人を幸せにする人になろう

ところでソテツが

◆奄美大島ではソテツが、害虫の影響で壊滅しているらしい。奄美空港やあやまる岬などに植えられているソテツはすべてやられていた。ここ俊寛の銅像のところで、虫にやられたソテツがあったので、画像を出しておきます。これはまだ葉がやられて枯れる途上であるが、奄美大島ではほぼ葉はなくなり、ソテツの葉の独特の姿がほぼ失われてしまっている。

俊寛の墓

◆再訪した。説明文を読むと、昔から俊寛の墓と言い伝えられ、それを発掘し、遺骨等も見つかり、古代学協会?が、それらにより背格好などを復元し、それにもとづき銅像を作った、といった説明があった。流されて数年後には亡くなったようである。
◆俊寛が流された鬼界島の候補はいくつかあるようだ。が、ここ喜界島とみるのが妥当かなと、昔、Tさんの卒論で城久遺跡のことを知り、思ったことを記憶する。大宰府が、南海産の夜光貝の獲得に関与し、奄美大島ではなく喜界島に出先を置く(これが城久遺跡)。そういう目の届く場所にこそ、流刑地として犯罪人を島流しにするんだろう、と。とはいえ、硫黄島というのが有力だそうです。

軍関係の遺跡

◆ガイドブックに、市街地近くのよく残っている掩体壕などが数か所出てくる。が、もっともっといろんなものが山中に残存しているらしい。文化財側は把握しているようだが、それを見どころとしては打ち出していないようである。戦争遺跡をどこまで文化財として扱うか、あるいは別枠で扱うか、なかなかに難しいところです。
◆戦後80年、コンクリートも劣化する。文化財とすれば、とたんに補修も必要となる。画像のものは公開施設としているひとつ。喜界町として、中には入れないようにして、戦争関係の遺産として管理しているようである。

享保期の検地帳

◆阿伝村の検地帳があるではないか。こういうのが作成されているのですね。薩摩からは代官が派遣され、地元では何とかという役職が置かれる。そういう南島が、薩摩藩の流刑地にもなる。奄美大島には、西郷さんが流され住んでいたところが残っている(足を伸ばさなかったが)。

黒糖の生産

◆サトウキビ生産量の鹿児島県第1位は徳之島だったか。第2位が種子島、次いで沖永良部と喜界島がほぼ並ぶ。
◆喜界島は石灰岩で水はけがよすぎ、地下ダムというのが作られている。江戸期以来の黒糖生産の道具類が、歴史民俗資料館にならぶ。ノロというのも、琉球王国に組み込まれ、間切による支配が行われて以降のものだという。

2025年12月25日(木)喜界島

◆翌日は喜界島。名瀬から奄美空港に行き、喜界島行き9:35の飛行機に乗る。この飛行機に乗るまでにひと悶着あったが、まあそれはよし。前に喜界に行ったのはいつだったろう。10年前くらいか。Tさんが喜界町の埋文職員となり、テクズク遺跡を掘っていた時のこと。たぶんGWの頃だったんだろう。黒糖焼酎が終わった時期だった。
◆飛行機は15分から20分程度。飛んだと思ったら着陸する。レンタカーを借りる。前来た時の記憶で、見学先のメモを作っておいた。まずは歴史民俗資料館に行く。いまは絶滅した最後の喜界馬の剝製が出迎えてくれる。これは記憶にある。2つの展示室を見る。自然・民俗・歴史・文化、けっこう頑張って展示していると感じる。

2025年12月24日名瀬で

◆この日は博物館まで。Tさんは子供を保育園に迎えに行くので自宅で降ろし、ホテルに入る。そのあとご夫婦で1歳の子供と一緒に、ホテルに顔を出してくれる。お茶で歓談。
◆そのあと、飲みにでかける。纏(まとい)というところに入り、カウンターで楽しく飲みました。長命草の天ぷらとか。これらの写真はスマホで撮っていると思うので、またのちほど。

痛恨の日

◆まず1945に沖縄とともに本土と切り離され、アメリカ統治下に置かれる。1951年から復帰運動が激しくなる。同年の1951年にサンフランシスコ講和条約で、第3条として奄美は琉球や小笠原とともに返還対象に含まれなかった。この講和条約が発効し、日本本土が再び独立国となった1952年4月28日が、奄美にとって「痛恨の日」となる。
◆本土復帰の運動が高まるなか、翌1953年にダレスが奄美を変換する声明を発表、正式に変換されたのが12月25日(今回たまたま奄美群島に滞在することになった)。
◆詳しくは正確なことを調べないと、デリケートな問題なので危ない。奄美は鹿児島県であり、琉球とは違うという意識があったのかもしれない。とはいえ、それは17世紀以降の話で、その前は琉球国の領域であった。そして、その前は琉球でも日本でもなかったわけだ。
◆展示リニューアルしたガイドブックである本を購入したので読んでみよう。

苗字1字

◆ちゃんと解説文を読まないといけませんね。薩摩が2文字を禁止したようなことが、画像の上に書いてありますね。とにかく、奄美には1文字の人がいっぱいいるわけです。
【追記】江戸時代の建前では奄美は琉球国。なので、薩摩藩は統治のために現地の村役人を置き苗字を名乗らせるが、その際、中国姓に多い1文字にさせたのだそうである。

奄美大島7万人

◆奄美市に4万人、奄美大島全体で7万人。けっこうな人が暮らしており、諸産業もある。しかし、奄美言葉の継承が危ういという話を聞く。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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