人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
南方古墳群
◆延岡でも、こっちは西の端。で、こっちがオオヤマト段階のより古い2基なのかな、と。で、佐紀の段階に菅原神社古墳が、とみておきたい。
延岡・菅原神社古墳
◆古墳は、まあ悲惨なことになっている。それは前から知っていたことだが、想像以上に墳丘が削り込まれている。そして参道が前方部を縦に抜いている。しかし周囲に堤状の、というか周溝の掘り込みの輪郭がめぐる。墳丘は約110mとある。80歩ですね。部分的に調査してるのでしょうか。
◆傾斜量図を載せておきます。延岡でも北端部。
今井町について
◆で、天文期の浄欽、その後裔と思われる今井兵部と、天正11年に登場する今井兵部、これはつながらないんだそうです。これは定説になっているよう(古い理解では一度今井を離れて戻ってきたと考えられてきた)。あとの今井兵部は、近江出身の河瀬氏で、それが名跡を継いだのだろう、とのこと。
◆で、大阪の住吉郡五箇庄の話。文禄2年だかに、前年に今井宗久が死に、子の宗薫が継ぐが1000石に減らされた。が、翌年の文禄3年に、奈良・今井の今井兵部に代官職を与えられたという。その文書が称念寺にはある。【着陸するので、またあとで】
◆だが、慶長3年の関が原で今井宗薫は東軍に協力し、300石加増されて1300石の知行地を与えられる。いまの堺市北花田と大豆塚は、幕末まで今井領なのです。これ、こないだの杉本村山野家文書でも確かめられた。今井宗久以来の五箇庄の領地は、こうして幕末まで、旗本となった宗久の家筋の領地だった。堺の今井宗久は信長に優遇され、秀吉になると奈良・今井の今井兵部、で再び徳川の時代になると今井宗薫が取り戻す、というのが大筋の流れのようである。
【画像追加】依網(羅)郷土史からコピーしていたものがあったのを思い出した。
2024年3月7日 宮崎へ
◆西都原の委員会に出席するため。毎年、現地を見て会議をやり、1日仕事なので、前泊。このところは、1日目は丸1日近く職場で仕事をして、夕方便で宮崎に入っていた。
◆今回、せっかくなので早い便にしてもらった。車で古墳を見て回ろうと思う。1988年に主だったものをまわり、基本はそれをなぞうろうと思っていたが、2016年だったかに西都原博物館で講演したときに、延岡市の菅原神社古墳を知ったのを思い出した。延岡まで足をのばそうとと考えている。
【追記】この記事、飛行機の中から衛星経由でブログをアップした第1号ですね。
越前和紙4
◆それと工芸館の2回の展示を見る。おそらく貸しギャラリー。こういうのもいいと思う。古民家の空き家を、いろんな作品を作っているプロやセミプロ、アマチュアが、展示会をやったり個展を開いたり、そういうのをどんどんプロデュースするような人が必要ですね。写真、暗いですが・・・。
◆最後、パピルス館で、和紙のメモパッドと名刺を購
◆ここで帰途に就く。次は美濃和紙。それと東京王子製紙の洋紙の博物館に行きたい。
越前和紙3
◆われわれが向かった谷奥が、マチナミとしてはもっともよく残るところの
よう。ここ今立では、まだまだ和紙作りが産業として成り立っているようだ。
◆引き返し、卯立の民藝館に行く。移築したもので、そこで紙漉きの実演をしている。博物館、行かなかったが隣の美術館、この工芸館、それと和紙製品の物販所であるパピルス館というのが、一画にまとまってある。民間でなく町が作ったのだろう。
◆蕎麦屋で昼を食べ、工芸館に入ると、紙漉きの実演をやっている。実際を見るのが一番ですね。見ながらあれこれ質問し、それに答えてくれる。
今年度の4月からやっているという、若い女性でした。その横では、雁皮なのか、水の中で不純物を取り除く、地道ながら重要な作業をやっている、一定の年配の女性が手を動かし続けている。紙漉きのところには、若いニイチャンが1人。
◆で、菊版1枚が仕上がると(いまやっているのは0.18ミリ厚のものという)、若い女性が手を止めて、置いてある道具とか、紙漉きの説明をいろいろしてくれる。すっかり仲良くなり、月に1度は来ているというニイチャンとともに、和紙の話で盛り上がる。名刺を交換。
◆引き返し、卯立の民藝館に行く。移築したもので、そこで紙漉きの実演をしている。博物館、行かなかったが隣の美術館、この工芸館、それと和紙製品の物販所であるパピルス館というのが、一画にまとまってある。民間でなく町が作ったのだろう。
◆蕎麦屋で昼を食べ、工芸館に入ると、紙漉きの実演をやっている。実際を見るのが一番ですね。見ながらあれこれ質問し、それに答えてくれる。
◆で、菊版1枚が仕上がると(いまやっているのは0.18ミリ厚のものという)、若い女性が手を止めて、置いてある道具とか、紙漉きの説明をいろいろしてくれる。すっかり仲良くなり、月に1度は来ているというニイチャンとともに、和紙の話で盛り上がる。名刺を交換。
越前和紙2
◆卯立がわかるか、立派だろう、といったのが口火だったか。どこから?、大阪から、入って来いと、その家の門をくぐる。有名なアキちゃん(玉村秋子)という人で、紙漉き歌を歌える唯一の人物で、テレ
◆おみやげもいただき、神社はあっちだと教えてもらう。大滝神社・岡太(もと)神社(紙祖神である川上御前が祭神)をお参りする。
2024年3月3日越前今立
◆翌日、尼崎の博物館に行くつもりで近畿道を北上。天気のよさに遠出することに切り替え、越前今立郡に向かう。和紙シリーズです。
◆武生ICで下りて真東に向かうと、今立郡岡本村(昔の行政村)につきあたります。五箇という地区で、5つの村からなります。まず博物館。越前和紙の体系的な展示がある、というわけではなく、それは映像。展示としては、現在のものを含む和紙のいろんな種類がぶらさげてある、そういう実物の展示でした。企画展としてガリ版で草花を描いた作家さんの作品がならぶ。著名な挿し絵作家のようであるが、簡易で表現力豊かなガリ版絵をず~と描き続けていた方のようです。そのあと、卯立の工芸館に行く前に、町歩きをしようと、谷の奥へ進む。大滝という、五箇のなかでも最も奥まった地区です。
◆写真は、博物館にあった、このあたりの伝統工芸の展示パネル。付近に、漆・刃物などの施設が集まっている。なお、行かなかったが、合併前は今立町だったんでしょうか、近代の中心地は東西道路の北側のようで、そちらには足を運ぶことなく終わってしまいました。
◆写真は、博物館にあった、このあたりの伝統工芸の展示パネル。付近に、漆・刃物などの施設が集まっている。なお、行かなかったが、合併前は今立町だったんでしょうか、近代の中心地は東西道路の北側のようで、そちらには足を運ぶことなく終わってしまいました。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。