人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
Y崎さんの本
◆昨日、1冊の本が届く。Y崎さんはNBK時代の上司で、いうまでもなく瓦
研究の大家である。開けて見ると、なんと幕末史の本である。「はじめに」が面白かった。60歳定年退職後、何をするか、大事ですね。15年かけて3冊の本にまとめ、このあとも第2巻・第3巻が刊行されるとのことである。
◆もう自分が61歳になってしまっている。最近は、現役時代にやりちらかしたことをまとめる、何はともあれ、それをやらないと、と思っている。早く来ないかサンデー毎日。あんまり新たな研究ができるとも思えない。個別の測量した古墳のまとめをやることが、やるべき研究です。それを終えるのに、5年くらいなのか10年かかるか、生きたアカシとして報告するということだ。
◆プリンタのカスレがひどくなり。こういうのやる気をそがれます。
◆もう自分が61歳になってしまっている。最近は、現役時代にやりちらかしたことをまとめる、何はともあれ、それをやらないと、と思っている。早く来ないかサンデー毎日。あんまり新たな研究ができるとも思えない。個別の測量した古墳のまとめをやることが、やるべき研究です。それを終えるのに、5年くらいなのか10年かかるか、生きたアカシとして報告するということだ。
◆プリンタのカスレがひどくなり。こういうのやる気をそがれます。
2025年10月16日(木)一乗谷博
◆開館して3年だそうです。一乗谷には何回か来ている
が、いちばん最近はいつだったのだろうか。考古学の研究室旅行で福井をまわった時かな。だいぶ前ですね。予定地で大掛かりな石敷遺構が出て、設計変更が大変だったようです。いま館内で露出展示している。
◆15時過ぎに出て福井駅に戻り、帰りの特急券を買う。が、福井-敦賀間を新幹線を使うのとハピラインでは乗車券が異なり、新幹線特急券を買っ
たものの入れず、買い直そうとしても緑の窓口は人の列。あ~あ新幹線が行っちまった。結局、ハピラインに乗り、敦賀からサンダーバード。
◆大阪に戻り職場に行く気にはならないが、鶴橋ドトールで久津川の埴輪のリストのエクセルを2130までいじる。
◆15時過ぎに出て福井駅に戻り、帰りの特急券を買う。が、福井-敦賀間を新幹線を使うのとハピラインでは乗車券が異なり、新幹線特急券を買っ
◆大阪に戻り職場に行く気にはならないが、鶴橋ドトールで久津川の埴輪のリストのエクセルを2130までいじる。
2025年10月16日(木)恐竜博物館
◆2日目。福井駅前から恐竜博物館への交通案内がむろんあった。
あとから、えちぜん鉄道に乗ればよかったと思う。ネットで見ると要予約とあり(これは恐竜特別仕様の場合だったよう)、めんどくさいのでレンタカーを借りた。また実は関係者用のバスがあったのだが、その案内は直前にあったようで見逃していた・・・。8:30に出て、中部縦貫道の無料区間で勝山まで行き、恐竜博へ。
◆観光バスも多いし、平日だが一般観覧者もとても多い。お金もかかっているが、大成功している博物館ですね。
◆研修室で4本の発表を聞く。終了後、一乗谷の博物館に向かう(1日目の1本目が一乗谷博の保存科学の方の発表だった)。SさんFさんと一緒。説明を聞きながら展示を見ると勉強になりますね。
◆観光バスも多いし、平日だが一般観覧者もとても多い。お金もかかっているが、大成功している博物館ですね。
◆研修室で4本の発表を聞く。終了後、一乗谷の博物館に向かう(1日目の1本目が一乗谷博の保存科学の方の発表だった)。SさんFさんと一緒。説明を聞きながら展示を見ると勉強になりますね。
山陰歴史館
◆ここ来るべきですね。埋文センターには行ったが、たぶんこ
こには来ていない。旧の市役所で、昭和5年の竣工。考古資料から始まり、米子藩のこととか、民俗資料とか、古写真とか、よく集めたられた博物館です。企画展を重ね、手作りでプリントパック的な印刷での冊子かなと思われる図録を300円とか500円で販売しているところも共感を覚えます。ちょうどやっていた企画展「昭和の米子」もなかなかよかった。昭和25年に米子博覧会というのをやっているのですね。
◆昭和33年の空中写真がよい。メインの通り沿いに両側に店舗がならぶ様子がよくわかる。これは城の方を見ているが、左側に縦に通るのが旧山陰道で、旧の国道9号線なんだろう。いまの9号線はその右隣の通りを拡幅したのだろうか。そして、写真の横方向(南北)だが、メインの通りは上から1/3あたりに通っているものなんだろう。前項でふれた表通り。この通りが南北方向のメイン通りだったのだろう。
◆昭和33年の空中写真がよい。メインの通り沿いに両側に店舗がならぶ様子がよくわかる。これは城の方を見ているが、左側に縦に通るのが旧山陰道で、旧の国道9号線なんだろう。いまの9号線はその右隣の通りを拡幅したのだろうか。そして、写真の横方向(南北)だが、メインの通りは上から1/3あたりに通っているものなんだろう。前項でふれた表通り。この通りが南北方向のメイン通りだったのだろう。
土蔵の町
◆城下町には、(たぶん)外堀でもある水路沿いに蔵の残る一画がある
という。カミサンは以前に学会で城も町あるきも一度やっているので、案内してもらう。城から歩いていくと、その水路の手前までが武家地で、渡ったところからが町人地なのかなと思った。
◆写真はいちばん蔵がよく残る一画。この東に南北通りがあり、そっちが表。水路は商品の荷揚げなどをする裏側ということだ。表通りに昔ながらの町屋がまとまって残っていればデンケンというところだが、そこまでではないよう。後述の昭和33年の空中写真によると、町屋がずらっとならんでいたようだが、その後、現代的なものに多くは建て変わったようだ。あまり時間をかけて歩いていないので、全体の様子は把握していないが。
◆写真はいちばん蔵がよく残る一画。この東に南北通りがあり、そっちが表。水路は商品の荷揚げなどをする裏側ということだ。表通りに昔ながらの町屋がまとまって残っていればデンケンというところだが、そこまでではないよう。後述の昭和33年の空中写真によると、町屋がずらっとならんでいたようだが、その後、現代的なものに多くは建て変わったようだ。あまり時間をかけて歩いていないので、全体の様子は把握していないが。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。