人を幸せにする人になろう

久津川車塚2017年8月2日(水)最高気温35度

◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、自分、大澤(市大M1)、園原・吉村(立命M1)、泉(奈良大4)、相馬(近大4)、山本(立命4)、市 川・林田・山崎(立命3)、池口(同大3)、上野(奈良大2)
◆17-1後円部西トレンチ 下段斜面の検出続き
◆まず右図は40年前の平面図(上が南)。今回はほぼ調査区がそのまま入り、西(右)側にむけて、この幅で四角く大きく開けている(いずれ現調査区の図も作りますが、いまはヘロヘロ)。
◆(1)右図に見える葺石があり、東側(左)は葺石のない後円部下段斜面。まずは昨日の続きで、肩から下へ墳丘残存面、赤褐色礫混じりの地山を出していく。黄色砂質の柔らかいところもあるが、地山の差か?。葺石に近いところでは灰褐色礫混じり土。色合いは違うが、ほぼ地山でよいだろう。ただし、やや甘い。なお、東南隅部のところは、地山の礫 が出ていたが、認識不足でやや削り込み過ぎた。
◆(2)地山出しが完了し、葺石にかかる。けっこうきれいに残っている。南北に連なり、横に展開して石出しをするが、けっこうな手間。墳端まで高低差で2mくらいだろうか、以下、良好に葺石が残存していると覚悟しなければならない(しかも幅6.4m)。前回の調査で出した葺石だけでなく、その下に続く石も出てきており、既調査区は既に突破している。
◆(3)調査区南辺は、前回その部分だけ墳端近くまで西側にトレンチを伸ばした部分にあたる。もとの濠内白色粘土と埋め戻し土の黄色の境がはっきりしたので、ここでの既調査区の掘り上げは、斜面に対し縦に学生が入る。旧調査区西端は、目印石から水平距離で2.6m、幅は80㎝く らいまで狭まるトレンチである。その付近で、薄い板状の木片を検出。土層からすると未調査区で、灰色の上の粘土下部なので、17世紀の洪水時の流れ込みと考えられる・・・。
◆(4)当初は南北に連なる葺石より上と下に分かれて作業をしたので、葺石より下の部分についても、洪水層の黄色~白色の粘土をかなり取り払い、暗灰色砂質の濠内堆積土上面まで出している。
◆陸橋裾部・墳裾部ともに基底石らしきものがならぶ。

◆明日以降、手順を踏み、まずは既調査区の掘り上げを行い、それから未調査区の洪水層を削り、全面、灰色砂の濠内堆積土上面を出す(葺石が頭を出している状態)。その写真も撮っておきたい(できればフォトスキャンをやって上面の平面データを取っておきたいが)。そして、上の葺石にに戻り、濠内堆積土を除去し、葺石を完全に出していき、掘り上げていく予定。
【今日のひとこと】発掘はクリエイティブ!。
〔追記〕前の調査では写真・図の後、ヤマが来て葺石を埋め、そのままとなったとのこと。埋め戻しがきれいな黄色粘土で丁寧に埋めていると思ったが、上の黄色粘土が崩落して葺石を覆った、というのが実情のようです。

久津川車塚2017年8月1日(火)最高気温35度 第1週

◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、自分、大澤(市大M1)、園原・吉村(立命M1)、田口(奈良大4)、市川・林田・山崎(立命3)、池口(同大3)
◆まず、シートを全開し、調査区周囲の清掃。土嚢つくり。そのあとシートの一辺を土嚢で押さえる。
◆調査区壁面の整形。上から。洪水層も、造り出しあたりでは黄色粘土一括のように均質だったが、ここでは水平堆積が明瞭で、いろいろ分層できる。上半分が造り出しで見られた黄色粘土だが、その下に砂と黄色粘土の互層になっており、下部には厚みのある砂層、そして下位の粘土層になる。下位の粘土層も西壁では上がオレンジ、下がグライ化した明青色。そして濠内堆積の紫灰色砂質土が顔をのぞかせている。調査区幅6.4m、広い!。
◆そして、重機掘削の際に指摘されていたように、北側が高まっている。重機で洪水層を取っていって、 紫灰層を出そうとしたわけだが、調査区に斜めに北側が高く、南へ傾斜をもっている。上層の明青色粘土も西北隅で上がる。その上のオレンジも砂層も上がる。むむ!、陸橋ちゃうか。重機掘削で検出している紫灰色濠内堆積土の肩ラインは、後円部の中心方向に向いている(正確ではありませんが)。和田先生がおっしゃっているように、古墳築造時に陸橋が何本も掘り残して作業道として使われ、最後は撤去する、しかし完全に濠底同一レベルまで下げられないで、陸橋の名残の高まりが残っているものがある、という事例になる。濠内堆積土がかぶっており、下に予想される高まりは古墳時代オリジナルだろうから、考えられるのは陸橋で、かつ上のように削り残しの高まりと予想するのが妥当だろう。
◆壁面清掃は15時まで。サクレを食べた後、東側の墳丘側の壁面清掃にかかるが、そのまま、下段 テラス削平面の削りに移行する。周濠側へ地山を出していく作業を進め肩部に到達。肩部あたりは埋め戻し土のようなのでバチる。
【今日のひとこと】発掘は楽しい

石清尾山北大塚の前方部コーナー

◆についてもフォトスキャンをやってみました。
◆ちなみに、北大塚は、双方中円じゃないのか、と見えます。話を聞くと、梅原マッチの時代と、その後でいらわれているらしく、尾根先端方向のもう一方の前方部かと思われる方向にのびる石積みは、ほかとは積み方が違うという。いま前方部と言われている方がちゃんと高く、それに比べると低くなっている。先端の別の古墳とされる石積みは、前方部状に尾根先端側に広がるように見えます。もしかして前方部になる?と思われるところの両側は立ち木や草やらがあって、下が見えていないようにも思う。怪しいと思われているようだが、白黒はっきりさせた方がいいように思います。

石清尾山石船塚石棺

◆フォトスキャンをやってみようと、それように写真を撮ってみました。裏返っている蓋の地面の ところを入念にやったが、棺身の片側が撮れてませんね。この青を取るのはどうするのかな。久津川に向け、復習をしておく必要がある。

讃岐研究室旅行2017年7月28日~30日

◆18時天王寺レンタカー屋の集合に5分遅れてしまう。18:20くらいに出発したか。淡路経由で丸亀 市に向かう。途中、淡路で晩飯。到着後、飲みに行く。
◆29日(土曜日)は、紫雲出山遺跡→詫間町の資料館→宗吉瓦窯→野田院古墳→王墓山古墳→宮ケ尾古墳→うどん→磨臼山石棺→善通寺市資料館→堅パン→瀬戸内歴民→丸亀城→快天山古墳→讃岐国府→讃岐国分寺→讃岐国分寺→高松市泊。呑み会。
◆30日(日曜日)は、石清尾山古墳群→市博→県博→うどん→屋島城の城門→旧長尾町役場(丸井・川上の遺物は移動済みでなし)→さぬき市資料館→富田茶臼山古墳→天王寺19:30でした。津田湾岸の古墳をまわる余裕はなくなる(途中、赤山古墳の横は通るが)。
◆いずれまた詳しく紹介します。

2017年7月28日、高槻市史跡整備検討委員会

◆そのあと14:30からの会議に向かう。安満遺跡の環濠表示のための確認調査の件と、闘鶏山古墳の件。2時間でも終わらず、リミットなので17時に退室して、天王寺に向かう。

2017年7月28日、工作センターに行く

◆大学史のTさんと、10時に工学部の工作センターに行く。絶対零度に近づける冷却装置の展示のための土 台を作ってくれないか、その他4件ほどの話をもっていく。展示具とかだが、展示ケースも作ってもらえないかと相談。かつて生活科学には木工室もあったようだが、もう人は置いておらず、道具はそのままあっても使われていないようだ(もったいない)。なので、工学部の工作センターは金属やガラスが中心のようだが、簡単な展示台(模型の下)くらいは作ってもらえるらしい。材料費をどこから出すか、という問題はあるが。
◆こうした部署や職員さんも、自分たちの存在を知ってもらう必要があり、工学部に限らず、さまざまな要望に対応してくれるようだ。

久津川車塚2017年7月27日

◆城陽市から連絡をもらいました。昨日26日で重機掘削は終了したとのこと。後円部の西端と思われる裾部を検出しているとのこと。上段くびれ部トレンチは、昨年調査区の再掘削をしており、明日で完了できる見込み、とのことである。

展示平面図2017年7月26日段階

◆医学部A先生と、大学史資料室で人骨展示の打ち合わせ。やはり森ノ宮貝塚で、屈葬のもの、とい  うことで大筋決まり。写真はその展示予定ケースです。開高健展で使われたものです。
◆また採寸できていなかった、展示室および廊下の各部寸法を測り、平面図を正確にし、作り直しました。
◆トモチンがやめるらしい。日報問題をめぐる混乱の責任という。報告を受けていたがウソをついたかどうか、はっきりさせてからやめるべし。
次は山本君か萩生田か。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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