人を幸せにする人になろう

近鉄文化サロン、淡輪ニザンサイ

◆後円部径70歩(南朝尺)、墳丘長120歩180mでしょうか。とはいえ、大仙と思っているが、これ だと6:6:2.5:6になってしまう。ま、設計レベルでやらんといけません。
◆王墓ではOP値はきっちりしていても、規模の小さい複製墳を作る際には、王墓での比率から自動的に各部寸法は算出できるが、実際には後円部径などの端数を調整する、と考えている。そうすると、できあがりの寸法とその比率にはバリエーションが生まれ、OP長さが9(6:3)か8(6:2)かという差が不明瞭になってしまうのでは、と推測している。そういうのも、設計寸法でちゃんと説明できるものにする必要がある。

近鉄文化サロン、西陵

◆2019年5月26日の近鉄文化サロン、なんとか資料を作り、パワポを作り、こなしました。
◆西陵に メッシュをかけました。けっこう、きれいにのりますね。後円部径80歩(漢尺)、墳丘長150歩208mでしょう。220mもないと思うけど。これ、第3の系列で、より前方部相対長が長い。
◆ということは、
主系列  6:6:3:6
副系列  6:6:2:6
第3系列 6:6:4.5:6
こういうところでしょうか。

2019年5月19日、紀美野→宝殿

◆もう忘却だが、この日は、朝、紀美野に向かい、昼ごはんを食べ、そこから宝殿に移動し、夜、戻ってきた。この土日は、和歌山では田植えでした。
◆まず、かつらぎ町 で佐野廃寺に寄る。いつのころからか、国道24号線沿いに、県史跡佐野廃寺跡の案内表示がなされる。たぶん最近。看板もあるし、前に場所を確認していたので、北上すると、無事、行きつきました。
◆一画が公有化され、史跡公園として整備されている。木製基壇の塔、その西に金堂の貼芝仕上げの基壇がある。住宅地で、中心伽藍をまとめてというわけにはいかないが、主要部分について確保し、目に見える形に整備されたことが重要なんだろう。遺構が残っていれば、将来、さらに広げていけばよい。
◆花坂で、掛屋に焼き餅を買いに行く。
◆紀美野町長谷宮に着き、天野に向かう。天野はなかなかいいところで、世界遺産に なっている丹生都比賣神社 のある盆地(奈良県の都祁もなかなかいい田園風景です)。そこの「客殿」というところに、ごはんを食べに行く。予約客ばかりのようだが、昼より前で、案内してもらいました。おいしかったですよ。メニューはシンプル。
◆和歌山のお母さんは、この日の午後、高校の教え子たちが訪ねてくることになっているとのこと。

5月のある日、東高野街道を行く(4)

◆そこから先は未知の世界。高屋丘陵を南に進む(これもそこそこ長い)。南阪奈の水守交差点の ところ。それを越えて富田林市内に進 む。最後は突き当り、喜志駅に向かう(写真上)。
◆車を道明寺に置いて歩いたので、喜志から道明寺に戻る。今回は喜志までだったが、この先、河内長野までの道のりも、いずれ改めて。
◆破風のところに庇を取り付ける、独特の家屋を富田林で目にする。これ入母屋風にするためのものかな?。

5月のある日、東高野街道を行く(3)

◆古市駅に近づいたところで、白鳥神社はどこかと、レンタサイクルの年配の夫婦に尋ねられ、行き過ぎてますよと。それは間違いではなかったのだが、現位置認識が、こっちも間違っていた。で、案内がてら白鳥神社に折れ、模型を見て、観光案内所にもより、東高野街道に復帰する。が、西琳寺を通り過ぎてしまっていたので、戻って訪ねる。そして竹内街道との交差点。そこから高屋丘陵に向かう。

5月のある日、東高野街道を行く(2)

◆道明寺からは、まあ旧道をたどっていける。2月に高屋築山古墳の立入り 観察の際に、古市駅あた りから南は既に歩いている。
◆ずいずいと南に下っていくと、西名阪を越え、反正墓(誉田御廟山古墳)の方に入っていく。そのまま進むと、藤井寺の方に行く道との分岐点にたどりつく。
◆その先を行くと、誉田八幡さん。イベントが行われていて、たくさんが集まっている。
◆国道170号旧を横切り、古市へ向かう。角の家は立派な旧家ですね。

5月のある日、東高野街道を行く(1)

◆このところ、ず~と、あんまり調子がよくない。ず~とダルイ感じ。病気でしょうか。
◆さて、東高野街道の大和川から南を歩くことにする。船橋あたりをうろうろするも、旧道の雰囲気のあるところが見当たらない。ちなみに船橋、明治の地図で見ると、村としては小さいですね。
◆そんなんで、府道から踏切をわたり道明寺天満宮に向かう。2000年12月、玉7の測量をやった折り、道明寺の宿舎に泊まることになっていたが、初日、作業を終えて宿舎に向かうが場所がわからない。電話で聞いて入り込んだ道、これが東高野街道である。道明寺天満宮と道明寺は、江戸時代の神仏習合当たり前のなかで、どうだったんですかね。住吉大社の神宮寺もそうだが、もはや完全に分離してしまって、江戸時代の様子が想像できません。
◆ちなみに、道明寺天満宮の段丘斜面のところに、埴輪窯の表示があり、立派な看板が世界遺産がらみで立てられていた。コンクリートの窯体表示は前からあったのだろうが、気がつかなかった。立派な看板ができて初めて、「うん?、これは何」と近づいた。

政治的立場の分かれ目

◆は、これ、だそうです。

飯森山城の模型

◆去年の考古見学会で四条畷の資料館に行ったとき、飯森山城の、空中レーザーデータによる模型があったのを思い出す。3D削り出し模型なんでしょう。

2019年5月11日の見学会、その後

◆東大阪市埋蔵文化財センター→東大阪市立郷土博物館→瓢箪山古墳→心合寺山古墳→愛宕塚(昨 年の台風による倒木で石室に入れない)。
◆そしてメインイベントの高安古墳群の石室めぐり。なかなかいいマップが作成されています。それをもって、主だったものを見て回りました。全部でかなりの横穴式石室を見ました。写真は抜塚。河内山本まで学生らを送る。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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