人を幸せにする人になろう

ことのついでに

◆陵墓本とこの季刊考古学の間に、『考古学ジャーナル』が出た。これもまあ、制度化してないの で、コピーを送っていない。こうしてブログで公表する程度。そのなかで作った図を示しておきます。土師ニサンザイの年輪年代が困ったものだというもの。この年代観にもとづくNさんの被葬者論はこんなんになる、というのを示したものです。
◆Sさんから、昨年、この年輪年代データによって、あんたのは間違っているという指摘をもらっている。まあ、生きているうちに結果がわかるかどうかは???。
◆どうしたら決まるんですね。決まらないまでも、大成洞など、4世紀代の韓国の墳墓資料を整序して上限を、と前から思ってはいるが、できてません。津堂城山古墳の盛土の年代が光ルミネッセンスで決まらないかな~、と前からカミさんと話はしているのですが。
◆ひとつ告白。自分の被葬者論のなかで、ひとつ気になること。白鳥陵が軽墓とよばれているのがず~と気になってます。キナシカルノミコ、かもと。
◆さて、明日の授業の資料は印刷までしたので、8月の発表資料に取りかかろう。9日〆切を12日にのばしてもらったが、まだできていない・・・。

2021年7月12日(月)、梅雨明け間近

◆12時代、雷雨とともに大雨。今日は14時に病院で、12:45に職場を出ようとしていた。13時前、な んとか止んで、出かけました。結果、ピロリ0.0。完全にいなくなったよう。
◆さて、しばらく前に季刊考古学が10冊送られてきたので、各方面に送ったが、名前もなにも書いていなかったよう。科研のバイトの人にあて名書きしてもらったのだが。ちゃんと送付状を添えなあきませんが、このところやった記憶がない。書いたものを送るのが習慣化されておらず、その都度の適当でやってきて、昨年、著書を送ったのを機に、制度化せなな~、と思いつつ、以前のままです。今日、名なしですよとハガキをいただきました。ごめんなさい。

2021年7月6日(火)、蝉が鳴く

◆表題とは異なり7月10日(土曜日)。出勤し、今週のあと始末をしている。昨日、2つの編集委員会があり、その後始末をしていたら14時。そこから博物館実習の提出されたポスターについての返しをやってます。半分くらいまで来たが、これで17時前。あと3時間・・・。
◆あと2作品まで来た。現在、19:38。まあ、これで給料もらってるんで、せにゃならん。
◆終了!!!。20:06。8月の発表資料の作成は、今日も0でした。帰ろ。あはは。

日本近現代史の人は発言しないのか

◆夫婦同姓がいつ始まったのか、という指摘。19世紀末という。 こういうの、日本史の研究者は(うっ、自分も・・・)、なんで発言しないんですかね。当たり前だ、と思ってても、世間の人は知らない。

2021年7月4日(日)御坊・湯浅

◆海岸沿いの道に沿って北上する。栖原(たぶん前に塚田先生に聞いていたところ)。蓑田薬師の 看板。有田川下流に入る。川を越え箕島に。オークワで買い物をする。その近くに箕島高校があったので、写真を撮る。
◆そこからも海沿い、鉄道にそって北上。初島→下津、冷水(しみず)浦。そして海南市の大野。ここは広に移る前の守護所があったとされる場所。
◆海南東ICから帰る。帰宅したのは18時頃だったか。大島さんから宅配便が届く。ライフに買い物に行き、オリオンビールを飲んで早々に寝る。

2021年7月4日(日)御坊・湯浅

◆橋を越え湯浅に。埋め立て前の海沿いの南北道路から、山田川に沿う東西道路を東に進むと、観光駐車場 があった。そこから西端の角長までが町屋がよく残るメインの観光地のよう。
◆前に研究室で来たときは、かなり町をあるきまわり写真を撮った記憶がある。伝建になって間のない頃で、町の担当者に最初全体説明をしていただき、これからやってかなあかん、みたいな話をされていたように記憶する。
◆角長の醤油屋はひととおり前も見学したが、それを再度トレースした。銭湯を公開施設にしているところは、前は見てないかもしれません。これはこれで面白い。

2021年7月4日(日)御坊・湯浅

◆湯浅の再訪も目的だったが、いちばん行きたかったのが、湯浅の広川をはさんだ南にある広(広川町)。戦国期畠山の守護所だとされているところ。広は、一方で、南海トラフ地震による津波被害と、高い側への避難を誘導し被害を抑えた稲村の火、またそのあと海浜堤防の築堤に尽力した、濱口悟稜で著名なのだそうな。
◆湯浅にむかって右にカーブするところを直進したら、そのまま広に達する。途中、濱口悟稜の屋敷を転用した稲村の火の館があったが入らず(入ればよかった)。その横の観光案内所には立ち寄る。で、そのまま西に進むと守護所時代にさかのぼると思われる浜沿いの街区に入る。うろうろしていると、一旦浜まで出てしまい、北上し、東に折れて南に折り返す。養源寺(ここが守護所跡らしい)からまち並みを進む。
◆海沿いの海浜堤防が国史跡になっているんですね。それと日本遺産。写真がない・・・。

2021年7月4日(日)御坊・湯浅

◆道成寺に向かう。門前はさびれている。お土産物屋などがあるが、開けてるのは2つくらいだったか。アンチン・清姫は、はやらんかな。駐車場に車を入れると500円。
◆階段を上がり、境内に。 賽銭、先祖供養の線香、おみくじ(中吉)。鐘はない。桜のところで鐘楼跡が検出され、焼けていたのだとか。宝物館600円、入らず。
◆川辺ICから高速に乗り、湯浅・広川で降りる。

2021年7月4日(日)御坊・湯浅

◆御坊、本町商店街は、まあさびれています。先のオークワが入った大型複合商業施設は、この町の悲願 だったかもしれない。が、一方で、従来の商店街は閑古鳥、ということになりますね。
◆で御坊、本願寺日高別院を見に行く。西側に保育園があるが、表は東向きで1本東。そこに入ると、なかなかいいまち並みが残っている。手前に立派な住宅を利用したごはんが食べられる場所があり、そこでお昼に。これ、昭和12年の中川家住宅だったが、お店はこの住宅そのものではなく、横に別に作ってある蕎麦屋。4席しかないこじんまりしたところだが、満席である。
◆中川家住宅を見学し、まち並みを少し南まで歩き、御坊を離れる。

2021年7月4日(日)御坊・湯浅

◆それからロマンシティーというところに行き(複合商業施設)、そのなかの主体を占めるスーパー・オークワの店舗1階の堅田遺跡の展示を見る。ま あ、一画に作ってくれてはいるが、仕方なし感がある。この壁上部を全面使ってグラフィック表示するくらい、やってほしいものです。
◆兵庫城跡に建ったイオンについても、店舗内展示の結果を確かめに行かないとと思いつつ、まだ見に行けていない。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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