人を幸せにする人になろう

Y崎さんの本

◆昨日、1冊の本が届く。Y崎さんはNBK時代の上司で、いうまでもなく瓦研究の大家である。開けて見ると、なんと幕末史の本である。「はじめに」が面白かった。60歳定年退職後、何をするか、大事ですね。15年かけて3冊の本にまとめ、このあとも第2巻・第3巻が刊行されるとのことである。
◆もう自分が61歳になってしまっている。最近は、現役時代にやりちらかしたことをまとめる、何はともあれ、それをやらないと、と思っている。早く来ないかサンデー毎日。あんまり新たな研究ができるとも思えない。個別の測量した古墳のまとめをやることが、やるべき研究です。それを終えるのに、5年くらいなのか10年かかるか、生きたアカシとして報告するということだ。
◆プリンタのカスレがひどくなり。こういうのやる気をそがれます。

2025年10月16日(木)一乗谷博

◆開館して3年だそうです。一乗谷には何回か来ているが、いちばん最近はいつだったのだろうか。考古学の研究室旅行で福井をまわった時かな。だいぶ前ですね。予定地で大掛かりな石敷遺構が出て、設計変更が大変だったようです。いま館内で露出展示している。
◆15時過ぎに出て福井駅に戻り、帰りの特急券を買う。が、福井-敦賀間を新幹線を使うのとハピラインでは乗車券が異なり、新幹線特急券を買ったものの入れず、買い直そうとしても緑の窓口は人の列。あ~あ新幹線が行っちまった。結局、ハピラインに乗り、敦賀からサンダーバード。
◆大阪に戻り職場に行く気にはならないが、鶴橋ドトールで久津川の埴輪のリストのエクセルを2130までいじる。

2025年10月16日(木)恐竜博物館

◆2日目。福井駅前から恐竜博物館への交通案内がむろんあった。あとから、えちぜん鉄道に乗ればよかったと思う。ネットで見ると要予約とあり(これは恐竜特別仕様の場合だったよう)、めんどくさいのでレンタカーを借りた。また実は関係者用のバスがあったのだが、その案内は直前にあったようで見逃していた・・・。8:30に出て、中部縦貫道の無料区間で勝山まで行き、恐竜博へ。
◆観光バスも多いし、平日だが一般観覧者もとても多い。お金もかかっているが、大成功している博物館ですね。
◆研修室で4本の発表を聞く。終了後、一乗谷の博物館に向かう(1日目の1本目が一乗谷博の保存科学の方の発表だった)。SさんFさんと一緒。説明を聞きながら展示を見ると勉強になりますね。

2025年10月15日(水)福井に向かっている

◆金研の研究会が福井であるので参加。今日は福井県立大学恐竜学部、明日は恐竜博物館が会場である。サンダーバード。
◆敦賀-福井はハピライン。福井駅西口からの路線バスに揺られ県大へ。14時開始の1時間前には到着し、会場に入る。今日は5本の発表を聞き、1730から懇親会。そのあとバスで福井駅に送ってもらう。

大阪市電1903~1969

◆新聞記事から。市電を通すため、江戸時代以来の通り・筋を拡幅する工事が、明治・大正・昭和と進められたのでしょう。公営の路面電車として日本でもっとも古いのだそうです。知りませんでした。一時代を画した路面電車、市電、66年にわたって続いたんですね。
◆京都はどうだったんだろう。大学に入った時はもう市バスで、市電はなかったはず。市営地下鉄が北大路まで通ってすぐ、くらいだった。

それから

◆米子駅から伯備線で戻る。写真は根雨駅。車内アナウンスで、上石見駅というのが伯備線でもっとも高い駅だそうです(11:24頃)。そのあとトンネルに入り、出ると分水嶺を越えたので高梁川流域になる。
◆新大阪に着く。仕事に行くことはやめ、このあいだの深江まちあるきのような第2弾はないのか、というので、司馬遼太郎記念館や大阪商業大学商業史博物館を考える。また、前から名前は知っていたズンゾZUNZOという宮本順三の資料館もまた近いことがわかる。結局、八戸ノ里駅前のズンゾに行く。ビルの3階。解説が熱心で、長く・・・、結局、夕方近くまで・・・。

山陰歴史館

◆ここ来るべきですね。埋文センターには行ったが、たぶんここには来ていない。旧の市役所で、昭和5年の竣工。考古資料から始まり、米子藩のこととか、民俗資料とか、古写真とか、よく集めたられた博物館です。企画展を重ね、手作りでプリントパック的な印刷での冊子かなと思われる図録を300円とか500円で販売しているところも共感を覚えます。ちょうどやっていた企画展「昭和の米子」もなかなかよかった。昭和25年に米子博覧会というのをやっているのですね。
◆昭和33年の空中写真がよい。メインの通り沿いに両側に店舗がならぶ様子がよくわかる。これは城の方を見ているが、左側に縦に通るのが旧山陰道で、旧の国道9号線なんだろう。いまの9号線はその右隣の通りを拡幅したのだろうか。そして、写真の横方向(南北)だが、メインの通りは上から1/3あたりに通っているものなんだろう。前項でふれた表通り。この通りが南北方向のメイン通りだったのだろう。

土蔵の町

◆城下町には、(たぶん)外堀でもある水路沿いに蔵の残る一画があるという。カミサンは以前に学会で城も町あるきも一度やっているので、案内してもらう。城から歩いていくと、その水路の手前までが武家地で、渡ったところからが町人地なのかなと思った。
◆写真はいちばん蔵がよく残る一画。この東に南北通りがあり、そっちが表。水路は商品の荷揚げなどをする裏側ということだ。表通りに昔ながらの町屋がまとまって残っていればデンケンというところだが、そこまでではないよう。後述の昭和33年の空中写真によると、町屋がずらっとならんでいたようだが、その後、現代的なものに多くは建て変わったようだ。あまり時間をかけて歩いていないので、全体の様子は把握していないが。

2025年10月11日(土)米子城

◆この日は予定を決めておらず、特急券は取っていなかった。1030頃に米子を出ることにする。朝、米子城をめざす。
◆チェックアウトし荷物を預け、加茂川に沿って城山にむかう。名札を下げた比較的若い人や年配の人が同じように城をめざしているように見える。米子でちょうど心不全学会というのが開催されていて、それに参加している人なんだろうと推測する。裏(川側)から城山を上る。天守台に到達。大手側に下りていく。テニスコートが二の丸、その下が三の丸。そこにあった野球場をなくし、いま城跡公園にする工事真っ最中である。国史跡となって環境整備が進められている。

15時30には米子に引き返す

◆今日は、カミサンが1630からのオンライン議、こっちは18:30から21:00まで編集会議がある。雲南吉田ICの道の駅の蕎麦屋で「ムラゲ膳」というのを食べ、帰りは高速道路で米子に引き返す。大山がきれいである。
◆レンタカーはガソリンを入れ1620頃に返却。ホテルで編集委員会の資料をダウンロードし、米子駅内のセブンでプリントする。21時過ぎに終了し、名物のサバしゃぶというのを食べに出る。

プラグイン

カレンダー

09 2025/10 11
S M T W T F S
1 3 4
6 10 11
14 16
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索