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渡辺崋山と蛮社の獄

◆名前くらいしかわかっていなかったが、ある新聞記事を興味深く読む。ウィキでは以下のよう。 天保8年(1837年)6月モリソン号が6月28日に浦賀に接近したが、異国船打払令により砲撃を受ける。高野長英は『戊戌夢物語』を匿名で書き、写本で流布して反響を呼ぶ。一方、崋山も『慎機論』を書いたが、これは未定稿というところか。内心では開国を期待しながら海防論者を装っていた崋山は、田原藩の年寄という立場上、長英のように匿名で発表することはできず、幕府の対外政策を批判できなかった。崋山は草稿のまま放置していたが、この反故にしていた原稿が約半年後の蛮社の獄における家宅捜索で奉行所にあげられ、断罪の根拠にされることになる。天保9年(1838年)12月に水野忠邦は鳥居耀蔵を正使、江川英龍を副使として江戸湾巡視の命を下した。これも、通説では重要なファクターとされるものらしい。天保10年(1839年)5月に、鳥居の上書(告発状)をもとに出頭が命じられ、獄につながれる。以後、減刑嘆願運動。12月18日に崋山に対し在所蟄居の判決が下された。翌年の1月に田原に護送され、当地で暮らし始めたが、生活の困窮、藩内の反崋山派の策動、彼らが流した藩主問責の風説などの要因が重なり、蛮社の獄から2年半後の天保12年(1841年)10月11日に自刃した。享年49。だそうである。 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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