人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
7月10日、近江坂本
◆大学院演習のFWで近江坂本に。9:32集合。1時間近く早く着く。うろうろして戻ると、なんかニイちゃんの車が駅前駐車場に何台か止まり、比叡山坂本駅に降り立ったネエちゃんを車に乗せて行く。これ、雄琴温泉やろな~、と想像はついた。
◆坂本の観光案内所に行くが、坂本の町全体が見どころではあるのだろうが、もう少し町歩きとしての魅力を解説したガイドマップがあってもいいのに、と。ちと不満。まあ、お寺ばっかりで、北西の方のところの石垣で囲まれた寺院群というのもひとつの見どころなんでしょうね。沖縄みたいや、とも。もうひとつは南北街道に面した町場。お寺よりもこっちの方が魅力的。滞在時間が少なく、ちゃんと歩いていないが、これもいい。
◆まあ、しかし、比叡山のお膝元が坂本というのがよくわかった。宗務所?というのだったか、が
ある。比叡山の年間収支って、いったいいくらくらいだろうと、考えていた。キララ坂を下りて京に、というのもあるが、比叡山の本拠地は滋賀県というのがよくわかる。坂本が伝建というのは知っていたが、坂本城の築かれた湖岸沿いの方と勝手に思い込んでいたが、誤り。坂本とは、比叡山のお膝元、山の下の本拠地の町、ということだ。
◆で、日吉神社。2回目(前はここだけピンポイントで行ったわけだ)。なぜ猿が・・・。
◆そのあと下坂本。こっちが坂本城下。光秀の銅像があり、ボタンを押すと、鳥羽一郎の歌が流れる・・・。とはいえ、説明看板を見ると、これお城の一画でないようだ。本丸はどこやねんと北上すると、なんか建物があり、いまは閉鎖されていたが、ここみたい。表札もなく、何の施設か不明。新興宗教ちゃうか、と推測するが、一度、調べてみないといけません。なんとか本丸の何割かの土地を確保して、坂本城として示してほしいものです。
◆ええ時間になったので、そのまま帰ってもいいのだが、園城寺に行く。
◆坂本の観光案内所に行くが、坂本の町全体が見どころではあるのだろうが、もう少し町歩きとしての魅力を解説したガイドマップがあってもいいのに、と。ちと不満。まあ、お寺ばっかりで、北西の方のところの石垣で囲まれた寺院群というのもひとつの見どころなんでしょうね。沖縄みたいや、とも。もうひとつは南北街道に面した町場。お寺よりもこっちの方が魅力的。滞在時間が少なく、ちゃんと歩いていないが、これもいい。
◆まあ、しかし、比叡山のお膝元が坂本というのがよくわかった。宗務所?というのだったか、が
◆で、日吉神社。2回目(前はここだけピンポイントで行ったわけだ)。なぜ猿が・・・。
◆そのあと下坂本。こっちが坂本城下。光秀の銅像があり、ボタンを押すと、鳥羽一郎の歌が流れる・・・。とはいえ、説明看板を見ると、これお城の一画でないようだ。本丸はどこやねんと北上すると、なんか建物があり、いまは閉鎖されていたが、ここみたい。表札もなく、何の施設か不明。新興宗教ちゃうか、と推測するが、一度、調べてみないといけません。なんとか本丸の何割かの土地を確保して、坂本城として示してほしいものです。
◆ええ時間になったので、そのまま帰ってもいいのだが、園城寺に行く。
7月7日、宮内庁書陵部との陵墓懇談会
◆そこから地図もなく、感覚で歩いていると、2度間違い(同じ道を行きつ戻りつ)、なんとかお茶の水に出る。それでも11時に間に合いました。K大学のSさんの進行で、陵墓懇談会前の全体会の打ち合わせをやる。ちょっとしゃべり過ぎ、でしょうか。主張をしたわけではありません(それは本番でやるべきもの)、いろんな事情の説明を、自分の理解していることを話す。
◆これメモから早く原稿化しておかないと、あっという間に忘れそうである。
◆そして15時から宮内庁で懇談会。いちばん言いたかったことは、16年3月に宮内庁が地方公共団体
と一緒にやっていくという方針を出した、という内実。昨年の7月にも議論されたが、昨年は大阪府大での講演が入っていたために、全体会までで、懇談会に出なかったのです。
◆まあ、「一緒に」というのも、堺市でやってきたような、既にそうなってきている路線を継承していくということです、というのは理解できるし、個別対応の積み重ね、というのもそうだろうと思います。とはいえ「はいそうですか」というものでもない。われわれは宮内庁と文化庁に一緒に考えてほしいという要望書を出しており、そういうレベルで一緒にやっていくという枠組みを作っていってほしいわけだ。個別対応でなく、そういうレールをちゃんと作って、その上で、実際の個別古墳に向き合ってほしいと・・・。
◆これメモから早く原稿化しておかないと、あっという間に忘れそうである。
◆そして15時から宮内庁で懇談会。いちばん言いたかったことは、16年3月に宮内庁が地方公共団体
◆まあ、「一緒に」というのも、堺市でやってきたような、既にそうなってきている路線を継承していくということです、というのは理解できるし、個別対応の積み重ね、というのもそうだろうと思います。とはいえ「はいそうですか」というものでもない。われわれは宮内庁と文化庁に一緒に考えてほしいという要望書を出しており、そういうレベルで一緒にやっていくという枠組みを作っていってほしいわけだ。個別対応でなく、そういうレールをちゃんと作って、その上で、実際の個別古墳に向き合ってほしいと・・・。
2017年7月6日は東京に行き 記事№3800
◆この日、朝から出かけて、速報展も見て、あの博物館も見て、といろいろ考えていましたが、そうもいかなくなり(やっとかないといけないことの堆積)、結局は仕事をある程度したあと、15:30頃だったか、東京に向かう。
◆20:00に待ち合わせ、息子と飲みました。就職の話も少し聞きました。電気通信会社だそうです
が、どんなことをやっているのか、こっちにはあまりわかりません。技術開発と思っておりましたが、最初はいろんな部署をという話も出た。
◆行きの新幹線である原稿を直していましたが、途中でくたびれ、飲み始め、へろへろになっておりました。早めなので、わりと平和に終わり、息子の下宿に行き、ばたんと。こういうのも最後かね。
【追記】家で、サーバーを作っているんだそうです。まだまだこれから、なんだけど、とのこと。「家でサーバーを作る」???、文系人間にはよくわかりませんが、写真のようなものを作り始めているのだそうです。
◆20:00に待ち合わせ、息子と飲みました。就職の話も少し聞きました。電気通信会社だそうです
◆行きの新幹線である原稿を直していましたが、途中でくたびれ、飲み始め、へろへろになっておりました。早めなので、わりと平和に終わり、息子の下宿に行き、ばたんと。こういうのも最後かね。
【追記】家で、サーバーを作っているんだそうです。まだまだこれから、なんだけど、とのこと。「家でサーバーを作る」???、文系人間にはよくわかりませんが、写真のようなものを作り始めているのだそうです。
叩かれても叩かれても
◆庄内式の年代「論外」、三角縁神獣鏡の同ハン鏡の文様が不鮮明になっていくというのは何の根拠もない(ちなみに、こんなこと言ってないですよ、たぶん。)、三角縁神獣鏡の製作工人の渡来「成立の余地はない」、前方後円墳の2系列×、河内大塚山古墳が安閑未完陵(これも)「論外」(だったか)。2王並立も×、岩屋山が7世紀前半というのも×。まあ、叩かれております。
◆『考古学研究』で、三角縁に関する本の書評があったもので、買い求め、読んでみたわけです。わりに高い評価の書き方だったものですから。が、ちょっとね~。研磨等の仕上げが同ハン鏡でいろいろで、古墳ごとにむしろまとまりがあるので、大和に本拠をおく鏡工人が出向いて行って作ったのだとか。ハン傷は増えないんだとか。たぶん反論できると踏んだ。
◆しかし技術屋さんが、われわれにはできない分析で、新しい事実を指摘することは歓迎しますが、妙なことに、結局は小林批判、都出批判など、そんなところまで、かなり激しい口調でダメダメだ、というのはどうなんでしょうか。そりゃ学問ですし相違する見解を批判するのは当然だし、とくに影響力の大きい学説に対しては声が大きくなるのかもしれないが、冷静な議論を越えた人格批判に踏み込んでいるように思われます。そんなにわれわれはバカで、小林鵜呑みの者ばっかりなのか、そりゃまったく違うと思うんですけど。ほんとうに偉い人は謙虚ですよ。
◆それでもって鏡は違うのにハン傷が共通して、鋳型が再利用されているという論文も読み返してみた。この観察そのもの、断面の比較も、これは妥当だと思います。が、舶載と倭製とされているものでも鋳型の再利用が確認できた、だからぜんぶ中国か日本かだ、という結論となると、ちょっと待って、と言いたくなる。いま確認されている舶載鏡と鋳型が同じとされている倭製は、すべて倭製Ⅰ期としているもので、これは舶載と倭製の区切りの見直し、という見方も可能なんだろうと思うのです。そこは、間違ってました、ということになれば、ごめんなさい、というしかない。また、そうやって都合が悪くなれば仕切りをスライドさせてかわすんだ、と言われないように、ちゃんとやる必要がある。鋳型を削って次の文様を彫る、といったことは考えてもみなかったことで、それを指摘したことはきわめて重要だし、見直しを迫られていることも事実ながら、白い旗を挙げるわけにはいかない。
◆そうか、だけどこれ倭製の作り始めが4世紀ということとからみ、行燈山古墳の評価にかかわってきてしまいますね。
◆『考古学研究』で、三角縁に関する本の書評があったもので、買い求め、読んでみたわけです。わりに高い評価の書き方だったものですから。が、ちょっとね~。研磨等の仕上げが同ハン鏡でいろいろで、古墳ごとにむしろまとまりがあるので、大和に本拠をおく鏡工人が出向いて行って作ったのだとか。ハン傷は増えないんだとか。たぶん反論できると踏んだ。
◆しかし技術屋さんが、われわれにはできない分析で、新しい事実を指摘することは歓迎しますが、妙なことに、結局は小林批判、都出批判など、そんなところまで、かなり激しい口調でダメダメだ、というのはどうなんでしょうか。そりゃ学問ですし相違する見解を批判するのは当然だし、とくに影響力の大きい学説に対しては声が大きくなるのかもしれないが、冷静な議論を越えた人格批判に踏み込んでいるように思われます。そんなにわれわれはバカで、小林鵜呑みの者ばっかりなのか、そりゃまったく違うと思うんですけど。ほんとうに偉い人は謙虚ですよ。
◆それでもって鏡は違うのにハン傷が共通して、鋳型が再利用されているという論文も読み返してみた。この観察そのもの、断面の比較も、これは妥当だと思います。が、舶載と倭製とされているものでも鋳型の再利用が確認できた、だからぜんぶ中国か日本かだ、という結論となると、ちょっと待って、と言いたくなる。いま確認されている舶載鏡と鋳型が同じとされている倭製は、すべて倭製Ⅰ期としているもので、これは舶載と倭製の区切りの見直し、という見方も可能なんだろうと思うのです。そこは、間違ってました、ということになれば、ごめんなさい、というしかない。また、そうやって都合が悪くなれば仕切りをスライドさせてかわすんだ、と言われないように、ちゃんとやる必要がある。鋳型を削って次の文様を彫る、といったことは考えてもみなかったことで、それを指摘したことはきわめて重要だし、見直しを迫られていることも事実ながら、白い旗を挙げるわけにはいかない。
◆そうか、だけどこれ倭製の作り始めが4世紀ということとからみ、行燈山古墳の評価にかかわってきてしまいますね。
2017年7月2日、KR研
◆この日は午後からKR研。朝、少しやることがあったので大学に行くも、電気の点検で文学部棟は1日通電なし。電灯も空調もなし。何をしてたんだろうか。なにか読んでいたような記憶もあるが、途中からは寝る。起きて京都に向かい、14:30からの研究会は18:00まで。そのあと、今年度調査の結団式を兼ねた懇親会。終了後、何人かとラーメンを食べに行き、22時の近鉄特急で、八木経由で帰ってきました。
2017年7月1日
◆7月になりました。暑い。この日、条里制・古代都市研究会の委員会でした。午後からかと予定を確認すると朝10時から。あわてて会場の大阪歴博に向かう。会議は2時間で予定通り終了。そのあと、午後、都城制研究会があるので、出たら、というお誘いがあり、乗る。
◆実はこの日の研究会は、岸俊男没後30年にあたり、岸先生の都城制研究を振り返るという企画でした。岸先生は、わたしが入学した1983年度末で退官したそうです。会場に行くと、大勢の参加者が集まっていました。また、向かいでは同僚のNさんの城下町科研の研究会をやっておりました。
◆それが終わり、続いて下のレストラン貸し切りで、岸俊男を偲ぶ会となり、これにも参加。ず~といてもよかったのだが、少し経緯がありまして、途中で抜けました(上本町で呑んでたんですけど)。まあ、そんなんで、意外な一日となりました。午後、仕事できず・・・。
◆実はこの日の研究会は、岸俊男没後30年にあたり、岸先生の都城制研究を振り返るという企画でした。岸先生は、わたしが入学した1983年度末で退官したそうです。会場に行くと、大勢の参加者が集まっていました。また、向かいでは同僚のNさんの城下町科研の研究会をやっておりました。
◆それが終わり、続いて下のレストラン貸し切りで、岸俊男を偲ぶ会となり、これにも参加。ず~といてもよかったのだが、少し経緯がありまして、途中で抜けました(上本町で呑んでたんですけど)。まあ、そんなんで、意外な一日となりました。午後、仕事できず・・・。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。