人を幸せにする人になろう

伊都国王東遷邪馬台国建国説2

Kさん。初代卑弥呼は庄内1式の平原被葬者。このあと、伊都国王族と吉備王族が、諸国に推戴されて奈良盆地へ遷都したのだそうです。
◆第2代卑弥呼は庄内2式の纏向石塚被葬者。
◆第3代倭国王は庄内3式の勝山古墳被葬者で、これが中国・魏へ使いを送り、親魏倭王に任ぜられたのだそうです。那賀八幡古墳は難升米の墓。
◆第4代卑弥呼が、台与で、箸墓に葬られたのだそうです。
 

伊都国王東遷邪馬台国建国説1

◆Yさんの考え方。庄内式は3世紀初頭で、2世紀末の伊都国女王が平原の被葬者で、卑弥呼は伊都国 の出身で(平原女王の関係者)、倭国乱後に倭国王に推戴され、奈良盆地に遷都したのだそうです。弥生後期には伊都国の恒常的な政治的・軍事的攻勢により、近畿は常に緊張状態にあったのだそうです。

2017年12月5日、展示ケースを移動する

◆5限の博物館実習で、ふたつの班が学情6階で作業するというので、前からやりたかった移動を行う。まず1階の展示ケース1ヶを6階の展示室に移動する。タイプライターなどを入れている6階廊下のケース2台を移動する。展示室内の旧図書館机を廊下に持ち出し、展示用のレイアウトをする。数週間前からの課題をやっと果たしました。

関心ある向きは・・・

・地方文化財行政に関する特別部会(第2回) 議事録
http://melmaga.mext.go.jp/c/vEG01Ot004aE

・地方文化財行政の在り方(特別部会審議まとめ)
http://melmaga.mext.go.jp/c/6gv01Ot004aE


やっぱり

◆重ねてみるともっと内側ですね。大仙の堤の輪郭線は肩なので、裾部はもっと内側ですよ。仲津山を見たらよろし。

2017年12月7日、淡輪ニサンザイ護岸工事見学会

◆13:30から1時間。前方部が西向きで、その前面側の濠側の護岸工事です。昭和40年代の護岸工事 だそうだが、この前に新しい護岸を貼り付けるとのこと(前の護岸は埋め込む)。いまの護岸をやりかえようとすると道路工事になってしまうのでしょう。
◆前の護岸の基礎までを出し、さらに新たな護岸の基礎を据える地山掘削がなされている。当日、どなたかが堤はもう少し内側だったのではないか、と発言していたが、それが妥当かな、という印象。すっかり濠が拡張され既に切り込まれ、裾部も飛んでいるのだろう。なので、新たな地山掘削もいたしかたないのだろうが、本来的には裾部が出てくるかもしれない場所で、地山面で止めて確認してという手順だとは思う。むろん注意を払って立会してもらっていると思いますけど。
◆前に墳丘側の発掘を見せてもらったときに、いまの濠が本来の底面より掘り込んでいるのではな いか、という所見を聞いたように覚えている。下段斜面を見ても、薄くしか露呈しておらず、下段斜面が濠内に深く入り込んでいるようではない。事前調査のあとで石を補った範囲くらいが、テラス面から考えても本来の下段斜面、したがってほとんどは墳丘裾部はなくなっていて、しかし現在の周濠底面はそれよりも深くなっており、ため池として底をさらに深くした改変があったのだろうと。なので、発掘ではほとんど裾は出ていないが、いちばん内側に入り込むくびれ部では確か出ていて、その基底部の高さからも、そういえる、そのへんまでは覚えています。
◆ところが『書陵部紀要』が手元にない・・・。だいたい抜き刷りをもらってきたが、最新のは65号です。これはダメですね。ちゃんと見とかないと。
◆下の写真は、護岸工事のなされた北側面。去年の工事立ち合いの見学会には行けなかったので、今日、初めて見ました。造り出しがヘンですね。水を引いて、水面下になっていた造り出しの向こう側の高まりが出ており、もちろんちゃんとした方形なんですが、あくまで護岸工事なので、手前の三角形のところに石積みがなされていて・・・

千歳車塚

◆久しぶりだ。昔、堤側を掘っている時に見せてもらった記憶がある。6世紀前葉といいたいところ だが、草深い墳丘を登っていくと、後円部の墳頂はけっこう広いし、前方部は後円部に対して低い。5世紀後葉とみた方がいいように感じる。

愛宕神社と出雲大神宮

◆愛宕神社。元愛宕というのだそうですね。昔、愛宕山に一度だけ上ったことがある。京都盆地の 北東は比叡山、北西は愛宕山、これが京都の景観。だが、もとは亀岡盆地側のものという解説があった。いまは愛宕山の山上が本宮のようになっているが、もとはこっちというので元愛宕、というのだそうである。集落背後の山のやや入った位置にある。ひっそりと鎌倉時代の本殿があり、神社らしい神社。
◆一方、丹波一の宮である出雲大神宮。753を含め、平日月曜の午前というのに、次から次へと人がやってくる。祈祷をお願いする女性が待機し、順番に祈祷してもらっている。縁結び、というので売り出してもいるよう。繁盛している・・・、と。神社も現代を生き抜いていかないといけないが、近 い場所の2つの神社が対比的で面白かった。

丹波国分寺

◆むかし史跡整備事業を進めている時に、何度か見に行ったことがある。追加指定もされ、用地買 収もされ、史跡整備を進めているよう。回廊の高まりを整備している途中のように見受けられた。◆休日になれば子供を遊ばせに来るような公園のようになればいいですね。それで十分と思うが、そういう場としていくことも、けっこう大変なんだろうな、と感じる。、

御家人

◆5世紀以降の大型円墳。大型前方後円墳被葬者とは異なり、より王権に直属する形で、軍事的役割を担うものとして編成された被葬者イメージか。こういうのをどう理解するか。で、ふと御家人という言葉が思い浮かんだ。ウィキ。「平安時代には、貴族や武家の棟梁に仕える者を「家人」と呼んでおり、鎌倉幕府が成立すると鎌倉殿と主従関係を結び従者となった者を、鎌倉殿への敬意を表す「御」をつけて御家人と呼ぶようになった。」、と。
◆直木先生的にいえば、臣姓氏族に対して、5世紀に連姓氏族が現れてくる、ということともつながるイメージ、ということでしょうか。地名を冠し、一定地域を治める同格的臣姓氏族に対して、王権に対する役割がウジ名となる連姓氏族が、王権内に編成されてくるということとも、つながってくるのでしょうか。一方、A型とかB型の舎人軍というやつ、ぜんぜん勉強していないが、そういうことも学習していかなければならない。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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