人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
錢高組分室
◆錢高組って、ゼネコンやな~。分室?。何するところ?。調べれば何か出てくるのだろうが・・・、WEB。![a5e5eee8.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1339779670?w=150&h=109)
番匠屋錢高家は、江戸時代より泉州尾崎村(阪南市)にて、歴代錢高林右衛門、錢高助左衛門などを襲名し、錢高善造に至るまで宮大工の棟梁を代々家業としていた。1705年9月18日には、業祖錢高林右衛門が棟梁として建立に携わった本願寺尾崎別院が落慶する。錢高組創業の瞬間である。社祖 錢高善造は、1884年に上京し、明治の文明開化の波と共に勃興しつつあった西洋建築の新技術や近代経営の習得に努めるなか、数多くの得意先から知遇を得ていく。そして1887年、善造は大阪市内の地に移り、屋号の番匠屋を錢高組に改め、新たな一歩を踏み出す。
◆だそうである。ちなみに、このとき、中から人が出てきたが、何をしていたんですかね。事務所として使っているんでしょうか
番匠屋錢高家は、江戸時代より泉州尾崎村(阪南市)にて、歴代錢高林右衛門、錢高助左衛門などを襲名し、錢高善造に至るまで宮大工の棟梁を代々家業としていた。1705年9月18日には、業祖錢高林右衛門が棟梁として建立に携わった本願寺尾崎別院が落慶する。錢高組創業の瞬間である。社祖 錢高善造は、1884年に上京し、明治の文明開化の波と共に勃興しつつあった西洋建築の新技術や近代経営の習得に努めるなか、数多くの得意先から知遇を得ていく。そして1887年、善造は大阪市内の地に移り、屋号の番匠屋を錢高組に改め、新たな一歩を踏み出す。
◆だそうである。ちなみに、このとき、中から人が出てきたが、何をしていたんですかね。事務所として使っているんでしょうか
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。