人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2019年5月19日、紀美野→宝殿
◆もう忘却だが、この日は、朝、紀美野に向かい、昼ごはんを食べ、そ
こから宝殿に移動し、夜、戻ってきた。この土日は、和歌山では田植えでした。
◆まず、かつらぎ町 で佐野廃寺に寄る。いつのころからか、国道24号線沿いに、県史跡佐野廃寺跡の案内表示がなされる。たぶん最近。看板もあるし、前に場所を確認していたので、北上すると、無事、行きつきまし
た。
◆一画が公有化され、史跡公園として整備されている。木製基壇の塔、その西に金堂の貼芝仕上げの基壇がある。住宅地で、中心伽藍をまとめてというわけにはいかないが、主要部分について確保し、目に見える形に整備されたことが重要なんだろう。遺構が残っていれば、将来、さらに広げていけばよい。
◆花坂で、掛屋に焼き餅を買いに行く。
◆紀美野町長谷宮に着き、天野に向かう。天野はなかなかいいところで、世界遺産に なっている丹生都比賣神社 のある盆地(奈良県の都祁もなかなかいい田園風景です)。そこの「客殿」というところに、ごはんを食べに行く。予約客ばかりのようだが、昼より前で、案内してもらいました。おいしかったですよ。メニューはシンプル。
◆和歌山のお母さんは、この日の午後、高校の教え子たちが訪ねてくることになっているとのこと。
◆まず、かつらぎ町 で佐野廃寺に寄る。いつのころからか、国道24号線沿いに、県史跡佐野廃寺跡の案内表示がなされる。たぶん最近。看板もあるし、前に場所を確認していたので、北上すると、無事、行きつきまし
◆一画が公有化され、史跡公園として整備されている。木製基壇の塔、その西に金堂の貼芝仕上げの基壇がある。住宅地で、中心伽藍をまとめてというわけにはいかないが、主要部分について確保し、目に見える形に整備されたことが重要なんだろう。遺構が残っていれば、将来、さらに広げていけばよい。
◆花坂で、掛屋に焼き餅を買いに行く。
◆紀美野町長谷宮に着き、天野に向かう。天野はなかなかいいところで、世界遺産に なっている丹生都比賣神社 のある盆地(奈良県の都祁もなかなかいい田園風景です)。そこの「客殿」というところに、ごはんを食べに行く。予約客ばかりのようだが、昼より前で、案内してもらいました。おいしかったですよ。メニューはシンプル。
◆和歌山のお母さんは、この日の午後、高校の教え子たちが訪ねてくることになっているとのこと。
5月のある日、東高野街道を行く(1)
◆このところ、ず~と、あんまり調子がよくない。ず~とダルイ感じ。病気でしょうか。
◆さて、東高野街道の大和川から南を歩くことにする。船橋あたりをうろうろするも、旧道の雰囲気のあるところが見当たらない。ちなみに船橋、明治の地図で見ると、村としては小さいですね。
◆そんなんで、府道から踏切をわたり道明寺天満宮に向かう。2000年
12月、玉7の測量をやった折り、道明寺の宿舎に泊まることになっていたが、初日、作業を終えて宿舎に向かうが場所がわからない。電話で聞いて入り込んだ道、これが東高野街道である。道明寺天満宮と道明寺は、江戸時代の神仏習合当たり前のなかで、どうだったんですかね。住吉大社の神宮寺もそうだが、もはや完全に分離してしまって、江戸時代の様子が想像できません。
◆ちなみに、道明寺天満宮の段丘斜面のところに、埴輪窯の表示があり、立派な看板が世界遺産がらみで立てられていた。コンクリートの窯体表示は前からあったのだろうが、気がつかなかった。立派な看板ができて初めて、「うん?、これは何」と近づいた。
◆さて、東高野街道の大和川から南を歩くことにする。船橋あたりをうろうろするも、旧道の雰囲気のあるところが見当たらない。ちなみに船橋、明治の地図で見ると、村としては小さいですね。
◆そんなんで、府道から踏切をわたり道明寺天満宮に向かう。2000年
◆ちなみに、道明寺天満宮の段丘斜面のところに、埴輪窯の表示があり、立派な看板が世界遺産がらみで立てられていた。コンクリートの窯体表示は前からあったのだろうが、気がつかなかった。立派な看板ができて初めて、「うん?、これは何」と近づいた。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。