人を幸せにする人になろう

背割り下水

◆三休橋筋に面した古民家。空き家のようである。こういうものがそちこちにあるのだが。これらはいつから建っているのcf9ea5b0.JPGだろう。空襲被害は?。焼け残った?。院生は、戦後に昔風の建築物として再建されたとの70815982.JPG意見も。そういうものもないではないのだろうが、やっぱり焼け残ったのでは?と思うが、ほんとはどうなんだろうか。
◆前にも書いたが、そこらへんが京都と違うところで、やっぱり空襲でほぼ更地になってしまうと、土地の区画はそのままとしても、かつてのように外観を揃えてといった規制は働かない。戦後、やっぱりビルを建てようかと、普通はそうなるわな。大阪が古いものをどんどん壊してきたというわけではないのだろう。残ったものは、いまでも残しているわけで、建て替えたのは空襲で焼けてしまったからである。
◆背割り下水。その隙間はいまでもずうっと通るところは残っている。誰の土地でもないい以上、勝手に浸食して占有したような場合をのぞいて、残っていくわけだ。これも青線?。で、並んでいるようでも、右が
863927d7.JPG道修町、左が平野町、と、こういう区分となる。木戸って、筋にはないのかな~。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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