人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
玉7測量時の唯一の写真
◆君島君と江角君が写っている。2000年の年末か2001年はじめ。
◆1号墳の報告書が出て、その関係資料を柏原市に渡さなければならないのだが、実は7号墳のモロモロがまだ未処理なのだ。遺物や図面は報告書が出た段階で渡したが、書類関係が・・・。で、玉1の後処理に手をつけるためには、玉7の残務をもう少し片付けねばならないので、いまやっている。
◆発掘にこぎ着けるのが一苦労。報告書を出すのが一苦労。だが、それで終わりではない。遺物や記録類をきちんと保管する体制にもっていって、初めて完結する。その意味では、わたしはいつも失格であった。恥ずかしい話がいっぱいある。そうした反省の上に、調査後の一時処理は記憶の新しいうちにやるように心がけてはいる。
◆2000年秋にやった帝塚山古墳の測量記録類、玉7の測量調査の記録類は、整序し、製本してある。しかし、そこで止まっている。玉7の残務、この間、まったく何もしなかったわけでなく、少しずつ整理はし、ひとやまにしてはあった。が、最後のところで完了まで至らない状態でここまで来てしまった。今日でほとんどできそう。1日やれば終わるのにね。で、この写真が出てきた。
◆測量に一生懸命で、調査風景などをほとんど撮っていない。記念写真のようなものもない。その後、茶臼山からはいろいろ写真を撮る余裕も出てきて、そういうものを報告書に掲載することが定式化している。
◆1号墳の報告書が出て、その関係資料を柏原市に渡さなければならないのだが、実は7号墳のモロモロがまだ未処理なのだ。遺物や図面は報告書が出た段階で渡したが、書類関係が・・・。で、玉1の後処理に手をつけるためには、玉7の残務をもう少し片付けねばならないので、いまやっている。
◆発掘にこぎ着けるのが一苦労。報告書を出すのが一苦労。だが、それで終わりではない。遺物や記録類をきちんと保管する体制にもっていって、初めて完結する。その意味では、わたしはいつも失格であった。恥ずかしい話がいっぱいある。そうした反省の上に、調査後の一時処理は記憶の新しいうちにやるように心がけてはいる。
◆2000年秋にやった帝塚山古墳の測量記録類、玉7の測量調査の記録類は、整序し、製本してある。しかし、そこで止まっている。玉7の残務、この間、まったく何もしなかったわけでなく、少しずつ整理はし、ひとやまにしてはあった。が、最後のところで完了まで至らない状態でここまで来てしまった。今日でほとんどできそう。1日やれば終わるのにね。で、この写真が出てきた。
◆測量に一生懸命で、調査風景などをほとんど撮っていない。記念写真のようなものもない。その後、茶臼山からはいろいろ写真を撮る余裕も出てきて、そういうものを報告書に掲載することが定式化している。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。