人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2022年10月27日、五箇荘南部むらあるき2
◆まずは小豆塚(まめづか)。地図上での知識しかなかった。大学近辺でガソリンを入れないとい けない時、我孫子筋から続く「ときはま線」(というんですね)沿いのコスモを使っていた。で、北に戻ろうとすると、その先の東西道路の交差点を東に入り、Uターンしていた。これが長尾街道でした。そんなことも知らなかった・・・。
◆以前、わずかな回数ながら自転車で大学に通勤した時、基本的に長尾街 道を西に行ったが、あまみこそ神社のところで西除川沿いに西北上していたので、そこから先は知らなかったわけです。
◆ときはま線から西に入り、小豆塚まで行く。阪和線堺市駅の近くなんですね。ひとつまえの地図にあるように、なぜだが真ん中が空いていて、神社があり、コの字に集落がある。小豆塚はそこから西に離れたところ。
◆下の写真、どうも地図からすると用水路を埋めたものらしい。村中をあるいていた時も、この細道の先を横切った時、こういうのは赤線化か青線やで、里道や水路で公有地だから、こうして残るんやで、と言っていた。それが長尾街道に戻ってきたとき、続きがここに現れていたわけです。
◆以前、わずかな回数ながら自転車で大学に通勤した時、基本的に長尾街 道を西に行ったが、あまみこそ神社のところで西除川沿いに西北上していたので、そこから先は知らなかったわけです。
◆ときはま線から西に入り、小豆塚まで行く。阪和線堺市駅の近くなんですね。ひとつまえの地図にあるように、なぜだが真ん中が空いていて、神社があり、コの字に集落がある。小豆塚はそこから西に離れたところ。
◆下の写真、どうも地図からすると用水路を埋めたものらしい。村中をあるいていた時も、この細道の先を横切った時、こういうのは赤線化か青線やで、里道や水路で公有地だから、こうして残るんやで、と言っていた。それが長尾街道に戻ってきたとき、続きがここに現れていたわけです。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。