人を幸せにする人になろう

久津川の記録

◆調査成果について、ラインが導入され、共有することになる。以下、自分の覚え。
◆9月29日(水)、2トレの大木を始末して石を出していた。
◆9月30日(木)、昼に2トレの撮影。基本は昼前後ですね。午後が押してくると画像が暗く、色が出ない。→そのあと3トレの葺石に取り組む(ダメなのをはずしていく)。夕方の会議をさぼる。
◆10月1日(金)、12:30から会議ひとつ。これ委員長だからさぼれない。そして、初回だけの博物館展示論が4限。なので現場を1日休む。電話連絡が入り、くびれ部をはずしたことが確定。拡張すると。
◆10月2日(土)、古文書プロジェクト研究会。1日の編集会議の結果を受け、担当する査読結果の通知を5本まとめる。1トレのオルソ。
◆10月3日(日)、11時まで2トレのオルソ。そこから科研の申請書を書き始める。
◆10月4日(月)、3トレ。埴輪列がくびれる。葺石裾近くまで到達するも基底石がない。おおむね出し切った。あとは仕上げ。15:30から、木の根と格闘したのはこの日。終了後、職場に行き、22時まで科研の申請書を書き、帰宅して、うつらうつらしながらも、朝までかけて仕上げる。
◆10月5日(火)、現場を休む。授業は2限・3限・4限。2限は遠隔なので、午前は現場に行けないこともないのだが、9時が科研の〆切で、授業の準備を考え、1日休むことにする。4限は初回のみの博物館展示論。大阪市の科目担当者が来られ、明日朝の会議の話になり、6日(水)のさぼりが怪しくなる。
◆10月6日(水)、わたしの都合で金曜日に3トレの写真を撮るということで、みな頑張ってくれている(木曜は学生の大半が授業なので休み)。この日は9:30から会議ひとつ。そのあと2限の演習、5限に博物館実習がある。2限の卒論演習(教員5人全参加)は、ひとこと言うくらいなので(対象生の発表順番を決めるくらいと思っていたが、実際には構想の短い発表あり)、さぼれば、朝から5限まで現場に行けると思っていた。が、前日、大阪市博物館機構の人と話をしたため、9:30の会議がさぼりにくくなり、そうすると2限も困難・・・。現場には午後のぞきに行くと連絡、様子見のつもりだった。が、撮影予定の金曜日、出張が入っているではないか!。現場に連絡し、午後、写真を撮ることにする。13時には着。まだ仕上げ切られていないかったが、14:30くらいには撮り始めたか。16時には出るつもりだったが、結局は16:30。17:10の授業開始には間に合わない。これ博物館実習Ⅱの事後指導で、履修生らには内容を伝え、遅れるかもしれないことは伝えていた。城陽を出るときに、遅れるので始めておいてと頼む。そこは第2京阪、50分くらいで杉本着。17:20、10分遅れで済む。履修生らは、ちゃんと弥生文化博物館の実習内容の報告をやっていた。ちゃんとしてる!、と感激。
◆10月7日(木)、院演習のみ。あとはひたすら、さばけていなかったものを片っ端から片づける。一方で、明日からの図面用にオルソの割り付けをやる。6日〆切の書類を出せていなかったが、帰ってから仕事を続け、日が8日になり、2時ごろには送信。いま3時である。明日は鈴鹿市。現場からは午後来れるのか、と問い合わせ。

韓国の発表

◆8月20日で予定されていたものが、コロナで延期となり、本日でした。とはいえ、動画を送り、それが翻訳されて流され、また提出していた資料に対する質問が事前に来て、あらかじめ回答を出しておく。古墳の整備の研究会なのだが、遠隔で日本語で口頭発表するわけでなく、要するに番組を作って流すといったスタイルのよう。utubeでの配信だったのね、考えりゃわかることだったが・・・。
◆今日は、それでもネットでつないで顔を出すようなことをするのかな、ひととおり聞かなければならないのかな、と思いつつ。案内がなかったので、当日はなにもしなくていいんだなと、なんのアクションもしなかった。要するに見ていない。
◆夕刻、間を取り持っていただいた方からメールがある。ネットで入らなかったのはケシカランという話かと思いきや、好評であったということを伝えるもので、一安心。
◆なにがどう議論されるかもわからないままの内容作りだった。埋葬施設についても少しはふれたが、日本の古墳の場合、墳丘をいかに正確に把握して、どう見せるかというところが重点。発表動画ではしゃべりは短めにしたが、資料では日本の古墳がどのようなものか、規範性の強さとか、規模のこととか、墳丘だけでなく、堤のこと、造り出しや渡り土手、葺石、埴輪、礫敷など、いまわかっていることを知ってほしく、その内容を伝えることに重点をおいた。
◆少しコソバイような言葉であるが、それはそれで嬉しくないわけがない。

もろもろ

◆久津川は、9月30日に、2トレを仕上げ写真撮影までを終えた。残るは手間のかかる3トレ。10月に突入である。
◆IRは焼き畑農業、の記事。
◆時間をかけたことしか身に着かない。ちょっとやって「できません」では、そりゃできません。
◆考古学研究が来たので見ると、N先生の紀年論。おそるべし。が、読む暇もないので、結論だけをさらっと。本文は、正座して読ませていただきます。とはいえ、さすがですよね。考古学と文献史が(わたしのように)よっかかったらあかんと。徹底して考古学、徹底して文献、その上でどう接続するか、ということを示してくれているのでしょう。とにもかくにも、わたしのような凡人はいずれ中途半端であるのに対し、徹底した思考を貫くところがすごいし、文献古代史の人が考えてこなかった新たな見方が生まれる、ということか。むろん信仰するわけではない。批判的に読むことが大事。
◆1トレ、2トレのオルソ、座標切り、平面図の準備はできた。
◆10月3日、1行も書いていない科研の申請書を書くために研究室に来たが、久津川の仕事がもうちょっとある。現場は自分を鍛えてくれるとはいえ、物理的に時間が取られるのはたいへんである。ボランティアでやっています。まあそれもよい。とはいえ、授業が始まり、どう現場を織り込んでいけるか・・・。

絶望的なポスター

◆大阪何区かは知らぬが、自分のところの選挙区。なんと長尾たかし・・・。なんでこんなやつが通る のだろうか。そして下には櫻井よしこ。ああ、住む場所を変えるしかないか。

雨垂れ石を穿つ

◆こないだ高島の酒蔵で仕入れてきました。

2021年10月1日(金)、へろへろ

◆12:30から、ある雑誌の編集委員会(委員長)。そして4限の授業。さぼる算段を考えたが、かな わず、本日は現場を休ませてもらう。まあ、朝から職場にいれば、なんとでも。とはいえ、月・火・水・木と、4日、フルに現場をやると、もう体はもたなくなっている。だるい。しんどい。
◆一方、10月1日、呑み屋も再開。さっそく、いきつけの店に行き、楽しく呑む。

2021年9月28日(火曜日)、久津川

◆1トレ。写真の続き。マーカーを14ポイント打ち、メタシェイプ用撮影。山口さん来て、(自分のミス で時間をロスしたが)マーカーの座標を測量する。これで昼。
◆午後は3トレ。2トレも写真に向けて仕上げにかかる。17時まで作業。
◆メタシェイプ、ほぼ完璧。細部は別により詳細に撮影したが、これもOKである。GOOD。

2021年9月27日(月曜日)、久津川

◆今日、学生らは自主的に8:30からの早出をするという。そりゃ行かなあかんわな。でも40分くらいになってしまった。1 トレの撮影、11時スタートと宣言するも、なかなかややこしいところを掘り上げるにも手間がかかる。10:30くらいには無理なので、少し落ち着いてやることに。
◆午後3時に再設定。14:30くらいからは足場等の準備を進め、15時くらいからはスタートしたか。17時までには足場を立てての撮影は終了し、作業員および学生解散とし、18時まで地上写真を撮影した。暗くはなっており、なかなか色が出ていないかも。トレンチ上部のみ、また明日。
◆帰宅19:45。

2021年9月25日、高島・小浜

◆晴天なので出かけることにする。近江・高島をめざす。大溝城、萩乃露酒造、鴨稲荷山古墳、安 曇川の中江藤樹記念館(休館)。マキノ町メタセコイア。今津から小浜西組へ。鯖寿司、地元スーパーで魚を買い、熊川宿、そして朽木を抜けて京都へ。
 ◆昔1988年のこと、向山古墳の現場に2時間かけてバイクで通っていた。その時に北向いて右手に大きな古刹があった記憶があるが、33年前のことで、まったくそれらしい ものがない。その後、足利将軍が逃げていたりしたことを学ぶも、それがその寺かどうかも判然としないが・・・。

2021年9月24日(金)、久津川

◆1トレの写真撮影に向けて、仕上がっていないところをやっつける。葺石が下がり、礫敷が飛ぶ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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