人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2016年9月18日、長浜・彦根
◆松山に遊びに行こうとしていたのですが、19日はカミさんが授業があり、18日だけ何処かへ行こ
うと。宇陀松山の伝建案もあったのですが、長浜へ。
◆お城は廃城後の跡地に模擬天守を建てたもので、博物館となっている。もっと長浜全体の歴史を学べるのかと思ったが、まあ城の博物館である。なんでお城の駐車場(臨時駐車場というのか第2駐車場だったが)がいっぱいなんだろうと首をかしげる。お城というか博物館を訪れる人も多い、というところに妙な違和感を・・・。そのあと駅舎の保存施設に行き、これもおもしろかった。長浜が北陸や湖北などからの物資を大津へ輸送するターミナル駅であり、舟運との結節点であったこと、やがて東海道線とつながるが、湖北から敦賀、また敦賀から福井へ、鉄道をつなぐことが難関であったことなど、学ぶことが多い。
◆そのあと、いよいよ町へと向かうと、ほぼすべての駐車場が満車で、内部は1回横切っただけだが、とにかく人があふれている。ラーメン屋には長蛇の列。なんじゃこれは・・・。びっくりです。以下、ウィキ。
黒壁スクエアは、滋賀県長浜市旧市街にある、伝統的建造物群を生かした観光スポット。黒漆喰の和風建築である「黒壁1號館」から「30號館」までの総称であるが、一般に北国街道と大手門通り(美濃谷汲街道)の交差点である「札の辻」(江戸時代に高札が立った場所であることに由来)を中心とする区域として紹介されることが多い。
江戸時代から明治時代の和風建造物の連続性が高い情緒ある町並みとその古建築を活用した美術館、ギャラリー、ガラス工房等の文化施設、レストラン、カフェ等が集積するエリアで、また日本最大のガラス芸術の展示エリアとして知られ、年間約300万人の観光客が訪れる湖北随一の観光スポットである。
旧市街地の中心である「札の辻」に建つ「黒壁銀行」の愛称で親しまれてきた旧第百三十銀行(1899年竣工)の取り壊しの危機に際し、旧市街の古建築の保存と再生のための博物館都市構想を掲げた第三セクター(長浜市と地元民間企業8社が出資)「黒壁」が1988年に設立された。 「黒壁」設立の主目的である旧第百三十銀行の保存と再生は同建築が1989年に黒壁一號館「黒壁ガラス館」としてオープンすることにより達成された。 さらに「黒壁」はこの一號館の周囲の古建築を、次々と美術館、ガラスショップ、工房、ギャラリー、カフェ、レストランへと再生してその数10館、「黒壁まちづくり」に参画する館を合わせると計30の古建築の再生に携わった。1991年に新快速が長浜駅まで延伸したこともあって観光客が増え続け、その活況はエリア内の他の古建築の再生・活用へと波及していった。
400年の伝統に支えられた寂れた商店街と古い住宅街が、今や湖北最大の観光スポットへと変貌を遂げている。町おこしの成功例として有名で、日本各地から視察が絶えない。
◆というのはいま学習したわけだが、当日、これはどうなってこうなったん?、研究せなあかんと思った。しかしまずちゃんと訪ねマチをまわることですね。
◆お城は廃城後の跡地に模擬天守を建てたもので、博物館となっている。もっと長浜全体の歴史を学べるのかと思ったが、まあ城の博物館である。なんでお城の駐車場(臨時駐車場というのか第2駐車場だったが)がいっぱいなんだろうと首をかしげる。お城というか博物館を訪れる人も多い、というところに妙な違和感を・・・。そのあと駅舎の保存施設に行き、これもおもしろかった。長浜が北陸や湖北などからの物資を大津へ輸送するターミナル駅であり、舟運との結節点であったこと、やがて東海道線とつながるが、湖北から敦賀、また敦賀から福井へ、鉄道をつなぐことが難関であったことなど、学ぶことが多い。
◆そのあと、いよいよ町へと向かうと、ほぼすべての駐車場が満車で、内部は1回横切っただけだが、とにかく人があふれている。ラーメン屋には長蛇の列。なんじゃこれは・・・。びっくりです。以下、ウィキ。
黒壁スクエアは、滋賀県長浜市旧市街にある、伝統的建造物群を生かした観光スポット。黒漆喰の和風建築である「黒壁1號館」から「30號館」までの総称であるが、一般に北国街道と大手門通り(美濃谷汲街道)の交差点である「札の辻」(江戸時代に高札が立った場所であることに由来)を中心とする区域として紹介されることが多い。
江戸時代から明治時代の和風建造物の連続性が高い情緒ある町並みとその古建築を活用した美術館、ギャラリー、ガラス工房等の文化施設、レストラン、カフェ等が集積するエリアで、また日本最大のガラス芸術の展示エリアとして知られ、年間約300万人の観光客が訪れる湖北随一の観光スポットである。
旧市街地の中心である「札の辻」に建つ「黒壁銀行」の愛称で親しまれてきた旧第百三十銀行(1899年竣工)の取り壊しの危機に際し、旧市街の古建築の保存と再生のための博物館都市構想を掲げた第三セクター(長浜市と地元民間企業8社が出資)「黒壁」が1988年に設立された。 「黒壁」設立の主目的である旧第百三十銀行の保存と再生は同建築が1989年に黒壁一號館「黒壁ガラス館」としてオープンすることにより達成された。 さらに「黒壁」はこの一號館の周囲の古建築を、次々と美術館、ガラスショップ、工房、ギャラリー、カフェ、レストランへと再生してその数10館、「黒壁まちづくり」に参画する館を合わせると計30の古建築の再生に携わった。1991年に新快速が長浜駅まで延伸したこともあって観光客が増え続け、その活況はエリア内の他の古建築の再生・活用へと波及していった。
400年の伝統に支えられた寂れた商店街と古い住宅街が、今や湖北最大の観光スポットへと変貌を遂げている。町おこしの成功例として有名で、日本各地から視察が絶えない。
◆というのはいま学習したわけだが、当日、これはどうなってこうなったん?、研究せなあかんと思った。しかしまずちゃんと訪ねマチをまわることですね。
最後のひと仕事と打ち上げ
◆昨日来、最後に残った仕事として、埋葬施設のところの最後まで残してきた畦のなかにある陥没
抗内の埴輪の取り上げがある。現地説明会のこの日、説明はしつつも、埴輪の掘り出し作業も進め、それも見せることに。とはいえ、なかなか進捗しなかったので、自分を含め3人で作業を本格化する。
◆15時後、アイスを食べ(既にサクレなし)、シートかけをやり、記念撮影も済ませる。埴輪の掘り上げ作業を継続し、16時には写真撮影+フォトスキャン用の撮影。コンビニで写真を打ち出し、ナンバーを振りながら取り上げていく。上下はあるが、2面にするほどでもなく、また大きい破片の下からまた大きい破片ということもなく、下層埴輪も写真コピーにいくらか追加で記入し、掘り上げた。これが17:08。これにて、すべての作業を完了した。
埋葬施設のシートをかけ、テントの片づけ、個人の荷物
を出し、一方では、途中から宿舎の掃除を進め、現場組も宿舎に合流。ゴミの山があるが、まあそれは明日、運び出すこととしまとめてもらい、個人の荷物を固め、城陽飯店に向かう。
◆城陽飯店18時には10分ほど遅れたか。今日の昼間の現説には来れなかった参加者も合流し、打ち上げが始まった。
◆いやほんとに、今回は3か所の調査区でそれぞれ目的とした成果を得て、また当初から目指した9月半ば終了を実現し、すべてを終えて打ち上げができ、達成感のもと、みな楽しくやってました。奈良大・近大の学生が加わり、3回生が主力となり、4回生(昨年の主力)も卒論を縫ってサポートしてくれ、全体としていいチームとなって、現場運営もスムーズに進み、この日を迎えること
ができた。感謝したい。解散し多くは寺田駅に向かう。
◆めでたく大団円となりました。
◆15時後、アイスを食べ(既にサクレなし)、シートかけをやり、記念撮影も済ませる。埴輪の掘り上げ作業を継続し、16時には写真撮影+フォトスキャン用の撮影。コンビニで写真を打ち出し、ナンバーを振りながら取り上げていく。上下はあるが、2面にするほどでもなく、また大きい破片の下からまた大きい破片ということもなく、下層埴輪も写真コピーにいくらか追加で記入し、掘り上げた。これが17:08。これにて、すべての作業を完了した。
◆城陽飯店18時には10分ほど遅れたか。今日の昼間の現説には来れなかった参加者も合流し、打ち上げが始まった。
◆いやほんとに、今回は3か所の調査区でそれぞれ目的とした成果を得て、また当初から目指した9月半ば終了を実現し、すべてを終えて打ち上げができ、達成感のもと、みな楽しくやってました。奈良大・近大の学生が加わり、3回生が主力となり、4回生(昨年の主力)も卒論を縫ってサポートしてくれ、全体としていいチームとなって、現場運営もスムーズに進み、この日を迎えること
◆めでたく大団円となりました。
2016年9月17日(土曜日)久津川車塚現地説明会
◆前日の16日は教授会で自分は不在。朝、出版社との打ち合わせ、会議後もある打ち合わせ。現地
説明会の資料は道上氏が仕上げてくれている。埋葬施設の図面も終わったであろう。現説の準備はと、あれやこれやと思うが、現場サイドでやってくれている。
◆翌日の説明会。曇ってはいるが、なんとか天気はもちそうである。参加(城陽市関係のぞく)。自分。道上・山口・阿部・伊藤(市大)。三浦・宇佐美・コンマ1・土井・吉村・安藤・木下(立命)。相馬(近代)。参加者は450弱くらいか。朝、学生らはミッチーの陣頭指揮で打ち合わせをやっている。ちゃんとしている・・・。
◆城陽市担当者による全体説明のほか、本調査区、埋葬施設、テラスに分かれ説明に立つ。別途、
遺物のところにも。
◆翌日の説明会。曇ってはいるが、なんとか天気はもちそうである。参加(城陽市関係のぞく)。自分。道上・山口・阿部・伊藤(市大)。三浦・宇佐美・コンマ1・土井・吉村・安藤・木下(立命)。相馬(近代)。参加者は450弱くらいか。朝、学生らはミッチーの陣頭指揮で打ち合わせをやっている。ちゃんとしている・・・。
◆城陽市担当者による全体説明のほか、本調査区、埋葬施設、テラスに分かれ説明に立つ。別途、
2016年9月15日(木曜日)久津川車塚
◆参加。城陽市担当者。自分。長友。道上(市大)。コンマ1・宇佐美・安藤・木下(立命)。泉・
田口(奈良大)。相馬(近代)。埼玉大の中村大介氏にドローンによる空撮。
◆朝、天王寺でレンターカーを借り現場へ。ドローン空撮のための清掃をやり、撮影に入る。シーラカンスと命名。
◆墳端平面図画板3枚セット。工藤さん指示でゲンセツ用準備。整理室に行き、埴輪の再点検に2人を送り出す。冷蔵庫捨て。埋葬施設の壁面線引き。テラストレンチのフォトスキャン用補足写真。コーナンなどで、色テープや紐を買い込み、遺構表示の作業を始める。列石には色シール。
◆宿舎撤収のため片付け。荷物を積み込み、5人が2台に分乗し、道路渋滞を回避するため、16:30に現場を出発。136部屋に機材を搬入する。天王寺で解散。自分はそのあと梅田に向かう。
◆朝、天王寺でレンターカーを借り現場へ。ドローン空撮のための清掃をやり、撮影に入る。シーラカンスと命名。
◆墳端平面図画板3枚セット。工藤さん指示でゲンセツ用準備。整理室に行き、埴輪の再点検に2人を送り出す。冷蔵庫捨て。埋葬施設の壁面線引き。テラストレンチのフォトスキャン用補足写真。コーナンなどで、色テープや紐を買い込み、遺構表示の作業を始める。列石には色シール。
◆宿舎撤収のため片付け。荷物を積み込み、5人が2台に分乗し、道路渋滞を回避するため、16:30に現場を出発。136部屋に機材を搬入する。天王寺で解散。自分はそのあと梅田に向かう。
2016年9月14日(水曜日)久津川車塚
◆参加。城陽市担当者。自分。長友。道上(市大)。三浦・コンマ1・園原・宇佐美・安
藤・木下・万寿(立命)。泉・田口(奈良大)。相馬(近大)。見学:京都橘大I氏。
◆埋葬施設の最終写真撮影にむけて清掃(第1Q)。→写真。第2Qから15:00まで、墳端部の最終写真に向けて清掃。石の最終検討、はずし、を含む。→写真。最後、釘を打ってフォトスキャン。一方、埋葬施設は図面に向けて壁面の線引き。
◆明日、今日の写真をフォトスキャンでオルソ画像にし、墳端部の最終形の平面図を書くこと。埋葬施設の線引きの最終検討、図化。これでオワリ。あとはゲンセツにむけての準備、宿舎の片付け、etc。明日18:30の梅田の会合に果たして行けるであろうか。
◆埋葬施設の最終写真撮影にむけて清掃(第1Q)。→写真。第2Qから15:00まで、墳端部の最終写真に向けて清掃。石の最終検討、はずし、を含む。→写真。最後、釘を打ってフォトスキャン。一方、埋葬施設は図面に向けて壁面の線引き。
◆明日、今日の写真をフォトスキャンでオルソ画像にし、墳端部の最終形の平面図を書くこと。埋葬施設の線引きの最終検討、図化。これでオワリ。あとはゲンセツにむけての準備、宿舎の片付け、etc。明日18:30の梅田の会合に果たして行けるであろうか。
2016年9月13日(火曜日)久津川車塚
◆参加。城陽市担当者。自分。長友。道上(市大)。安藤・木下(立命)。泉・田口(奈良大)。相馬(近大)。今季のコアメンバーですな。調査指導:15時:京都府文化財保護課。
◆朝から雨がパラパラ。記者発表なので、シートを開け(全面ではない)、出土遺物をならべたり。そうこうするうちに10時前ではあるが、記者さんも集まってきて、記者レクが始まる。図面に出撃するも雨が来て、テントのなかでの記者レクの間、われわれも横に控えていた格好となる。この間に、現地説明会の資料の打ち合わせをしたり、支え柱のこととか、あーでもないこーでもないと、こうした議論もまた楽し。
◆記者レクはほぼ12時近くまで続き、その間、弁当を頼むのも忘れ、昼はラーメンを食べに行く。戻り、雨も落ち着いており、13時10分には作業にかかる。図面は3人、あとは墳端に下り、昨日の続きで、石を個々に検討し、全体のならびをながめつつ、最終の仕上げを進める。基底石はきれいにならぶわけではないが、およそのフレームが考えられ、その外側にも谷部南については葺石状に積み上げた重なりでがっちりの石がある。まずは後円部側について、角状の石を立てた2石があり、あんまり並ばないがずり落ちているような状況を配慮しつつ、一定の石敷帯があると理解し、外側を地山まで出す。緩やかに地山も上がってきて、残した石の下に入っていく。
◆次いで難問の造り出し北辺。ああだこうだ、と議論していると、女王の一声「もう掘る機会はないだろうから拡張!」。「剣スコを持て」。とはいえ大幅な拡張というわけにはいかないが、南壁を30㎝ほど南に押す。現在の見解では、谷部列石下端から南に前方部側辺といえばそうともいえる1m程度の辺があり、そこから屈曲して造り出し北辺に移行するとの見立て。それが南壁ぞいに、そう長くない辺長しか出ていないので、その続きの状況を確認しようということになる。むろん隅角を出すのが理想だが、そこまでのことはできないが、今の見立ての蓋然性が高い感触をえられれば、と。
◆結論は、明瞭に基底石がならぶという状況ではなく、石が離れてズレているような部位もあり、一定、復元的な目で、見立てのラインでいいのではないか、という感触を得る。また西側では、そのラインの外側に、平たい石がいくつか、それこそ敷いているように現れ、縁部石敷帯がやはりくっついている、という理解でいいのではないか、とも。デロデロになりつつ、久しぶりのドカ掘りと石出し、土上げで、写真を撮る余裕もなく、画像を示せませんが・・・。
◆朝から雨がパラパラ。記者発表なので、シートを開け(全面ではない)、出土遺物をならべたり。そうこうするうちに10時前ではあるが、記者さんも集まってきて、記者レクが始まる。図面に出撃するも雨が来て、テントのなかでの記者レクの間、われわれも横に控えていた格好となる。この間に、現地説明会の資料の打ち合わせをしたり、支え柱のこととか、あーでもないこーでもないと、こうした議論もまた楽し。
◆記者レクはほぼ12時近くまで続き、その間、弁当を頼むのも忘れ、昼はラーメンを食べに行く。戻り、雨も落ち着いており、13時10分には作業にかかる。図面は3人、あとは墳端に下り、昨日の続きで、石を個々に検討し、全体のならびをながめつつ、最終の仕上げを進める。基底石はきれいにならぶわけではないが、およそのフレームが考えられ、その外側にも谷部南については葺石状に積み上げた重なりでがっちりの石がある。まずは後円部側について、角状の石を立てた2石があり、あんまり並ばないがずり落ちているような状況を配慮しつつ、一定の石敷帯があると理解し、外側を地山まで出す。緩やかに地山も上がってきて、残した石の下に入っていく。
◆次いで難問の造り出し北辺。ああだこうだ、と議論していると、女王の一声「もう掘る機会はないだろうから拡張!」。「剣スコを持て」。とはいえ大幅な拡張というわけにはいかないが、南壁を30㎝ほど南に押す。現在の見解では、谷部列石下端から南に前方部側辺といえばそうともいえる1m程度の辺があり、そこから屈曲して造り出し北辺に移行するとの見立て。それが南壁ぞいに、そう長くない辺長しか出ていないので、その続きの状況を確認しようということになる。むろん隅角を出すのが理想だが、そこまでのことはできないが、今の見立ての蓋然性が高い感触をえられれば、と。
◆結論は、明瞭に基底石がならぶという状況ではなく、石が離れてズレているような部位もあり、一定、復元的な目で、見立てのラインでいいのではないか、という感触を得る。また西側では、そのラインの外側に、平たい石がいくつか、それこそ敷いているように現れ、縁部石敷帯がやはりくっついている、という理解でいいのではないか、とも。デロデロになりつつ、久しぶりのドカ掘りと石出し、土上げで、写真を撮る余裕もなく、画像を示せませんが・・・。
2016年9月12日(月曜日)久津川車塚ラストスパート
◆参加。城陽市担当者。自分。長友。道上・伊藤(市大)。三浦・園原・安藤・木下・山本(立命)。泉・田口(奈良大)。相馬(近大)。助言:大阪府教委H氏。見学:昭和女子大ご一行さま(先生とは昭和の時代に会津大塚山で会ったことがあるらしい)。
◆造り出し北辺の立面図もセットし、いる人間で図面を進める。この日のうちに3人ほどは完了。全体では80%くらいか。墳端部は何人かで検討し、取れる石を取っていく。だいたいの方向性は合意されたか。もう少しである。やっぱり行けるときにやっつけとかないと、二度手間になりますね(反省)。
◆明日は雨らしい。10時に記者発表である。
◆造り出し北辺の立面図もセットし、いる人間で図面を進める。この日のうちに3人ほどは完了。全体では80%くらいか。墳端部は何人かで検討し、取れる石を取っていく。だいたいの方向性は合意されたか。もう少しである。やっぱり行けるときにやっつけとかないと、二度手間になりますね(反省)。
◆明日は雨らしい。10時に記者発表である。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。