人を幸せにする人になろう

昼飯を食うか

◆このところ夕方になると頭が痛い。脳に栄養が行きわたっていないのかも。長らく昼飯を食わない生活をしている。もしかすると糖分が足りないのだろうか。昼飯を食うようにしてみるかな。とはいえ、食堂に行こうとは思わないし、おにぎりもな~。
◆『大阪公大日本史』の編集作業に取られる時間が多い。今年は厳しい。間に合わすために、校正のやりとりを迅速にする、そのため、自分の時間をかなり削ってるんですよ。
◆塚田科研のニュースレターを書いているんですが、これも時間がかかる・・・。

HIRC

◆この4月に文学研究科長が交代した。その方からセンター長をやってくれとお願いされ引き受けた。が、けっこう気が重いですね。都市文化研究センター時代は専任を置いたものではなかったが、この4月に専任1名が着任している(大学内の移動)。さらに9月採用でもう1人を公募中である。そして、日本史・社会学から2名、国文・教育・英文から1名の両属教員が出る。日本史のことと、HIRCのことを両方やれというもの。日本史の1人がわたしなわけです。これらコアメンバーから研究科長がセンター長を指名することになっていて、その話が来たわけだ。
◆名前をHIRCと変えたのは2025年度だが、専任も両属教員も新たに配置し、まったく新しい体制として動き出すのが、この2026年度。2025年度は、事務局は特任助教1名とアルバイト2名。今年度から専属を置いたことは画期的で、文の教員にみなかかわってほしい研究センターではあるが、専属教員が配置された以上は、そこが主導的に運営してほしいもの。
◆このあたりが難しいところですね。文全体の研究組織である。専任2人に役割を発揮してほしい。両属委員もまた主体的に役割を担うものでなければならない。そう簡単には飛躍しないとして、それでも新体制で、部局内研究センターとしての実を挙げ、都市文化研究センター時代よりも活発なものとしてレールを敷いていかなければならない、というわけだ。
◆わたしは1年でやめるつもりだが、最初が肝心ともいえ、どう運営していくものとし、何をめざしどういう活動を展開するのか、議論する1年になればよいと思う。

2026年4月3日みなさんお元気ですか

◆3月に62歳となりました。2026年度、新年度が始まりました。定年退職まであと3年、なんとか勤め、無事にやめたいものです。定年後のことを考え始めました。
◆とはいえ、昨日は、新入生ガイダンスの院生ガイダンスで、支援制度を説明する役となり(HIRCのセンター長の役なんだそうです)、1日に昨年11月のパワポ資料をもらい、準備しました。一覧表があった方がいいなと思い、ネットでいろんな支援の要項を調べ一覧表にして、配布資料に含めてもらいました。でパワポを直し、15分しゃべる。
◆3日は、文学研究科の委員長会議。新年度の各種委員の委員長が前任から引継ぎをしてもらった上で、課題などの資料をまとめ、本日午後に会議がある。ほんとは委員長ではないのだが、学芸員課程運営委員会の委員長に代理を頼まれ、資料を作りアップしたのは数日前。今度は、本体ともいえるHIRCセンター長としての報告資料をつくらにゃならん。動き出しがまずは遅かったわけだが、1日に前任者にお願いし、昨日2日、資料を送ってくれ、部屋にも来て引継ぎを行った。が、項目だけ出している資料で何ともわからん。ちゃんとしたレジュメを作ろうと、昨日2日から着手。帰ってから、夜に残りをと思ったが、よわい62歳はもう無理で、1日の疲れも取れない。当日朝、9時から残りをやって10:30にはできあがる。

『巨大古墳と倭の五王』

◆大学院で前方後円墳をやり始めた1988年頃、全国にどんな前方後円墳があるのか、いまのようにネットもなく、出版物も限られていた。そのなかで、この本はたいへん有用だった。あと、森浩一企画の保育社の都道府県シリーズ。出たころ、5冊ほどは買ったような気もするが、全巻そろえるということはしなかった。大学図書館?。研究室?のこれらをぜんぶめくった記憶はないが、それでも主要なものを拾うには、その頃としてはありがたいものだった。
◆前方後円墳集成は、最初の中・四国が出たのが1991年なんですね。とはいえ、これも個人がそろえるものでなく、これにしたがって資料を集めた記憶はない。

苅田御所山

◆報告書が出たと聞いたような気もするが、気のせいか。1988年に訪れた際、なんか薄暗い、不気味な感じのところだった、という印象がかすかに残る。発掘調査成果はわかっていないのだが、測量図のみで、市野山型か、と。

2026年3月28日(土)大阪まちあるき

◆土日のどっちかを仕事、どっちかは仕事をしないことにする。この日、職場に向かう近鉄のなかで町あるきをすることになる。上本町から、生国魂社や高津社を皮切りに、松屋町筋を北上、天神橋筋商店街を通り、すまいのミュージアム。そこから中崎町。そこから電車で帰ることせず、堺筋を南下。船場から島之内を通り、道頓堀。日本橋から上本町までも歩き、黒門市場を通り、最後はハイハイタウンで飲む。830から1830まで1日歩きました。
◆写真は土佐堀川で、左が船場、右が中之島。土佐堀川から左へ、東横堀が分岐する。

久津川の文書

◆文化パルクで関係文書を撮影したものを、その後読んでみました。くずし字でわからない文字も少なくない。また関係文書のすべてがあるわけでなく、宮内省が最終的に一部を買い上げることになる局面も、詳しくわかるわけではなさそうである。

2026年3月26日(木)醍醐寺

◆同志社大学のある集りがあり、カミサンも前回誘われ参加し、次回は醍醐寺で花見となったものに誘われる。車で職場に行き、1430に出て醍醐寺に。
◆初めてです。五重等は、世界遺産の構成資産となっているもののうち最古の10世紀半ば完成のもの。桜の早いものは満開で、16時でしたが観光客であふれていました。
◆ぜんぜん世界の違う人たちと、なんとか話をしました。

2026年3月25日(水)城陽文化パルクで久津川の遺物を見る

◆小雨。明治27年の発見物のうち、甲冑などの形のまとまったものが、いわゆる国保有で東博に入り、それ以外のものが鏡7面や甲冑のパーツになったもの、鉄鏃・滑石製模造品などは、所有者に戻された。それが山城郷土資料館に行き、一部保存処理がなされ、また文化パルク城陽ができた時に移されていた。それらが、なお所有者の元にあったものを含め、あまり知られていないことですが、東博に行っていたのです。
◆今回、それらが城陽市に寄託されることが決まり、帰ってきたので、科研メンバーでそれらを見る会が、15時から開催される。
◆わたしは、その資料のなかに含まれていた、所有者が残していた文書の写真を撮った。明治27年7月の発見届に始まる。開棺前である。
◆そのあと打ち合わせを兼ねた懇親会。車だったのでノンアル。そのあと、久津川のガストにいて、最終便のひとつ前?の新幹線で帰るカミサンを迎えに行きました。

2026年3月24日(火)卒業式

◆全体は中百舌鳥?。午後は森之宮講堂で文の学位授与式。15時から歴史学での学位授与。コロナでこうなったが、以前のように、文の学位授与式で全員に科長から手渡すというのに戻さないのですかね。教室での歴史学などそれぞれのところでの手渡しは、儀式としてはちょっと。
◆夕刻、卒業パーティが大阪城公園駅西のイタリア料理店で開催される。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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