人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2025年12月25日(木)喜界島
◆翌日は喜界島。名瀬から奄美空港に行き、喜界島行き
9:35の飛行機に乗る。この飛行機に乗るまでにひと悶着あったが、まあそれはよし。前に喜界に行ったのはいつだったろう。10年前くらいか。Tさんが喜界町の埋文職員となり、テクズク遺跡を掘っていた時のこと。たぶんGWの頃だったんだろう。黒糖焼酎が終わった時期だった。
◆飛行機は15分から20分程度。飛んだと思ったら着陸する。レンタカーを借りる。前来た時の記憶で、見学先のメモを作っておいた。まずは歴史民俗資料館に行く。いまは絶滅した最後の喜界馬の剝製が出迎えてくれる。これは記憶にある。2つの展示室を見る。自然・民俗・歴史・文化、けっこう頑張って展示していると感じる。
◆飛行機は15分から20分程度。飛んだと思ったら着陸する。レンタカーを借りる。前来た時の記憶で、見学先のメモを作っておいた。まずは歴史民俗資料館に行く。いまは絶滅した最後の喜界馬の剝製が出迎えてくれる。これは記憶にある。2つの展示室を見る。自然・民俗・歴史・文化、けっこう頑張って展示していると感じる。
痛恨の日
◆まず1945に沖縄とともに本土と切り離され
、アメリカ統治下に置かれる。1951年から復帰運動が激しくなる。同年の1951年にサンフランシスコ講和条約で、第3条として奄美は琉球や小笠原とともに返還対象に含まれなかった。この講和条約が発効し、日本本土が再び独立国となった1952年4月28日が、奄美にとって「痛恨の日」となる。
◆本土復帰の運動が高まるなか、翌1953年にダレスが奄美を変換する声明を発表、正式に変換されたのが12月25日(今回たまたま奄美群島に滞在
することになった)。
◆詳しくは正確なことを調べないと、デリケートな問題なので危ない。奄美は鹿児島県であり、琉球とは違うという意識があったのかもしれない。とはいえ、それは17世紀以降の話で、その前は琉球国の領域であった。そして、その前は琉球でも日本でもなかったわけだ。
◆展示リニューアルしたガイドブックである本を購入したので読んでみよう。
◆本土復帰の運動が高まるなか、翌1953年にダレスが奄美を変換する声明を発表、正式に変換されたのが12月25日(今回たまたま奄美群島に滞在
◆詳しくは正確なことを調べないと、デリケートな問題なので危ない。奄美は鹿児島県であり、琉球とは違うという意識があったのかもしれない。とはいえ、それは17世紀以降の話で、その前は琉球国の領域であった。そして、その前は琉球でも日本でもなかったわけだ。
◆展示リニューアルしたガイドブックである本を購入したので読んでみよう。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。