までです。31・1・2は子供らが帰って来て、まあ正月イベントで暮れていく。まあしかし、仕事に圧迫されドヨ~ンとしていた1年前と比べると、ずいぶん楽です。朝9時前から11時間は働いたし、帰ることにしよう。

12時に空港

◆27日最終日は、奄美空港発が13時。Tさん家族が12時に空港に来てくれる。というので、世界遺産センターのあと空港に向かう。12時ちょうどくらいに着いたかな。昼を一緒にして、13時の飛行機で帰りました。
◆奄美には、伊丹からの直行便があり、1時間半程度で簡単に行き来できるわけだ。今回は予定外のハプニングもあり、奄美大島をまだ堪能できていない。宇検村の資料館に行き、あることを確認するために画像を見るということもできなかった。また来ますと。
◆名瀬のグーグルアース画像です。

世界遺産センター

◆2021年7月26日に「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」が世界自然遺産に登録されたんだそうです。で、住用(すみよう)というところに世界遺産センターができている。環境省設置。2022年にできたもので、まあ新しい。その隣に「黒潮の森 マングローブパーク(道の駅 奄美大島住用)」がある。カヌー体験などができる。
◆シーズンの時期だと、カヌーに乗り案内してもらう人などで賑わうのでしょう。いまのシーズンも、申し込めばやれるのだろうか。
◆まあしかしいまは冬場。国の世界遺産センターには展示を見て回る人がちらほらいたが、マングローブパークには誰もいないわけです。道の駅ができたのが2000年、公園ができたのが2001年だそうです。こっちにもマングローブ林の解説があり、水槽があって魚もいるのだが・・・。
◆タテワリとはこういうものなんでしょうね。隣り合ってあるのだが、こっちは国、こっちは奄美市。だぶってる、と思わざるを得ない。頑張ってきたのは奄美市なんだが・・・。むろん機能が違うのであろうし、世界遺産センター開設にあわせて奄美市が道の駅をリニューアルさせる予算はないということなのだろうが・・・、なんだかな~と思ってしまう。

2025年12月27日奄美最終日

◆27日に大阪に戻り、画像を取り込んだのであるが、本日28日、その移動に失敗し、消失してしまった。あちゃ~。不思議なことだが、まあしゃーない。
◆翌日は瀬戸内町に向かう。国史跡「奄美大島要塞跡および大島防備隊跡 附 大島需品支庫跡」は、以下の通り。
〇2023年3月20日(月曜日)付の官報にて告示された3遺跡
    西古見砲台跡(にしこみほうだいあと)
    安脚場砲台跡(あんきゃばほうだいあと)
    手安弾薬本庫跡(てあんだんやくほんこあと)
〇2025年9月18日(木曜日)付の官報にて追加指定が告示された3遺跡
    大島需品支庫跡(おおしまじゅひんしこあと)
    ※佐世保海軍軍需部大島支庫跡(させぼかいぐんぐんじゅぶおおしましこあと)
    大島防備隊本部跡(おおしまぼうびたいほんぶあと)
    第18震洋隊基地跡(だいじゅうはちしんようたいきちあと)
◆朝8時前には出て、古仁屋に着き、本部跡は跡地だけのよう。行ったのは手案弾薬本庫跡のみ。

砂糖の流通

◆大阪の唐薬問屋が砂糖を扱っていたのだったか。昔、K君の修士論文で読んだような気がする。ぜいたく品である砂糖は輸入品で、薬の原料ととともに唐薬問屋が扱っていたのだという。その後、讃岐など国産品が出回るようになり、砂糖問屋が独立するという話だったか、覚えていない。いま調べると、讃岐もサトウキビなんですね。てん菜による砂糖づくりが北海道で盛んになるのは近代以降のよう。
◆黒糖をさらに精製して白砂糖にすることで、もっと和菓子などに普及するようになるのだろう。江戸期における大阪の砂糖の扱いを、再度、勉強してみよう。で、これらの砂糖で薩摩藩はもうけたとして、それをどのように流通に乗せていたのかに興味がある。
◆画像は、喜界から戻る飛行機から撮影したサトウキビ畑。ずいぶん整った圃場になっている。

喜界島第2日

◆もう1日できたので、喜界をもう3周くらいするかと。これは冗談。
◆まず百之台公園に行く。そこからの画像。サトウキビの収穫が始まっている様子を見ることができる。雁又の泉に行く(源為朝伝説)。藤崎商店に行く。ファミリーレストラン「さんご」に行く。喜界最高点211ポイントに行く。外は、晴れ間がさしたと思うと、また雨がパラパラ来るなど。車でドライブしているのがいちばん。うろうろしたが、ルートはほとんど覚えていない。
◆最後はやはり15時くらいに空港に行く。なんとか飛びそうな感じである。発券後、レンタカーを返し、空港の売店横でコーヒーを飲む。そうこうするうちに搭乗待合室への案内があり、無事に奄美大島にたどり着いた。翌日27日午後の喜界・奄美便のキャンセルをして、名瀬に向かう。

2025年12月26日喜界

◆昨日25日の話の続き。まだありました。26日午後に奄美大島に帰れたとして、当初の大阪便と乗り継げるのだが、名瀬のホテルに荷物を置いたままなので、そうもいかない。今回は奄美大島をまわるのが目的なので、名瀬のホテルを延泊する連絡。奄美のレンタカーも延長。
◆で26日の朝、まず空港に行き、この日の午後便で奄美に帰れたとして、大阪便を27日に変更する。当初は夕方便まで、奄美を1日めぐる予定だったが、27日になるとカミサンは夕方の用があるというので、昼13時発を確保。
◆この26日朝の時点で、午前便は、鹿児島・奄美大島行とも欠航になっていました。まあ午後便でよかった。台風並みの風で、夜中、ビュービュー吹いていた。ただ、25日夜の天気予報では、午後には西からの高気圧で、等圧線の間隔も広がる予報だったので、なんとかなるだろう、と。

奄美大島に帰れず・・・

◆喜界島は25日の日帰りプラン。夕方便は16:35発。15時頃にレンタカーを返しに行くと、さっき欠航という放送がありましたと。ええっ!。
◆そこからがたいへん。まず飛行機は、翌26日便は、午前便がもう埋まり、午後便もJALとしては埋まり、空いているのが27日の午後便とのこと。まずそれを押さえる。その上で、この奄美・喜界便は、なんというのですか、ANA枠が4席あるのだそうです。調べると、26日午後便は残り2席というので、それも押さえる。もし翌日に飛行機が飛べば、午後便には乗れる。26日も欠航であれ ば27日の午後便となるわけだ。で、この25日は喜界島に泊まるしかないので、前に来た時に何泊かした喜界第1ホテルを取る。
◆まあしゃーない。ホテルに入る。そして天晴という店に歩いていく。前に来た時も、Tさんと飲みに行った店だが、昨年、店を別の場所に新しくしたとのこと。予約客が多かったが、2人なのでカウンターに座ることができた。夜光貝を食べました。レンタカーも延長。

それから地下ダム施設のトンネル

◆サトウキビ栽培に必要な水をいかに確保するかが、この島の課題だった。で、地下にとんでもない水槽を作り?、水をため、そこからサトウキビ畑のスプリンクラーに水をまくばる、恐るべき施設が作られている。既にいくつかあるのかな。聞くところによると、もうひとつ作る話もあるという。その最初のものなのか、見学できる施設になっていて、これは農水省?。見学を申し出ると、地下へ入る入り口の鍵を開けてくれ、そこから数十mおり、地下のトンネルを歩いてゆく。水がぴちゃぴちゃとつたって床を濡らしている。壁に説明などがある。
◆出口は、町の物産売り場となっている施設にあり、階段を上がるとそこに出る。碑文があって、島民の悲願の施設で、1980年代からの20年にわたる大工事の末にできあがったものという。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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