人を幸せにする人になろう

2026年9月16日(水)

◆朝、ホテルからセントラルの駅方向を見たところ。手前が郵便局。その向こうにガラス張りの高層ビルが工事中。ランドマークとしてわかりよい。とはいえ、起伏があり、ビル群も高層化しているので、どこからでも見える、というわけにはいかない。が、宿泊場所に戻る際にはわかりやすい。
◆日本と違って地盤が古くて安定しているのでしょうか。どんどんと高層ビルが生まれ、だいたいがガラス貼り。個々のビルの個性が強い。
◆半袖は寒いので長袖を着るも、それでも寒い。この日の朝、ユニクロに行き、薄いダウンを購入する。

セントメリーズ大聖堂

◆そのあと大聖堂に行く。17時前に入り、17時からのミサを後方席から見ていた。18時を過ぎたか、終わり近くまでいて、出た。
◆ホテルに戻り、この日は学会参加の3名と5名で飯。「だるま屋」という日本の居酒屋でした。日本酒や焼酎、缶チューハイ、食べるものも日本の居酒屋と変わらず、日本語も通じて、落ち着く。

アンザック戦争記念館

◆そのあと、学会会場に向かう。途中、タウンホールなど訪れるが 、イベント?が行われていて、なかに入れなかったりする。学会会場に1530には到着し、このあとはカミサンと一緒に行動する。オーストラリア博物館は明日に行くとして、戦争記念館に行く。
◆アンザックというのは、英連邦としてオーストラリアとニュージーランドの連合軍のことをいうのだそうだ。WWⅠの時に、オスマン軍と戦うため、ダーダネルス海峡のガリポリ半島上陸作戦に加わり、その戦没者の慰霊施設として、戦後の1934年にできたもの。展示では、その後の戦争についても、21世紀の最新のものまでが取り上げられている。

女性移民の宿泊施設へ

◆1840年には囚人労働制が廃止され、流刑が停止される。ゴールドラッ シュもあり、1850年代前後に、移民が増え人口が増え、自治も行われるようになるという。そこで、英国は、貧困層の女性移民政策を進めたようである。箱ひとつもって船に乗り込んでやってきたアイルランド移民の女性が取り上げられていた。オーストラリアに初めてやってきた、まだ10代といった若い女性が、ひとまず住む場所を確保し、仕事に出ていたようである。
◆バラックスは3階建てだが、1階がこの段階の展示である。

世界遺産のバッラクス

◆男の囚人の収容施設。1819年にできる。1848年には島に移され、女性移民の宿舎になった。クック船長のオーストラリア到達が1770年。イギリス本国では、産業革命が進行し、貧困者も多く生まれ、軽微な罪でも牢屋に収容される。ここの音声ガイドで最初に入った部屋では、郵便を1通盗んだ罪で、死刑判決を受け、減刑されオーストラリア送りとなった人物が取り上げられている。
◆本国の牢屋がいっぱいで、北米大陸が流刑地になっていたが、1775年から1783年の独立戦争で、アメリカが独立国となり、流刑地でなくなる。そこで英政府は1786年にNSWを流刑地にする。
◆最初の総督が、囚人800人を豪に運ぶ。そのあとの第5代総督のマコーリーがこれを建てたという。各国の音声ガイドが充実しており、ぜんぶ聞いて回ると、けっこうな滞在時間となる。アボリジニの迫害なども組み込まれているが、あまり体系的に取り上げているとはいえないように思う。

造幣局

◆1854年に造幣局の支局として造られたもの、だそうだ。どこかまでは英本国のお金、ある時点からオーストラリアの通貨が造られるようになったらしい。オーストラリア連邦ができたのは1901年だったか。19世紀半ばは、まだいくつかの植民地の段階。最初にできたのがNSW(ニューサウスウェールズ)植民地。こういう植民地の単位が、連邦制で州となる。
◆1854年は、ペリーが前年に浦賀に来航し、この年、横浜で日米和親条約が締結された年である。

シドニー病院

◆1811年に建てられ、現在も現役である。経費を負担した3人にラム酒の輸入権を独占させたという。囚人とは別に「自由移民」がおり、商売をしているわけです。歴代総督は、例えばこのラム酒で儲けている商人らに税を掛けるとか、規制をしたりしようとするも、彼らの力が強く、統制できなかったようである。
◆病院を東に抜けて公園に行き、ガイドブックを読む。

NSW州議事堂

◆1816年に隣の病院の建物として建てられたという。1829年 から議事堂となる。持ち物検査をして入る。現役で、いまでも使われているのですね。

同じマーティンプレイスで

◆けっこう、昔の写真があちこちに掲示されている。この一画は、とくにそのようである。空襲被害はたぶんないのだと思うが、WWⅡの時に、日本軍が港を攻撃している。

2026年9月15日(火曜日)2日目

◆14日の夜は科研申請書を書く。ひと通り書いてはいたが、チェック が入り、そこそこ直すことになっていた。13日の研究会のあと、飛行機の中、そして14日の夜、なんとか直し切り、15日の早朝、申請に漕ぎつけた(締め切りは9:00)。
◆この日の午後、カミサンは発表がある。朝、会場まで行き、終了後の15:30に会場建物1階で待ち合わせとし、こっちは朝からまちあるき。
◆マーティンプレイスというところで、慰霊碑?みたいなのがあり、軍関係者が集まり、儀式が行われていた。あとで調べてみると、WWⅡの、ドイツ軍のロンドン空襲に対して、それへの防備に参加した豪軍の記念式典だった。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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