人を幸せにする人になろう

1988年5月7日 日本考古学会

◆会津からの帰り、東京でSさんのところに行き、誘われて、東博で開催された日本考古学会の講演会に参加した時の、都出先生のレジュメです。

一本松塚古墳の獣帯鏡

◆これ、吉島古墳出土鏡と同笵だったと思う。1988年に拓本と断面実測をしているよう。拓本の原版はどこにあるんだろう。

大とんだばやし展

◆⼤阪⼤⾕⼤学博物館で、いま春季特別展「⼤とんだばやし展―埋⽂調査の歩みとこれから―」をやっております。で、昨年新発見された古墳の埴輪を、追加で6月15日から展示するとのこと。行ってみよう!

美濃市はいいですよ

◆たっぷりとマチあるきが楽しめる。上有知(こうずち)という地名だったんですかね。そこに城下の町場が作られた、とのこと。
◆書き始めるといっぱいなので、やめておく。お蕎麦屋さんでの昼とか、酒蔵とか、旧今井家住宅とか。町の歴史は、旧今井家住宅の展示で学べる。あわせて「にわか」とか、その他の「祭り」のことも。観光案内所はあるがガイダンス施設のようなものはなく、旧今井家住宅をおそらく市が買い取り、「史料館」とあるように、ガイダンス機能などももたせた公開施設としているよう。だいたい訪れた人は足をのばすようなので、それでもいいのだが、今井家住宅本体は重文で建物を見てもらうところ。こうした展示は、そこから奥へ進んだ蔵などの別棟でやっているので、そこまで行かない人もいるかもしれない。
◆簡単でもいいから、ガイダンス的な、町の成り立ちとか、町屋の特徴とかを解説したものが、わかりやすい場所にあってもいいのではと思う。そして何より、紙がこのマチを栄えさせたので、和紙の里会館や用具ミュージアムが一方であるが、マチなかにも美濃紙の歴史を伝えるような機能をもたせたものがあってもいいのにと思う。
◆そしてガイドブックですね。蕎麦屋で、デンケン協議会が毎年作る冊子を見た。これほしいな、と。デンケンは、文化庁のHPに行くと、すべてPDFがダウンロードできる。が、一方でデンケンになっている箇所がすべて収録されたこの冊子は便利なものである。ちょっとずれた。これは全国のデンケンをざっと見るのに便利だなと思ったわけだが、美濃のデンケンを解説した冊子があってもいいのに(マップはむろんある)。
◆それと紙漉きの冊子。和紙の里会館の展示は、お金がかかっていて、各工程の模型が作られるなど、なかなか丁寧な展示で多く学べるのだが、図録がない。写真撮影禁止とするなら、なおさらあってしかるべき。30頁くらいで500円くらいの、展示原稿をまとめた図録を作ってくれるとありがたいのに、ない。こっちも、やはり蕎麦屋に、美濃市文化遺産活用実行委員会がH25年11月に作った「本美濃紙」という冊子が置いてあり、欲しい!、と。これ文化庁の活用補助事業で作ったもので、ばらまいて終わりになっているよう。補助事業で編集したものを、改訂・増刷して販売してもええやん!、と思うのだが。

デンケン美濃

◆紙漉用具ミュージアムを離れ、美濃のマチあるきをする。美濃市に行こうといったことは、うちの場合、いつも数日前に(場合によっては当日)そんな話になっていく。直前に場所をグーグルアースで見ていると、マチなみがウリのようだということを知る。が、デンケンだとは知らなかった(こないだ話をしたのにね)。また、紙郷と町との位置関係もわかっていなかった。美濃市のマチで紙も漉いてるんだろうと勝手に思っていた。
◆美濃のマチはなかなかいい。町なみ保存が定着し、何より紙を扱う商店がまだ存在するし、さまざまな現代的な紙製品の物販の店もでき、飲食店もできている。残されている町屋を維持して活用することが進んでいるな~と。
◆しかし空は真っ黒で、雨が降ってくる。コーヒーも飲める「紙遊」という店に入り、やりすごす。トイレに入っていると、すごい音がしてきて、店の方でも騒ぎ始める。そう、雹が降ってきた!。あわてて飛び出しカメラを構えるも、ピークは過ぎ、シャッターチャンスをのがす。

本美濃紙

◆美濃和紙は無形の世界遺産になっている。手漉き和紙の世界遺産は、ここ美濃紙と、石見の石州和紙と、埼玉の細川紙が認定されたのだとか。ちなみに細川紙の「細川」という名前の由来は、紀伊細川なんだとか。紀伊から埼玉にという技術移転は疑わしく、埼玉の和紙を売り込むために、ブランドであった?高野山の細川紙から名前を拝借したと考えるのが妥当だろうと、ネットにあった。紀伊の細川紙はそれだけ著名だったんですね。
◆和紙が世界無形文化遺産になったことはいいことだが、なんで越前和紙は入っていないのだろう。世界遺産となると、なにかと「大人の事情」がからんでくるのでしょうか。わからん。
◆で、本美濃紙というのは、楮から作るものということのよう(そのように現代的に定義した?)。でも、その楮は那須産とのこと。

なるほど「三又」三椏

◆大阪から来たというわれわれに、おじさんはず~と対応してくれた。最後は、校舎を出たところの、楮と三椏、ネリに使うトロロアオイ?を栽培しているところも案内してくれた。で、ミツマタ(三椏)。すべて枝が3方向に伸びるのだそうです、なのでミツマタ!。面白い!。

美濃和紙用具ミュージアム「ふくべ」

◆越前今立で一緒になったニイチャンが、美濃に行ったらここへ行けと教えてもらっていた。その紙漉き道具のミュージアムに行く。和紙の里会館よりも手前で、自由の女神が目印(和紙の里会館のおばちゃんにも教えてもらった)。廃校になった小学校を利用したものである。
◆おじさんが一人。シルバー人材センターに登録している66歳の方。少しずつ勉強しているということで、解説していただいた。展示室はたくさんあり、むろん紙漉きの道具ががメインだが、ほかの展示室では民具類がならべられている。展示は盛りだくさんで、ちゃんとした展示である。古い歴 史民俗資料館で、集めた民具がとにかく置いてあり、開館時のままくたびれているところは多いが、ここはしっかり展示してある。話を聞くと、何度か移転したとのこと。展示リニューアルは、その意味でも重要かもしれませんね。
◆やはり手作りだそうだ。教室を展示室に変える、そのため木製の桟のフレームを壁に取り付け、そこにいろんな道具を配置してある。それを見て手作りだろうなと感じられ、好感がもてた。何千万円といった予算はなく、これらの道具類を残そうと思って活動してきた人たちが、自分たちで作ったということだ。
◆下の写真は、「こうぞ」などの紙料をほぐす装置と、奥は乾燥機である。近代になって導入された装置。でも乾燥機のところでは、やはり天日干しに戻ったと書いてあったような。

和紙の里会館

◆この展示施設、映像もよかった。紙漉きの様子もいいのだが、桁や簀など、道具を作る映像が興味深かった。が、ここでも紙漉きをしたいという人は現れるが、桁を作る指物師、簀を作る職人は、もうほぼいないとのこと。簀を作る人は見習いが1人だとか(まだ、ぎりぎりプロが1人いるということなのだろう)。なので、いま作っているもの、在庫のようなものがなくなると、道具がなくなり、手漉き和紙ができなくなる!。
◆桁の桟に金属線を打ち付けた「つく」というものがある、のだ。そのための鋲というのか、Y字の金具であったり、その他必要な金具を作る鍛冶屋さんがいたとのことで、その動画が面白かった。が、そんな金属線、越前では見てないぞ、と。で、次に行った用具ミュージアムで写真を撮らせてもらった。

2024年6月2日 美濃

◆和紙作りの特産地を訪ねるシリーズ。紙漉きをやっているところを「紙郷」というらしい。いい言葉だ。で、美濃和紙を学びに行くことに。それで、米原まで土曜日のうちに行っておくことにした。
◆朝、米原を750に出て、美濃の和紙の里会館についたのが9時過ぎくらいヵ。関市を過ぎ、さらに長良川をさかのぼり、板取川という支流を入っていくと、そこが紙郷。「牧谷地区」というらしい。川筋に沿って、そこそこ長い距離にわたって紙漉きをやっていたよう。越前今立の方がまとまり感がある。写真の右側に写っている建物が、和紙の里会館である。
◆写真撮影はできない。3階が展示室になっている(その下はギャラリー)。奈良時代に紙漉きをやっていたのは、美濃でも西部の揖斐川流域なんだとか。それが中世以降は、この地区が特産地化していく。で、江戸時代には幕府の御用達になり、栄え、いまの美濃市街が紙問屋で栄えることになる。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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